1年秋の東北大会。
学法石川を相手に6回から救援登板し、最速147キロをマークした。
2010年10月8日、天童市スポーツセンター
2年の夏の帝京戦で甲子園初登場。
故障明けの苦しい投球となったが最速150キロをマーク。
2011年8月7日、甲子園
花巻東室内練習場
夢の5原則
夢をみよう
始めてみよう
続けてみよう
話してみよう
信じてみよう
「雄星は野生のゴジラで、大谷は作られたメガゴジラ。
そこらで拾ってきた野生の怪獣をマウンドに立たせて無理やり投手にしたのが雄星。
プロに入ってからは野性味があふれでっちゃって、フォームがバラバラになったけど、最近ようやく落ち着いてきた。」
「逆に大谷は身長190cm以上もあるのに、170cmの選手の動きができるアスリートに投げ方を教えただけ。その意味で野生じゃなくて、メガゴジラなんだな。もし雄星みたいなバラバラな投げ方をしていたら、大谷はストライク1つだって入らないよ。ある意味で本当の怪物は雄星。投球フォームとかお構いなしで150キロの球を投げるんだから。
あー、どっかにまた野生のゴジラいないかな?
花巻東はもっと山奥とかで選手を探してこないと駄目だよ。
左門豊作みたいな奴!」
「なぜ速い球が投げられるかは結局、リリースで球を切る速度。
腕を伸ばし、できるだけ前で投げることを意識している」と答えた。
2012年3月21日、第84回選抜高校野球に挑んだ花巻東は開幕日の1回戦で大阪桐蔭と激突した。
4番大谷翔平が注目の197cm右腕藤波晋太郎から右越えソロを放ち先制。
奪三振11、与四死球11-。それがすべてだった。
173球を投げ9回途中降板。
不完全燃焼のまま花巻東の短い春が終わった。
「結局は相手じゃなくて自分のフォームの問題。
故障が長引いて、まだしっかりした形ができていなかった・・・」と肩を落とした。
甲子園練習という30分間の限られた時間内でさえ、佐々木監督はノックの途中で「オールエラー」を命じた。内野陣が次々とトンネルや暴投を繰り返す異様な光景に、全国の記者陣が度肝を抜かれた。広い甲子園でカバーリングの距離感を探ると同時に、ミスを恐れない心構えを確認するためだった。
一方で練習になれば、指揮官自身も盛り上げ役となって底抜けに明るい。
「監督さーん、熱いノックお願いします」
と内野陣が声を張り上げてアピールすると、指揮官は、
「指導には段階ってもんがあるんだよ」
と怒鳴り返し、弱々しいノックしか打たない。漫画のような世界だ。
大谷が最上級生になると、佐々木監督は大谷だけを1年生らが住む別棟の学生寮に移した。
睡眠時間の確保が狙いだったが、それだけで終わるわけがない。
実は大谷は朝の点呼に遅れた罰として、学生寮前の雪かき係りを1週間やらされていたという。監督も知らなかった。
「あとで聞いてひっくり返りましたよ。なんのために配慮して寮を移したのか。子供たちのルールだから仕方ないかもしれないけど、大谷も大谷ですよ」
2012年7月19日、一関学院の準決勝で高校球界最速の160キロをマークした。
「160キロは監督と一緒に目標にしてきた数字。出せてうれしい」
低めに制球された160キロは別次元のすさまじさだ。
打席の鈴木は「ワンバウンドだと思ったら、そこから伸びてきた」と驚きを口にした。
決勝は盛岡大付との一戦。
大谷はまさかの序盤4失点と苦しんだ。
計15奪三振をマークしたが、打線は相手左腕の緩急に苦戦し8回まで4安打1得点。
最終回の反撃も届かなかった。
3-5で敗れた。大谷は4打数2安打。
花巻東室内練習場
「人生の悲劇は
目標を達成しないことではなく
目標を持たないことである」
運命のドラフト会議が近づいていた。
佐々木監督は「プロ野球の評価が分かれて、ドラフト1位で
『大谷翔平(投手)』と『大谷翔平(外野手)』の両方がコールされないですかね。
まさかの1位指名重複。面白いですよ」
水沢南中学出身
1年生のとき、リトルリーグの東北大会準決勝で18アウト中17アウトを三振で奪う。166cm。
大谷翔平高校3年間の公式戦成績
打撃成績
53試合ー184打数77安打、8本塁打、打点57 打率.418
投手成績
22試合ー112回2/3、打者数473、被安打78、奪三振148、与四死球61、自責点30、防御率2.40
甲子園で対戦が決まると相手校が喜ぶほど弱かった岩手県代表。
「岩手から日本一」を掲げて09年春夏に快進撃を見せた菊池雄星ら先輩の姿に触発され、強烈に「日本一」を意識して同校に入学した世代だった。
県内から有望中学生選手が集まる同校だが、09年は誰一人として声をかけていない。
