満のメモ帳

忘れないうちに書き留めておこう

色彩論

2012-03-13 16:44:10 | Weblog

四諦(したい、サンスクリット語 catvri ryasatyni 、パーリ語:cattri ariyasaccni)とは、仏教用語で、釈迦が悟りに至る道筋を説明するために、現実の様相とそれを解決する方法論をまとめた苦集滅道の4つをいう。四諦は簡略形であって、直訳された四聖諦が正しい。
諦とは「真理」という意味であり、四聖諦とは「4つの聖なる真理」の意である[1]。4つの真理とはそれぞれ、
苦諦:苦という真理 集諦:苦の原因という真理
滅諦:苦の滅という真理
道諦:苦の滅を実現する道という真理(→八正道)
4つの真理は前半の2つと後半の2つで二分することができる。
また、「苦の原因」から「苦」が生じ、「苦の滅を実現する道」から「苦の滅」に至るというように、それぞれ順序が逆転している。 (集諦→苦諦、道諦→滅諦)
それぞれ「遍知」、「滅除」、「成就」、「修習」という課題が付随している。
すなわち、
苦は「知り尽くすべきもの」(遍知)
苦の原因は「滅するべきもの」(滅除)
苦の滅は「実現すべきもの」(成就)
苦の滅を実現する道は「実践すべきもの」(修習)
ということである。

弱い者ほど相手を許すことができない。
許すということは強さの証だ。ガンジー

自分が行動したことすべては取るに足らないことかもしれない。しかし、行動したというそのことが重要なのである。ガンジー
七つの社会的罪 (Seven Social Sins)

1.理念なき政治 Politics without Principles
2.労働なき富 Wealth without Work
3.良心なき快楽 Pleasure without Conscience
4.人格なき学識 Knowledge without Character
5.道徳なき商業 Commerce without Morality
6.人間性なき科学 Science without Humanity
7.献身なき信仰 Worship without Sacrifice

ドラスチック【drastic】 [形動]《「ドラスティック」とも》やり方などが、思い切ったものであるさま。過激。「―な改革」

スカ
(1)あてはずれ.▼~をくう
(2)かす.

四諦
苦諦。集諦。滅諦。
道諦。

八正道

I'll be wait for next one.
次の方、お待ちしています

The Rip off
泥棒

巧言(こうげん)令色鮮(すくな)し仁(じん)
《「論語」学而から》巧みな言葉を用い、表情をとりつくろって人に気に入られようとする者には、仁の心が欠けている。

還暦越え未だ咲かずスカのよう

節句過ぎ七分咲きがいいところ。

精霊はその望むところに吹く(天の恵みは予期せぬところに現れる)「ファーブル」

虚心坦懐。
きょしん[虚心]<名・ダ>心にわだかまりがないこと.
▼~▲坦懐(たんかい)
<名・ダ>何のわだかまりもなくすなおなこと.

あの子らのおとーちゃんも生き残りか。どうやらこうやらやっとこさ日本に帰ってきて、馬車屋のおっちゃんやら、今の、ほれ、きっちゃんの親父っさんみたいに、なー、なーんや、まースカみたいに死んでいきよる。もう戦争はこりごりや言うといて隣の国の戦争で金儲けして、周りはどんどんどんどん立派になっていきよるのに…。生きとっても、やっぱスカにしか生きられへんのかなー…わいら。
石鹸の匂いがするな。ノブちゃんのおかあさん。
「泥の河」

権力を、共同体の中で、実に巧妙に分散している。皆、それぞれが人を自分の思うようにしようと権力欲を持っていて、それで術策を尽くしている。その暗黙のルールが、共同体のルール。それで、ある点は徹底的に平等にしておく。そうでないと危ないから。つまり誰かが抜け出ないように相互監視システムにする。

時間のなかに瞬間があるのではなく、瞬間のなかに時間がある。

雑草も野の花も自分流生きるから強くなれる。

雑草という植物はない。人間が不要なものを雑草と呼ぶ。

喜怒色に表さず
感情を表面に出さない。

青菜に塩
あおな[青菜]緑色の菜っ葉類の総称.
▼~に塩(しお)
しょげ返るようす.
泥眼
目に金泥を塗った女面。葵の上の前シテなど、嫉妬に狂う女性に用いられる。

シテ
(1)何かをする人.
(2) [シテ]能・狂言で,主人公.(対)ワキ
(3) 相場で,投機目的で大量の売買をする人.
般若

モチーフ
(1)芸術創作の動機となる中心思想.
(2)楽曲を構成する旋律などの最小単位.
(3)編み物などで,全体を作る単位となる小片.

