満のメモ帳

忘れないうちに書き留めておこう

2014-12-30 20:27:29

2014-12-30 20:27:29 | 
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D#Depth奥行き

曹操
名馬は老いても志は千里にある烈士は晩年になっても
熱き思いは尽きない

エシカル倫理的、道徳的=環境保全や社会貢献

今はただ飯食うだけの夫婦なり今はただ小便だけの道具なり


日々是好日

無事是貴人

ICT情報通信技術
Information and communication technology

今死んだ何処にも行かぬ此処に居る尋ねはするな物は言はぬぞ
一休


ひとりきり
みなみこうせつひとりきり

鳥が鳴いて  川が流れて  野山は今 花が  咲き乱れ

汽車は行くよ  煙はいて  トンネル越えれば  竹中だ

  こんな楽しい  夢のような  こんな素敵な  ところは・・・

  もう今はない  もう今はない  もう今はない  今はない  ひとりきり


太鼓が響き  神輿が繰り出し  いよいよ 待ちに待った  お祭りだ

親戚が集まり  酒を飲んで  今年は  豊年だ

  こんな楽しい  夢のような  こんな素敵な  ところは・・・

  もう今はない  もう今はない  もう今はない  今はない
ひとりきり

トラップ
(1)排水管の防臭弁.
(2)射撃で,クレー放出機.
(3)サッカーで,ボールを受けとめ,その勢いを弱める動作.


般若心経 (三蔵法師玄奘訳)

かんじざいぼさつ
観自在菩薩  (観音菩薩が、)
ぎょうじんはんにゃはらみったじ
行深般若波羅蜜多時  (深遠な知恵を完成するための実践をされている時、)
しょうけんごうんかいくう
照見五蘊皆空   (人間の心身を構成している五つの要素がいずれも本
             質的なものではないと見極めて、)
どいっさいくやく
度一切苦厄  (すべての苦しみを取り除かれたのである。)
しゃりし
舎利子
(そして舎利子に向かい、次のように述べた。舎利子
             よ、)
しきふいくう
色不異空  (形あるものは実体がないことと同じことであり、)
くうふいしき
空不異色  (実体がないからこそ一時的な形あるものとして存在
             するものである。)
しきそくぜくう
色即是空  (したがって、形あるものはそのままで実体なきもの
             であり、)
くうそくぜしき
空即是色

Thinking outside the box.
枠からはみ出して考える

ポテンシャル
可能性

ナビゲータ
(1)操縦者.
(2)自動車のラリーで,同乗する運転補助者.


こまねく
<五>腕を組む.∥何もせずにただ見ている.▼手を~

御託
くどくどと(‐理屈を)言うこと.▼~を並べる※御託宣の略.
ご託宣
(1)託宣の尊敬語.
(2)ごたく.

「ち」の音をふくむ日本語には特別な意味があるようです。白川静さんも「国語の『ち』は、いわば汎神論的な世界観を背景とする語である」と書いています。
人生を愛せよ
死を思え
時が来たら
誇りを持って
わきへどけ
エーリッヒ ケストナー

三度のごはん
きちんと食べて火の用心
元気で生きようきっとね
井上ひさし


風蕭々として易水寒し、壮士ひとたび去って復た還らず
かぜしょうしょうとしてえきすいさむし
そうしひとなびさってまたかえらず
司馬遷


徒花
咲いても実を結ばない花.∥内容のないものやはかない恋.

知的で無私で情熱的な持続力を持った面白がりがたくさん居れば居るほどその社会は上等と言えば語弊があるが、楽しくなるのではないか。司馬遼太郎


どうもがいてもダメなときがある
手を合わせるしか方法が


人は旅をしてついにわが家へもどる
人は生きてついに大地へもどる


君たちの時間は限られている
だから他の誰かの人生を生きて時間を無駄にしてはいけない
スティーブジョブス


志を立てるのに遅すぎるということはない

一灯を下げて暗夜を行く
暗夜を憂うることなかれ
ただ一灯を頼め
佐藤一斎

リフレイン
折り返し
前述の事柄に限らず同じ言葉を繰り返す事
フランス語でルフラン

あなたのほほえみが
わたしのちからになる
ありがとうの
言葉を抱いて
一歩ずつ
歩いて行こう

人は
運命を避けようとしてとった道で
しばしば運命に出遭う



There is nothing in the world, that you can not do.