大谷はファイターズにドラフト指名された瞬間、花巻東高のグランドで遠投を繰り返していた。動揺する心を落ち着かせるように、冷たい雨にうたれながら白球に集中した。
「評価していただいたことはうれしいが、自分の気持ちは変わらない」。
胴上げもなし、仲間の祝福もなし。
毎年12人しかいないドラフト1位だが、これほど悲しい光景はなかった。
ファイターズの勇翔寮に入寮;13年1月9日、千葉県鎌ヶ谷市
岩手県内の高校野球取材で、記者がスコアブックに記録するのは最高峰の県決勝でもストライク、ボール、球種をメモする程度だった。大谷の登場で、そこに「球速」が加わった。
1球ごとにスコアボードの電光掲示板で球速を確認した。
最速何キロ投げるかわからない怪物だからだ。
ピンチになればなるほど、彼の集中度が高まるほど「危険」だった。
とにかく記者泣かせで、面倒くさい男なのだ。
大谷が登板すると「投げた」「球速表示」「どよめく」という循環で野球を楽しんでいた。
「自分は野球の神様が本当にいると信じているので、道ばたにゴミが落ちていたら絶対に拾っちゃうんです。これで自分が嫌われたらどうしようって心配になって、だったら拾っておこうとなる。」
佐々木監督の言葉だ
「甲子園では不思議と『チンピラ』みたいな選手が活躍する。自分勝手でいい加減にプレッシャーも感じずにプレーできるからです。しかも強豪に限って、そういう選手が中心にいる。でも真面目な選手で勝ちたいじゃないですか」
甲子園の円陣でさえ、対戦校の選手を観察し、
「おい、あんな眉毛をいじってる選手に負けるんじゃないぞ。
花巻東は眉毛王子で勝負する。あんな細い眉毛、許していいのか」
と意味不明な眉毛論をぶちかまし、鼓舞した。
大谷は高校時代は故障に苦しみ、ついに本調子で投げることのなかった悲運のエースだった。
「翔平はこんなもんじゃない」と仲間が一致団結したように、彼らが感じていたのは
「翔平と一緒に野球ができたことをいつか誇りに思うだろう」という確信だった。
「おそらく過去にも岩手には雄星、大谷クラスの選手がいたんですよ。最近は指導者全体のレベルがあがってきたが、昔は水を飲むな、肩を冷やすからプールは駄目だなど迷信で指導していた。」
花巻東の特徴は投手や野手をグループ化し、徹底的に効率化した練習にある。
投手と捕手が一緒になって学校周辺を走るロードワークも見たことはほとんどない。
理由を尋ねると、佐々木監督は
「走りこむことでできる筋力と野球で使う筋力は違うんです。もし関連性があるなら長距離走の選手は軒並み150、160キロをたたき出しているはずだけど、私はそんな陸上選手は知らない」
1年生から大谷を4番に据えた指揮官は
「身長があり大きくて見栄えがいいので4番に置いただけ。
変化球は打てないし、クルクル三振しますよ」
プロ5年間の成績
投手
85試合、543回、42勝15敗、奪三振624 、防御率2.52
打者
403試合、1035打数296安打、二塁打70、本塁打48、打点166、打率.286
佐々木隆貴さんは160キロを捕った唯一の高校生
「正直、軌道は低くボールだと思った。
頭を上げたら160キロと出ていた。
あの打席は、いきなり球速がどんどん上がってきて、いつか出るんだろうなと思っていた」
「翔平が女性と話しているところを見たことがない」
「寮母さんぐらい」
「相手にしていないのか、興味ないのかわからないけど、女子と話しているところ記憶にない」
「打撃練習もすごいですよ。
プロ野球選手でもお金を払ってでも見たい練習らしいですけど、高校時代はグランドの奥の田んぼまで飛ばしていた。飛距離はとんでもない」
学法石川を相手に6回から救援登板し、最速147キロをマークした。
2010年10月8日、天童市スポーツセンター
2年の夏の帝京戦で甲子園初登場。
故障明けの苦しい投球となったが最速150キロをマーク。
2011年8月7日、甲子園
花巻東室内練習場
夢の5原則
夢をみよう
始めてみよう
続けてみよう
話してみよう
信じてみよう
「雄星は野生のゴジラで、大谷は作られたメガゴジラ。
そこらで拾ってきた野生の怪獣をマウンドに立たせて無理やり投手にしたのが雄星。
プロに入ってからは野性味があふれでっちゃって、フォームがバラバラになったけど、最近ようやく落ち着いてきた。」
「逆に大谷は身長190cm以上もあるのに、170cmの選手の動きができるアスリートに投げ方を教えただけ。その意味で野生じゃなくて、メガゴジラなんだな。もし雄星みたいなバラバラな投げ方をしていたら、大谷はストライク1つだって入らないよ。ある意味で本当の怪物は雄星。投球フォームとかお構いなしで150キロの球を投げるんだから。
あー、どっかにまた野生のゴジラいないかな?
