この写真はこの前の土曜日、長野のバラ園に撮影に行った帰り道、発見し、ずっと観察し、家に帰ってから、撮ったものです。
クラウドシップ、ご存知ですか?
宇宙船(いわゆるUFO)が雲の中に隠れていると言われています。
今回初めて、長時間、一つのクラウドシップを観察し続けましたが、同じ位置、ほとんど同じ形で、空にあり続けました。
この後、夜になっても、月明かりに見えていました。
スピリチュアルな情報を出してくれている人によると、銀河連合の高次元宇宙存在たちが、地球に着陸する許可が創造主より降りた、という説もあります。
何より、クラウドシップは見る人にメッセージがあって見せているので、見た人はそれを、受け留めればいいわけです。
今日はまた、時間がとれて、岩盤浴に来ています。
ヨーガ教室に来ている方から、前に『インテグラル・ヨーガ パタンジャリのヨーガ・スートラ』スワミ・サッチダナンダ著 めるくまーる刊 という本を貸していただきました。
その方はアシュタンガヨガの講師をしている方ですが、クリヤーヨーガのポーズは18のポーズの中にエッセンスが凝縮されていて、それが素晴らしいので、来ているということでした。
その他にも、不思議な能力をお持ちで、ご一緒させていただくと、勉強になることもたくさんあります。
今日は、その本を読んでいて、胸を打たれる言葉に出会いましたので、お伝えします。
心が私的な利害から自由であるとき、われわれは仕事を十全にすることができ、楽しく感ずる。
そのとき、われわれの人生は意味に満ちたものになる。
もしわれわれの心から利己性がなくなり、すべての人々の人生に、犠牲的献身が備わったならば、他ならぬこの世が天国となり、平安と至福の住み処(か)となる。
この生にあっては、すべてのものが与えている。犠牲的献身は生の掟なのだ。
それは聖者だけでなく、自然のすべて、木々も鳥も動物たちも、すべてが他のもののために生きている。
なぜろうそくは燃え溶けていくのか?光を与えるためである。
なぜ香は燃えて灰になるのか?香りを与えるためである。
なぜ樹木は伸びるのか?果実と花を与えるためである。
およそこの世界に、生物・無生物を問わず、自分だけのために生きているものなどあるだろうか?ない。
ならば、自然のすべてが犠牲だというのに、ひとり人間だけが利己的な生を送って良いものだろうか?
われわれは、与え、与え、かつ与えるためにここに在る。
そうは言っても、もちろん迷いは残るだろう。
「犠牲的献身の人生を送るべきだというならば、私はどうやって食べていけばいいのだ?どうやって衣服を得、住むところを得たらいいのだ?」
それらのものは、他者に奉仕するための自分自身の備えとして持てばよいのである。
あなたにはまた明日の朝も元気で他者への奉仕に出かけられるように、ゆっくり休むためのベッドが要る。
他者に奉仕するための十分なエネルギーを得るためには、食べねばならない。
そのように何をする時でも、「私は他者に奉仕するために自分自身を整えているのだ」という思いでもってやる。
瞑想をするときでも、それは自分だけの平安のためではない。
安らかな心で外に出て、十分奉仕できるように、するのだ。他でもない。そのことを念じながら、瞑想をする。
そのときにはヨーガの瞑想さえもが無私の行為となる。
この無執着だけが、あなたの全人生を喜びに満ちたものへと変えるに足るのである。
今回YouTubeにあげられている、
さかき千曲川バラ公園の動画…とても素敵ですね
動画の方にもコメントしましたが、BGMに揺さぶられました。
以前はバラの美しさなど無頓着でしたが、
まりありり様の撮影されたものを見ていると
本当にきれいなものですね。
ありがとうございます。
私も大好きな曲だったのですが、この曲と共に、思い出がよみがえり、それが痛みとなり、長い間封印していました。
先日、ふと聴いてもいいかな?という気になって聴いてみたら、これは春ではない、秋のバラにこそ、ぴったりだと思い付けてみました。
バラを撮影していると、やっぱりきれいだと心底思います。
だから、きれいに撮らせてもらえているのかもしれません。
花はみんな波動が高いですが、バラは中でも格別です。
是非、機会があったら、実際のバラも観に出掛けてみてください。
見ているだけで、癒されます。
花も樹も、植物は人の心を感じ取る力があります。その時、その人に一番必要なヒーリングをしてくれるような気がします。