It's on me.
ぼくのおごりだよ

四つ切り1012202450.8610

1,しぼり
ぼかす範囲を調整する

しぼりは「しぼり値・F値」とも呼びます。
しぼり値を小さくすることを「あける・ひらく・明るくする」といい、しぼり値を大きくすることを、「しぼる・暗くする」といいます。
F1.4 2 2.8 4
5.6 8 11 16
22

3,ISO感度
暗いところで明るく撮る

◆晴れ:
ISO100
◆雲や暗い室内:ISO400
◆夜の室内:
ISO800
夜景
ISO1600
レンズの穴が大きいほどピントの合う範囲が狭くなり、レンズの穴が小さいほどピントの合う範囲は広くなります

「お宮参り」の「宮」や「帰り道」の「道」など、「み」で始まる日本語はたくさんあります。例えば「都」「峰」「岬」・・・。漢字で見慣れているので全く別な言葉のようですが、これらは共通する意味があります。
「み」は敬虔な気持ちでものを言うとき、前につけて用いる言葉です。神仏、王家、尊尊な人の行為などに用います。
例えばみちは道のちは道や方向を表す古い言葉です。今も残る言葉ではちまた巷(巷・街)がそうです。これは「道股ちまた」で「ふたまた道」のこと。そこから町中の道やにぎやかな場所の意味になりました。「み」は神聖なものにつけて使う言葉。「みち」(道)は霊などが行き交うところでした。
「宮」の「や」は「屋」のことです。「宮」は神の住むところ、神殿です。のちに宮殿の意味となり、皇族の敬称に用い、尊い人のいるところの意味ともなりました。
「みやこ」(京・都)は「宮」のある場所、皇居のあるところの意味です。「宮」が皇室の意味に用いられるようになってからできた言葉です。
山の「峰」や海の「岬」も関連する意味を持っています。「みね」の「ね」は「嶺」のこと。「峰」は神の住む山のことです。「岬」は突出している先端のところ。海の岩鼻は海難が多く、神が住んでいると思われていました。白川静さんの字書「字訓」には「埼みさき」の漢字も記されています。
これらの「み」は「御髪みぐし」など「御」と書かれれることが多いですが、「道」「宮」「都」「峰」「岬」などは一語の日本語にまとまり、接頭語の「み」(御)がついている感覚がないのです。ちなみに「御髪」は頭髪の敬称。「日本語源大辞典」によると「くし」は「櫛」のことで、道具によって髪を間接的に表現することから尊敬語化したものです。



かぶきとかぶと
まるく短く太い頭の形

「かぶと」の「かぶ」は「頭」のことです。「かぶと」は「頭」にかぶる防御用の鉄製の武具です。字書「字訓」の「かぶと」には「冑ちゅう・甲こう・兜とう」の3字を挙げてあります。
「かぶ」ら「頭」のように「まるくふくらんだ形」の意味があります。「蕪かぶら」もまるくふくらんだ野菜です。弓矢の一種に、射ると大きな音を発して飛ぶ鏑矢があります。この「鏑」の「かぶ」も「頭かぶ」ねことです。形が蕪に似ているので鏑矢、略して鏑と言います。
その「頭かぶ」を動詞化した言葉が「かぶす」。漢字で記せば「傾(かぶ)す」で、頭部が傾き垂れることを言います。
この「傾(かぶ)す」につながる言葉に「傾(かぶ)く」があります。そこから生まれた言葉が歌舞伎です。「大言海」によると、これは傾(かぶ)き者の意味です。