印を結ぶ・ムドラーを作る
破摩の修法

ぎょうじゅうざが [行住▲坐▲臥]
〔文〕日常(‐のたちいふるまい).※「行く・止まる・座る・臥(ふ)す」の意で,もと仏教語.

童謡「かなりあ」

 歌を忘れたカナリアは後ろの山に棄てましょか
 いえいえ それはかわいそう
 歌を忘れたカナリアは背戸の小薮に埋けましょか
 いえいえ それはなりませぬ
 歌を忘れたカナリアは柳の鞭でぶちましょか
 いえいえ それはかわいそう
 歌を忘れたカナリアは象牙の舟に銀のかい
 月夜の海に浮かべれば 忘れた歌を思い出す

吉野の宮は たたなづく青垣隠(ごも)り 川なみの清き河内ぞ  
春へは花の咲きををり  秋されば霧たちわたる - 」
                 巻6-923 山部赤人(長歌の一部)
( - 吉野の宮は 幾重にも重なる青い垣のような山々に囲まれ、
川の流れの清らかな河の内にある。
春には野にも山にも花々が咲きみだれ。秋には川面一面に霧がたちわたる ― )

「日本の弓術」オイゲンヘリゲル

バイアス bias
(1)織り目に対して斜めに切った布.▼~テープ
(2)かたより.偏見.▼~がかかる◇バイヤス

門松は冥土の旅の一里塚、めでたくもありめでたくもなし
一休禅師

今あるも
人の情けのうえにあり。

あら楽し
思いははるる
身は捨つる
浮世の月に
かかる雲なし
大石内蔵助

この人は安心だと思うと、日常出会うことが少なくなることがある。

君子の交わりは水の如し

どん底だと思ったらもっと掘れ。

つまり、人間関係で起こるフリクション(摩擦)によって、初めて世の中と自分はこういう風に違うんだなということに気づくわけですね。

古人も多く旅に死せ
るあり。

取り返しのつかないことの連続こそが人生そのものなんです。

両極端がわからなければ中庸はわからない。

木瓜(ボケ)の花 ゴロが悪いよね。
梅を真似した訳じゃない。
桜になろうとした訳じゃない。
自分は自分で過去にこだわらず、
名前にこだわらず未来に向けて咲くだけ。

まほろばとは、「素晴らしい場所」「住みやすい場所」という意味の日本の古語。「まほらば」「まほらま」とも言う。

倭(やまと)は 国のまほろば たたなづく 青垣 山隠(やまこも)れる 倭しうるはし

You've got@Mail

Somewhere over the rainbow
Way up high
虹のどこか、彼方
上のほう

And the dreams that you dreamed of
Once in a lullaby ii ii iii oh
夢にまでみた世界
子守歌の中で耳にしたような

Somewhere over the rainbow
Blue birds fly
虹のどこか、彼方
青い鳥たちが飛んでゆく

And the dreams that you dreamed of
Dreams really do come true
あなたが夢にまでみた
夢が叶うのです

Someday I’ll wish upon a star
Wake up where the clouds are far behind me
星に願いをかけると
雲の上で目が覚めます

Where trouble melts like lemon drops
High above the chimney tops thats where you’ll find me oh
レモン飴のように不安が消えていきます
煙突のてっぺんで、私を見つけるでしょう

