echo garden

基本的に読書感想文です。

ローマから日本が見える 5

2006-02-04 00:57:47 | Weblog
 ブルータス 共和制のはじまり

 タルクィニウスは反対派を容赦なく殺すような独裁者でしたが、軍事的才能だけはありました。
 彼が率いた戦争は連戦連勝で、それはローマに益をもたらしました。そのため、市民は内心に不満を抱いていても、表立っての行動には移りませんでした。
 しかし25年にわたる治世の後半になってくると、権力に陰りが見えてきました。
 タルクィニウスがエトルリア系ということで、同盟関係が強化され、ローマにはエトルリア人が多く移り住むようになっていました。
 文化や技術に長けた彼らはローマのなかで大きな勢力になり、タルクィニウスの支持基盤になっていました。
 生粋のローマ人はローマがエトルリアに乗っ取られたとなげきました。
 しかし本国のエトルリアの勢いが落ちてきたのです。
 そんな時に事件が起きました。
 彼の息子、セクトゥスは親類の妻、ルクレツィアに横恋慕し、夫のコラティヌスの留守を見計らって家に訪問しました。
 ルクレツィアや家族は親戚の彼を何の疑いもなく歓待しました。
 その夜、皆が寝静まったころ、セクトゥスは彼女の寝室に忍び込み、強引に想いを遂げたのです。
 男が帰ったあと、傷心のルクレツィアは召使に手紙を戦場にいる夫に運ばせました。異変を知り、駆けつけたのは夫コラティヌスと父とその友人と夫の友人、ブルータスでした。
 彼ら4人の前でルクレツィアは自分の胸を短剣で刺し、息絶える前に自分の仇打ちを願いました。4人が硬く誓ったのは言うまでもありません。
 ルクレツィアの葬儀が終わったあと、ブルータスは行動に出ました。
 市民を招集して、今回の蛮行を非難し、さらにタルクィニウスが先王を殺害して権力を手にした事実を思い出させ、王一族を追放するよう、訴えたのです。
 ブルータスの演説によって市民たちも隠していた不満を爆発させます。
 戦場で事の急変を知ったタルクィニウスは手勢を率いてローマに戻るのですが、彼の到着にも関わらず、城門は開きません。
 自分が追放されたことを知った彼はエトルリアに落ちのびました。
 機をみるに敏なトゥーリアはすでに脱出して無事でしたが、そもそものきっかけを作ったセクトゥスは逃げる途中で彼に恨みを持つものに殺されました。

 ところでこの画像は琵琶湖の湖畔の近江八幡市にある神社です。この辺りに<たねや>という和菓子屋の経営する、雰囲気のいい和カフェ、洋カフェがあって、名古屋からですが、よく行きます。
 

 

ローマから日本がみえる 4

2006-02-03 22:24:07 | Weblog
 タルクィニウス 破壊王

 次は、そのロムルスたちが作った、王政を壊した王のことを書きます。
 破壊王とは、僕が勝手につけたあだ名で、当時ローマ人たちは尊大王または傲慢王と(おそらく影で)呼んでいました。
 彼の父はタルクィニウス(同名です)、ロムルスから数えて5代目の王です。
 しかし、ローマ人ではなく、エトルリア出身です。ローマでは他国人でも出世のチャンスがある、と聞いて移住してきた人です。そして努力の甲斐あって王にまで上り詰めました。まさにアメリカン・ドリームならぬローマン・ドリーム。
 当時のローマ人にとって重要なことは自国人か他国人かではなく、有能か無能か、それだけでした。ローマは建国当時から、防衛にしろ、侵略にしろ戦争だらけで無能な王など戴いたら、あっとゆう間に周囲の国に攻め滅ぼされてしまう状況だったのです。
 そして、次の6代目の王もエトルリア出身、セルヴィウスです。
 彼は若いころからタリクィニウスに認められ、重用されたことから、出世街道を登りつめた男でした。
 タルクィニウスへの感謝の気持ちから、自分の娘2人をタルクィニウスの息子2人と結婚させました。ちなみに、当時の結婚は昔の日本と同じで、まだ幼いころから親がいいなずけを決めるのが普通でした。
 娘たちのうち、気の強いトゥーリアとおとなしい息子、おとなしい娘と気の強いタルクィニウス(子)という組み合わせで、お互いに足らないところを補ってくれれば、という親心でした。
 しかし親の気持ち、子知らず、(それどころじゃない)しばらくすると、おとなしい方が2人とも原因不明で死んでしまい、トゥーリアとタルクィニウスがくっついてしまいました。覇気のない夫に愛想をつかしたトゥーリアが誘惑したのです。
 このことについてセルヴィウスは何のコメントも残していません。ショックのあまり寝込んでいたのかも知れません。
 タルクィニウスは野心家でした。しかしローマでは、いくら血筋が良いからといっても王になれるわけではありません。そこでクーデターを企画しました。
 セルヴィウスの治世も40年も経て王も往年の勢いが失せていました。
 セルヴィウスが戦場に陣頭指揮をとりに出かけている時をねらって、元老院の会議中に後援者たちとともに乗り込み、現王はローマの政治を私物化している、と弾劾したのです。
 セルヴィウスが騒ぎの知らせを受けて急ぎ帰ってきたところを、タルクィニウスは元老院の階段の上から突きとばし、転げ落としました。
 セルヴィウスは重症を負いましたが、必死の思いで宮殿に逃げました。しかしそこに待ていたのは猛スピードで馬車を駆るトゥーリアでした。
 実の娘に轢き殺され、タルクィニウスのクーデターは成りました。
 こうしてタルクィニウスは7代目の王になりましたが、その就任に際し、市民集会の承認も元老院の承認も得ていません。
 法案を通すのにも彼らの意見を聴きませんでした。完全な独裁者です。もはやローマの王とはいえない存在です。
 ここでロムルス以来の王政は終わったのです。
  

