掌編な小説

愛と死を題材としたものだけを載せました。感想をいただければ幸いです。長編は苦手。少しずつですが、続きを書いていきます。

不確定性原理

2018年09月01日 | 掌編小説

 箪笥{たんす}の抽斗{ひきだし}にしまっておいたものがなくなっている。
 彼だ!と由宇佳里{ゆうかり}はとっさに思った。他の抽斗を探したが、
どこにもなかった。
(でもそんなはずは…)とも思う。
 白い封筒に入った書類。役所に出して受付られた日から有効となる。彼
が名前を書いて三文判を押したことになっている。実際は由宇佳里が筆跡
を変え、彼の名前を書いて印鑑を押した。勿論自分の名前の枠にも自分の
名を書き、自分の印鑑を押印した。正式な婚姻届である。
 それがなくなっている。
(彼以外に誰が持ち出せるんだろう)
 でも、彼であるはずはなかった。なぜならもう彼は亡くなっているから
である。
(あの時、彼の抵抗はあったが、確かに私は彼を殺した。鈍器で頭を打ち
付け、ショック死したはず。そして死体は床下に遺棄した)
 由宇佳里は不思議でたまらなかった。由宇佳里の家を知っている者は、
彼以外はいるはずはない。彼女の知り合いで訪ねてくる人もいない。二人
で住んでいたこの一軒家は、街はずれの一角にあり、二人共人里離れて逼
塞していた。床下の死体の腐敗臭も他人には気ならないだろうと高を括っ
ていた。
 でも、一日たって、やはり腐敗臭のことが気になる。ばれたらどうしよ
うと思った。由宇佳里は勇気を振り絞って床を再び開けてみた。
 彼の死体は消えていた。
 誰かが持ち去ったのか、それとも自分で…と疑念を持った。

 彼は目を見開いた。気が付くと真っ暗な所だ。(ここはどこなんだ?)
這って這って光のある場所を見つけ、ようやく床下を抜け出した。
 彼の名は陽一郎。まあ同棲というか、由宇佳里と一緒に暮らしている。
それが最近、由宇佳里の方から結婚を迫られていた。でも陽一郎の考えと
は違っていた。結婚なんてまだする気はない。便宜上一緒に住んでいるだ
けだ。由宇佳里の求婚に、(そうだな、近いうち…)と、曖昧に答えていたの
だった。
(それを、あいつ…俺を殺し、遺棄した。復讐する前に、あいつに何か怨み
ごとの一つも言ってやらないと気が治まらない。復讐はその後だ)
彼は思い出した。
(彼女は俺が死んだと思い込んでいる。それを利用するんだ)
陽一郎は彼女の留守中に家の中に入り、驚かせてやれと、部屋で何食わ
ぬ顔で座って帰りを待った。
 由宇佳里が帰ってきた。彼が黙って彼女の 目を見ても、目を合わそうと
しない。
「おい、何とか言えよ、無視するなよ」
そう言っても何も答えない。
「俺を殺そうとしておいて、なんだその態度は。おい、何とか言えよ」と、
幾分か強く肩をはね除けようとしたが、肩透かしをくらってしまった。
文字通り肩透かしだった。抵抗もなくすり抜けた。いくら彼女に触れよ
うとしても触れることができない。何度やっても手が当たらない。また、
声も聞こえていないようだ。
(ひょっとして、由宇佳里には 、俺が見えてないのか?)
(これって、俺、やっぱり死んでいるんだ。そういえば床下で気が付いた
とき、妙に体が軽かった。由宇佳里、俺幽霊になってしまったよ~)

由宇佳里は部屋に帰って来て驚いた。 陽一郎がいる!生きていたのか。
どんな復讐が待っているのか、気が気ではなかった。取り敢えず無視する
ことにした。彼は私が口を利かないので、憤慨しているようだった。
(彼が私を叩こうとしたが、手をすり抜けた。幽霊になったって叫んでいた。
私は幽霊を目の前にしている。ひょっとして、私が幽霊なのかも。死んでい
るのは私?彼?あの時私は確かに彼を殺した。そして婚姻届を丸めて投げ付
けた。その時彼に反撃されたことは覚えている)
由宇佳里は考えて結論を導きだした。
 そうか、二人共既に死んでいるんだ。
                (終)


ふたつめの遺言書

2018年08月03日 | 掌編小説

 祖父の遺言書があることは知らされていた。
 自分が死亡するとすぐに、棚の引き出しに書いて入れてあるから読みなさいと言われていた。祖母が去年亡くな
り、両親は兄が3歳、私が生まれるとすぐに交通事故で亡くなった。我々兄妹は祖父と祖母に育てられたのだ。
 祖父は祖母が亡くなるとすぐに具合を悪くし、入院となった。兄とそして妹である私の二人の孫に看取られ、安堵
した祖父は最期を飾った。死亡理由は心不全だが、百歳近くまで生存したので、大往生だと言えるかもしれない。
 兄はもう40歳を過ぎており、私も30歳代だがアラフォー世代だ。二人とも未だ独身だった。遺言書は我々たった
二人の家族にあてたものであることはわかりきっていた。
 祖父を見送り、葬儀の前に兄妹で早速開いてみた。古い封筒に遺言と書かれてあったので、随分前に書かれたの
であることは想像できた。日付を見ると相当前に書かれたものらしい。

遺言書 久堂朋英{くどうともよし}、久堂夏南枝{くどうかなえ}両孫殿(これは我々の名前である) 

一、葬式、葬儀その他それに準ずる告別式等はしないこと。

一、死亡時変死体であるとき解剖の必要性があれば拒否しないこと。自然死・病死であればそのまま死亡診断証を
  作成されたし。

一、棺は安価なものにすること。段ボールでも構わない。しかるべき火葬場で火葬し、拾骨はしないこと。また、
  納骨・散骨等もしないこと。

一、墓は建てないこと。また位牌も作らないこと。

一、財産は無いに等しいが、もしあればお前たちの他に血のつながりのある者は居ないので、法定通りに分配す
  ること。マイナスの遺産であれば相続放棄して良い。

一、私とかかわった時間や思い出は忘れ去ること。しかし、一年に一度くらいは思い出しても構わない。

一、とにかく私はこの世に存在しなかったものとして、兄妹息災でいてほしい。輪廻を信ずるものとしてはそうで
  なくてはならない。私は生まれ変わり、時々お前たちに会いに訪れるかもしれない。その時は私と分かってい
  ても、知らないふりをしてほしい。
以上 

