ことばと学びと学校図書館etc.をめぐる足立正治の気まぐれなブログ

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「情報」を「学び」につなぐ

2007年03月27日 | 「学び」を考える

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 これからの学校図書館は、読書センターとしてばかりでなく学習資料センターとして機能することが求められるという。具体的にどのような活動を行うのであろうか。漠然と「調べ学習」を支援することと考えれば、授業に必要な資料や情報を整えて提供し、子どもたちに調べ方を指導することが学校図書館の役割だということになる。「教育課程の展開に寄与する」という学校図書館法の規定をよりどころに学校図書館担当者は、できるだけ授業で図書館や資料を使ってもらうように働きかけ、機会を捉えて図書館利用指導を行う。司書教諭と学校司書との連携を模索し、施設・設備、資料や人を活用して授業を展開しやすいようにサービスの提供に工夫をこらす。だが、肝心の教師が自らの教育活動に学校図書館を活用することの意義と必然性を実感できなければ何もはじまらない。

  先月出版されたばかりの『教室・学校図書館で育てる小学生の情報リテラシー』(東京学芸大学附属世田谷小学校教諭鎌田和宏著、少年写真新聞社、2007)は、学級担任として日々の授業を行なう教師の立場から学校図書館の活用が語られているところに注目したい。

教室・学校図書館で育てる小学生の情報リテラシー

少年写真新聞社

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 著者は、子どもの疑問、学校・教室での出来事など、さまざまな場面で子どもの好奇心を満足させ、問題を解決するために情報リテラシーを身につけさせることが必要だという認識にたって、コンピュータやインターネットばかりでなく学校図書館を活用することが有用であると考える。著者が考える情報リテラシーを育成することの意義を本書のことばから拾い出してみよう。

「今求められているのは、数値化できない、子どもたちが自らの人生を切り拓き豊かにしていく学力、学ぶ楽しさの再発見ではないでしょうか。」(p.7)
「知的好奇心が満たされる学校での学びは、子どもらにとってたのしいものであるはずです。しかし、学校での学びは、広がりや深まり、高まりを求めていくので、その楽しさは若干のハードルを越えねばなりません。」(p.7)
「子どもの知的好奇心が自由に発揮されるためには、ハードルを飛び越えるための力と技が必要です。それが情報リテラシーです。この情報リテラシーの身につけ方も大切です。」(p.7)
「・・・生身の身体を持つ人間として仮想的なデジタル情報は、・・・現実のリアルな情報を扱う体験をし、それとの比較や行き来のなかでよりよく理解できる・・・」(p.18)
「ICT教育をしていくにしても、そこで利用される多様な情報メディアを子どもたちが利用できるようになっていくには、書籍のような実感しやすい伝統的なメディアの利用経験とうまく組み合わせながら指導することが重要です。」(p.24)

 こうして著者は6つの重点目標をたて、学校図書館を活用して情報リテラシーの指導を行う。

1. 好奇心と追求意欲の醸成
2. 読書愛好心の醸成
3. メディアを利用するリテラシーの育成
4. 調査リテラシーの育成
5. 情報を編集するリテラシーの育成
6. コミュニケーションのリテラシーの育成

 そして、これらの重点目標を各教科・領域などにおいて具現化するために3つの視点から各単元などを見なおし、具体的な情報リテラシーの目標を設定する。

① 子どもの直接体験を重視した単元はどれか。
② 読み取る、考える、表現する活動を重視した単元はどれか。
③ 本や図書館と関係を作れそうな単元はどれか。

 具体的な事例も豊富である。低学年、中学年、高学年と子どもの発達・成長の過程に応じた情報リテラシーの指導をどのように展開していくか。子どもの自発的な問題意識と、教師が展開しようとしているカリキュラムをどのように関連させて情報リテラシーを身につけさせるか。本やレファレンスツールの使い方から新聞・テレビなどのマスメディアの読み方やデジタル・メディアを使った情報リテラシーの育て方にいたるまで、要点が的確かつていねいに語られていて、著者の勤務校に特有の条件を満たしていなくても、読者がそれぞれの現場で独自の実践を計画・実施するのにじゅうぶん役立つはずだ。

  だが、子どもに情報を扱う技を身につけさせることが最終的な目標ではない。本書では、子どもが身につけた情報リテラシーを自ら学ぶ力として成長し、発達していく姿を見守り、援助していくプロセスがイキイキと語られている。情報リテラシーを教育につなぐ著者の基本的な姿勢は次のことばに集約されている。

「教育の現場では情報リテラシーの技を教えることは断片的に取り組まれていますが、情報リテラシーの力を育てることが後回しになったり形式的にされがちです。」(p.165)
「くらしの中に垣間見られる子どもの興味・関心にも目を配り、支え、授業に触発されて授業と授業の間に子どもが自ら動き出すきっかけをとらえて励まし支えていくべきだと考えています。」(p.164)
「意欲を持って問題解決に挑もうとする場面に子どもが遭遇したときにこそ教師の情報リテラシーに関する技の指導が生きてきます。自ら必要としてる場面であれば、よりよく、そして私たちが想像する以上に高度なことまで学べるものです。」(p.166)
「その子どもが、今、何に興味を持っているのか、どんな疑問を持っているのかを知ろうとし、その手だてを講ずるべきです。よく子どもと話し、ことばを聞き、書いたものを読み、記録しながらその子どもの意欲が引き出される瞬間をうかがうことが重要ではないでしょうか。」(p.166)
「真に情報リテラシーの技を身につけるには、・・・子どもの姿をしっかり捉え、その子にとって切実性のある場で技が身につくよう支えることが重要ではないでしょうか。」(p.172)
「子どもに寄り添って見ていこうとしていくと、子どもたちは力強く、その日常が出会いにあふれ、魅惑的な謎に満ち、実にドラマチックであることがわかります。私はそのドラマの一場面に、子供が願いをかなえ問題解決していく手助けをする名脇役として出演したいものだと思っています。」(p.172)