ローマから日本が見える 3

2006-02-02 01:16:10 | Weblog
 ローマの人々は近隣に住むサビーニ族を祭りに招きました。
 当時のラテン人たちの間では「祭りの期間は戦争をしない」という掟があったので、サビーニ人も安心して一族全員で、新しくできた町の見物を兼ねて来ました。
 ところが祭りもたけなわになってきた時、突如ローマの男たちはサビーニの若い女性のみをねらって襲いかかり、拉致し、それ以外は市外に締め出しました。
 サビーニ人は武装してこなかったので、しかたなくいったん引き上げてからローマに抗議しました。
 それに対しロムルスは自ら拉致した女性の1人と結婚し、女性たちは全てローマ人の花嫁である、と宣言しました。非常に強引な嫁不足解消のための策略だったのです。
 しかしサビーニ側も、あー、そうですか、と言うわけにいきません。当然、両者は戦争になります。
 両者の激突は常にローマが優勢でしたが、都合4回にも及びました。
 ところが4回目の激突で戦闘が白熱するさなか、意外な仲裁者が現れました。
 連れ去られた女たちが戦いをやめて欲しいと訴え出たのです。
 彼女たちが言うには、自分たちはローマの男たちに良くしてもらっている、今では自分たちの夫だと思っている、だから夫と親兄弟が争うのを見ていられない、とのことです。
 サビーニ側は劣勢だったこともあり、ロムルスも丁度良い潮時とみて、両者とも女たちの仲裁を受けました。
 しかしロムルスは単に受けただけでなく、さらに一歩踏み込んだ提案をしました。それは、「両部族の合同」です。
 普通の和平なら、お互いの領域を決め、同盟を結ぶ程度ですが、ロムルスは一緒にローマに住もう、と提案したのです。
 終始優勢だったローマに厳しい要求を突きつけられるのでは、と恐れていたサビーニ人は喜んでその提案を呑みました。
 それは初めてローマが拡張した瞬間でもありました。
 このエピソードで注目すべきは、拉致した女性をも慕わせる、という現代につながるイタリア人男性の女扱いの上手さ、ではなく、敗者をも同化させる、融和の精神です。
 これは別に、彼らが特別できた人間だったわけではなく、人口不足を補うために必要にせまられてされた措置ですが、このやり方が後にローマのDNAとでも呼ぶべきものになります。
 そしてこの融和の精神こそがローマが様々な文化や民族を吸収して、大帝国になってゆく、最大の原動力でした。

