ベン・プラットのパフォーマンスが素晴らしく、酔いしれます…
私自身、舞台版の大ファンなので、この映画の公開を心待ちにしていました。
ただ、お断りしておきますと…私は映画全般に関しては、そんなに詳しくありません。この映画の監督さんについても、全く存じ上げておりません。この映画の中で知っている俳優はベン・プラットとエイミー・アダムスぐらいです。
そんな私ですが、毎回ブロードウェイの舞台作品の映画化になると、突然、映画について熱く語り始めます(笑)
まぁ…こういう「立ち位置」からの映画の感想であるということをご了解くだされば幸いです。
映画の内容の記述については、公式トレーラーやサントラ盤で知ることができる範囲にとどめているつもりですが、内容をまったく入れずに映画を鑑賞したい方はスルーしてくださいね。
舞台版を既にご存知の方には、舞台版との違いについて触れていることをお伝えしておきます。
舞台版の感想はこちら
◆待望の映画化だったが…日本で息を吹き返すか?
さて、舞台ミュージカルが映画化されるメリットとしては、主に以下の2点が挙げられます。
(1)元の舞台ミュージカルの感動の追体験ができること
(2)元の舞台ミュージカルの魅力を多くの人に知ってもらえること
(1)については、この映画は完璧!
私は、ベン・プラットのエヴァンを舞台で見ることができず、それがずっと心残りでした。
ベンの歌唱力については、今さらその歌唱スキルを褒めたたえるのも気が引けるんですが、それに加えて、なんというか…「人の心にジワジワ染み込んでくる」あの独特の声…あれは誰にでも真似ができるものではないです。日本でも「トレーラーを見ただけで泣けた」という人が大勢いたのも、あの声あってのことでしょう。
映画では、舞台よりはナチュラルな歌い方になっていますが、ささやくように歌っても、不安げに歌っても、嗚咽しながら歌っても素晴らしい!声そのものが、まさに寂しげな少年のそれで、もうエヴァンそのもの。とにかく、この役をここまで演じられる人は…やはり、ベン・プラット以外には考えられないと思う。
井上芳雄さんの言葉を借りれば「この人のパフォーマンスには、ミュージカルにありがちな『歌う場面になると、突然普通の人に戻ってしまって、普通の人として歌ってしまう』というのがない。歌と演技が完全に一致しているのが凄い!」(2017年トニー賞授賞式中継放送での東京のスタジオからのコメントでした)…
さすがは芳雄さんです、非常に的確!
「ミュージカルなんて、悲しんでいても、苦しんでいても、体が弱っていても陽気に歌い出すからヘン!」なんて…いまだに思い込んでいらっしゃる方々にこそ、こういう「進化したミュージカル」を是非見てほしいです。
(2)についてですが…残念ながら、本国アメリカでは、公開直後から、激しい批判にさらされてしまいました。
ただ、試写会もぼちぼち始まっている日本での状況を見ると、肯定的なコメントのほうが多いし、絶賛も目立つ。(たしかに、日本人受けしそうな仕上がりにはなっている)
これは、もしかしたら、日本で化けますか??
ミュージカル系の映画には、このパターンが多いよね…とくに、日本未上陸のミュージカルであれば、舞台版と比較してあれこれツッコミを入れる人がいないし…
これまでも、向こうでは「失敗作」と退けられてきた数々のミュージカル映画が日本で息を吹き返しています。(「オペラ座の怪人」「ジャージー・ボーイズ」など)
日本のラノベっぽいポスターもいいですよね。アメリカの友人が「実際よりも美少年に見えるね」(笑)と言ってました。たしかに、アメリカのコラージュのポスターのエヴァンは、私に言わせると、プロゴルファー猿にしか見えず(!)なんか、悪意を感じてしまう…
また、日本の人のほうが、こういう、いわゆる「陰キャ」に対して優しいのではないかという気がしますが(笑)どうでしょう?…そうであることを願いたいです。そして、「泣けるミュージカル」として、広く受け入れられたらいいと思います。
◆メンタルの問題
さて、この「ディア・エヴァン・ハンセン」はメンタルの問題を扱った話でもあります。アメリカでは「メンタルに問題がある人なら、嘘をついてもいいというのか?」という批判が上がってしまいました。
私は、ここでのメンタルの問題の描写には矛盾はないと思っています。実際、アメリカでも、関連の団体はこの映画での描写を肯定しています。「この問題が広く理解されるには、こういう物語はまだ幾つも必要だ」とのコメントも残しています。
不安が強い人は、極度の緊張を強いられる場面が苦手で、それを回避するために、過剰に周囲に合わせてしまうこともあるし、不安のあまり、多弁になることもあります。このあたりを、まるで「勘違いの喜劇」のように描いているのが(もちろん、周囲の状況は決して喜劇ではありませんが)この作品なのです。
一方、不安が強くても、若者として、恋心を抱く相手と仲良くなりたいという欲求も当然あります。そこが当たり前に描かれているだけだと思うんですが…。