花巻東はもっと山奥とかで選手を探してこないと駄目だよ。
左門豊作みたいな奴!」
「なぜ速い球が投げられるかは結局、リリースで球を切る速度。
腕を伸ばし、できるだけ前で投げることを意識している」と答えた。
2012年3月21日、第84回選抜高校野球に挑んだ花巻東は開幕日の1回戦で大阪桐蔭と激突した。
4番大谷翔平が注目の197cm右腕藤波晋太郎から右越えソロを放ち先制。
奪三振11、与四死球11-。それがすべてだった。
173球を投げ9回途中降板。
不完全燃焼のまま花巻東の短い春が終わった。
「結局は相手じゃなくて自分のフォームの問題。
故障が長引いて、まだしっかりした形ができていなかった・・・」と肩を落とした。
甲子園練習という30分間の限られた時間内でさえ、佐々木監督はノックの途中で「オールエラー」を命じた。内野陣が次々とトンネルや暴投を繰り返す異様な光景に、全国の記者陣が度肝を抜かれた。広い甲子園でカバーリングの距離感を探ると同時に、ミスを恐れない心構えを確認するためだった。
一方で練習になれば、指揮官自身も盛り上げ役となって底抜けに明るい。
「監督さーん、熱いノックお願いします」
と内野陣が声を張り上げてアピールすると、指揮官は、
「指導には段階ってもんがあるんだよ」
と怒鳴り返し、弱々しいノックしか打たない。漫画のような世界だ。
大谷が最上級生になると、佐々木監督は大谷だけを1年生らが住む別棟の学生寮に移した。
睡眠時間の確保が狙いだったが、それだけで終わるわけがない。
実は大谷は朝の点呼に遅れた罰として、学生寮前の雪かき係りを1週間やらされていたという。監督も知らなかった。
「あとで聞いてひっくり返りましたよ。なんのために配慮して寮を移したのか。子供たちのルールだから仕方ないかもしれないけど、大谷も大谷ですよ」
2012年7月19日、一関学院の準決勝で高校球界最速の160キロをマークした。
「160キロは監督と一緒に目標にしてきた数字。出せてうれしい」
低めに制球された160キロは別次元のすさまじさだ。
打席の鈴木は「ワンバウンドだと思ったら、そこから伸びてきた」と驚きを口にした。
決勝は盛岡大付との一戦。
大谷はまさかの序盤4失点と苦しんだ。
計15奪三振をマークしたが、打線は相手左腕の緩急に苦戦し8回まで4安打1得点。
最終回の反撃も届かなかった。
3-5で敗れた。大谷は4打数2安打。
花巻東室内練習場
「人生の悲劇は
目標を達成しないことではなく
目標を持たないことである」
運命のドラフト会議が近づいていた。
佐々木監督は「プロ野球の評価が分かれて、ドラフト1位で
『大谷翔平(投手)』と『大谷翔平(外野手)』の両方がコールされないですかね。
まさかの1位指名重複。面白いですよ」
水沢南中学出身
1年生のとき、リトルリーグの東北大会準決勝で18アウト中17アウトを三振で奪う。166cm。
大谷翔平高校3年間の公式戦成績
打撃成績
53試合ー184打数77安打、8本塁打、打点57 打率.418
投手成績
22試合ー112回2/3、打者数473、被安打78、奪三振148、与四死球61、自責点30、防御率2.40
甲子園で対戦が決まると相手校が喜ぶほど弱かった岩手県代表。
「岩手から日本一」を掲げて09年春夏に快進撃を見せた菊池雄星ら先輩の姿に触発され、強烈に「日本一」を意識して同校に入学した世代だった。
県内から有望中学生選手が集まる同校だが、09年は誰一人として声をかけていない。