 こんな感じでスタートした、ロムルスとその仲間たちの町(ポリス)、ローマですが、その政治形態は、ロムルスを頂点とする王政でした。
 しかし王様は独裁者ではありません。王様は市民全員が参加する、市民集会の投票によってえらばれます。ロムルスも最初は人望によってリーダーをしていましたが、この制度がきまってから、選挙で王に選びなおされています。
 また市民集会は立法の権利はないものの、王様が提案する法案に拒否と承認の権利を持っていました。
 そして王に対する助言機関として、市民のなかの有力者で構成する、元老院もありました。
 共和制の時代にはローマそのものになる元老院ですが、このときはまだ権力はなく権威のみの存在でした。それでもある程度王の暴走にブレーキをかける役目がありました。
 このような「三権分立」でローマの政治は始まりました。
 
 
 
 

ローマから日本が見える 2

2006-01-31 23:59:22 | Weblog
 ロムルス ローマのはじまり
 
 欧米では、正しいことを言っているのに信じてもらえない人のことを「カッサンドラ」というそうです。
 カッサンドラはトロイの王女です。
 木馬はアカイアの罠だと気づいたのに、アポロンにかけられた呪いによって誰にも信じて貰えず、彼女はなす術もなく滅亡を見守るしかなかった。
 紀元前12世紀中ごろのことです。
 時代が下って紀元前8世紀、イタリア半島の中部を流れるティヴェレ川の上流にアルバロンガという都市国家=ポリスがあった。
 その王族の血統をたどっていくとトロイの王族につく、という伝説をもっていました。
 ローマの始祖、ロムルスはその王女の息子です。しかし王子ではありません。
 それどころか単なる邪魔者であって、弟のレスともども籠にいれて川にながされてしまいました。
 母親は牢獄入りです。
 なぜなら、現国王は母親の父から王座をうばった、叔父だったからです。正当な王位継承者がいては困るのです。
 川に流されたロムルス達は下流で雌狼にひろわれ、乳をもらい育てられました。
 そのうちに土地の羊飼いにひろわれ、羊飼いとして成長しました。
 長ずると2人とも人に抜きん出るようになり、周辺の羊飼い連中のリーダー的存在になりました。
 その過程で、自分たちの出生の秘密を知り、仲間の羊飼いを引き連れて、アルバロンガに攻め入りました。
 国王を殺して復讐は遂げたものの、母親はすでに獄死していました。
 その後、2人はそこにとどまらず、ティヴェレ川下流の本拠地に戻り、仲間と共に新しい都市を建設しました。
 しばらくの間、兄弟は分割して統治してたが、あるときレスが分割線をこえて侵入してきた事から戦争になり、最終的にロムレスが勝ち、ただ1人の王になった。
 彼の名から、その町はローマと呼ばれるようになった。
 これが建国の伝説です。
 そうとう怪しいですが、街が紀元前8世紀に作られたこと、建国者たちのルーツがアルバロンガにあることなどは確かなようです。
 アルバロンガはトロイの末裔かどうかは別として、イタリア中部にいたラテン人の本拠地でした。
 いまや世界中に広がったラテン人ですが、当時は北方のエトルリア人、南方のギリシャ人にはさまれて、イタリアのなかでも劣勢な人々でした。
 ところで、ギリシャ人はあのアテネやスパルタのギリシャ人ですがエトルリア人はよく分らない人々です。しかし、早くから鉄器の利用をしっていたらしく、イタリア北部にうつってきたのも、鉄鉱山が目的だったといわれています。
 また、高度な建築技術をもっていて、後にローマの代名詞になる、水道橋や、石畳の舗装道路なども、彼らから吸収したものです。
 このころ12のポリスがあり、ラテン人よりはるかに進んだ文明を持っていたにもかかわらず、(ローマ人にとってはエトルリア人はみな国王に見えた、といいます)主導的なポリスがなく、同調した行動がとれなかったために、後には完全にローマに飲み込まれます。
 今ではトスカーナ地方という地名(エトルリア人の土地)に名残を記すのみです。
 ロムルスたちについてより真実に近いことは、彼ら、建国者たちは約3000名いたらしいですが、アルバロンガはじめ、周辺のラテン人のポリスや村からのあぶれ者、食い詰め者の集団だったらしいのです。
 そして、女性はほとんどいなく、荒くれの男ばかりだったらしい。
 というようなことは、建国早々に起きたある事件から推測できるのです。
 それは「サビーニの女たちの強奪」事件・・・
 
  

ローマから日本が見える 1

2006-01-31 00:28:35 | Weblog
 塩野七生さんが去年6月に集英社から発行した本です。
 イタリア半島中部の寒村に過ぎなかったローマがアフリカからヨーロッパに及ぶ世界帝国にまで発展した過程を観察することによって、現代の日本が抱える問題に対する解決のヒントを得よう、と言うコンセプトの下に書かれています。
 また、結果的に塩野さんのライフワークである<ローマ人の物語>シリーズのダイジェスト版にもなっています。

