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よっぱらいのひとりごと

写真好きで酒好きのただのよっぱらいのおっさんです。日々感じたことや体験を書いていこうかなぁ~っと。

怪我

2005-11-20 13:26:32 | 酔っ払い伝説
生々しいのでモザイクかけました。

週末は健康増進とダイエットのために歩いているのですがその途中信号にかかったので近くにあった車止めのポール?に足をかけてストレッチをしていたのですが小雨が降っていたので足が滑って弁慶の泣き所を思いっきり強打しました。本当は痛くて叫びながら飛び回りたい心境だったのですが信号に止まっている車から見られているかなと思ったので平気なふりをして反対の足を乗せてストレッチの続きをしていました。信号が変わって歩き出すと痛みがさらにまして心臓が足まで下りてきたかと思うほどズキズキしてました。
あれから二週間経ったのですがまだ写真のような状況です。写真では擦り傷みたいに見えますが周辺は手のひら大にはれていて打ったところは擦れた勢いで焼けどのようになっていてジュクジュクしています。
本当はもう少しましだったのですが一週間前にかさべたが痒くて酔った勢いも手伝ってピンセットでめくってしまったのです。それがこの写真。以来ジュクジュクして痛みが伴うようになりました。


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初めてのコークハイ

2005-11-05 00:53:09 | 酔っ払い伝説
注)お食事の前などは読まないで下さいネ。

たしかクリスマスイブの日だったと思う。友達と弟と三人で淋しいクリスマスイブ
を過した時のこと、たまたま買ってあったコーラでウイスキーコークを作ろうとい
うことになり、早速作って3人で乾杯!「うぉ~めちゃ旨いやんけ!」と喜んだのは私だけでした。何故だか友達と弟はそれ以後のまず、私だけがひたすら飲みつづけ、結局1リットルのコーラとサントリーオールドが空になりました。ここまでは良かったのですが、前にも書いたように甘い酒は良く無いです。飲みきって暫くした後から記憶がなくなり、気がついたのは明け方でした。猛烈に気分が悪くとっさに部屋から表に飛び出したのですが、物凄い勢いでリバースしてしまいました。生まれて初めて鼻からもリバースしました。しかし、胃が全く働いていなかったのか飲み食いしたものがそのままだったので酸っぱくなく、変な話ですがとても気分が良かったのを覚えています。コカコーラ1リットルなんてお酒が入っていなかったら絶対に飲めません。なのに飲めてしまうのがお酒の恐いところですね。以後、暫くコークハイは嫌いになりました。

教訓 コークハイは一杯にしましょう!
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酒の思い出 其の二

2005-10-25 22:47:46 | 酔っ払い伝説
時系列は少々錯綜しますが悪しからず・・・

親父は四人兄弟の末っ子で本家を継いでいた。小さな兼業農家でどちらかというと裕福でない家庭だが一応本家なのでお盆などは仏壇を祭っている関係で人が集まる。しかし、なぜかお正月は誰も来ない。子供のときから不思議だった。お年玉がもらえない。

そんな私も成人して堂々とお酒を飲めるようになったある日のこと友達と部屋で遊んでいると母親が「お父ちゃんが迎えに着てって」と呼んでいる。厳しい父親であまりフレンドリーに接したことが無い関係だったので迎えに行くということ自体初めてだった。なんでもスナックで飲んでいて車に乗れないので迎えに来てほしいらしい。友達のカー君を引き連れて親父の居るスナックへと向かった。スナックは実は初めてではなく18歳で就職して以来もう何度も行ったことがあった。
スナックのドアを開けると同僚や部下達とにぎやかに飲んでいる親父が居た。スナックのママが「あれ~○○さんの息子さん?男前~」などと近寄ってきた。
親父はニコニコ顔だった。ママが「ネぇネぇ 何か歌ってよ!」と誘う。親父は無理無理みたいな顔で見ていた。私は「じゃ兄弟舟歌います!」といったら喚声が上がった。ここまできたらと思ってマイクを持った瞬間から自分で司会をして歌った。「歌は流れる・・・赤い灯、青い灯誘われてやってきましたここ○○。今宵私が歌います兄弟舟聞いてください。  波の谷間に・・・」と歌い上げた。
ビックリする親父と喚声を上げる親父の仲間たち。楽しい雰囲気だった。
このことがあってから親父は随分普通に話してくれるようになりスナックへ向かいの行く回数も多くなり飲むと昔話をするようになった。