 書面の右下に祖父の名前、久堂源一郎と書かれ、祖父の印鑑がある。
「えっ?これだけ……?」
兄が虚を衝かれたような声で言い放った。
 私もはじめはびっくりしたが、祖父の思っていたことがわかるような気がした。祖父は人の前に出て何かを指揮
するような人ではなかった。ただ、陰で人に尽くすような人であった。家でもリーダーシップは発揮しなかった。
これは一般的には悪いように思われがちだが、兄も私も好きなように子供時代を過ごさせてくれた。兄はそこそこ
受験勉強をしていたようだが、私はあまり勉強もせず、二人は別々の国立大学の医学部に合格できた。卒業後二人
とも外科医としてそれぞれの母校の大学病院に残ったが、兄は現在名の知れた大病院のたいそうな役職をもらって
いる。
「じいさん何考えてんだ」
私は兄が祖父のことを「じいさん」と呼んだことがないのに…。と恨めしく思った。
 祖父の遺言通り葬式はしなかったが、初七日の法要はするなとは書いてなかったた為、家族だけで初七日だけは
することになった。家族といっても祖父の子の兄弟は居ず、実子の父は一人っ子。母はすでに他界していたので、
家族は我々兄妹二人りしかいない。母の妹(つまり叔母さん)はいたが、ずいぶん前から体を悪くして病院を入退
院を繰り返しているという。仕方なく、兄妹だけの初七日となってしまった。
 その日の午後に祖父の知り合いで、茅原という初老の弁護士がやって来るとのことだった。連絡は受けていたが、何のことのか
わからなかったので、二人とも多少の不安は隠せなかった。
 しばらくして、静寂に包まれた中、茅原は現われた。
「お二人共お初にお目にかかります。私はあなた方の祖父に当たる久堂源一郎様にお世話になったことがあります
弁護士の茅原と申します」
「じいさんがあなたにどんな世話をしたんですか?」
「兄さん!」
私は兄の突然の失礼を嗜めた。
「お二人とも、まあまあ。私が現在ここにいるのは源一郎様のお陰でございます。それは後ほど…今日伺ったのは、
源一郎様の訃報を受け、そして四十九日の法要をしないとの知らせを同時に受けたからです。ですから居ても立っ
てもおられず、馳せ参じた次第です。
「いったい誰から知らせを受けたんですか?」兄が執拗に訊いた。
「それは後ほど…私は源一郎様から遺言書を預かっております」
「え?」
「え?」
私たちは同時に声を上げた。
「最新の公正証書です」と、茅原弁護士は重々しく、且つ意味ありげな口調でそう言った。
日付を見ると最近作成されたようだ。
茅原は「読み上げましょうか?」
と、訊いてきたので、私達はそうしてもらうことにした。
「わかりました。ここに何が書いてあっても慌てることなく、冷静な態度でご配慮いただければと思います」
(随分ともったいぶった言い方だな)と兄は思っているに違いない。私も同じようにそう思った。
「わかっています。我々も子供じゃありませんので…」
と、兄が言った。
 「それでは読み上げます。『遺言の書、孫たちよ訊いてくれ。遺産その他はないものと思っている。ただ、ある
のは昔から住んでいる今の家と土地。私が20年ほど前になろうか、どこかの祭りの骨董市で手に入れた安物の骨
董品の皿と壷だけだ。気に入ってずっと手放したくなかった。また養女にした芙美子のこともある。』」
「ちょっと待って!その芙美子さんって誰ですか?」
今度は私が取り乱したように言った。
「お驚きも当然と思いますがまず書いてあることを読み終わって、それは後ほど…」
私はさっきから感じていた、どこから来ているか分からない違和感、頭のどこかにあるような妙な記憶を感じてい
た。でも、どうしても思い出せない。
「では、続きを…『芙美子と言えば皆はっきり覚えていないかも知れない。芙美子は私の今は亡き息子の嫁の妹だ。
幼い時から病気がちで現在はどこかで療養していることだろう。詳しくは茅原弁護士に訊いてほしい。私は芙美子
には本当に迷惑をかけた。元来お前たちの母方の家は貧乏で質素な家であった。それを見かねて、私は芙美子を養
女にし、引き取った。養女と言う名目の結婚かも知れぬ。そこはいろいろと勘ぐってもらってもかまわない。しかし、
我々は純愛だった。結婚という形をとれなかったのは私にはすでに別居はしていたが、お前たちでいう祖母――女房が
居たし、世間の目を芙美子が恐れたからだった。そして、私の法律上の養女とした。我々の関係は女房は勿論、世
間にも内緒の秘密の関係だった。
 それからしばらくは平穏な日々が続いた。そんな時だった。誘拐事件が起こったのは。お前達二人を誘拐した何
者かは、多額の身代金を要求してきた。今の金額にすれば相当な額になっただろう。私は警察には連絡せず知り合
いの茅原氏に相談した。茅原はてきぱきと犯人の要求通りに対応した。そしてお前達孫は解放された。
 茅原がどんな手段でお前たちを解放させたかは訊かないことにした。きっと正しい手段で行ったりはしなかった
だろう。茅原はそういう男だ。
 その後茅原氏は芙美子を嫁に欲しいと言ってきたのだ。芙美子は(甥と姪を救うのに尽力を受けた人の願いは断
われない)と言った。そうして芙美子は茅原のもとに嫁いだのだった。私は死ぬほど悲しく、愛おしかった、たっ
たひとつのものをなくしたような気がした。
 そうしてるうち別居をしていた女房が帰ってきた。一緒に生活をするには、互いに憐憫の情があったのかもしれない。
家族4人で何とか暮らしていくうち、誘拐事件はなかったかのように再び平穏に時は流れていった。そして今‥‥』」
「ちょっと待ってください、茅原さん」
「なんでしょうか?夏南枝さん」
「私、叔母さんことは微かに覚えています。それが突然いなくなったのは、あなたと結婚されたということですよね?」
「そのようだな。俺も今はじめて知ったよ」
普段おとなしく智慧のある兄が怪訝な表情で茅原を見た。
「実はそのことはご存知かと思っておりました。その経緯について詳しいことは後ほど…」
茅原は平常心を維持して、
「遺言書にはまだ続きがありますので、読み上げます。『思うことは、あの誘拐事件もそうだが、芙美子が幸せに
して過ごしているかということ。私が願うことは、嫁いだ先の茅原家と久堂家ともに助け合い、盛り上げ、前に書
いた遺言書もその通りにして欲しい。それだけである。以上』」
最後に日付・住所・名前・印鑑の押印がされてあった。まさに久堂源一郎の公正証書らしさが滲み出た文書だった。
 「私の妻、あなた方の叔母にあたる芙美子は今は身体を悪くして療養中ですが、幸せにしております。それから
私は芙美子を若い時から見初{みそ}めておりました。ですから数年前にこの遺言書の公証人であり、遺言執行者
であることから、本内容を読み、源一郎様の私に対する感情等は私は知っていました。芙美子が源一郎様とそう
いう関係だったことも少々驚愕はしましたが、何もないことにして考えないことにしました」
(そうだったのか)と、我々は茅原に少し同情した。
「それから財産分与ですが、この土地、家、骨董品の価値を調べさせてもらいました。土地は当時の地価が高騰し
何十倍もの価値があります。家の価値は古い家なので零に近い価値です。それから骨董品の2点の価値も専門家に
見てもらいました。相当の価値のあるものでした。それで、財産分与の割合が遺言書にはなかったので、相続人は
源一郎様の子、つまり養女の芙美子一人になります」
「我々孫には権利がないのかよ」兄が慌てた声で言った。
(なるほど、そういうことね)私は心の中でゆっくりとかみしめるように言った。
「法定相続人ではありませんので…。詳しい内容は後ほど…」