 ここでローマ人っぽく、演説をかまします。
 歴史とは、ほこりの積もった古文書の山ではありません!
 過去の人々が回転する車輪のごとく懸命に生きた、血と汗と涙の物語です。
 そしてまたファンタジーの母体でもあります。
 例えば、「遠い昔、シーザ-という若い将軍がいました・・・」と語りはじめれば、そのまま物語りですし、より面白くするために少しだけフィクションを加えて、「・・・断崖に追い詰められたシーザーに、ガリア人の投げた斧が突き刺さろうとした、正にその瞬間、上空に白いドラゴンが現れ・・・」と言えばもうファンタジーです。
 そんな歴史が面白くないはずありません!
 にも関わらず、歴史という言葉からはカビの匂いがしています。
 それは何故か?
 年号のせいです。
 学校のテストで悩まされた1192つくろう、とか1333とかの年号のトラウマに呪われているのです。
 つまり我々の頭の中で歴史と年号を憶えることの苦痛が結びついています。  
 鎌倉幕府ができるまでのいきさつ、その過程での葛藤、後の影響など、どこをカットしても素晴らしいドラマに満ちています。また人々の生き様から、勇気や教訓を貰うことができます。
 しかし年号は単なる結果に過ぎません。それは歴史の表面に貼り付けられた単なるシールです。
 だから、もうそんな過去のトラウマは捨てて人間のドラマとして歴史を眺めなおしてみようじゃありませんか!

 塩野さんの経歴を紹介します(カバーに書いてあったままですが)。
 1937年7月7日 東京生まれ。
 学習院大学文学部哲学科卒業
 1963から1968年にかけてイタリアで遊びつつ、学ぶ。
 1968年より執筆活動を開始。
 主な著書に<ルネサンスの女たち>
 <チェザーレ・ボルジア あるいは優雅なる冷酷>毎日出版文化賞。
 <海の都の物語>サントリー学芸賞。などなど
 1992年より、ローマの1000年以上にわたる興亡を描く<ローマ人の物語>を1年1作のペースで書きつづけている。2006年完結の予定。
 1970年よりイタリアに在住。

 7日生まれだから七生さん・・・
 それはともかく、内容の方に行きたいのですが、その前にエクスキューズさせて下さい。
 これから書くことは<ローマから日本が見える>からの情報がほとんどですが、ウィキペディアや司馬遼太郎など別のも混ざっています。
 それは僕の関心がこの本ではなく、ローマの歴史そのものにあるので、平行して雑多なものを読んだからです。
また、この本でかなりのウェイトを占める日本の政治に対する言及、例えば55年体制自民党と共和制ローマの元老院との比較とかも関心外なので全部パスしてあります。それと章の分け方も自分独自のものです。
 だから、<ローマから日本が見える>の紹介としては良くありません。
 では行きます。 
  
 
 
 
 

