
明治42年測図 今昔マップ2利用 Google Earthに出力したものを画面コピーしました。
以前、ブログで江戸川区にある「三角」という地名について、
「「三角」っていう地名は三角形の土地だから?江戸川区のトライアングルゾーン」という記事を
書いたことがありました。今回はその続きです。
■トライアングルじゃなかった!
①下2枚が先日ブログであげたもの

現在の地図にお絵かきしたもの。

昭和22年の航空写真
②今回、明治42年測図でみてみました(今昔マップ2利用)

三角橋と新川橋の間、新川の南側に「三角」という地名が見えます。
西にずれたところに三角形の田んぼが見えるが、これはどう見ても無関係。
明治42年の地図には「三角」の地名が新川より南に書かれてあり、北側にはありません。
今、「三角」というと、新川から北側のイメージを持つ人が多いと思います。

goo地図で「三角」で検索した結果です。「三角」がついた宇喜田三角会館は知りませんでした。
ところで、この三角という名を冠した三角橋ですが、つい最近できた橋で、橋の名の由来が
この周辺を「三角」という名で呼ばれていたことから・・といった案内板がありました。
なぜ三角と呼ばれたかについての言及はありませんでしたが、
以前撮った写真があったので、追記で入れます。(ちょっと見つからない^^;)

葛西筋御場絵図(国立公文書館デジタルアーカイブ利用)
※葛西筋御場絵図とは・・文化2年(1805)作成された、江戸近郊に設定された幕府の御鷹場の地図
この件を調べるにあたって、様々な地図をみました。
この葛西筋御場絵図は想像以上に当時の水路がしっかり描かれていて、絵図と今の地図を見比べながら
追っておくと面白かったです。
というか、地図をみてると、ついあれこれ脇にそれるので、時間がかかってしまうのですが、当時は実に多くの水路
が区内にあったか、よくわかりました。そして、その頃の風景が目に浮かぶような気がしました。
で、本題にもどりますが、三角の地名の謎は、まだ謎のままで、もしかしたら、三角は
「三角さん」という人物名なのかも??とかふと頭をかすめたり。(^^;
区内にも、かつて「三太の渡し」という渡し場あったとのこと。渡しの名前ってどうやってつけるの??
もしかしたら、三太さんが由来とか??
また図書館などで、調べてみたいと思います。
身近なまちの歴史を地図でたずねるのは、面白いものですね♪
※メモ・・忘れないための
・三角の渡しの正確なポイントがどこなのか?
・舟入川(掘り?)について
・歴史的農業閲覧システムの東船堀村などの村堺(川が村界じゃない理由)
・区史第一巻 区界、道
・葛西筋御場絵図の中井堀と新川との交差ポイント?
・区内の渡しについて

人気ブログランキングへ