 「わかりました」私は静かに言った。
「ありがとうございます」茅原はさらに静かな声で言った。
「そうではないんです」今度は少し大きな声で言った。
「あの時の、昔まだ子供の私たち兄妹を誘拐した犯人が今分かったのです」
「お前何を言い出すんだ?」兄はかなり慌てていた。
「それは後ほど…よ。後ほど…という言葉、私たちが誘拐されていた時、犯人の顔はわからなかった。でも、その
『後ほど…』と言う口癖。あの時もたくさん発していた」
「そうか?俺はわからなかったけど…」
その時の兄に洞察力というものはなかったのであろう。
「茅原さん、先ほどから思い出せなかったけど、今、あの時の犯人はあなただと断言できます」
「すごい記憶力ですね、夏南枝さん。さすが外科医になられるほどの頭脳だ」
「俺も外科医なんだけど…」兄が申し訳なさそうに、誰に言うわけでもなく呟いた。
「ですがね、仮に私が犯人だとしても、未成年者略取及び誘拐罪は3ヶ月以上7年以下の懲役また、営利目的等略
取及び誘拐罪は1年以上10年以下の懲役。そのそれぞれによる時効は3年未満の懲役又は禁錮については5年、10
年以上の有期の懲役又は禁錮については、20年の時効ということになっています。誘拐は30年も前のこと、つま
りもう時効はとっくの昔に過ぎているんですよ」
「ところがセンセ、身の代金目的略取等の罪は無期又は3年以上の懲役、つまり無期懲役が十分考えられる。無期
の懲役又は禁錮については30年の時効ということを忘れているんじゃないですか?弁護士センセ!」
私は確かにこの初老の弁護士を揶揄していた。また、甘く見過ぎていた。
「はっはっは。やっぱり私は甘く見られていたんだ。先に言ったのは、法定刑が確定した後の話で、可能性の話で
はないんだな。それは刑の時効と言って、刑法第32条だ。外科医の大センセ」
私は悲しいくらいの下手をやらかしたのだ。私の拙い知識では太刀打ちできない。追い打ちをかけるように茅原は
手を緩めなかった。
「刑法第224.225条にも書いてあるが、これは刑罰であって、時効のことじゃない。普通時効と言っているのは控
訴時効のことで、身の代金目的略取・誘拐罪の公訴時効は5年だよ。30年というのは君の勉強不足だ。にわか法曹
家では的を射ておりませんね」
「なるほど、先ほどは私がからかわれただけだったんだ」
「からかうとはとんでもない。あなたが法律に詳しいようだから、ちょっと遊んであげただけですよ」

「今は参ったと言っておくけど、誘拐の罪は消えない」

 「待ってください」
だれかが部屋に入ってきた。
「芙美子!」茅原は驚いた。我々兄妹も驚きは隠せなかった。
「あなた、もうやめてください。私は久堂家の財産をもらおうとは思っていません。源一郎さんにはお世話をかけ
ました。その上まだ顔に泥をを塗るようなことはしたくありません。相続は放棄いたします」
芙美子は療養所を抜け出してきたようで、歩きもよろよろだった。
「まったくお前って奴は。もういい!」
と言って茅原は出て行ってしまった。出てゆく前に私がまた伝えたのは言うまでもない。
「誘拐の罪は償ってもらう」と。

 あたりが静かになった。もう誰も口にするものはいない。
 私が幼い時、芙美子叔母さんのことは覚えていた。ただ、忘れかけていた思い出を置き忘れていたのだ。
 兄はそういう私を不思議そうに見ていた。

          (終)


友達の銀次

2018年07月21日 | 掌編小説

 まぶしいくらい強く朝の日が差している。ずっと眠っていた感覚で、浩一は目を覚ました。
 何時間眠っていたかなんてわからない。昨日寝入ったのかな。覚えていない…。寝入った時間も今何時かさえも
わからない。
 浩一は時計を探した。体を起こして視線を上部にゆっくりと回転しながら動かす。どうもここは自分の部屋のようだ。
あらためて思った。忘れているのだと。何で自分はここにいるのかということを。
 半分ほど体を捻った時、浩一は声をあげた。父親が首を吊っていたのだ。
「え?な、何故?」声が恐怖でかすれた。
 部屋の隅には空のペットボトル、机の上には灰皿で何かを燃やした後がある。
 親父が死んでいる!?。何で首を吊ったのだろう。何で親父は自殺なんかしたんだろう。しかも俺の部屋で…。
浩一はなんら思い当たるふしがなかった。
 震えが生じた。そして冷や汗が出ていた。冷汗が出ているということは身体が死に至るような何か危険なことは起きた
という証拠だと、いつか見たテレビ番組、何とかジェネラルとか言ったか…で言っていた。とにかく昨日までの記憶はあ
るんだ。昨日この家に帰ってきて…そこまでは覚えている。
 それよりも親父が死んでいる。叫びたい衝動にかられた。
 下の玄関ドアをたたく音。鍵が開いているので開けて入ってきゃがった。
(誰だ!)
「お~い浩一ぃ〜、居んのかあ?」

 下からあほらしい声が聞こえた。この部屋まで上がってきやがった。あの声はヤク仲間の銀次だ。部屋のドアは開いてい

るのでズカズカと入ってきた。銀次はいつもそうだ。完全に自分の部屋だと思っていやがる。毎日は来ないが時々ヤクを
打つ為に浩一の部屋に来る。一つ下の風来坊だ。それ以上浩一は銀次のことを知らない。どこに住んでいるかも知らない。
しかし、知らなくていいのだ。ヤクを打てば帰って行く。そういう関係だ。
「な、なんなんだー」
銀次が叫んだ。
「親父さんどうして…」
「どうしてって、どうも縊死{いし}のようだ」
「縊死ってなんだ?自殺?殺人かもしれねえじゃん」
「まあな。それより、俺が昨日帰ってきたときから覚えてないんだ」
「覚えてない!?ひょっとしてお前…」
「だから、殺してないって。俺じゃないし、殺人でもねえよ。絞殺だとしたら絞殺痕の位置が違うし、扼殺としては吉川
線がない。首吊り自殺だ」
「お前よく知ってんな、そんなこと」
「まあな。とにかく親父を降ろしてやりたい。手伝ってくれないか」
銀次は手際よく手伝ってくれた。硬直はまだあったので、おそらく昨日亡くなったのだろうと浩一は思った。
「遺書はあったのか?」銀次が当然あるだろうみたいな口調で言った。
「わからん」
「わからんって、何も残さず死ぬような親父さんじゃないだろう」
「お前親父をよく知ってんのか?」
「ま、まあたまに来た時に会ったことはあるよ」
「多分そこの机にある燃やしカスが遺書だったんだろう。状況からすると俺が燃やした感じだな」
 浩一は覚えていない自分と、一縷の望みのないこの状態にどうしていいかわからなかった。誰かに助けて欲しかった。
でも、今ここに居るのは普段から頼りない銀次のみだ。そのことが一層浩一を落胆させた。
「銀次、俺は母親を殺した。狭心症発作が起きたとき、わざとニトロだと言って別の強心配糖体を飲ませた。母さんは
苦しんだ。吉川線ができないように手を抑えつけた。俺はまだ子供だったし、母さんは薬を間違えて飲んで死亡したと
いうことになった。でも、それはおれの計画的な仕業だった」
「それで吉川線を知っていたのか」
「遺書には多分そのことが書いてあったのだろう。親父は自分も死んで俺を殺そうと思った。それが昨日多分失敗した
んだよ」

 少しの時間が流れた。
「知っているよ」と銀次が言った。
「なんだって?」
「俺はもうヤク中じゃねえ。今お前と打っているのはコカルボキシラーゼを静脈注射しているだけだ。長い間かかった
が、ヤクはもう抜けているよ。それに親父さんがお前を殺そうとは思っていなかった。想像だが、息子殺しの失敗じゃ
ない」
「俺が打っているのは?」
「浩一が打っているのはまだ5回に1回はヤクだ。お前はまだ抜けてない」
「なぜそんなことをしている」
「親父さんに頼まれたからだ。お前のことは何もかも知っている。母親のことも訊いている」
「親父に訊いたのか?」
「俺は親父さんに恩がある。薬漬けで死んだも同然の俺を助けてくれた。コカルボキシラーゼを最初は10回に1回、
それをだんだん割合を増やしていって、ヤクから抜けさせてくれた」
「親父に?」
「俺は親父さんに頼まれた。お前がもし生きていたら、浩一を頼むってな」
 浩一はうつむいたふりをして涙を一滴落とした。

