大好きな作家さんの、本当に本当に大好きな戯曲で、初見の時はマジで泣いたし、あの衝撃は忘れられない。
初演が決まった時、なんで私は女なんだろうってすごく思った本でもあった。私が一番読み込んでる自負があったから←
今も折につけ読んでいる。本当にすごく好きで、何をやりたいか問われたらとりあえず無理だとわかっていても口に出しておく、そんな本。
そんな公演は、今回で3回目だそうなのに、やっと見に行くことができた。Cキャスト。荒井さんと健人さん回。いつも先生の本を一緒に読んでいるしろさんと。
さくらホール、大きいけど(以前来たのは田島貴男さんのソロライブだったと記憶してる)素舞台で、セットは椅子一つ。大きな舞台、台本以外は身一つで2人だけ。
かといって端から端まで大きく使うこともなく、2人の心的距離だわあと思いながら拝見するなど。
私たちはもちろん、小さいながらも演る側でもあるので、そう読むか!や、それそれ!を見つけるのが楽しく、結果、やっぱ演りたい、になってしまって笑う。
本当に、口に出したい台詞がたくさんある。私は記憶のHDDがポンコツだから、自分が出た舞台も公演終わると台詞とか忘れていくんだけど、この本は自分がやってもいないのに、覚えている台詞たくさんある。冒頭とかマスクの中で一緒に口が動いてる自分に気付いてびっくりした。
荒井さんの堂々とした朝彦は、ああ、山田夜もこの朝彦について行きたいと思ったんだろう、というブレなさ。まっすぐ生きてきました、という、普通で、予定調和でも幸せを楽しめ、朝を朝だと思える朝彦だった。うれしい。
健人さんの夜彦は、そうか夜彦って外から見るとこんなに普通なのか、って。
既に何度も読んでしまっているから、どんな辛さを抱えているのかもわかっているけど、躁状態の時に学校に来ている時はこうなのかあとか、なんか、今更、彼が普通だと思われていた振る舞いを客観的に見て、さらに抱きしめたくなったというか。
彼の過去は他人の口から聞くとこんなに衝撃的なことも、友達と読んでいるだけでは、演じている側だけでは本当にはわからないものだった。他人の口から聞いてはじめてわかる重さがあった。それを聞かせてくれたことに、気付かせてくれたことに感謝をしています。
見られてよかった。
また、菅野さんの御本に関われることにめっちゃんこ嫉妬はしているけれど、私も小さいながらも表現することをこれからも頑張りたい、続けて行きたいと本当に思えたし、改めてこの『朝彦と夜彦』の戯曲が好きだと思ったし、ひとつひとつの言葉の表現も本当に好きだと思った。
菅野彰さんの綴る日本語は、やっぱり本当に美しいなと感じた。ずっと私が目指す日本語の美とリズムなんだ。
初見から20年くらい。今も好きな本だった。
ありがとうございました。
本日千秋楽、1人でも多くの方が、この本の衝撃に、やさしさに触れてほしいと思ってやみません。
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