「かぶき」は並外れた華美な姿をしたり、異様なふるまいをしたりすることの意味でした。
慶長8(1603)年ごろ、出雲大社で、みこをしていたという阿国が京都で歌舞伎踊りを興行して人気を集めました。風俗を乱すとの理由で禁止となってしまいましたが、これが今の歌舞伎の始まりと言われています。
つまり「傾(かぶ)き者」とは、世の中の一般から外れた者という意味。「歌舞伎」の表記が一般化するのは明治以降です。「大言海」によると「かぶと」を「被(かぶ)る」の「傾(かぶ)」も「頭(かぶ)」を活用化した言葉です。
さらに白川静さんは「頭かぶ」に通じる語源を持つ言葉と、その漢字として「頸くび」「株」「瘤こぶ」を挙げています。「頸くび」は頭を支えていて動く部分です。動かない頭の部分が「頭かぶ」です。「頭かぶ」には短くて太く、まるい意味があります。草木の「切り株」にも「瘤こぶ」にもそのような意味が、今もありますね。



祝う時にだけ人は集まり
そうじゃない時は
みんな引いていく
オシム

そんたく [▲忖度]
<スル>人の気持ちをおしはかること.(類)推量


「おもう」の「おも」は「面」で人の顔のこと。これは「心」と対応する言葉です。漢字で「表」「裏」が対応しているのと同じ関係にあります。
「おもう(おもふ)」は「面」にあらわれることです。考えごとをしていると面にあらわれやすいことから、考えごとをする意味になりました。
「おもい」は名詞形。「おもて」の「て」は方向を示す接尾語。そこからものの一面をいいます。
「面」の文字も含む言葉に「面白し」がありますね。晴れ晴れとした気持ちで、明るく愉快となることです。「面白」の意味から、外面的な明るさ、心に楽しく思うことや美しさ、知的な趣きに対しても使われます。
その「趣き」も「面」の関連語です。白川静さんの字書「字訓」の「おもぶく」の項には「向・赴・趣」の漢字が挙げてあります。「おもぶく(おもむく)」は「面向く」の意味で、ある方向に向かって進むことです。「趣き」もある方向に向かっていくことから、心がある方向に動いていくこと。心の動きの意味となり、さらに事柄のだいたいの方向。趣旨などの意味になりました。
もう一つだけ、意外な「面」を含む言葉を紹介しましょう。それは「おもねる」です。人にへつらいこびることですが、これは面を向けて機嫌をとる動作をいう言葉のようです。「おもねる」意味の漢字は「阿・倭」です。



他人にうれしいことがあると、ちょっとうらやましいなと思うことがありますね。人の心というものは本当に複雑です。
その「うらやましい」の「うら」は日本語では「心」の意味です。「うらやむ」とは「心病む」の意味です。白川静さんの字書「字訓」には今「うらやむ」の意味に用いる漢字として「嫉・妬・羨」が挙げられています。
その「心」を動詞化した言葉が「うらむ」です。相手に対する腹立たしい気持ちを表面に出さず、心の内に持ち続けることです。漢字で記せば「恨む」「怨む」です。「うらみ」はその名詞形、「うらめし」は形容詞形です。「うらがなし」「うらぶる」など失意の情をいうものが多いです。
漢字の「心」は心臓をかいた象形文字。「うら」は「衣」の間に音を示す「里」が入った漢字で衣の内側のことです。でも日本語では「心」「裏」は、ともに「うら」と読んで同語源の言葉です。
「心」も表面に出ない心の内のこと。「裏」は表面に表れないものです。
さらに「浦」も同じ語源の日本語です。「浦」は外海に対する内海のことです。東京ディズニーリゾートが千葉県浦安市にあります。「浦安」の名は他にもありますが、「日本書紀」には「日本は浦安の国」とあって、「浦安の国とは日本の美称です。この「浦安」とは「心安」のこと。「浦安の国」は「心安らぐ国」という意味です。「うれう」も「心」を活用した動詞形で、心に悲しみ、つらく思うことをいいます。
冒頭の「他人にうれしいことがあると」の「うれし」の「うれ」も「心です。「
し」は「良」「吉」のような意味で「心」の形容詞化した言葉です。「うらやむ」「うれし」が同語源だなんて、国語って楽しいですね。
漢字のルーツは「占う」行為に使われた甲骨文字ですが、日本語の「うらなう」は「心」に動詞化する「なう」を加えた言葉。つまりは神の心を問うことです。