echo garden

基本的に読書感想文です。

ナルニア国物語 ライオンと魔女 3

2006-02-27 23:55:45 | Weblog
 まだ「永遠の愛に生きて」のつづきです。
 ヘレンがはじめてルイスの学室を訪ねたとき、ルイスはたくさんのファンレターを誇らしく見せ、未発表の著作を読むように勧めます。
 ファンレターはナルニア物語のファンの子供たちから毎日、平均15、6通きて、その全てに返事を出していたそうです。
 ヘレンは著作を読んで、あなたは客観的なふりをして、現実と関わることから逃げている、高尚に構えることによって優越感に浸っている、と面とむかって非難します。
 ヘレンはアメリカ人らしく、歯に衣着せずにものをいいます。・・・いくらなんでも率直すぎる気もしますが。
 対照的にルイスは常に穏やかさと冷静さを崩しませんが、本心と喜怒哀楽を見せません。
 はじめは反発しあう二人ですが、しだいにルイスはヘレンの率直さと快活さに惹かれていきます。
 そんな頃、体の不調を感じたヘレンが医者に診てもらうと、不治の病であることが判明してしまいます。
 それを知ったルイスは、自分が克服してこなかった課題が形を変え、もう一度突きつけられていることに気付きました。
 ルイスは自分の気持ちを欺くべきではない、と決心し、ヘレンにプロポーズしました。
 寝たきりになってしまうまで時間はあまりありません。
 ふたりは幸せそのもののように買い物に出かけたり、ピクニックに行って、手作りのサンドウィッチを食べます。
 しかしヘレンは言います。
 「こんなに愛していいの?後がつらくなるのに・・・」
 ルイスは答える代わりに遠くを見つめるような眼差しで微笑みます。
 やがてヘレンはこの世を去っていきました。
 その後は、ひたすら悲しみに暮れるルイスが映し出されます。
 「一度目は逃げた・・・。二度目は・・・受け止める。」
 暗い夕暮れのなかで、ルイスはただ、悲しみをかみ締めつづけます。

 というストーリーです。
 ある意味、とてもキリスト教的な考え方に基づいています。
 神が全知全能である、という前提に立てばどんな悲劇も悲惨も、何かの間違いではありえず、神の深い意味があるはずだからです。それを否定したり、逃げたりすべきではないのです。
 僕自身のことを言えば、つらいことや悲しいことは合理化して無理にでも納得することに馴れています。
 愛する人の死と日常的なつらさを同列に言うことはできないかもしれませんが・・・。
 物事は多面体なので、どんなことでも探せば必然的だったと言える側面や、肯定的に捉えられる側面があるものです。
 しかし、このストーリーは悲しみから逃げてはいけない、受け止めなければ、そこから先に進めない、と言っています。
 僕はクリスチャンではなく、理由もわかりませんが、このメッセージにはとても説得力と重さを感じます。
 
 
 
 

ナルニア国物語 ライオンと魔女 2

2006-02-27 19:27:36 | Weblog
 話がライオンと魔女からずれていきますが、「永遠の愛に生きて」について憶えてることと、僕が思ったことを書きます。
 昔のことなので、断片的で、ディテールは不正確ですが。

 まずオープニングで<ShadowLands>という原題のタイトルと緑におおわれた、うねるような起伏の大地が映し出されます。
 それはルイスの故郷のアイルランド島の景色だと思います。ルイスはイギリス領北アイルランドのベルファスト出身です。
 ドラムリンと呼ばれる、氷河の侵食作用によって形成された、丘ともいえないようななだらかな丘が連続する風景は、アイルランド独特のものです。
 その緑の大地を雲の影がはうように移動していきます。
 薄い雲や濃い雲、大きい、小さいの差はありますが、絶えることなく次々に流れてゆき、けっして日の光に照らされることはありません。まさに影の大地です。
 人間ならこんな陰気な場所は歩いて逃げれば良いわけですが、植物はそれでも日光の少なさに耐えながら、生き抜くしかないでしょう。
 しかし、人間の自由もじつは、植物なみでしかないかもしれないのです。
 僕は運命論者ではありませんが、人生は自分の自由にならないことに大きく左右されるのは事実です。
 たとえば、生まれた場所、時代、人との出会い、自分の性格、経済的な環境など、ほとんど決定的な影響をその人に及ぼします。
 では、もしあたえられた「運命」が自分に暖かいものでなかったら、例えれば、自分がShadowLandsに根づいてしまった草だったとしたら・・・