         (終)

 

(注)コカルボキシラーゼ(ビタミンB1の補酵素)でヘロイン等からは断ち切られられません。
   先に「本当の理由」を読んでもらうとありがたいです。


本当の理由

2018年07月21日 | 掌編小説

 浩一が戻って来たとき、家の中には誰もいる気配はなかった。
(親父のやつ、またどこかで飲んでいやがるんだな)
 時計の針はもう午前三時を回っている。
 浩一は、いつもこんなに遅くなって家に帰る。時には明け方を過ぎ、昼近くになることもある。毎日夜遊びしているからだ。
 彼は二年前に母に先立たれ、父と二人暮らしだった。そのころからぐれはじめ、万引き、深夜徘徊、窃盗、シンナー、暴走行為、淫行、etc…。ひと通りの悪さを経験し、現在も続いている。
 家に帰ると、すぐに台所に向かう。それが日課となっていた。冷蔵庫を開け、炭酸飲料水の入ったペットボトルを取り出し、喉の渇きを潤す。毎日そうしている。欠かしたことがない。
 浩一が飲もうと、ボトルに口をつけようとしたその時、二階からドスンという鈍い音、そのすぐ後にドアの開く音がしたような気がした。
(ん? おかしいな、誰もいない筈なのに……、親父か?)
 二階に人がいるような気がする。
「誰かいるのかー? 親父ー」
 返事はなかった。
 彼らの家は閑静な住宅街の外れの、こぢんまりとした一戸建てだが、父子二人暮しの女気のない家の中は、活気もなく、がらんとしていた。二階は浩一の部屋と物置になっている部屋があるだけだ。
(上に誰かいる!?)
 浩一は、ボトルを持ったまま、恐る恐る二階への階段を上がっていった。
 自分の部屋のドアが半分開いている。中は真っ暗だ。照明器具のスイッチを手で探りながら入れる。
 その光景を目の当たりにしたとたん、腰を抜かした。というより、体中の血の気が引いた。全身の力が抜け、手に持っていた炭酸飲料水のボトルが、辺りに落ちて転がり、その音が空しく部屋に響いた。
「親父ー、な、なんなんだよー」
 浩一は思わず涙声で言った。
 父は首を吊っていた。
 浩一の部屋の、ほぼ真ん中辺りの柱と天井との間に穴を開け、物干し用のロープを通し、縛り付け、たらしている。そのロープの先には、首に二重三重にも巻きつけた、だらりとなった父の体が、こちらを向いて少しだけ揺れている。
 椅子が倒れていた。おそらく踏み台にしたのだろう。ロープを首に巻きつけた後、蹴ったとみられる。その横に白い封筒があった。封筒には「遺書」と書かれてある。
 浩一はその遺書を見つけても、すぐに読む気になれなかった。神妙に読む気になったのは、一時間ほどの放心状態を脱してからであった。

 『浩一、おまえももう一七歳になるのだから、これから書いてあることを理解できると思う。どうやらこれが父親として、息子に残す遺書になるようだ。
 私は考え、悩み抜いた結果、おまえに死んでもらうことにした。心配しなくていい、おまえ一人を死なせはしない。私も一緒にあの世に行こう。ただ、私の方が一足先に行っている。それだけの違いだ。
 この遺書を読み終える頃には、おまえが帰ってきた時にすぐに飲んだペットボトルの中の薬が効きはじめることだろう。おまえはいつも遅くなって帰り、決まって冷蔵庫の中の飲み物を飲む。だからその中に、私が病院でいつも貰っている糖尿病の薬と睡眠薬を、全部溶かして入れておいた。低血糖を起こして意識がなくなるのが速いか、睡眠導入の作用が現れるのが速いかは分からないが、どちらにしろ、永遠の眠りにつくことだろう。それがおまえにとって、一番楽な死に方だと思った。悪く思わないでくれ。――といっても、おまえは許さないだろうな。』
(親父の野郎、何てことしやがるんだ。たまたま今日これを、まだ飲んでなかったから、助かったようなものの、危く死んじまってたところだったぜ)
 足の辺りを触ってみるとまだ暖かい。硬直も起きてないことから、浩一が帰る直前に自殺を決行したに違いない。浩一は、父の弛緩した遺体と、思わず二階まで持って上がったボトルを見比べるようにしながら、胸を撫で下ろし、続きを読んだ。

 『生前の母さんの言っていたことを覚えているか? 母さんは、浩一が一人前になって、自分の病気も治って…、そうなったら一番いいのに…。いつもそう言っていた。自分が心臓を悪くして、家族に迷惑をかけて申し訳ない…。そうも言っていた。
 自らの死期を感じとっていたのだろう、生きているうちに、おまえが立派な人間に育つようにと、望みを託した。しかし、そんな母さんの切実な願いとは裏腹に、おまえはどんどん悪くなっていった。学校を無断で休むようになり、おまえのいう親友の家で、煙草を吸ったり、酒を飲んだりしていたのだ。そのうち、ろくでもない奴らとも付き合うようになった。警察に何回も補導され、遂には逮捕され、家裁送りにもなった。
 そんな時だ、母さんに心臓発作が起きたのは。私は、妻の死に水も取れず、そのまま逝かれてしまった。』
(何言ってやがるんだ、仕事仕事で、家庭を、家族を顧みなかったくせに…)

 『葬儀にも出なかったおまえは、よそで遊び歩いていた。初七日が終わって、やっと帰ってきたと思ったら、家中の金を持ち出し、また出て行った。
 それからというもの、おまえはまるで谷底へ転落するように、悪の道へと堕落の一途を辿っていった。
 そして今、おまえ、麻薬やっているな。毎日毎日遅くなって帰ってきて、真っ先に冷蔵庫の中の飲み物を飲んでいる。そんなに喉が渇くか? 口渇は麻薬常習者の特徴だからな。その光景を何度も目撃していると、おまえは治らない、おまえは更生しない。そう確信せざるを得ない。親族の名折れ、人間の恥さらしだ』
「そうさ、そうなんだよ。俺はもう治らねぇんだよ…。だけど、だけどそうだからって、俺を殺そうとするこたあねえだろ?」
 浩一は、息もとうに絶えた父に向かって、訴えるように言った。

 『おまえは充分過ぎるほど、つまり「死」に値するほど、人に迷惑をかけてきた。
 でも、おまえを殺す本当の理由はそんなことじゃない。
 浩一、おまえ、故意に母さんを--妻を殺したんだろう?
 おまえは普段から母さんに喧しいくらいにいろいろと言われるのを、疎ましく思っていた。いなくなればいいと思った。母さんに対して、おまえの中に殺意がなかったとは言わせない。
 後の警察の事情聴取で、おまえは母さんに狭心症の発作が起きた時、心臓の薬を間違えて飲ませたと言った。死亡を確認に来てもらった医師にもそう言った。
 しかし、それは嘘だ。血を分けたこの父には、誤魔化しがきかない。
 母さんが発作で苦しんでいる時、ニトログリセリンでなく、強心薬のジギトキシンを飲ませようとした。生憎、母さんはすぐには飲まなかった。なぜなら、狭心症発作薬のニトログリセリンは舌下錠だからだ。それでも、ジギトキシンは速やかに口腔粘膜から吸収された。ジギタリス中毒というのを起こし、母さんは死んだ。死因は急性心不全。強心薬と狭心症の薬、発音は似ているが、別の薬だ。おまえは、その言い訳が通ることを狙っていた。警察も、医師も、子供のおまえの言うことを信じた』
(……)

