今日も「夏休みは折伏に挑戦しよう!!」って事で地区のS先輩から電話があった。
もちろん話はたっぷり30分はしたで。
「キッシーもそのうち絶対に折伏したい!って思う時が来るよ。僕達としてはその瞬間が早くきてもらいたい」
まだしばらくはそんな気にはなれませんな。
一体何が違うんや?
先輩方が折伏する動機は大きく分けて3つある(何様やお前)
まず一つ目は悩んでる友達を入信させる事で救ってあげたいというモノ。
これは明らかに無いね。
今まで出会った友達の中で僕以上に悩み抱えてるヤツなんていたか?
中学高校時代にいろんな事から逃げてたから今ツケがまわってきてる。
僕が悩んでるのをみんな知ってるやろから、とてもとても折伏なんて…
二つ目は本当に仲の良い友達と一緒に闘いたい、という気持ちが折伏に繋がるらしい。
この心境にも違和感を感じる。
高校ん時の同級生とか、なんでも話せる連中も何人もいるけど、
彼らは彼らなりの考えを持ってるし、学会の事についても色々話はしてる。
選挙の共闘者として公明党を応援してくれるって言ってくれるヤツも多い。
学会に入ってもらった所で意味はあるんか?
三つ目が一番重要で一番納得いかんのやけど、
創価学会が最も正しくて素晴らしいものだからっていう至極単純なモノ。
Fさんはじめ皆さんココを強調してはるけど、これこそただ単なる主観やないか。
人に学会を勧めるほど学会の事知りませんよって言うと誰でも最初はそうだから…ってさ。
分からなくてもとりあえず折伏をやる価値はあるらしい。
それは学会が素晴らしいモノだって事はハッキリしてるから分からなくても折伏をやる過程で自分も勉強していけばいい、って理由らしい。
学会も所詮一つの宗教団体やし、普通宗教を選ぶという段階に至るまでが大変やと思うんや。
そこをとばしていきなり学会を勧めるからドン引きされるんやと思う。
宗教の必要性を感じてる人なら学会は良いみたいな事を言う価値があるかもやけどね
そんなやつおらんやろ~
往生しまっせ~
チッチキチ~やな~
とにかく今年の夏は折伏はやりませんよ。