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東南アジアからの硝石供給の道が開け、日本は大陸のアジア諸国に一足遅れて火器の時代に本格参入することとなった。琉球王国は独自に東南アジアとの貿易経路を確保していたために東アジア型の火器は早くから普及

東南アジアからの硝石供給の道が開け、日本は大陸のアジア諸国に一足遅れて火器の時代に本格参入することとなった。琉球王国は独自に東南アジアとの貿易経路を確保していたために東アジア型の火器は早くから普及していた[8]。当初は硝石供給を基本的に中国や東南アジア方面からの輸入に頼っていたが、やがて需要の大きな硝石の国産化への試みが始まる。古い家屋の床下にある土から硝酸カリウムを抽出する古土法、主にカイコの糞を使う培養法が発見され、各地で行われていた。
五箇山では加賀藩が秘密裏に煙硝を製造しており、「塩硝」と称してブナオ峠を通って金沢に運び出されていた(塩硝の道)[7]。五箇山では煙硝を「培養法」という方法で塩硝土づくりから始める。土の選択から、床下の穴掘り、土入れ、有機物(尿や草など)混入、切り返しなどを行いようやく5年目に硝化バクテリアが繁殖し培養土、つまり塩硝土ができる。塩硝土造りや塩硝そのもの原料を「培」と呼び年3回、春培は稗殻・そば殻・タバコ殻など、夏培は蚕の糞、秋培は山草の蒸培(シャク「狐独活」・ヨモギ・ムラダチ(アブラチャン)など)を使う。石山合戦(1570年(元亀元年) - 1580年(天正8年))の織田勢との戦いにも五箇山の塩硝が使われた。また、黒色火薬自体を製造していたとされる。いつからこの製造法が行われたかは定かではないが、文書として正式に残されているのは、文化8年(1811年)9月に記された『五ケ山塩硝出来之次第書上身帳』(富山県立図書館蔵)に記載されている。慶長10年(1587年)8月に前田利長より497貫(約1688kg)の上納塩硝を申付けられているが、その後、寛永14年(1637年)には1260貫(約4725kg)を加賀藩に古土法で煙硝を納めたとは考えにくい。
日本では幕末まで、主に古土法で硝石を得ていた。古土法による





日本では幕末まで、主に古土法で硝石を得ていた。古土法による生産量は少なかったが、江戸期に入って社会が安定したことにより火薬の需要が減り、国内での全需要を古土法で賄えるようになった。幕末期になると、日本にも硝石丘法が伝来した。しかし既に1820年ごろ、チリのアタカマ砂漠において広大なチリ硝石の鉱床が発見されており、安価なチリ硝石が大量に供給されるようになっていた。また火薬そのものも進化し、硝石を原料としない火薬に需要が移ったため、土から硝石を得る硝石生産法は、やがて全く姿を消した。
脚注[編集]
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  1. ^ 「おもな鉱物」『理科年表 平成20年』国立天文台編、丸善、2007年、641頁。ISBN 978-4-621-07902-7。
  2. ^ Niter (英語), MinDat.org, 2012年7月18日閲覧。(英語)
  3. ^ Niter (英語), WebMineral.com, 2012年7月18日閲覧。(英語)
  4. ^ a b c 文部省編『学術用語集 地学編』日本学術振興会、1984年、147頁。ISBN 4-8181-8401-2。
  5. ^ a b 野澤直美、高木翔太、渡邉哲司、風間竜之介、小沼(中村)実香、村橋毅、高野文英「煙硝づくり『古土法』の史学調査と実験的検証について」『薬史学雑誌』第54巻第2号、日本薬史学会、2019年、 94-103頁、 doi:10.34531/jjhp.54.2_94。
  6. ^ 板垣英治「硝石の舎密学と技術史」『金沢大学文化財学研究』第8号、金沢大学埋蔵文化財調査センター、2006年3月、 19-58頁、 ISSN 1346-0099、 NAID 110004656987。
  7. ^ a b 風景紀行 51 塩硝の道 中部森林管理局、2020年12月14日閲覧。
  8. ^ 中島楽章「銃筒から仏郎機銃へ:十四〜十六世紀の東アジア海域と火器」『史淵』第148巻、March 2011 2011、 1-37頁、 NAID 40018769571。
関連項目[編集]

ウィキメディア・コモンズには、硝石に関連するカテゴリがあります。
  • 鉱物 - 硝酸塩鉱物
  • 鉱物の一覧
  • 硝酸カリウム
  • グアノ



脚注[編集]

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  1. ^ 「おもな鉱物」『理科年表 平成20年』国立天文台編、丸善、2007年、641頁。ISBN 978-4-621-07902-7。
  2. ^ Niter (英語), MinDat.org, 2012年7月18日閲覧。(英語)
  3. ^ Niter (英語), WebMineral.com, 2012年7月18日閲覧。(英語)
  4. ^ a b c 文部省編『学術用語集 地学編』日本学術振興会、1984年、147頁。ISBN 4-8181-8401-2。
  5. ^ a b 野澤直美、高木翔太、渡邉哲司、風間竜之介、小沼(中村)実香、村橋毅、高野文英「煙硝づくり『古土法』の史学調査と実験的検証について」『薬史学雑誌』第54巻第2号、日本薬史学会、2019年、 94-103頁、 doi:10.34531/jjhp.54.2_94。
  6. ^ 板垣英治「硝石の舎密学と技術史」『金沢大学文化財学研究』第8号、金沢大学埋蔵文化財調査センター、2006年3月、 19-58頁、 ISSN 1346-0099、 NAID 110004656987。
  7. ^ a b 風景紀行 51 塩硝の道 中部森林管理局、2020年12月14日閲覧。
  8. ^ 中島楽章「銃筒から仏郎機銃へ:十四〜十六世紀の東アジア海域と火器」『史淵』第148巻、March 2011 2011、 1-37頁、 NAID 40018769571。

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  • 硝酸カリウム
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  • 太平洋戦争 (1879年-1884年) - 硝石の大産地を巡ってチリ、ボリビア、ペルーが交戦した。別名:硝石戦争。
  • 和田家住宅(白川郷) - 硝石の取引で栄えた。
典拠管理
  • LCCN: sh85116896
  • MA: 2777646106
  • NDL: 00572284
カテゴリ: 
  • カリウムの化合物
  • 硝酸塩鉱物
  • 直方晶系鉱物



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