 『私がどれだけ妻を愛していたか、おまえに解るか? 自分の生命を賭してまでも、おまえを、息子を殺す理由が解るか?
 父より』
 一応ここで遺書は終わっていたが、後で付け加えたとみられる一文が、最後の一枚に記されてあった。

 『もしかしたらこの遺書を読んでいるおまえは、冷蔵庫の中の毒を飲んでいないかもしれない。いいか、これは賭けだ。もし飲んでいなければ、まっとうに妻と私の分まで生きていってくれ。頼む。      父より』
(親父……、俺に後戻りができるってのか? どこまでお人好しなんだよ。でも…、偶然とはいえ、まだ俺は生きてるんだ。死んじゃいない。親父がドアを閉め忘れてたから、俺は開く音に気付いて……。まてよ、親父、わざと半分開けておいたのか? 俺が毒を飲む前に気付くか、気付かないか? まさか、それが賭けなのか?)
 浩一は、読み終え、項垂れて一考していたが、意を決したようにむくりと立ち上がると、遺書を雑巾のようにねじって絞り、灰皿の上で火をつけた。まるではじめからこんなものは存在しなかったように燃やし尽した。
 それから、「すまない」と声にならないほど小さく呟き、ペットボトルの中身を躊躇うことなく一気に飲み干した――。
                (終)


はなむけ

2018年07月15日 | 掌編小説

  穏やかな暖かい天候が続いた。
 澄江の嫁ぐ日が近づいている。達造は、娘の花嫁姿を見るのを憂鬱な表情を浮かべながら、居間のソファーに腰を下ろす。庭に散った葉が一本の銀杏の木の周りを埋め尽くしている。やがて枯葉となり、黄土色から焦げ茶色に変わって土に戻るだろう。その枯葉の下には人間の死体が埋まっている。澄江の母であり、達造の妻、紀伊子の遺体である。もうすでに白骨化しているに違いない。と達造は思った。キャスパーの法則によると、地上よりも地中に埋めたほうが8倍腐敗スピードが遅く、白骨化しにくい。
 
達造が紀伊子を庭に埋葬した時から10年も経った。
 澄江
が結婚をすると言い出した。達造は驚きはしなかった。父親としてろくな返事もできなかった達造は何も言わず、昔のように走りはじめた。
 
ハンドルを曲がる方向に少し。まず強めにブレーキをかけ、重心を前方に移動させる。ブレーキ配分は前後で7:3ぐらいが良い。そのように設定している。ブレーキを踏むと同時にクラッチを踏む。次いで回転数を維持するためスロットル全開にする。微妙なタイミングが必須のヒールアンドトウは慣れたものだ。達造はギヤは2速を選択した。3速でもよかったのだが、今日は攻めたい気がした。慣性ドリフトは今日はする気分ではない。峠の頂上付近の少し下り気味、パワードリフトの絶好のヘアピンカーブだ。
(ブレーキ配分は8:2の方がよかったか…)
まず後輪が滑りだし、遅れて前輪もグリップを超え滑りだした。カウンターをあてなければ、スピンしてしまう。
(慣れた道だ。そんな簡単にスピンするかよ)
達造は独り言を呟いた。
 
ロールはないわけではないが少なく、またアライメントのトーインはプラスマイナス0、キャンバー角はプラス側に1°の角度に設定した。少々直進安定性は犠牲になったが、タイヤ偏磨耗はなく、ステアリングのキレはよい。2速全開だったので、車体が内側に寄り過ぎた。アクセルを緩め、車の体勢を整える。
 
車の方向はハンドルで操作すると思いがちだが、アクセルで方向を決める。踏めば内側に、戻せば外側にノーズは向く。後輪が一旦滑り出してグリップを失うと、ハンドルをいくら切っても方向は定まらない。ドリフトとはこういうものだということを、あらためて感じさせてくれる。サイドブレーキで後輪をロックして滑らすなど、ドリフトじゃない。えせドリフトだと常に達造は思っている。
 
車種は2年前に手に入れたBMW735iの中古品である。それにいろいろ手を加えた。オートマチックをマニュアルに替え、ギヤ比も日本用の道路事情に合わせるようにした。サスペンションはまだ十分使えたが、オリジナルよりショックアブソーバーは減衰力が高いもの、スプリングも硬いものに交換した。これでドリフトがしやすくなった。改造はしたが、違法改造はしていない。いつ出しても車検は通過する、そんな範囲での改造だ。公道を走れない改造はしない。いくら改造ではないと言っても危険運転は違法に違いないのだが、ドリフトを危険運転と思っていない達造の信念は変わらなかった。
 
グリップでコーナーを曲がると言う奴は言わせておけばよい。そんな奴はコーナーでブレーキが早過ぎるのだ。その時点で勝負は決まったようなもの。ノーズを先に取られたらもう終わり、よっぽどじゃないと追い越せない。無理をすればクラッシュするだけだ。
 
以前、妻の車を運転していた時、カーブでタックインを起こしたことがある。慌ててアクセルを踏んだところ、FF車特有のアンダーステアが現れた。結果軌道が膨らみ過ぎて、クラッシュしそうになった。もちろんこれもドリフトではない。アクセルを戻すことによって起こるタックインはノーズが内側を向いてしまうこと、それだけだ。
 
どんなに運転が下手な人でもタックインは可能だ。カーブでアクセルを戻すだけだからである。しかし多くの人はノーズが内側を向いた時、アクセルを適度に踏み込むことをしない。その方がよっぽど危険なのだ。残念なことにFF車の特徴を理解している人は少ない。
 
BMWの車重は同じ大きさの国産車より重い。だが、達造にはそんな心配は無用だ。コーナーの立ち上がりでのトラクションのかかりはずば抜けている。これがFRの強みで、一気にパワーをかけられる。達造はAT車をマニュアルに改造した時点でESC(エレクトリック・スタビリティ・コントロール)を犠牲にした。横ブレ防止装置を外したことになる。外したことにより、横ブレはするが、テクでカバーでき、ドリフトがしやすくなったのだ。だが、国産車のコンパクトな車にはその取り回しのしやすさには及ばない。
 
後ろから誰かやって来た。
(86か?いやBRZだ。澄江の車と同じだな)
娘の澄江は12年製のBRZに乗っている。86はドリフト仕様で嫌だと言ってBRZにしたらしいが、実際は変わらないのではないか?と達造は思っている。
 