大谷はファイターズにドラフト指名された瞬間、花巻東高のグランドで遠投を繰り返していた。動揺する心を落ち着かせるように、冷たい雨にうたれながら白球に集中した。
「評価していただいたことはうれしいが、自分の気持ちは変わらない」。
胴上げもなし、仲間の祝福もなし。
毎年12人しかいないドラフト1位だが、これほど悲しい光景はなかった。
ファイターズの勇翔寮に入寮;13年1月9日、千葉県鎌ヶ谷市
岩手県内の高校野球取材で、記者がスコアブックに記録するのは最高峰の県決勝でもストライク、ボール、球種をメモする程度だった。大谷の登場で、そこに「球速」が加わった。
1球ごとにスコアボードの電光掲示板で球速を確認した。
最速何キロ投げるかわからない怪物だからだ。
ピンチになればなるほど、彼の集中度が高まるほど「危険」だった。
とにかく記者泣かせで、面倒くさい男なのだ。
大谷が登板すると「投げた」「球速表示」「どよめく」という循環で野球を楽しんでいた。
「自分は野球の神様が本当にいると信じているので、道ばたにゴミが落ちていたら絶対に拾っちゃうんです。これで自分が嫌われたらどうしようって心配になって、だったら拾っておこうとなる。」
佐々木監督の言葉だ
「甲子園では不思議と『チンピラ』みたいな選手が活躍する。自分勝手でいい加減にプレッシャーも感じずにプレーできるからです。しかも強豪に限って、そういう選手が中心にいる。でも真面目な選手で勝ちたいじゃないですか」
甲子園の円陣でさえ、対戦校の選手を観察し、
「おい、あんな眉毛をいじってる選手に負けるんじゃないぞ。
花巻東は眉毛王子で勝負する。あんな細い眉毛、許していいのか」
と意味不明な眉毛論をぶちかまし、鼓舞した。
大谷は高校時代は故障に苦しみ、ついに本調子で投げることのなかった悲運のエースだった。
「翔平はこんなもんじゃない」と仲間が一致団結したように、彼らが感じていたのは
「翔平と一緒に野球ができたことをいつか誇りに思うだろう」という確信だった。
「おそらく過去にも岩手には雄星、大谷クラスの選手がいたんですよ。最近は指導者全体のレベルがあがってきたが、昔は水を飲むな、肩を冷やすからプールは駄目だなど迷信で指導していた。」
花巻東の特徴は投手や野手をグループ化し、徹底的に効率化した練習にある。
投手と捕手が一緒になって学校周辺を走るロードワークも見たことはほとんどない。
理由を尋ねると、佐々木監督は
「走りこむことでできる筋力と野球で使う筋力は違うんです。もし関連性があるなら長距離走の選手は軒並み150、160キロをたたき出しているはずだけど、私はそんな陸上選手は知らない」
1年生から大谷を4番に据えた指揮官は
「身長があり大きくて見栄えがいいので4番に置いただけ。
変化球は打てないし、クルクル三振しますよ」
プロ5年間の成績
投手
85試合、543回、42勝15敗、奪三振624 、防御率2.52
打者
403試合、1035打数296安打、二塁打70、本塁打48、打点166、打率.286
佐々木隆貴さんは160キロを捕った唯一の高校生
「正直、軌道は低くボールだと思った。
頭を上げたら160キロと出ていた。
あの打席は、いきなり球速がどんどん上がってきて、いつか出るんだろうなと思っていた」
「翔平が女性と話しているところを見たことがない」
「寮母さんぐらい」
「相手にしていないのか、興味ないのかわからないけど、女子と話しているところ記憶にない」
「打撃練習もすごいですよ。
プロ野球選手でもお金を払ってでも見たい練習らしいですけど、高校時代はグランドの奥の田んぼまで飛ばしていた。飛距離はとんでもない」