ただ、もちろん、これはメンタルの問題を理解するための映画ではありませんし、これに対する十分な理解や知識がない多くの人も映画を見ることになります。
つまり、この映画に関しては、この部分が「物語の一つの要素として受け止めにくい」と感じた人もいたということでしょう。
でも、強調したいのは、ベン・プラットは、舞台で演じたときと同様、全身の動きや顔の表情、細かい手足の動きまで、実に細かく、リアルに不安障害がある人を演じでいます。あの「レインマン」のダスティン・ホフマンにも匹敵する渾身の演技だと思います。さらに凄いのは、その演技をしたまま、完璧に歌ってしまうところです。そこは、先に書いたように、あの井上芳雄さんが絶賛したとおり…
こういうところはもっと評価されてもよかったのに、本国では批判一辺倒だったのが残念でなりません。
◆いろいろと手は加えられたのだが
場面ごとに見ていきますと…まず、映画では、亡きコナーの家の食卓に「りんご」がありません。(腕の「ギブス」と共に「りんご」がこのミュージカルを象徴するアイコンでもあります)
舞台版では、コナーとの思い出を聞かれて、たまたまテーブルの上のりんごに目が行ったエヴァンは、思わず「りんご!」と口走ってしまい、それから話は雪だるま式に膨らんでしまうのです。
一方、映画では、エヴァンは戸惑いながらも…とりあえず、実際に自分が体験した森林パトロールに関することを口にします。それを聞いたコナーのお母さんが、亡き息子を思うあまり、いろいろ想像して話をふくらませてくれる…という流れになります。
とにかく、エヴァンが「自らすすんで事実とは違う話を切り出した」ようにはなっていない。
また、If I Could Tell Herで、エヴァンがゾーイと親密な雰囲気になるのも、舞台版のように、亡きコナーの部屋ではなくてキッチン。舞台版では、歌い終わったあと、エヴァンはゾーイにキスをしようとします。後でそれを知ったジャレッドに「彼女の亡き兄の部屋でキス?お前は何を考えているんだ?!」と突っ込まれるのわけです。でも、映画版はそういう流れにはなっていません。
とにかく、映画では、エヴァンが大胆不敵な小賢しい嘘つきに見えないように、かなり手が加えられているのですよ。にもかかわらず、やはり「嘘をつき続ける描写には抵抗があった」という声は残りました。
もちろん、舞台版でも同様に感じる人は一定数いらっしゃいます。映画では、手が加えられたにもかかわらず、抵抗がある人の割合は舞台版と変わってないような印象。(「嘘も方便」という言葉もある日本の人たちの反応はどうでしょうかね)
また、エンディングも舞台版に手を加えられ、エヴァンは彼なりに償いをするのです。どちらかと言うと、小説版に近づけていますね。小説版は日本語訳は出ていないのですが、とても面白いので(それほど難しい英文でもありません)おすすめです。
エンディングでは、舞台版にはなかったA Little Closerという曲が加わりましたが、小説の最終パラグラフにはcloserという言葉が繰り返し出てきていて、これも作品を通しての重要なキーワードとなっています。舞台で泣かなかった私も、映画のこのシーンでは泣いてしまいましたが…ここでも、向こうの厳しい批評家たちの批判をかわすことはできませんでした(苦笑)
◆エヴァンという少年
母親は「エヴァンには文才がある」と言い、それを足掛かりに大学進学へつなげたいと考えています。実際、エヴァンという少年は、不安障害に苦しんでいたけれども、一方では文章を書くのがとても上手だったんですね。話し言葉においても、話し方はぎこちないけれども、言葉の選び方などはとてもうまい。ここを意識しながら見ると、この物語は数倍面白く感じます。
エヴァンに文才があったからこそ、自分宛の手紙の文言もコナーの心の叫びとして受け止められ、とっさに口から出た嘘もやけに真実味を帯びてしまい、不安感にさいなまれながら不器用に発した追悼式のスピーチも、不特定多数の人たちを感動させてしまう結果となりました。
そしておそらく、手紙を取り上げたコナーの心にも何かが届いたに違いありません。衝動的な行動が多いコナーであれば、カッとなって破り捨てる可能性だってあったのに、きちんとたたんでポケットに入れていた…。コナーがあの手紙とどう向き合ったのか?次に起きる行動とどう結び付いたのか?いろいろ考えさせられますね…この辺りに興味があるかたは小説版をお読みください。少しスッキリしますよ…
話がそれてしまいましたが…とにかく、エヴァンは、人と関わるのが極めて苦手であるにもかかわらず、彼の言葉だけは、きっちり人の心に届くんのです。
その行動と同じく、その言葉もぎこちないものであれば、こういうことは起きなかったかもしれなかったのに…。SNSで発した言葉があっという間に拡散される時代だからこそ、その言語表現能力だけが抜きん出ているがゆえに、予想外の展開が生じてしまう。そして、観ている者は、その言葉のひとつひとつに危うさを感じてしまうという…どこか「悲劇的アイロニー」な世界にも見えます。