そんな正月、家を出て働いていた兄貴や近所の友達などが集まり宴会をすることになった。宴会は大いに盛り上がりしこたま飲んだ。翌日、目が覚めたとき宴会の席で毛布に包まった状態で目が覚めた。その場に寝てしまったので仕方なくそのまま寝かしたそうだ。驚いたのは消費した酒の量である。日本酒七本半、ビール一ダースぐらい。ウイスキー一本ぐらい。へぇ~いったいどれだけ飲んだの。凄いの一言に尽きる。母親があきれていた。もっと凄いのは私の他も次々にダウンし退散して行ったらしいが兄貴は宴会の片付けが終わった部屋の片隅で深夜番組を見ながら一人で一升飲んでいたそうだ。そして、その兄貴は私がぶっ倒れて寝ているのをよそ目に朝早くから初詣に出かけていた。

今でも兄貴とは張り合いたくないと思うほど酒は強い。しかし、少し前に書いたように私の兄と姉はお酒を飲むとすぐに真っ赤になり蕁麻疹がでて大変なことになる体質で、両親も兄貴と姉は一生、お酒は飲めないだろうと思っていたらしい。親父に似たのだ。親父も飲むとすぐ真っ赤になり決して強くないと思う。(弱くも無いが・・・)確実に遺伝していたはずだがそんな兄貴も大阪で営業の下積み時代に無茶をさせられ肝臓を悪くして何度か病院通いも経験したらしい。それでも営業は酒が飲めなければと毎日少しつづ酒をのんで鍛えたらしい。
人間鍛えるとすごいもので五十歳を超えた兄貴は今も焼酎の3リットルボトルを大体一週間に一本のペースで飲んでいる。

そんな兄弟と経験を持っている私なので会社の後輩達で酒に付き合わない奴がいるとついつい情けなく思ってしまう。
勿論、無理して飲む必要はまったく無いが、付き合い程度には飲んでほしいし、少しは羽目をはずしてほしいと思ってしまう。

そうそう。なんで本家なのに誰も正月に集まらないかというと親父の兄貴達は大酒飲みなのだが飲むと絡むらしく、兄弟喧嘩になったりするらしい。それを見かねて祖父が「正月から喧嘩するな! 酒を飲むならもう来るな!」と怒ってそれ以来誰も来なくなったらしい。そうか、じゃ楽しい酒なら祖父も許してくれるだろう。幸いにも私達兄弟や近所の友達は良い酒(量は多いが暴れない)なので、それいらいお正月に大宴会をする習慣が続いている。

教訓 酒は楽しくのみましょう! 程々に!  
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酒の思い出 其の一 

2005-10-25 00:50:14 | 酔っ払い伝説
失敗談というと暗いので思い出にしました。

成人して初めての正月二日に小学校の時の同窓会があった。その日は仕事だったので二次会から合流することになった。二次会会場に着くと懐かしい顔ぶれが並んでいて気持ちは一気にハイテンションに。久しぶりに会った女の子に「駆けつけ三杯よ」などと言われて調子にのってあま~いカクテルを一気に飲んでしまった。しかし、このままではやばい。すきっ腹に酒はやばい。何か食べなれば。そう思ってメニューを見ると"オニオンライス"というのが目に入ったので注文した。しばらくして運ばれてきたのは"オニオンスライス"だった。すでに酔っていたのか?終ったと思ったがもう遅かった。三次会の居酒屋は覚えているが・・・

記憶が戻ったとき自動販売機の前に立っていたのどが渇いてオロナミンCが無性にのみたい。自動販売機のコイン入れに千円札を突っ込んでいる。「なんで入らん!」自動販売機をどついたり蹴ったりしていた。はっと我に返り「札は入らんわな」100円だまを入れてオロナミンCを取り出し蓋を開けた。次の瞬間手元からオロナミンCが無情にも落ちていきパッリ~ンと割れた。再び記憶が無くなった。

