まだ「永遠の愛に生きて」のつづきです。
ヘレンがはじめてルイスの学室を訪ねたとき、ルイスはたくさんのファンレターを誇らしく見せ、未発表の著作を読むように勧めます。
ファンレターはナルニア物語のファンの子供たちから毎日、平均15、6通きて、その全てに返事を出していたそうです。
ヘレンは著作を読んで、あなたは客観的なふりをして、現実と関わることから逃げている、高尚に構えることによって優越感に浸っている、と面とむかって非難します。
ヘレンはアメリカ人らしく、歯に衣着せずにものをいいます。・・・いくらなんでも率直すぎる気もしますが。
対照的にルイスは常に穏やかさと冷静さを崩しませんが、本心と喜怒哀楽を見せません。
はじめは反発しあう二人ですが、しだいにルイスはヘレンの率直さと快活さに惹かれていきます。
そんな頃、体の不調を感じたヘレンが医者に診てもらうと、不治の病であることが判明してしまいます。
それを知ったルイスは、自分が克服してこなかった課題が形を変え、もう一度突きつけられていることに気付きました。
ルイスは自分の気持ちを欺くべきではない、と決心し、ヘレンにプロポーズしました。
寝たきりになってしまうまで時間はあまりありません。
ふたりは幸せそのもののように買い物に出かけたり、ピクニックに行って、手作りのサンドウィッチを食べます。
しかしヘレンは言います。
「こんなに愛していいの?後がつらくなるのに・・・」
ルイスは答える代わりに遠くを見つめるような眼差しで微笑みます。
やがてヘレンはこの世を去っていきました。
その後は、ひたすら悲しみに暮れるルイスが映し出されます。
「一度目は逃げた・・・。二度目は・・・受け止める。」
暗い夕暮れのなかで、ルイスはただ、悲しみをかみ締めつづけます。
というストーリーです。
ある意味、とてもキリスト教的な考え方に基づいています。
神が全知全能である、という前提に立てばどんな悲劇も悲惨も、何かの間違いではありえず、神の深い意味があるはずだからです。それを否定したり、逃げたりすべきではないのです。
僕自身のことを言えば、つらいことや悲しいことは合理化して無理にでも納得することに馴れています。
愛する人の死と日常的なつらさを同列に言うことはできないかもしれませんが・・・。
物事は多面体なので、どんなことでも探せば必然的だったと言える側面や、肯定的に捉えられる側面があるものです。
しかし、このストーリーは悲しみから逃げてはいけない、受け止めなければ、そこから先に進めない、と言っています。
僕はクリスチャンではなく、理由もわかりませんが、このメッセージにはとても説得力と重さを感じます。
ヘレンがはじめてルイスの学室を訪ねたとき、ルイスはたくさんのファンレターを誇らしく見せ、未発表の著作を読むように勧めます。
ファンレターはナルニア物語のファンの子供たちから毎日、平均15、6通きて、その全てに返事を出していたそうです。
ヘレンは著作を読んで、あなたは客観的なふりをして、現実と関わることから逃げている、高尚に構えることによって優越感に浸っている、と面とむかって非難します。
ヘレンはアメリカ人らしく、歯に衣着せずにものをいいます。・・・いくらなんでも率直すぎる気もしますが。
対照的にルイスは常に穏やかさと冷静さを崩しませんが、本心と喜怒哀楽を見せません。
はじめは反発しあう二人ですが、しだいにルイスはヘレンの率直さと快活さに惹かれていきます。
そんな頃、体の不調を感じたヘレンが医者に診てもらうと、不治の病であることが判明してしまいます。
それを知ったルイスは、自分が克服してこなかった課題が形を変え、もう一度突きつけられていることに気付きました。
ルイスは自分の気持ちを欺くべきではない、と決心し、ヘレンにプロポーズしました。
寝たきりになってしまうまで時間はあまりありません。
ふたりは幸せそのもののように買い物に出かけたり、ピクニックに行って、手作りのサンドウィッチを食べます。
しかしヘレンは言います。
「こんなに愛していいの?後がつらくなるのに・・・」
ルイスは答える代わりに遠くを見つめるような眼差しで微笑みます。
やがてヘレンはこの世を去っていきました。
その後は、ひたすら悲しみに暮れるルイスが映し出されます。
「一度目は逃げた・・・。二度目は・・・受け止める。」
暗い夕暮れのなかで、ルイスはただ、悲しみをかみ締めつづけます。
というストーリーです。
ある意味、とてもキリスト教的な考え方に基づいています。
神が全知全能である、という前提に立てばどんな悲劇も悲惨も、何かの間違いではありえず、神の深い意味があるはずだからです。それを否定したり、逃げたりすべきではないのです。
僕自身のことを言えば、つらいことや悲しいことは合理化して無理にでも納得することに馴れています。
愛する人の死と日常的なつらさを同列に言うことはできないかもしれませんが・・・。
物事は多面体なので、どんなことでも探せば必然的だったと言える側面や、肯定的に捉えられる側面があるものです。
しかし、このストーリーは悲しみから逃げてはいけない、受け止めなければ、そこから先に進めない、と言っています。
僕はクリスチャンではなく、理由もわかりませんが、このメッセージにはとても説得力と重さを感じます。