星の王子様 10

2006-01-23 23:08:24 | Weblog
 どうでもいいことですが、星の王子様の謎解き、正直言っていっぱいいっぱいです。
 続き。
 「花との仲がこじれたことが原因で王子様は旅たち、きつねとの交流によって何かを学び、あるいは思い出し、<ぼく>と共に井戸を見つける」
 これがこの物語の中心軸だと思います。
 王子様は6歳のころの<ぼく>であり、<ぼく>のこころを構成する一つの(一人の)要素であり、今は独立して行動する一人の人格である存在です。
 王子様が経験したことは、つまり<ぼく>が経験したことでもあるのです。
 逆に言えば<ぼく>が現実世界で経験したことのこころの中のイメージが王子様の物語、とゆうことです。
 恋愛は大人が子供のこころでするものです。恥ずかしいので詳しくは説明しませんが。
 王子様は<ぼく>の恋愛を受け持っていた、こころの部分だとおもいます。
 もちろん、恋愛だけでなく、音楽を楽しんだり、友達と馬鹿騒ぎすることなども担当だったと思います。
 この辺の見解は内観法的観察によるものです。
 「星の王子様」がサンテグジュペリの実体験に基づいた物語であるなら、<ぼく>はサンテグジュペリと何十パーセントかシンクロした人物のはずです。
 ということは、花は彼のエキセントリックな妻、コンヌエロに違いありません。
 ちなみに、サンテグジュペリが貴族の中でも高位の伯爵家の出であることを思えば、なぜ王子様が普通の子供でなく、王子様の格好をしているのか分ります。
 物語には書かれてませんが、<ぼく>はこの事故の近い過去に恋人との仲がこじれ、喧嘩別れのような状態になっているんじゃないでしょうか。
 そして不時着し、<ぼく>の表面的な意識の部分はこの生死に関わる問題に、現実的に対処しようとしているが、無意識の世界では彼女とのことでが気になってしょうがない。
 この心の分裂によって、王子様は<ぼく>から飛び出してきたのだと思います。
 ではきつねは何者でしょう?
 これが1番の難問でした。
 きつねは特別な存在です。まるで王子様の全てを見抜き、導く禅マスターのようです。
 単に「賢者」の象徴だとすれば、ふくろうや猿のほうがふさわしいはずです。
 きつねは賢いと言うよりも、ずる賢いイメージです。
 この物語の中からは結局分りませんでした。
 しかし、サンテグジュペリの生涯にまで視野を広げれば答えが見えてきます。
 彼にとってジュビー岬での日々は「生涯で最も幸せな日々だった」と回想しているように、とても思い出深いものです。そして砂漠についてのイメージもここで培われました。
 インターネットで調べたところによると、西サハラのジュビー岬には今でもスナギツネと呼ばれるきつねが多く棲んでいるようです。サンテグジュペリがそこにいたころはもっと数が多かったそうです。
 彼のなかで砂漠ときつねが結びついていたとしても不思議じゃありません。
 きつねとは砂漠の象徴だと思うのです。
 つまり、砂漠に不時着してから、<ぼく>が機体の修理にいそしんでいる間、王子様は愛の問題について砂漠と会話していた、それがきつねのエピソードだと思います。
 しかし砂漠と会話するとはどうゆうことか、砂漠は何かがあるのではなく、なにもない場所です。
 そこで会話するということは、結局自分自身と会話し、自分の奥深くに沈み込んでゆく、と言うことです
 そして最も深い場所で答えをみつけた。
 一つの問題に解決の道筋をみつけた王子様は、もう一つの、生死と言う問題に<ぼく>と一緒に対処します。
 花との問題が人と人との問題だとすれば、こんどは人と自然、拡大解釈すれば人と世界との問題です。
 この世界は敵か味方か?
 なぜ一晩歩いたくらいで井戸を見つけられたのか?
 偶然ではありえません。
 井戸を見つけたのは明け方ですが、奇跡はすでにその夜のうちに起きていたとおもいます。
 井戸はその奇跡の結果、あるいは反射によって夜のうちに穴が開き、石が積みあがり、滑車と桶が現れた。
 <ぼく>は砂漠を見て「美しい」と言った。
 王子様が傍らにいなければ出なかった言葉だと思いますが、それは奇跡だった。
 なぜならそれは自分に死をもたらす風景だからです。
 <ぼく>は自分の利害に関係なく、この世界を肯定した。
その無条件の肯定、それがこの世界という名の砂漠の井戸なんじゃないでしょうか?
 もちろん、僕自身はそんな心境に達したことはありません。想像で言ってるだけです。

 「すべての美しいものは何かを隠している」
 このセリフはこの物語自身をも表現している。と思います。
 これまで謎解きをしてきましたが、まだ、大切な何かが隠れている、と感じます。
 何か、サンテグジュペリの人類に対する祈りのようなものを感じるのです。
 
 
 
  
   
 
 
 

星の王子様 9

2006-01-21 02:55:49 | Weblog
 倉橋由美子さんのあとがきによると、星の王子様は聖書とコーランの次に売れているそうです。
 そして、倉橋さんは他の二つはあまり良くない本なので一緒に並べるのは好きじゃない、と書かれてました。
 結構、危険な発言だと思います。倉橋さん度胸あります。
 また、表面的には難しくないけど、一歩踏み込むと謎と矛盾に満ちている、と言う点でも聖書と共通性があります。
 そこで僕なりに謎解きに挑戦してみました。
 念のために言っておきますが、文学作品は解釈に自由度があるのがいいところなので、今から書く解釈を強要するつもりはありません。ただ一つのアイディアとして提案するだけです。
 
