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聖母マリア様
カトリックでは、聖書に記載されたように、マリア様は天使のお告げを従順に受け入れ、汚れのないまま(処女のまま)イエズスを懐胎し、生んだため、特別の恵みを持ち,地上の生涯を終えると、肉体と霊魂とともに天国に上げられたと信じます(聖母マリアの被昇天)。
信徒はマリア様に主へのとりなしを求めます(天国にいるマリア様に対し、神様にいっしょに祈ってくれるように頼む)。
マリア様は女神ではありません。
マリア様はわたしたちの誰よりも早く天に上げられた恵まれた方です。
一方大部分のプロテスタントの教会はマリアを特別に考えません。「イエスはヨセフとマリアの自然の子である」(マルティン・ルター)というのが、その基本姿勢です。
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神父と牧師
牧師はプロテスタント教会の信徒の代表で基本的に信徒と同じ身分です。また、結婚できます。
一方、カトリック教会の神父は叙階の秘蹟をうけて神父になります。
また、神父には秘蹟を中心とする信徒にはない権能が与えられています。
とくに告解の秘蹟では神の代理として信徒の罪を許します。
信徒の悩みや罪を聞くため、ふさわしい知識と人格が求められます。
そのため、神父になるには長い勉強と修練が必要です(イエズス会では10年以上)。
ちなみに神父の行う秘蹟は神父がどのような状態であれ有効です。
つまり、神父の人格や罪に関係なく成立します(1584)。
神父は独身でその生涯を司牧に捧げます。
司祭はその犠牲に対して特別な恵みを受けています。それは次のようなものです。
「司教が受ける恵みはおもに勇気の恵みです。すなわち、すべての人、とくに貧しい人、病人、困窮者
に対する無償の愛をもって、父のように、羊飼いのように、教会を力強く賢明に導き擁護するための
恵みです。」(1586)
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教会のおきて
カトリック信徒は神のみ旨にかなうために、神の十戒、教会のおきてを守らなければいけません。
カトリック教会がおきてを定めているのは両親が愛をもって子どもを戒め育てるように、信者を霊的に育てさせるためです。
教会はこのおきてによって信者を戒め、守り、霊的な幸福へと導きます。カトリック信徒は教会に対する愛と尊敬をもって、おきてを守り、その指導に従うのです。
しかしプロテスタントには教会のおきてはありません。
神の十戒 (1972年刊)
第一 わたしは、あなたの主なる神である。 わたしのほか、誰をも神としてはいけない。
第二 あなたは、神の名をみだりに呼んではならない。
第三 あなたは、安息日を聖とせよ。
第四 あなたは、父母(ちちはは)を敬いなさい。
第五 あなたは、殺してはならない。
第六 あなたは、姦通してはならない。
第七 あなたは、盗みをしてはならない。
第八 あなたは、偽証してはならない。
第九 あなたは、他人の妻に想いをかけてはならない。
第十 あなたは、他人のものをみだりに欲してはならない。
教会のおきて (1972年刊)
第一 日曜日と守るべき祝日にミサ聖祭にあずかり、 労働を休むこと。
第二 少なくとも年に一度大罪を告白すること。
第三 少なくとも年に一度復活祭のころに聖体を受けること。
第四 定められた日に償いの務めを果たすこと。
第五 おのおのの分に応じて教会の維持費を負担すること。
*カトリックの歴史が長い国・地域によっては毎週金曜日に肉を食べないところもありめす。
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告解
カトリックでは犯した罪を司祭に告白し、許しを請います。イエス様は復活した後に、使徒たちに、「あなたたちが罪を赦す人には、その罪が赦されるであろう。」(ヨハネ20:23)とおっしゃって司祭に罪を赦す権威をお与えになり、この秘跡をお定めになったのであります。
人は洗礼した時、すべての罪が赦されますが、先例は一度しか受けれませんから、洗礼後の罪を赦すために、キリストは別の方法をお定めになられました。それが告解です。これは七つの秘跡のひとつです。
プロテスタントには告解はありません。
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聖人
教会から公式に聖人の称号が与えられている人のことです。聖人はイエス・キリストを模範として生き、従った人。生涯を神に委ね、神の意志に従って生きた人といえます。
どのようにして聖人と認められるのか
聖人として候補にあがった人は、調査の段階で神のしもべ、尊者と宣言されます。 その調査に通ると、福者の称号が与えられます。その後、詳しい調査が行われます。
そして、聖人にふさわしい人物ということになれば、ローマ教皇が聖人に加えること を宣言し、荘厳に列聖式が行われます。
(キリスト教の世界とウィキメディアを参考にさせていただきました。私が勝手に抜粋しアレンジを行っていますが、原文にはもっと詳しく記載されています。)