BRZが煽ってきた。
(?しつこいな。ふん、次のコーナーの立ち上がりでぶっちぎってやる)
BRZは十分ドリフトに慣れている。
(なんだ、奴のサスペンションは。ダンパーはどこのだ?海外製?)
バックミラーを見るとどうやら車高調整式ショックアブソーバーを装着している。やるな。だが、インを保っている以上こいつに抜けるわけがない。左のコーナーの出口でBRZは達造のバックミラーから消えた。
(右か?)
BRZは鋭い立ち上がりでBMWを追い抜いて行った。
(外側から抜きやがった。そしてその時のドライバーは確かに澄江だった。なぜ澄江が・・・)
 カーブを抜けた直線道路の左側ぎりぎりにBRZは駐車していた。達造もその後ろに車を停止した。澄江が降りてきて、
「お父さん……」
「お前だったのか。分からなかった」
「最後にお父さんの走りを見ておこうと思って」
「そうか…。澄江、お前速いな、どこで覚えた」
「直線ではお父さんに負けるけどね、コーナーで一度お父さんと勝負してみたかったの」
「嫁入り前の娘がする事じゃないな」
「うん、今日でドリフトは卒業する」
「俺も今日がそのつもりだった」
「なんで?」
「うむ。それより澄江、あれは、あれはお前がやったんだろう?」
「あれって何」
「つまり……紀伊子だ」
「お母さんを何?」
「やってないのか」
「やるって、殺(や)るってこと?お父さんが殺したんじゃないの?私じゃない。お父さんはずっと私を疑ってたの?」
「なぜ紀伊子の遺体を埋めた?」
澄江は少し涙ぐんだ。
「私はまだ中学生で、学校から帰ってお母さんの頭から血が流れて、もう亡くなっていたの。私はお父さんだって確信した」
「だから俺に疑いがかからないように庭に埋めたのか」
「うん。本当にお父さんじゃないんだね?」
「俺はてっきりお前だと思っていた。庭に埋めたのもお前だと分かっていたから」
「じゃあ真犯人は誰かしら」
「それは分からん。押し入り強盗かもしれん。お前でないことが分かって安心した。これで胸を張って嫁に出せるよ」
達造は悲しい目を澄江を見て2度頷いた。
「ありがとう」
と、澄江は言った。
達造はもう澄江と話すこともないだろうと思った。最期に話せて良かったと安心した。
(澄江、これから起こることは事故だ。後で妙な詮索はするんじゃないぞ)
BMWはゆっくりと発車し、順番にしなやかにトップにギヤチェンジした。すぐに最高速度に達した。300km/hは出ているだろうか、下りの緩いカーブだし、リミッターを外している以上考えられなくもない。
 
300km/hで思い出した。ランボルギーニは曲がれないという伝説。おそらくサスペンションに問題があると思われるが、日本の旧ハチロク(AE86。1983~当時カローラレビン・スプリンタートレノ16バルブ4A-GEUエンジンのNA)のほうがダウンヒルに限るがコーナーは速い。当時のフェラーリも同じだと思っている。でもそんなことはどうでもいい。
(何キロ出ていようが構うことはない。俺が間違っていたのだ。彼女は自殺した。正しくは最終的には俺が殺した。自殺を幇助したといった方が正しいのか)
 しかし、達造が遺体を見つけ、掘り返したとき、まだ紀伊子の息は微かながらあった。紀伊子は俺にしか聞き取れない声で「このままわからないように埋めなおして…」と言った。10年前、澄江と紀伊子に何があったかはわからない。何らかの諍いか不意な事故とか…。それも今となっては真相を突き止めようとは思わない。
  
(澄江、幸せになれよ。おまえにとって、はなむけになればよいが)
達造は心底思った。そして次の行動に出た。リミッターを外して250Km/hは出ているだろう左のコーナー。右は崖。ブレーキは踏まずクラッチを抜くだけ。スロットルは開けたまま2速。スライドはゆっくり発生する。その滑りを感じながらカウンターをあてる。完璧な慣性ドリフトだ。アクセルを緩める。自動的に右の崖にノーズは向く。
 達造を乗せたBMWは消えた。 

 はなむけは、近親者が遠方に旅立つときに、旅の安全を祈って、馬の鼻先を行き先の方向に向けた習慣から「馬の鼻向け(うまのはなむけ)」という言葉が生まれ、短く略された。『土佐日記』『古今和歌集』『伊勢物語』など、平安前期の文献にもこの表現はみられる。

(終)

 


シュレーディンガー

2018年06月22日 | 掌編小説

 第4世代セフェムを10g(1日1gを10日間)を静注(静脈注射)し、やっと気管支が安定した。

1gのバイアルの粉を100㎖のブドウ糖溶解液に溶解し、ゆっくりと30分以上かけて点滴する。

 3か月も続いた咳に、当初は喘息かと思ったが、咳が酷いだけでは喘息と決めつけられない。喘鳴を

ともなう咳ではなかったし、結核菌の同定検査もしたが、その抗原も見つからず、グラム陰性の球菌が

関与している感染症で急性の気管支炎と診断された。

 グラム陰性球菌とは何なのか俺にはわからない。一応物理化学は勉強したが、医学・薬学に関しては

素人の域を超えない。部屋の炬燵で丸くなって考えていても他人の思っていることは分からない。

 喘息というのは免疫化学で説明するのだと訊いている。なぜ免疫なのか、素人の域を超えないどころ

かそんなことすら知らない。医師から一般的には喘息様気管支炎は喘息と言うのだとか‥。あまり信用

はしていなかった。いったい気管支炎なのか喘息なのかどっちなんだ。白衣の男は名の知れている男だ。

シュレーディンガー。だが、何の説明も受けなかった。

 とにかく咳があまり出なくなったので、安心した。

 だが、安心したのは束の間だった。咳は出なくなったが頭痛がひどくなった。前から軽い頭痛を感じて

いたのだが単なる気のせいだと思っていた。

 俺の周りを半透明の厚い布のようなもので覆いかぶされ、大きな箱状の中に閉じ込められてしまった。

ベッドの外はどうなっているのか、ぼんやりとしか見えない。白衣を着た男が外をなんとなくゆらゆら移

動していることしか感じ取れない。

 突然霧状のものが私の周りに降り注いだ。毒ガスか?マスタードガス?ひょっとしてアウシュビッツの

二の舞か?インフォームド・コンセントも何もない。

 なんか、ボーッとしてきたぞ。やっぱり毒ガスだったんだ。

「このやろー!殺す気かー!」

 俺は半分死にかけてるんだ。ぐったりとなってしまった。そういう俺はまだ生きてるのかな。死んで

いるのかな。もう虫の息となってしまった。死にかけていることは事実だが、かと言ってまだ死んだわ

けではではない。どっちだ。

 そもそも、生きていると死んでいるは、どっちかなのか?ひょっとして共存できるとか…。う~ん、

考えていたらふらふらする。

 外でなんか言っている声がする。「中の猫は50%の確率で生きている」なんて言っている。

 おい外のシュレーディンガーさんよー、動物虐待だぞー。

       (終)

 

 

 


ラベンダー畑に死す

2007年05月11日 | 掌編小説

 日々の生活の中に、訳もなくやってきて、歓迎されるはずもない退屈や、湿った空気の中から湧き出たような物憂い心の状態を倦怠症候群(アンニュイ・シンドローム)と呼んでいる。
 これは同じ憂鬱な状態の、曇り空の時のように何もかもが沈んで見えるような症状、鬱症候群(メランコリー・シンドローム)とは区別されている。
 ここに、愚にもつかない物語を述べることを許してもらえるなら、私の過去の真実を少しだけ語らせてもらえないだろうか。それはあなた方にとって、これから生きていくうえで、何の参考にもならないかもしれない。糧と呼べるものでもない。ひとりよがりだと嘲られるに相違ない。
でも、どうしても誰かに伝えたくてしょうがない。なぜなら、それは今、退屈だから…。