ハッとめが覚めたときホーム炬燵に入って座布団を枕にし、頭に手を回して寝ていた。蛍光灯がまぶしい。どうしたんだろう思い出せるのは三次会の途中まで。ん?オロナミンCは・・・わからん??どうやって帰って来たのか?気分は大して悪くない。そんなに飲んでいないのかとも・・・。とにかく着替えて・・・とポケットに手を入れると見たことの無い財布が?? ダレの? まったく思い出せない。そうだ一番素面だった当時学級委員のN君のに聞いてみよう。電話すると彼もまったく覚えていないとか。だが一つ問題が解決した。私が持っていた財布は彼のだった。中身には問題なくほっとした。さて、ますます三次会以降の行動が気にかかる。何人か友達に聞くうちにすべてが分った。

三次会で別の会合の中学の同級生たちと出会いそのなかで泥酔している女の子に絡んでいるどこかの野郎に文句をつけ一色即発に、その後、居酒屋をでてソープの呼び込みの兄ちゃんの足元にリバースしてしまい兄ちゃんが怒ったらしいが私はその場に座り込んで寝ていたらしい。友達は兄ちゃんに謝りつつ近所のお店から塵取りやほうきをかりて掃除したとのこと。普通ならそれで家に送りつけるはずなのに友達もおかしい。さらに次の店に連れて行ったらしい。しかし、なぜかミックスジュース?を注文し一滴も飲まずにおとなしく寝ていたらしい。その後、学級委員と友達と三人でタクシーに乗って最初に私が降りた。このとき学級委員と、どっちが料金を支払うかでもめたらしい。そんなこんなで財布を持っていたのだろう。この後はオロナミンCへと続く。

これが記憶に残っている最初の酒の思い出です。

教訓 すきっ腹に甘い酒を飲んではいけない。 
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酔っ払いの由縁

2005-10-23 20:48:24 | 酔っ払い伝説
そろそろ酔っ払いというハンドルネームにした理由みたいなものをぼちぼち語ってみようと思う。

勿論、「お酒が好きだから」ということなのですが、何故酒が好きなのだろう?
と色々考えてみる。

今は亡き父親はとても厳しい人でしたが飲むと陽気で優しくて笑顔でした。
だからそんな親父達が酒をたらふく飲むお正月が好きでした。
日本酒の香とタバコの香が部屋中に立ち込める大人の世界が好きでした。
加えて祖母は赤玉ハニーワインを食前にきゅっと飲んでいたのがとてもカッコいいなぁと子供心に思っていた。
などなど環境的に「酒は楽しくてカッコいいもの」というイメージが私の中にあっのだろう。

そんな私が初めて酔っ払ったのは高校2年生の時、ユーミンのレコードをカセットテープに録音しながらメルシャンワインのボトルを飲み干した。
物凄く気分が悪くて頭が痛くて・・・以来20年間ぐらいワインは大嫌いだった。
匂いを嗅ぐだけで気分が悪かった。

18歳で就職して新入社員の歓迎会でビールを40杯飲まされた。
「こんな苦いもの美味しくない」と思いながらも勢いで飲んだ。なのに大して酔わなかった。帰りは車で帰った。今ならとんでもない話ですが当時は平気だった。
酒ってこんなものかと思った。

二十歳の時、会社の宴会でかなり飲んでいたのに宴会の最後のほうで日本酒五合を一気飲みさせられた。それでも次の店に行って先輩を車で家まで送って高速道路を使って家に帰ってきた。次の日は仕事だった。
翌日、「あんたどれだけ飲んだの?部屋中酒臭いわ」という母親の声で目覚めた。

今思うと結構めちゃめちゃな酒の飲み方をしていたがお酒を美味しいとは思っていなかったので家で一人で飲むことは無かった。

しかし、結婚し晩酌をするようになると体の中に眠っていた親父や祖母の血が蘇ってきたのかお酒が美味しく思えてきた。

今ではビールは麦茶程度のイメージ。少々飲んでも気分がよくならない。
焼酎はロックで一本ぐらい行っちゃいます。ワインは2本ぐらいは大丈夫。バーボンもゆっくりなら一本は多分、大丈夫です。時間をかければ永遠に飲み続けられるっていう感じです。

ですがこんなに飲めるのことが返って失敗を招くのです。限度が分らないということの恐ろしさを身にしみて感じる出来事が何度もありました。

次回は失敗談(あんまり後悔していないので失敗ではないかも?)を書きたいと思います。


※画像はアメリカのレストランの湖沼とお塩の入れ物。
 良く見るとS(塩)とP(湖沼)と書いています。
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