佐賀に住む弟から
私の携帯にメールが届いた。
お母さんが、県病院で「心筋梗塞」と診断された。
クーラーや扇風機の調子も悪いらしいので
見に行ってくれ と
雨脚が強まる中、仕事を終え、高速4号線を通って、
母のもとへ向った。
おととい会ったときは、
主治医に紹介され、県病院に行き検査を受け、
その結果を聞きに行った時、
今やっている「なぎなた」も、
あまり無理をしなければ大丈夫
との話だったのに、
更なる変化があったのかと、
休憩中に電話を入れてみると、
「県病院では、病名を聞いていなかったので、
主治医の所に行き、病名を確認した」
とのことだった。
今年80歳を迎える母
19歳で被爆し、生死をさまよい
生き抜いてきた 母。
戦時中に手にしたことのある
「なぎなた」を50歳から始め、
現在 近所の私立の女子校で
現役非常勤講師として
「なぎなた」を教えている。
中学生や高校生に一週間に一度会って
いるせいか、見た目も若く、
ハツラツとしていて オシャレで
生徒への気苦労もあるせいか
娘の私から見ても
80にしては若いと思える母である。
もちろん 介護認定 要支援1にも
なっていない。
今まで
年寄りのサークルやデイサービスなど
一度も行ったことがなかった母だが
朝 近所のご婦人に誘われ
集会所で開かれた会合に参加したというのだ。
病名をつけられ、気が弱くなったのか?
はたまた 同年代の人に交わると
安心するようになったのか?
なんらかの心境の変化があったらしい。
しかし
老人クラブに通う母より
いつまでも
なぎなたを持って、背筋を伸ばし、
生徒達に混じって、声を張り上げている
母であって欲しいと
心から 願っている。
私の携帯にメールが届いた。
お母さんが、県病院で「心筋梗塞」と診断された。
クーラーや扇風機の調子も悪いらしいので
見に行ってくれ と
雨脚が強まる中、仕事を終え、高速4号線を通って、
母のもとへ向った。
おととい会ったときは、
主治医に紹介され、県病院に行き検査を受け、
その結果を聞きに行った時、
今やっている「なぎなた」も、
あまり無理をしなければ大丈夫
との話だったのに、
更なる変化があったのかと、
休憩中に電話を入れてみると、
「県病院では、病名を聞いていなかったので、
主治医の所に行き、病名を確認した」
とのことだった。
今年80歳を迎える母
19歳で被爆し、生死をさまよい
生き抜いてきた 母。
戦時中に手にしたことのある
「なぎなた」を50歳から始め、
現在 近所の私立の女子校で
現役非常勤講師として
「なぎなた」を教えている。
中学生や高校生に一週間に一度会って
いるせいか、見た目も若く、
ハツラツとしていて オシャレで
生徒への気苦労もあるせいか
娘の私から見ても
80にしては若いと思える母である。
もちろん 介護認定 要支援1にも
なっていない。
今まで
年寄りのサークルやデイサービスなど
一度も行ったことがなかった母だが
朝 近所のご婦人に誘われ
集会所で開かれた会合に参加したというのだ。
病名をつけられ、気が弱くなったのか?
はたまた 同年代の人に交わると
安心するようになったのか?
なんらかの心境の変化があったらしい。
しかし
老人クラブに通う母より
いつまでも
なぎなたを持って、背筋を伸ばし、
生徒達に混じって、声を張り上げている
母であって欲しいと
心から 願っている。