にほんブログ村のランキングに参加しているのですが、
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カトリックでは、聖書に記載されたように、マリア様は天使のお告げを従順に受け入れ、汚れのないまま(処女のまま)イエズスを懐胎し、生んだため、特別の恵みを持ち,地上の生涯を終えると、肉体と霊魂とともに天国に上げられたと信じます(聖母マリアの被昇天)。
信徒はマリア様に主へのとりなしを求めます(天国にいるマリア様に対し、神様にいっしょに祈ってくれるように頼む)。
マリア様は女神ではありません。
マリア様はわたしたちの誰よりも早く天に上げられた恵まれた方です。
一方大部分のプロテスタントの教会はマリアを特別に考えません。「イエスはヨセフとマリアの自然の子である」(マルティン・ルター)というのが、その基本姿勢です。
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神父と牧師
牧師はプロテスタント教会の信徒の代表で基本的に信徒と同じ身分です。また、結婚できます。
一方、カトリック教会の神父は叙階の秘蹟をうけて神父になります。
また、神父には秘蹟を中心とする信徒にはない権能が与えられています。
とくに告解の秘蹟では神の代理として信徒の罪を許します。
信徒の悩みや罪を聞くため、ふさわしい知識と人格が求められます。
そのため、神父になるには長い勉強と修練が必要です(イエズス会では10年以上)。
ちなみに神父の行う秘蹟は神父がどのような状態であれ有効です。
つまり、神父の人格や罪に関係なく成立します(1584)。
神父は独身でその生涯を司牧に捧げます。
司祭はその犠牲に対して特別な恵みを受けています。それは次のようなものです。
「司教が受ける恵みはおもに勇気の恵みです。すなわち、すべての人、とくに貧しい人、病人、困窮者
に対する無償の愛をもって、父のように、羊飼いのように、教会を力強く賢明に導き擁護するための
恵みです。」(1586)
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教会のおきて
カトリック信徒は神のみ旨にかなうために、神の十戒、教会のおきてを守らなければいけません。
カトリック教会がおきてを定めているのは両親が愛をもって子どもを戒め育てるように、信者を霊的に育てさせるためです。
教会はこのおきてによって信者を戒め、守り、霊的な幸福へと導きます。カトリック信徒は教会に対する愛と尊敬をもって、おきてを守り、その指導に従うのです。
しかしプロテスタントには教会のおきてはありません。
神の十戒 (1972年刊)
第一 わたしは、あなたの主なる神である。 わたしのほか、誰をも神としてはいけない。
第二 あなたは、神の名をみだりに呼んではならない。
第三 あなたは、安息日を聖とせよ。
第四 あなたは、父母(ちちはは)を敬いなさい。
第五 あなたは、殺してはならない。
第六 あなたは、姦通してはならない。
第七 あなたは、盗みをしてはならない。
第八 あなたは、偽証してはならない。
第九 あなたは、他人の妻に想いをかけてはならない。
第十 あなたは、他人のものをみだりに欲してはならない。
教会のおきて (1972年刊)
第一 日曜日と守るべき祝日にミサ聖祭にあずかり、 労働を休むこと。
第二 少なくとも年に一度大罪を告白すること。
第三 少なくとも年に一度復活祭のころに聖体を受けること。
第四 定められた日に償いの務めを果たすこと。
第五 おのおのの分に応じて教会の維持費を負担すること。
*カトリックの歴史が長い国・地域によっては毎週金曜日に肉を食べないところもありめす。
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告解
カトリックでは犯した罪を司祭に告白し、許しを請います。イエス様は復活した後に、使徒たちに、「あなたたちが罪を赦す人には、その罪が赦されるであろう。」(ヨハネ20:23)とおっしゃって司祭に罪を赦す権威をお与えになり、この秘跡をお定めになったのであります。
人は洗礼した時、すべての罪が赦されますが、先例は一度しか受けれませんから、洗礼後の罪を赦すために、キリストは別の方法をお定めになられました。それが告解です。これは七つの秘跡のひとつです。
プロテスタントには告解はありません。
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聖人
教会から公式に聖人の称号が与えられている人のことです。聖人はイエス・キリストを模範として生き、従った人。生涯を神に委ね、神の意志に従って生きた人といえます。
どのようにして聖人と認められるのか
聖人として候補にあがった人は、調査の段階で神のしもべ、尊者と宣言されます。 その調査に通ると、福者の称号が与えられます。その後、詳しい調査が行われます。
そして、聖人にふさわしい人物ということになれば、ローマ教皇が聖人に加えること を宣言し、荘厳に列聖式が行われます。
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