乾坤一擲(けんこんいってき)(意味)運命を懸けてのるかそるかの勝負をすること。出典:全唐詩
竜疲れ虎困じて川原に割ち億万の蒼生、性命を存す
誰か君王に馬首を回らすを勧めて
真に一擲を成して乾坤を賭せん
以上は、 韓愈 ( かんゆ ) の「 鴻溝 ( こうこう ) を過ぐ」という詩です。 乾坤の乾は”天”を、坤は”地”を表し、最後の”真に~賭せん”の意味は、”さいころを投げて天(奇数)が出るか地(偶数)が出るか運命を賭ける” という意味です。
秦の滅亡後、天下を二分して覇を争った 劉邦 ( りゅうほう ) と 項羽 ( こうう ) ですが、その決着はなかなか着きませんでした。
軍事的に圧倒する項羽に対し、戦略と物量において勝る劉邦が勢力を回復し、やや優位となったところで、 鴻溝 ( こうこう ) という川を境に、西を漢、つまり劉邦の国とし、東を項羽の 楚 ( そ ) として和平を結びました。
項羽は連戦で疲れ果て、物資も不足していたので、それらを回復するために東に戻ります。劉邦も当然、そうすべきと思っていたところに、謀臣 張良 ( ちょうりょう ) と 陳平 ( ちんぺい ) が進言します。
「今、楚兵は疲れ、食料もありません。これは天が楚を滅ぼそうとしているのであって、この機会を逃すべきではありません。今討たなければ、虎を養って憂いを残すようなものです。」
劉邦は、進言に従って楚を追撃し、ついに項羽を 垓下 ( がいか ) に包囲するに至ります。

河原の石ころさ、さんざんもまれてまあるくなったのさ。「どん底」

シュールとは、「現実離れしたさま」、「普通の理屈では説明できないさま」、「難解で奇抜なさま」、「幻想的なさま」、「意外なさま」など、非日常的なものを指す言葉

則天去私(そくてんきょし)小さな私にとらわれず、身を天地自然にゆだねて生きて行くこと。「則天」は天地自然の法則や普遍的な妥当性に従うこと。「去私」は私心を捨て去ること。
夏目漱石が晩年に理想とした境地を表した言葉で、宗教的な悟りを意味するとも、漱石の文学観とも解されている。「天に則り私を去る」(てんにのっとりわたくしをさる)と訓読する。三省堂「新明解四字熟語辞典」より抜粋
夏目漱石の最晩年のことば。小さな私を去って自然にゆだねて生きること。宗教的な悟りを意味すると考えられている。また、創作上、作家の小主観を挟まない無私の芸術を意味したものだとする見方もある。岩波書店「広辞苑」より抜粋

贔屓の引き倒し[よみ]ひいきのひきたおし
[意味]贔屓をしすぎて、かえってその人に迷惑をかけてしまうこと。

[注釈]気に入って引き立てている者を、よりいっそう引き立てようと力を入れすぎて引き倒してしまう意から。

[類句]甲張り強くして家押し倒す / 寵愛昂じて尼になす / 過ぎたるは猶及ばざるが如し

[英語例]to kill with kindness (親切で殺す)

[用例]すると男が、こう言った。「熊本より東京は広い。東京より日本は広い。日本より……」でちょっと切ったが、三四郎の顔を見ると耳を傾けている。「日本より頭の中のほうが広いでしょう」と言った。「とらわれちゃだめだ。いくら日本のためを思ったって贔屓の引き倒しになるばかりだ」この言葉を聞いた時、三四郎は真実に熊本を出たような心持ちがした。〔夏目漱石『三四郎』〕

世阿弥の『風姿花伝』秘すれば花なり秘せずは花なるべからず

Our time is up
時間切れ。

常識とは所詮私たちが若い頃に受けた教育が私たちの精神に及ぼした偏見にすぎない。
「アルバートアインシュタイン」

存在もなく無もない

スーパースペース兆空間。

動的平衡。

ニュートンの光学では、光は屈折率の違いによって七つの色光に分解され、これらの色光が人間の感覚中枢の中で色彩として感覚されるとしている。ゲーテは、色彩が屈折率という数量的な性質に還元されて理解されることが不満だった。
ゲーテの色彩論がニュートンの光学と根本的に異なる点として、色の生成に光と闇を持ち出しているということがある。ニュートンの光学はあくまで光を研究する。闇とは単なる光の欠如であり、研究の対象になることもない。だがゲーテにとって闇は、光と共に色彩現象の両極をになう重要な要素である。もしもこの世界に光だけしかなかったら、色彩は成立しないという。もちろん闇だけでも成立しない。光と闇の中間にあって、この両極が作用し合う「くもり」の中で色彩は成立するとゲーテは論述している。