 王子様は大蛇の絵を描いたころの<ぼく>そのものだと思います。
 そう考えるといろいろな事がうまく説明できるのです。
 まず、最初に登場したときに「羊の絵を描いてよ」といいます。
 王子様の星に行くと絵の羊が実体化してバオバブの芽を食べてくれるらしい。
 絵、つまりイメージが実体化する世界・・・それは心の中に他なりません。
 誰の心かといえば、<ぼく>しかいません。
 王子様が最後に死んだかどうか良く分らない消え方をしますが、あれは、<ぼく>が通常の世界に戻ることになったので自分も通常の居場所である、心の中に帰っていったのです。
 蛇に噛まれたのは別れの悲しみを表現した、とゆうことだとおもいます。
 人のいる場所から1000マイルも離れることによって水圧が消え、心のなかの住人が出てきたのでしょう。
 とすると、王子様がいた宇宙は<ぼく>の心の内宇宙であり、<うぬぼれや>や<酒飲み>なども、<ぼく>のこころを構成する一員だとゆうことになります。
 そう言えば<ぼく>が修理に夢中になってる時に、「君はまるで一日中机に向かって仕事してる男みたいだ!」と王子様に怒られてますが、その時まさにその男が<ぼく>の心の前面に出てきていたわけです。
 王子様が子供のころの<ぼく>なら、王様は年寄りになったときに現れるであろう、<ぼく>なのかもしれません。
 そうゆう、特に根拠は見当たらないのに、自分は偉大だと思い込んでる老人とゆうのは良く見かけるものです。
 無意味な規則に縛られる点灯夫
 問題から逃げることしか知らない酒飲み
 知識だけで全て分った気になってる地理学者
 などなど、これら愚かな人たちは誰の心にも住み着いているものです。

 このように考えることは、人のオカシイところをあげつらって笑うよりも、僕は好きです。

 では6歳の自分は砂漠で遭難している<ぼく>になにをいいにきたのでしょう?
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

星の王子様 8

2006-01-20 00:19:15 | Weblog
 その夜。
 二人で砂の上に座っていた。
 そこはちょうど一年前、王子様が地球に降り立った場所だった。
 「ねえ、分ってよあの花は弱い。僕には責任があるんだ。」
 王子様は震えてるようだった。そして少しためらってから立ち上がった。
 一歩踏み出した。僕は見てるしかなかった。
 彼の足元で黄色い影が走った。
 王子様は声もなく倒れた。

 あれから6年たった。
 王子様は無事自分の星に帰れたとおもう。
 なぜなら翌朝見たときにはもう彼の体はそこになかったから。それほど重い体ではなかったのだ。
 けれど一つだけ気がかりなことがある。
 彼にあげたひつじ用の口輪の絵に、固定するためのひもを描きわすれたのだ。
 あの花はだいじょうぶだろうか?
 この夜空の星ぼしのどこかにいるはずの花をひつじが食べてしまったかどうか?
 それはとても重要なことだ。

 あらすじ終わり。

 やっと終わった。なんでこんなに長くなってしまうんだろう?
 星の王子様でこれなら「戦争と平和」とかならどうなってしまうんだろう。ヤバイ気がします。
 
 では感想を書きます。
 Yさんがコメントで「あれ、こんな話だっけ」と(幸い肯定的な意味で)書かれているように、一度読まれたことがある方なら、僕のあらすじに違和感を覚えると思います。
 なぜなら「子供は…」「大人は…」と言うこの物語を最も特徴づける言い回しを全て避けるか、言い換えてるからです。
 例えば、王子様が王様の所を立ち去るときに、僕は
 「変な人だな、とおもった」と書きましたが、元は
 「大人って変だな」です。
 たった一人会っただけで結論早すぎ!じゃないですか?
 この物語はさっと読むと「子供は純粋で素直」「大人は不純で歪んでる」と言うメッセージだけが印象に残ります。
 自分に照らせば、そりゃ今は不純だけど、子供のころも充分歪んでた。
 だから、そうゆうのは安直だ、と思う人はこの本をパスしていくでしょう。
 しかし、この作品はシンボリックな登場人物がシンボリックなエピソードを綴っていく、物語よりは詩に近いものです。
 だから、<子供><大人>も具体的なそれらではなく、それらの本質にあるものを指していると思います。
 しかし、サンテグジュペリが生きていた当時ほともかく、現在ではこれらの表現は通用しないんじゃないでしょうか。
 なぜなら、今は子供は大人みたいだし、大人は子供みたいだからです。それがいいのか悪いのかわかりませんが。
 