 もしあの時、彼女と富良野のラベンダー畑で出会わなかったら……。
 このごろよく思い出に耽る。思い出に縛られて生きる毎日が、惨めだと軽蔑さえしていた若い頃よ--あれから30年も経った。
 夏の淡い風に揺れる髪に似て、甘い香りのする追懐の日々は、彼女の本心を決めつけていた時のイメージを優しく蘇らせる。
 私は私の心の中で、彼女のイメージを育ててきた。ほら、誰にでもあるだろう? 小学校の時なんかにいた好きな異性を、大人になってからもすばらしい人になっていると信じていたい--。
 富良野の写真を見るたび、彼女との出会いを思い出さずにはいられない。歳のせいか、つい昨日のことまでも思い出せないのに、昔のことははっきりと覚えている。私はあれから彼女のことをずっと心の中に閉じ込めていた。
 私はこの匂いが好きだ。嗅ぐとしばらくの間浮遊感に浸れる。ラベンダーの匂い物質には、ラベンダーアルカロイドという麻薬に似た成分が含まれていると聞いている。そんな理由によるものなのかもしれない。
 私が高校生の時、夏休みになると、よくひとりで富良野に出かけた。辺り一面の紫の丘陵を見る為だ。畑の中の畦道{あぜみち}をひとりで歩くのが好きだった。富良野は観光客が多い。そこは私の秘密の場所のようなもので、ほとんど観光客の来ない、穴場のようなラべンダー畑である。
 その場所は、上富良野の外れにあった。
 ある日歩いていると、畑の中で見え隠れする人影を発見した。
 あの時の彼女は、麦藁帽子を被っていた。ラベンダーの隙間から突然現れた妖精と言ったら言い過ぎであろうか。深く帽子を被っていたので、顔の下部分--鼻と口辺りぐらいしか見えない。疲れているのか、丁度畦道の少し盛り上がった部分に腰を下ろしている。
 入院先の病院から、今しがた抜け出してきたような白い肌、細い腕や脚。彼女は痩せていた。それでも、女性としてふくよかな部分は持ち合わせている。大人の女性だ。私が横目で見ているのを気付かれまいと通り過ぎようか、会釈ぐらいはしとこうか、躊躇していた。
 彼女は、柔らかい風に逆らわぬように麦藁帽子を脱ぐと、
「どちらからの訪問者かしら?」
と、親しげに話しかけてきたのは彼女の方からだった。
「札幌」
「そう、本土の人かと思った」
「ホンド? 007、ジェームス…」
「それはボンド!」
「ええと、じゃあ大木…」
「オオキ? ああ、それは大木凡人」
彼女は少し笑ってくれた。その笑顔は、とても年上とは思えない可愛らしさを演出させた。
「本州のこと。昔は内地って言ってたそうだけど…。おかしいでしょ?
北海道も同じ日本なのに。でも、私には遠い所よ」
「どうして?」
「君には近くても、私には遠いのよ」
 17歳だった私には、子供のせいか、意味がよくわからなかったが、それは多分、彼女が大人(23~4歳ぐらいにみえた)だからなのだろうと、その時は思った。
「ラベンダー畑によく来るの? 私も時々来るの。近くよ、上富良野」
「そうなんですか」
「ラベンダーはね、匂いが強いから少し嗅ぐのがいいの。吸い込み過ぎたらだめ」
「へー、知らなかった」
 他にもとりとめもない会話を交わした後で、彼女は「薬の時間」だと言って、缶のお茶で白いカプセルを飲んだ。
「何? それ。病気なんですか?」
「抗癌剤」
「え?」
「……本当は違うの。抗癌剤のプラセボ(偽薬)よ」
「プラセボ…?」
「そう、形はそっくりだけど、カプセルの中はラクトース(乳糖)。私、胆癌なんだけど、末期なのよ。だから本物の抗癌剤処方したって同じことだから、プラセボでいいみたい」
「どうしてそんなこと知ってるって…、いやそんなことよりも、どうしてそんな大事な事、僕に、初対面なのに、話してくれるんですか?」
「そうね、どうしてかしら。今まで他の誰にも話さなかったのに…。きっとこの暖かい日差しと、柔らかい風に乗ったラベンダーの香りのせいなんでしょう」
「それ、かなりキザですね」
二人は互いに笑った。笑える筈がないのに笑った。
 それが二人の出会いだった。年上の女と年下の男の付き合い(こんな下賤な言い方は似合わないだが)は、そんな風にはじまったかのように思えた。
 ひとしきり話した後、彼女は言った。
「じゃ私、今日はこれで」
「明日もこの畑来る?」
「うん、来るわ」
「僕も来る」
そういって、彼女はまた来た畦道を帰って行った。
 私は彼女のゆっくりと歩く後ろ姿を見送った。
 次の日、同じ場所で待っていたが、彼女は現れなかった。その次の日もまた次の日も行ってみたが、私は二度と彼女と会えなかった。
 半年後に私は噂を聞いた。彼女はICU(集中治療室)に入り、何人もやってくる見舞い客の雑菌に感染し、息を引き取った。死因は肺炎による呼吸停止だと。
 生命の終局はあっけなく、生の余韻のかけらもないという。でも、私にはあの瞬間が、何年も新鮮な記憶として残った。


  あれから30年後の今、私は思う。彼女の死は殺人ではなかったのか。あるいは業務上過失による致死なのか。プラセボについては知っていない事がないくらい調べた。プラセボ効果は、本人が投与されることを知っていてはまったく効果を示さない。何らかの形で彼女は自分に投与されている事を知り得たのであろう。
 医師は、もう末期だから彼女にプラセボを処方したのであろうか、もう一つの可能性は治験である。末期癌だから、新薬に対する比較の為のプラセボ投与群のデータが欲しかったのか。
 いずれにしても、患者に知られるなんて、これは殺人に匹敵する行為だ。
 そんなことを考えていると、また倦怠が襲ってくる。どうすることもできず、幾度もラベンダー畑の写真を見ては、思い出に耽る。
                        (終)