 ルイスが教会か、集会所のようなところで、悲しみにくれる聴衆を前に演説をする場面があります。
 彼らが悲しんでいるのは、近い過去に、その地域の児童をのせたスクール・バスが事故を起こし、彼らの子供たちが数十人犠牲になったからです。
 ルイスはいいます。
 
 ・・・我々はこのような疑問を持たざるをえません、
 その日、その時刻、神は一体なにをしていたのか?と。
 神はつねに我々を見守り、助けてくださるのではなかったのか?
 その時間にかぎって散歩にでも出かけていたのか?
 そうではありません。
 ・・・残された我々はこの悲しみを受け止め、乗り越えなければなりません。
 神が望まれておるのは、我々の幸福ではなく、
 我々の成長なのです。

 ルイスは大学教授、ファンタジー作家、エッセイストなど様々な顔がありますが、何よりも第一に神学者でした。
 20世紀最高の神学者といわれるカール・バルトと激しい論争を起こしたこともあるほどです。僕はよく知りませんが。
 だから、このように牧師のように神について語ります。
 ルイスの主張は立派です。しかしルイス自身は悲しみを受け止めないまま、老境に至ってしまっているのです。
 1899年、ルイスが10歳のとき、母親が癌でこの世を去りました。
 とても聡明で陽気な母で一家の太陽のような存在でした。父親はその精神的痛手から生涯立ち直ることができませんでした。
 しかしルイスは母の葬儀のときでさえ、無表情に感情を封印して、悲しむことを拒否しました。

 この画像は2,3週間前の琵琶湖です。森新一が出てきそうな風景です。
  

ナルニア国物語 ライオンと魔女 1

2006-02-27 10:54:58 | Weblog
 ナルニア国ものがたりについて書きます。
 世間では映画公開にともなうブームに乗って、テレビやインターネットにナルニア情報が氾濫しています。
 それによって、にわかナルニア読者が急増し、ブーム以前からのナルニア・ファンにとっては片腹痛い状況です。
 と、いう僕も実は最近までその存在すら知りませんでした。本もコンビニで買ってしまいました。
 以前、コメントでナルニアや翻訳者の瀬田貞二さんのことを教えられても、誰だろう、と思ってました。ははは。
 しかし、今回読んだり、作者のC・Sルイスのことを調べてるうちに、昔みた映画「永遠の愛に生きて」(1993年公開)の主人公がC・Sルイスだと知って急に親近感がわきました。あれは格調高い映像とふかいテーマをもった印象に残る映画でした。
 非常な恥ずかしがりであり、はにかみ屋であったルイスは64年の生涯をほぼ独身で通しました。
 唯一の例外は1957年からの3年間ユダヤ系アメリカ人のヘレン・ジョイ・デヴィッドマン・グレシャム(長い!)との「普通でない」結婚生活でした。
 ヘレンは自身も詩人であり、ルイスの愛読者でもありました。
 このときルイスはすでに59歳で、ケンブリッジ大学教授の職にあり、ナルニア国物語全7巻を書き上げた直後で、しかもシリーズ最後の「さいごの戦い」がイギリスで最も権威ある児童文学賞、カーネギー賞を受賞して、いわゆる、「功成り名を遂げた」という状況でした。
 しかし、ユダヤ人であり、共産主義者であり、離婚暦のある彼女との結婚は周囲からの非難を浴び、指輪物語の作者で、<インクリングス>の同志でもある、J・R・Rトールキンにも断交されました。
 僕の乏しい知識では分りませんが、トールキンが彼女のどこが許せなかったのか気になります。
 尤も、この結婚は当初はヘレンがイギリス国籍をとるために便宜上するつもりのものでした。
 しかし、彼女が骨髄癌に侵されたことを契機に親交が深まり、結婚式も病院のベッドの上でおこなわれました。
 そして短くても深く愛し合った3年間ののち、ヘレンは他界しました。

