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And This Is Not Elf Land

DESIRE UNDER THE ELMS


「楡の木」はどうしたんだ!?《追記あり》

A Global Exploration: EUGENE O’NEILL in the 21st Centuryと銘打ってシカゴのGoodman Theatreを中心に世界規模で展開されているユージン・オニール作品の再探究。

オニールの中期の傑作DESIRE UNDER THE ELMS(楡の木陰の欲望)は名優ブライアン・デネヒーを迎えて1月中旬に開幕しています。

しかし、これだけの話題作であるわりにはシカゴトリビューン紙などの評価はいま一つで…(そうかぁ)まぁそういうわけで、いろんな意味で興味津々で劇場へ向かいました。

結論から申し上げましょう

「楡の木はどうしたんだ?」
「母親の棺があった部屋の扱いはその程度か?」
「コミック・リリーフがない…」

主人公のイフレイム老人は岩だらけの痩せた土地を不屈の努力で農地に変えたことを誇りに思っています。しかし、そのために家族にも同様の忍耐と苦役を強要し、二人の妻も酷使して死なせてしまいます。母親の違う3人の息子はそれぞれ父親を憎んでいます。最初の妻の2人の息子は金の取れる西部へ逃れることを企んでいます。末息子のエビンは父への復讐のために生きているようなものでした。

原作の上演ノートには、この家の両側には屋根の上に覆いかぶさるように楡の木があって、それは二人の妻の思いの象徴であるかのように「不気味な母性」が感じられるものであるとされているのですが…

楡の木がない(!?)

代わりに、舞台の4割ぐらいがむき出しの岩で覆われていて、なんと舞台上からもいくつもの大きな岩が吊り下げられているのです。ええっ?家を覆っているのは「(不気味な)母性」ではなくて、イフレイム老人の「執念の象徴」としての岩(私の解釈では)なわけですか…えっ、そんな~!


冒頭の3人の兄弟のシーンでは、上の2人が岩を運び、豚を解体し、猛烈な食欲を見せるなど、凄まじい生命力を見せるのに対し、末のエビンはエプロンを身に付けて細かい家事をこなすなど、どことなく「女性的」なイメージで描かれます。兄たちのような凄まじいエネルギーを見せることはありません。

しかし、イフレイム老人が3人目の妻として若い女性アビーを連れてきたことから事態が動く…

残念ながら、アビー役もちょっとイメージが違いました。彼女が居間のテーブルを愛おしそうに撫でまわすシーンがいくつかありましたが、あれは明らかに帰属できるもの(いわゆる居場所)を求めていた彼女の心理の表れとして納得できるものでしたが…しかし、エビンの母親の部屋で関係を持つシーンとなると、もう何だかわかんなくなってしまって(汗)

私的には、これはエビンのエディプス・コンプレクスが核になっていると思っていたのですが。しかし、ここでは、エビンは線の細い役者を使っていますし、舞台上での彼の女性的な動きを見るにつけても、エビンは母親の化身とされているような印象。

当初、アビーが求めていたものは、居場所であり、財産であり、土地であり…あくまでも「有形」のものだったのだけど、エビンとの関係を持ち続ける中で、愛情という目に見えないものと自分の打算を秤にかけなければならなくなったわけですが、いや秤にかけるという言い方は適切じゃないか…「両者の折り合い」をつけなくてはならなくなったのだけど、所詮、彼女には物事のミドルグラウンドを見出すなんて無理なことだったわけで。そのあたりの「痛さ」も描かれてないように思えたし…


そんなわけで、どこか違和感を覚えながらの鑑賞となりましたが…最後のシーンも「?」で終わりました。後ろの列のご婦人がたが「circulationということなのね」なんて話していらっしゃいましたが、あの終わり方だとそう思って当然でしょう。

私は、この「楡の木陰の欲望」は、生まれながらの業を背負って過ちを犯しながら生きる人間が、苦しみの中で喘ぎながらも、それでも神の真理に近づいていくという話だと思っていたので…circulationとはちょっと違うと思うんですが…

何よりも「楡の木」が出てこない舞台というのが…私の理解を超えてしまっていましたので、スイマセン…という感じです。

これ、Broadway boundになるという話なんですが、NYではどのように受け止められるかな?それでも、ここシカゴでは延長公演が確定してるんですが。

でも、ブライアン・デネヒーはさすがの演技でした!生で見ることができて本当によかった。イフレイム老人というのは、元来は真摯なプロテスタンティズムが次第に「巨大なエゴ」に化けてしまった人間なのです。でも、凄まじく度が過ぎている面と、人間としての曇りのなさの両方を持ち合わせている人間でもあるのです。最後に全てを失う場面は「崇高」でさえあるのですが…さすがに上手に演じていましたが、それでも、原作にない最後のシーンは余計じゃないかと思う。

あと、2人の兄のコミカルなやり取りは、(今で言うとラップ音楽のような)シンコペーションのリズムの台詞が舞台上で炸裂。圧巻でした。こういうところもユージン・オニールの際立っているところなんでしょうね。

ま、私もまだまだ勉強不足なんですが「楡の木~」は首をかしげたままで終わりました。

今夜は、同じくオニールのHAIRY APE(毛猿)を観てくるつもりなのですが…一応原作は読み込んだつもりなのですが、どうなるでしょう(笑)(世界的にもあまり上演されない演目のようですしね)貴重なチャンスには違いありませんし、楽しみにしております。



追記

ブロードウェーのSt. James劇場での上演が決定だそうです。St. Jamesってかなり大きなキャパでしたよね。客が入るんでしょうか(笑)私としては、二人の妻たちの「怨念」がどこにも描かれていないのが不満だったのですが…

それと、これ「R15」ですよ。
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