注:ラベンダーは麻薬成分を含みません。ラベンダーアルカロイドという
物質も存在しません。


無限ループ

2007年05月06日 | 掌編小説

 気がつくとベッドの上だった。どうやらここは、病院の一室らしい。
 私は、慎重にゆっくりとした動作で辺りを見回した。というより、自分の体を思い通りにすばやく動かすことができない。ぐったりと、体が弱ってしまっている。
 どうしてこの場所にいるのかさえわからない。まるで記憶がないのだ。
(交通事故にあったのだろうか。それにしては外傷がない。骨も折れていないようだ)
 私は、自分の体のあちこちを手で触れてみたが、体が弱っていること以外はどこにも異常はなかった。
(自分の名前さえわからない始末だ。いったいどうしてこうなってしまったのだろう。誰かに鈍器のようなもので殴られて、気を失い、病院に担ぎ込まれてしまったのかもしれない。頭がぼーっとしているのもそのせいなのか。あるいは、何か精神的衝撃{ショック}が原因で記憶喪失に陥ったのではないだろうか)
 現実として想像できるあらゆる可能性を求めて、私の大脳皮質と脳幹の中の物質を活性化させた。私は何とかして、自分を取り戻したかった。何でもいい、何か自分が自分である証拠が欲しい…。
 そう思っているところに、ドアにノックの音がした。
 看護師だった。
「根本さん、おはようございます。検温のお時間です」
 彼女は無造作に体温計を私に渡す。
「何かお変わりありませんか?」
 化粧の濃いその看護師は20代だろうか30代にも見えるような感じだった。彼女の様子からすると、私は昨日今日、この病院に担ぎ込まれたのではなさそうだ。
「あの……」
 と言いかけて、私は話すのを止めた。
(まてよ、ここで自分はどういう理由でこの場所にいるのか、つまりどんな病気で入院しているのか、彼女に聞いたとしても、『回診の時、主治医の先生に直接聞いてください』とかなんとか言って、適当にあしらわれるかもしれない。それからもしかして、私の記憶がなくなったことを大騒ぎして、脳波検査だの、CTやMRI、電気ショック治療だのと仰々しくされるかもしれない)
 私はそういうことが嫌なのだ。できるなら、自分自身で人知れず記憶を取り戻したい。
(そういえば、彼女、私のことを『ネモトさん』と呼んだっけ。これで苗字はわかった。せめて下の名前だけでも聞き出せないものだろうか。自分が記憶を失っていることを悟られずに…)
「病院勤め大変ですね。ここ、長いんですか?」
「え? 何言ってるのよ、やあね根本さん、私、昨日が初日って言ったじゃない。まだぼけるの早いわよ。それとも記憶喪失症にでもなっちゃったの?」
 心臓をえぐられたような言葉だった。が、私は努めて笑って、「この病院の看護師さん多いし、みんな白衣だから同じように見えるんですよ」といって、誤魔化した。
 彼女が病室から出て行った後、今の会話の中に、あまり収穫になるようなことがなかったことに、落胆を覚えずにはいられなかった。
 どれくらい時間が経っただろうか。
「根本さん」
 振り向くと、白衣を着た男が立っていた。彼の右側のポケットに聴診器らしきものが見える。顔つきは40代の、内科医らしい繊細さがある。この人が私の主治医だろう。
 「どうです? 体の具合は。何か変わったことはないですか?」
「ええ、まあまあです」
 私は曖昧な返答しかできない自分に、多少の腹立たしさを感じながらも、何か自分を知るきっかけを探していた。
「薬はちゃんと飲んでいますか?」
「薬? あ、はいなんとか…」
(ここはなるべく話を合わせておいたほうがいいだろう)
「そうですか……、実は根本さん…」
 彼は深刻な表情を呈した
(薬って、何か重病の薬を貰っているんだろうか)
 私は妙な胸騒ぎを感じずにはいられない。それと同時か、少し後ぐらいか、記憶を取り戻すきっかけをつかんだ。それはこの医師の言葉--『実は根本さん』という重厚な響きによってもたらされた。
そうか、この台詞、この風景、この状況、今までに感じた妙な雰囲気が、昨日の主治医との会話を思い出させた。

 「どうやら胃潰瘍ができているようですね」
 「はあ」
 入院が必要ですが、でも安心してください。以前は外科手術 で潰瘍部位を切除して治していましたが、現在は内服薬で完 全に良くなるんですよ。ピロリという菌が原因であることが わかってきたんです。
  医師は自身に満ちた顔で、説明を続けた。
 「では白い錠剤を処方しておきましょう」
 「わかりました」

 というわけで、昨日からこの病院に入院しているのだった。私は記憶を取り戻したことに、ほっと一安心したのも束の間、今現在目の前で、主治医は真剣な表情で、「実は根本さん」と言っている。昨日よりももっと重い口調だ。
 例えようもなく押し寄せてくる危惧の念。そしてそれは、徐々に現実みを帯びて、私の人生をも飲み込んでしまうほどの怪物が襲ってくるような圧迫感だった。そんな弱い自分に憤りを感じる間もなく、やがてそれは恐怖心に変わっていった。
「実は根本さん、昨日あなたに胃潰瘍だと言いましたね。うちの病院の内科医全員で話し合い、協議した結果、やはり本人に本当のことをお知らせした方が言いという決論に達したのです」
「それで?」
 私は平静を装うことに必死だった。
「胃潰瘍ではなく、胃噴門部に癌細胞が認められました。
 やはり癌だった。私の不安と恐怖は当たっていたのだ。夢であってくれと願った。いくら素人でも癌の知識ぐらい多少はある。こんな形で自分の癌の宣告を受けようとは……。なんで患者が願ってないものを勝手に宣告するんだ。そういうのを医者の身勝手というものだ。といってももう遅い。
「決して悲観なさらないでください。根本さんの場合、治癒する可能性は非常に高いのです。薬物療法を行えば、必ず良くなると思います。決して不治の病ではないということを信じて頑張ってください」
 それだけ言って、医師は病室から出て行った。病室にぽつんと一人残された私は、いろいろなことが頭の中を駆け巡った。
(『決して不治の病ではないことを信じて--』か……。それじゃあまるで、不治の病だってことを言っているようなものじゃないか)
 考えていたら頭がくらくらしてきた。
 やがて気を失う。
 気がつくとベッドの上だった。どれくらい気を失っていたのだろう。体が思うように動かない。どうしたことだろう。しかも記憶がない。名前すら思い出せない。
 やがて看護師が部屋に入ってきて、無造作に体温計を渡される。
「何かお変わりありませんか?」
「あの……」
 私は逡巡した。記憶を自分自身で取り戻したかったので。
 次に主治医が入ってきて、私に言った。
「実は根本さん…」
 この台詞、どこかで聞いたような……。
 そして私はこの台詞により、記憶を取り戻した。自分がどういう事態に陥っているのかを把握するのに、たいして手間はかからなかった。
(時間が過去へと戻っている。夢なのか? いや違う。このリアルさは何なのだ。やはり現実だ。だとしたら……)
 主治医は予想通り私に、「本当の診断名は昨日お話したのとは違うのです」と言った。
 ひょっとしてこれは……、自分ではどうすることもできない、次元を越えた、何か強大な力が私自身に加えられているんじゃないのか。きっとこれから何時間か経つと、私は気が遠くなってゆくだろう。そして気がつくと、またベッドの上に記憶のない自分がいるのである。
「無限ループだ!」
 と、思わず大声で叫んだ。病室の外まで聞こえたかもしれない。別に聞こえてもかまわない。そんなことはどうでもいい。ただ、この恐怖と、不安と、焦燥が混乱している心の中で、私はこの現実にどう対処していいか、見出せずに、おろおろするばかりだった。
 私はある一定の狭い時間と空間の中を永久にさまよう、生ける屍のようなものだ。
 そうしているうちに、気が遠くなりかけた。
(嗚呼、また記憶のない時の自分に戻るのか……)
 失神と同時に過去への時間旅行が必然的になされるのだ。それが何度も何度も、永遠に繰り返されてゆく…。
 希薄になりつつある、朦朧とした意識の中で、主治医とその同僚だろうか、医師達の会話がかすかながら聞こえてきたのは、失神する一歩手前だった。
「やっぱり副作用が出たな」
「ああ、あの抗癌剤は副作用として精神症状が出やすいからな」
「看護師の話だと、無限ループがどうのこうのって叫んでたらしいぜ」
「参ったなあ、でもあの抗癌剤の投与を中止したから、放っておいてもいいよ。しかし、誤診だとわかったときはビビったぜ。一昨日、最初はてっきり癌だと思って、告知すべきか迷い、胃潰瘍だと嘘をついたんだ。で、昨日は考え直して癌だと告知したんだが、結局今日それを胃潰瘍だと言いなおさなくちゃならなかった。まったく嫌になるよ、これで病名訂正3回目だぜ」
「でも良かったじゃないか、本人は納得してくれたんだから」
                         (終)