 これが映画のもとになったエピソードです。
 
 この画像の鳥は長浜の白壁スクェアにありました。あおさぎ?
 

宮澤賢治 「狼森と笊森、盗森」 2

2006-02-17 01:27:55 | Weblog
 次の年は畑を広げ、馬糞や枯れ草をうめたのでたくさんの収穫がありました。
 <ところが、ある霜柱のたったつめたい朝でした。>
 みながいつものように畑に行こうとすると、農具が全部なくなっていました。
 どこを探しても見つからないので、狼森に行きました。
 <すると、すぐ狼が九匹でてきて、みんなまじめな顔して、手をせわしくふって言いました。「無い無い、決して無い無い、他をさがして無かったらもう一度おいで」>
 みんなは尤もだと思って、西の笊森に行きました。
 森の奥に入っていくと、古い柏の木の下に、木で編んだおおきな笊が伏せてありました。
 怪しいと思って開けてみると、中になくなった農具がならべて置いてありました。
 <それどころではなく、まんなかには黄金色の目をした、顔の真っ赤な山男が、あぐらをかいて座っていました。そしてみんなを見ると、大きな口をあけてバァ、と言いました。>
 百姓たちはびくともしないで、山男をしかりました。
 <山男はたいへん恐縮したようで、頭をかいて立って居りました。>
 みなが農具を持って帰ろうとすると、
 <「おらさも粟もち持ってきてくろよ、」と叫んでくるりと向こうを向いて、手で頭をかくして、森のもっと奥に走っていきました。>
 みなはあっはっはと笑いました。もちろん、あとで狼森と笊森に、粟もちを持っていってやりました。
 
 次の年は平らなところはすべて畑になりました。
 秋の実りはたいへんなものでした。
 そしてやはり不思議なことが起こったのです。
 <ある、霧の一面においた朝、納屋の粟がみんななくなっていました。>
 みんなは森に探しに行きました。
 すると狼たちも、山男も、もう森の前に出て待っていて、にやにやしながら俺たちじゃないよ、今日も粟もちだ、といいました。
 北の黒坂森にいくと、
 <「おれは明け方、まっ黒な大きな足が、空を北にとんで行くのを見た。」>
 と言うので、もっと北に行って、松のまっ黒な盗森のなかにはいって「さぁ、おらたちの粟を返せ、」とどなりました。
 <すると森の奥から、まっくろな手の長い、大きな男がでてきて、まるでさけるような声で云いました。「なんだと、おれを盗人だと、そうゆうやつは、みんな叩き潰してやるぞ」>
 みんなは負けずに「黒坂森が証人だ」と叫びました。
 <「あいつの云うことはあてにならん、ならん、ならん、ならんぞ、畜生、」>と盗森は叫び返しました。 
 みんな恐ろしくなって引き返そうか、と顔を見合わせたとき、突然頭上から声が響きました。
 「いやいや、それはならん、」
 盗森は頭をかかえて地面に倒れました。
 声の主は銀の冠を戴いた岩手山でした。
 <「ぬすとは確かに盗森に相違ない。おれは明け方、東のそらのあかりと、西の月の明かりとで確かにそれを見届けた。しかしみんなもう帰ってよかろう、粟はきっと返させよう。だから悪く思わんでおけ、一体盗森は、自分で粟もちをこさえてみたくてたまらなかったのだ。それで粟も盗んできたのだ。ほっはっは。」>
 みなはあっけにとられたまま家に帰ると、粟はたしかに納屋にもどっていました。
 <そこでみんなは笑って粟もちをこしらえて、四つの森に持っていきました。>
 <さて、それから森はすっかりみんなの友だちでした。そして毎年、冬のはじめにはきっと粟もちを貰いました。>

