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勉強と頭の整理のための備忘録として

夜更けに思う。

2006-02-18 03:15:21 | うだうだ
この道を行けばどうなるものか、
危ぶむなかれ。
危ぶめば道はなし。
踏み出せばその一足が道となる。
迷わず行けよ。
行けばわかるさ
1,2,3、ダァーー!

この頃何かこう、どうせならとことん自分を捨てるってのもアリかな、と思う。
滅私。

学生時代ってまぁ世に言うモラトリアム。
社会に出る前の準備期間とか言われるけど
将来自分はこうしたい、ああいう風になりたい、とか普通考えるわけですよ。
そうするとそのためには今これをするべきだ、とか
向上心に繋がって
充実した生活を送ってらっしゃる方々も多いとは思われますが

僕も例外ではなくそういうモノを目指していたのかもしれない。

でも違うな…
と思う。

新聞奨学生をやった経験からか、創価学会というものが考えさせたのか、
自分という人間は
それを目的とするほどのもんじゃないね。
金を得て、
友達を得て、
伴侶を得て、
地位を得て、名声を得、信頼を得…

アフリカのMSACに行って地雷をひたすら探したくなってくる

「人のために」?
何ともウソ臭い台詞や
「他人の幸せを自分の幸せとして、他人の不幸を自分の不幸として」?
偽善にしか見えへんわな


生きる目的とは何ぞや。
真の創価学会員にとってはそれが見えているらしい。
こういう根本的なところでは宗教は必要やとは思うんやけど、
僕は全く生かせてない。
そもそもどうしようもなく悩んだ時、苦しい時にこそ宗教を活用するべきやのに
日蓮宗のやり方ですら僕にとっては他力本願に思えてくるから使えない。

自分はこの先何をやる事が人様のためになるか?
T学生部長には題目を真剣にあげる中で考えろ、と言われた。
まぁ残念ながら「題目」に価値があるとは思わないんで
酸欠になりながら足痺れながらやと考えはまとまらないから
こうして愚痴を書き連ねてる日々なんやけどね。


今のまま生きていくのは迷惑な話やけど
今死ねばもっと迷惑が掛かる。
仙人じゃないからこの浮世から逃げ出す事も出来ない

延暦寺の坊さんが自給自足の質素な生活を続けながら唯ひたすら「下界の」人々の祈ってお経を上げ続けている姿をテレビで見たときは妙に感心したし情けなくもなった
別に下界の人に声が届くわけでもなく、坊さんの事なんて誰も気に止めず下らない毎日を送ってるわけじゃないですか。それでも祈り続けている姿ってのは菩薩って言えるんかなぁ

ボランティアにしろ募金にしろ献血にしろ
「目に見える形で」人の役に立ちたいとか思ってる人間は(僕含め)浅い。浅い…

コメント (2)
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プルシェンコ

2006-02-18 01:25:49 | うだうだ
2000年シドニーのイアン・ソープに似てると思うのは僕だけだったか…
あの顔は無敵やな

スピードスケート団体戦で日本女子が転んだり
スノボで余裕かましてたトップの選手が転んだり
ほんまきっつ~
チーム競技で転んだのはもうどうしようもないよなぁ
あの場にいたら120%もらい泣きしてる。
メダルメダルってもう言うなや
見苦しい…
そんなにメダルが欲しいなら自分で出ろっちゅうねん
もしくは真央ちゃんを出しとけっちゅうねん。


上戸彩より伊藤英明より

やっぱりケインコスギ★



コメント (4)
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