掌編な小説

愛と死を題材としたものだけを載せました。感想をいただければ幸いです。長編は苦手。少しずつですが、続きを書いていきます。

不確定性原理

2018年09月01日 | 掌編小説

 箪笥{たんす}の抽斗{ひきだし}にしまっておいたものがなくなっている。
 彼だ!と由宇佳里{ゆうかり}はとっさに思った。他の抽斗を探したが、
どこにもなかった。
(でもそんなはずは…)とも思う。
 白い封筒に入った書類。役所に出して受付られた日から有効となる。彼
が名前を書いて三文判を押したことになっている。実際は由宇佳里が筆跡
を変え、彼の名前を書いて印鑑を押した。勿論自分の名前の枠にも自分の
名を書き、自分の印鑑を押印した。正式な婚姻届である。
 それがなくなっている。
(彼以外に誰が持ち出せるんだろう)
 でも、彼であるはずはなかった。なぜならもう彼は亡くなっているから
である。
(あの時、彼の抵抗はあったが、確かに私は彼を殺した。鈍器で頭を打ち
付け、ショック死したはず。そして死体は床下に遺棄した)
 由宇佳里は不思議でたまらなかった。由宇佳里の家を知っている者は、
彼以外はいるはずはない。彼女の知り合いで訪ねてくる人もいない。二人
で住んでいたこの一軒家は、街はずれの一角にあり、二人共人里離れて逼
塞していた。床下の死体の腐敗臭も他人には気ならないだろうと高を括っ
ていた。
 でも、一日たって、やはり腐敗臭のことが気になる。ばれたらどうしよ
うと思った。由宇佳里は勇気を振り絞って床を再び開けてみた。
 彼の死体は消えていた。
 誰かが持ち去ったのか、それとも自分で…と疑念を持った。

 彼は目を見開いた。気が付くと真っ暗な所だ。(ここはどこなんだ?)
這って這って光のある場所を見つけ、ようやく床下を抜け出した。
 彼の名は陽一郎。まあ同棲というか、由宇佳里と一緒に暮らしている。
それが最近、由宇佳里の方から結婚を迫られていた。でも陽一郎の考えと
は違っていた。結婚なんてまだする気はない。便宜上一緒に住んでいるだ
けだ。由宇佳里の求婚に、(そうだな、近いうち…)と、曖昧に答えていたの
だった。
(それを、あいつ…俺を殺し、遺棄した。復讐する前に、あいつに何か怨み
ごとの一つも言ってやらないと気が治まらない。復讐はその後だ)
彼は思い出した。
(彼女は俺が死んだと思い込んでいる。それを利用するんだ)
陽一郎は彼女の留守中に家の中に入り、驚かせてやれと、部屋で何食わ
ぬ顔で座って帰りを待った。
 由宇佳里が帰ってきた。彼が黙って彼女の 目を見ても、目を合わそうと
しない。
「おい、何とか言えよ、無視するなよ」
そう言っても何も答えない。
「俺を殺そうとしておいて、なんだその態度は。おい、何とか言えよ」と、
幾分か強く肩をはね除けようとしたが、肩透かしをくらってしまった。
文字通り肩透かしだった。抵抗もなくすり抜けた。いくら彼女に触れよ
うとしても触れることができない。何度やっても手が当たらない。また、
声も聞こえていないようだ。
(ひょっとして、由宇佳里には 、俺が見えてないのか?)
(これって、俺、やっぱり死んでいるんだ。そういえば床下で気が付いた
とき、妙に体が軽かった。由宇佳里、俺幽霊になってしまったよ~)

由宇佳里は部屋に帰って来て驚いた。 陽一郎がいる!生きていたのか。
どんな復讐が待っているのか、気が気ではなかった。取り敢えず無視する
ことにした。彼は私が口を利かないので、憤慨しているようだった。
(彼が私を叩こうとしたが、手をすり抜けた。幽霊になったって叫んでいた。
私は幽霊を目の前にしている。ひょっとして、私が幽霊なのかも。死んでい
るのは私?彼?あの時私は確かに彼を殺した。そして婚姻届を丸めて投げ付
けた。その時彼に反撃されたことは覚えている)
由宇佳里は考えて結論を導きだした。
 そうか、二人共既に死んでいるんだ。
                (終)