 著者の実践にほぼ全面的に共感しながらも、ごく個人的な理由で気になる部分がないわけではない。情報リテラシー育成の重点項目のひとつに「読書愛好心の醸成」ということばを見たときドキッとした。自分自身が「読書愛好心」などというものを持ち合わせていないことを自覚しているからだ。病弱だった小学生時代、遊びを通して人間関係を作っていくことを犠牲にして読書に逃げ込み、空想の世界に浸っていた自分を忌まわしく思い出す。もちろん、読書力が学力と深くかかわっていることに異論があるわけではない。かつてジョン・デューイが指摘したように「書物は経験の代用物としては有害なものであるが、経験を解釈し拡張するうえにおいてはこの上もなく重要なものである」(『学校と社会』)ことを銘記しながら、これまで読書好きに育ってこなかった中高生には、読みたい本を読みたいときに読んで仲間と語り合う楽しみを味わってほしいと思う。それから、「図書館クイズ」によって分類の指導を行う必然性についても、本書で指摘されているように子どもの切実な学びのニーズと結びついてこそ意義があるということを再確認しておこう。計算や漢字のドリルと同様、それが活用される文脈と切り離されたところで知識と技術の獲得が目的化してしまうことは避けたい。もうひとつ、司書教諭の存在が見えてこないことに若干の物足りなさを感じるが、現在のわが国の学校図書館を機能させるには、学校のシステムや実践の内容によってさまざまな形態がありうるので、画一的に考えないことが必要だろう。(著者自身が司書教諭の立場にあるのかもしれないが、本書では一教師の実践として語られている。)

 著者にもっと語ってほしいこともある。子ども一人ひとりの学びの進化と深化が、学級やグループの学びの質の高まりにどのように影響するのだろう。情報リテラシーの力を身につけた集団のなかから個の学びを越えた集合知とでもいうべきものが創造(創発)されていく可能性はあるのだろうか。本書の端々からその芽生えを読み取ることができる。

 たしかな教育実践にもとづいて語られている本書は、「小学生の情報リテラシー」ばかりでなく学年や校種を越えて示唆に富む。そして、これからの教育実践の質的変化を予感させる心地よい刺激に満ちている。

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2 コメント

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御批評ありがとうございます (鎌田和宏)
2007-04-01 07:07:21
足立先生
ご高評ありがとうございます。

 著者の鎌田です(鶴岡でお会いしましたがご記憶でしょうか。屋上の露天風呂で伺った先生のお話、なるほどと思うことで一杯でした)。
 先生のシャープなご紹介と批評で、なるほど、そういう本だったのかと自分の書いたものの重点が一層よくわかりました(なんだかぼんやりしていて恥ずかしいのですが)。
 司書教諭については、ご指摘のように現状では十分機能していない学校も多く(問題だと思います)その現状で一石を投じるにはというスタンスで書きました。ですので、司書教諭の方に考える材料として本書を取り上げたいただけたらと切望します。司書教諭のリーダーシップが発揮されるようになれば、状況は大きく変わると期待しています(私自身はこの本掲載実践の時期には司書教諭ではありませんでした)。

 個の学びがどのように集団の学びへと発展・深化していくかについては、本著では十分展開できませんでした。これまで公表した拙稿ではいくつかそれについて提起してきたつもりですが、それらについては情報リテラシーとの関わりでは述べておりません。次の仕事になるのかと思っております。

 どうぞ足立先生、お体を大切に、お元気でご活躍ください。
 またお目にかかって日本全国の図書館のお話を伺えたらともっております。

追伸 拙著ご紹介の項の下に吉田さんが訳された『ライティングワークショップ』の紹介を発見。驚きました。昨日吉田さんと研究会でご一緒していました。現在、奇しくもこの本の翻訳協力と日本版の出版のプロジェクトに参加しています。
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お礼とお願い (足立正治)
2007-04-02 02:13:53
鎌田さん

ていねいなコメントをいただき、ありがとうございました。こちらからお知らせする前に見つけられてしまいましたね。
子供たちの様子とそれを見つめる鎌田さんのまなざしが手に取るようにわかり、思わず顔がほころんでいました。学校図書館を使って子供たちが生き生きと学んでいる様子が描かれている、こんな楽しい本には、めったにお目にかかったことがありません。学ぶとはどういうことか、どのようなタイミングを捉えて情報リテラシーを指導すれば子どもの学びと成長を促すのか、プロの教師が日々の子どもとのかかわりから子どもを育てていくプロセスがよく分かります。それがご著書のすばらしいところだと思います。

 別に個人宛のメールをお送りしましたが、この8月に子どもの主体的な学びに焦点をあてた、これまでにない学校図書館セミナーを計画していますので、ご協力くださるよう、よろしくお願いいたします。(足立)
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