 あらすじ?終わり。
 
 
 

宮澤賢治 「狼森と笊森、盗森」 1

2006-02-16 01:08:18 | Weblog
 賢治スケッチその1 

 宮澤賢治は37年の短い生涯のなかで一冊だけ童話集を出版しました。
 この狼森と笊森、盗森も含む「注文の多い料理店」です。
 イーハトーヴ童話と銘打たれていました。
 出版元は賢治の盛岡農林高等学校の1年後輩の、及川四郎が経営者である光原社です。社名の名付け親は賢治です。
 及川は原稿を良く読むこともせず、出版を決めました。
 当初、シリーズ化を目論んでいましたが、反響はほとんどなく、2冊目がでることはありませんでした。

 盛岡市にある光原社は現在も続いていますが、出版社ではなくお土産もの屋に変わっています。
 その前の通りは「イーハトーブ・アヴェニュー」という名前になって、賢治の坐像をはじめ、様々な賢治作品にちなむオブジェが置かれているそうです。

 あらすじ

 これからあらすじをかきますが、原文からの抜書きを多く使おうとおもいます。
 <これらのわたくしのおはなしは、みんな林や野原や鉄道線路やらで、虹や月明かりからもらってきたものです。>
 <かしわ林の青い夕方を、ひとりで通りかかったり、十一月の山のかぜの中をふるえながらたっていますと、>ひとりでに涌いてきた言葉の数々が本当にユニークでうつくしいからです。

 岩手山のふもとに4つの森にかこまれた野原がありました。
 <ある年の秋、水のように冷たいすきとおる風が、柏の枯葉をさらさらならし、岩手山の銀の冠には、雲のかげがくっきりうつっている日でした。>
 4人の百姓がそれぞれの家族をつれて歩いてきました。
 <男たちはてんでに好きな方向を向いて、声をそろえて叫びました。>
 <「ここへ畑おこしてもいいかあ。」>
 <「いいぞお。」森がいっせいに答えました。>
 <次の日から、森はその人たちのきちがいのようになって、働いているのを見ました。>
 まもなく冬が来て、一面の雪になりました。
 森はかれらのために冷たい北風を防いでやりました。
 春になり、小さな畑に蕎麦や、稗が植えられました。
 なんとか秋に穀物が実ったとき、嬉しさで大人たちまで跳ね回りました。

 <ところが、土の堅く凍った朝でした。九人の子供のなかの四人がどうしたのか、夜の間に見えなくなっていたのです。>
 みんなはまず、1番近い狼森にいきました。
 <森へ入りますと、すぐしめったつめたい風と朽ち葉のにおいが、すっと皆をおそいました。>
 <森の奥のほうでパチパチ音がしました。>
 <そっちへ行ってみますと、透きとおったばら色の火がどんどん燃えていて、狼が九匹、くるくる、火のまわりを踊ってかけ歩いているのでした。>
 もっと近づくと、いなくなった子供が4人とも、火に向かって、栗や初茸を食べていました。
 <「狼どの、狼どの、童しゃどかえしてくろ、」>
 狼たちはびっくりして、お互いきょろきょろしていましたが、一斉に森のおくへ逃げていきました。
 <「悪く思わないでくろ、栗だの茸だの、うんとご馳走したぞ」と叫ぶのが聞こえました。>
 <みんなはうちに帰ってから粟もちをこしらえて、お礼に狼森に置いてきました。>