 
 
  
   
 
 
 

 
  

星の王子様 7

2006-01-19 01:30:17 | Weblog
 飛行機が直らないまま8日経ってしまった。
 水が底をついた。
 「井戸を探しに行こうよ」
 王子様がピクニックにでも行くような感じで言った。
 それはほとんど可能性のないことだが、確かに行くしかなかった。
 当てずっぽうの方角へ歩き始め、夜になった。
 月明かりが砂丘を照らしている。
 「きれいだ」思わずつぶやいた。
 「砂漠がきれいなのはね、どこかに井戸をかくしているからなんだよ」
 ぼくは突然、疑問が解けて、びっくりした。
 子供のころ住んでいた家には、どこかに宝物が隠されていると言う伝説があった。
 古びてボロくなった家だったが、そのためにとても神秘的に見えたものだ。
 全ての美しいものは何かを隠しているものなのだ。

 夜が明けるころ、僕たちは井戸を見つけた。
 信じられないことだが、夢ではなかった。
 桶につながった綱を引っ張ると、滑車がきしんで音を立てた。
 引き上げた桶の中には透き通った水が波打ち、日光に反射してきらきら光った。
 僕たちは夢中で飲んだ。こんなおいしい水は飲んだことがなかった。
 「滑車が僕たちのために歌ってくれたね、光と水が踊ってくれたね」王子様が言った。
 「一輪の花や一杯の水の中にみんなが求めているものが見つかるんだよ」
 
 翌日の夕方、飛行機の修理を終えて井戸の場所に戻った。王子様が待っているはずだった。
 しかし、王子様は何故か崩れ残った塀に上り、地面に向かって何かしゃべっていた。
 「君は強い毒を持ってるんだね、長い時間苦しまないよね」
 地面を良くみると、そこに黄色い毒蛇がいた。
 僕は驚いて駆け寄ったが、蛇は瓦礫のすき間に潜りこんで逃げた。
 「蛇と何を話してたんだ!」
 「君の機械が直ってうれしいよ、君は家に帰れるね」
 「何故そのことを」
 「僕も家にかえるんだ、今日の夜に。でも僕のところは遠いからね、この体は重すぎて置いてかなくちゃならないんだ。」
 「僕は君の笑い声をもっと聞きたい」
 「これから星空を見上げる時、どこかの星に僕がいて笑ってると思ってみて。そうすれば全部の星が笑い出すから」
   
 

星の王子様 6

2006-01-17 02:09:05 | Weblog
 「仲良しじゃないってどうゆう意味?」
 「まだ心と心がつながり合ってないってことさ、俺にとってきみは大勢いる人間の一人に過ぎない。俺もその辺のきつねの一匹に過ぎない。でも心が通じ合えば君は世界で一人だけの君になり、俺も世界で一匹だけの俺になる。そうすれば俺は君の足音を聞くだけでわくわくするようになる」
 「じゃあ、どうすれば仲良しになれるの?」
 「それには時間をかけなくちゃならない。人間はせっかちだから友達ができないんだ。これから毎日同じ時間にここで会うことにしよう、最初は遠くからお互いチラチラ見るだけ、次の日はちょこっとだけ近づく、3日目は挨拶をかわす。そうやって徐々に距離を縮めていくんだ。するとだんだん君に会うのがまちどうしくなる!」
 そうやってふたりは仲良くなった。
 しかし王子様はすぐに出発しなければならなかった。
 「俺は寂しくなるよ」きつねは言った。
 「仲良しにならない方がよかたのかな?」
 「いや、これから小麦畑が君の髪の色にそまる季節の度に俺はうれしい気持ちになれるのさ、それからもう一度あのバラ園に行ってごらん、きっと違って見えるから」
 王子様はバラ園に行ってみると、確かにきつねの言う通りだった。
 そこに咲いていたには美しいだけで空っぽの花だった。
 自分の星にいた、眺めたり、世話をしたり、喧嘩をしたあの花とは似ても似つかないものだった。
 王子様はきつねのところに戻っていった。
 「君の言いたい事がわかったよ、悲しむ必要なんかなかったんだ」
 「目では何も見えない、心で見なくちゃ大切なものは見えないんだ」きつねは言った。
 「もう一つ大事なことは、心を通わせたものに対しては責任がある。きみはその花に責任がある」