また、「エヴァンが遺族感情につけ込んでいるのは許しがたい」なんて批判もあったことについてですが…(とにかく、アメリカでの叩かれようは「批判」を通り越して、もう「言いがかり」「難癖」みたいにになってて…ちょっと異様に感じた)
まず、エヴァンは「この家の人たちは自分を普通の子として扱ってくれる」と何度も言っています。ここも、とても重要。
エヴァンは、世間一般から見れば「ちょっと変わった子」なんでしょうが、コナーの凄まじい問題行動(暴力を伴うもの)にずっと悩まされ、疲弊していた家族にとっては、エヴァンぐらいの「変わりよう」はほとんど気にならなかったんでしょうね。悲劇に見舞われた家族には、エヴァンの存在は、むしろ「どこか、ほっこりできる」と感じるほどだったのではないかな。
コナーの家族と関わったことで、エヴァンは思いを寄せていた妹のゾーイとも親しくなれました…でも、エヴァンが本当に求めていたのは、自分の存在に違和感を持たれることなく、自分の存在が認められ、大切にされることではなかったのでしょうか?コナーの家族といると、それが実感できたのですね。
エヴァンの人生のなかで、初めてそれを実感できたのが、このような異常とも言える状況の下であったというのも…これも皮肉と言えば皮肉…でも、これがこの作品の面白さだと私は思っています。
◆元の舞台は「ピカレスク(悪童)小説」
それにしても、舞台からスクリーンへのtransitionというのは難しい…舞台というのは、狭く限られた空間です。そして、舞台劇というのは、ちょっとクセのある話が多い。これもまさにそうですね。でも、それが舞台という限定空間で独特の魅力を放ちます。
舞台版の「ディア・エヴァン・ハンセン」は「まるで紙芝居のように」、「面」で話が進んでいきます。場面と場面の間に起きることについては、特に説明されなくても、独特の演出技法のもと、演者と観客の距離が近いことによって、劇場の空間には不思議な「共通理解」が生まれます。それが舞台の醍醐味でもあります。
しかしながら、「スクリーンに移した時点で」それは簡単ではなくなる。
また、舞台版では、ジャレッドとアラナのキャラクターはかなり戯画化されています。毒を吐くし、軽薄でズル賢いです。エヴァンとのやりとりも、テンポのいいコントのように進むのですが、映画では「テンポ感」が「ゼロ」になってしまっている…舞台版では笑わせてくれる「小ネタ」もなくなっているし…
舞台では、戯画化された二人のキャラクターは、ネット世界に棲息する実像が見えない若者の姿と重なって、それなりの説得力をもって観客を巻き込むのですけどね。
それと、映画では、アラナもメンタルに問題を抱えているということになっていましたが…正直、あの設定には驚きました。あそこは必要でしたか?それなりに意図するところがあったかもしれませんが…それでも、ここの改変も功を奏しているとは言い難く、かえって筋書きが乱雑になった感じ。
また、舞台版でも映画版でも、コナーの母は、いわゆるスピリチュアルなものに傾倒しやすい人として描かれています。ここも重要だと思うんですよ。コナーの問題に関しても、高額なヨガ教室など「次々と魔法のような治療法ばかり追い求めた」と夫から責められます。こういうタイプであれば、コナーを失ったあと、仮にエヴァンに出会わなかったとしても、悲しみを癒すために、ちょっと怪しげな「遺族向けのセラピー」に大金をつぎ込んだ可能性だってあるわけで、これを止めたのがエヴァンだと考えることもできるわけです。
改めて思うのは、「舞台版のディア・エヴァン・ハンセン」って、いわゆる「悪童小説」のようなものなんですね。小説版は(エヴァンが一人称で語っているんですが)あの「キャッチャー・イン・ザ・ライ」を彷彿とさせる。
あの舞台版のままの世界観を、映画として説得力のあるやり方で見せるとしたら、やはり、みずみずしい十代の俳優が必要になります。
結局、そこなんですよね…難しいところです…
でもここは、舞台版で高評価を受けたベン・プラットを起用したうえで、いろいろストリーに手を加え、元の舞台と同様のメッセージを届けようとしたのでしょうけど…
◆もっと物語を「閉じ込める」べきだった
そうですね…私なら(以下は妄想です)映画では割愛された冒頭の曲Anybody Have A Mapをやはり採用します。ここで二人の母の苦悩を高らかに歌わせて「さぁ、ドラマの始まりです!」と開幕を宣言し、そして、物語はなるだけ閉じ込めます。紙芝居を小さな額縁舞台の中で演じるように。
映画版は、いろんな意味で開放されすぎていて、結果、舞台では気にならなかったところが気になってしまう。きっと、監督さんは、この物語を愛するあまり、リアルに描くことにこだわりすぎたのではないかという気がします。
例えば、高校生活の様子がリアルに描かれれば描かれるほど、それだけベン・プラットが高校生としては老けて見えるのが際立ってしまう。正直なところ…エヴァンとジャレッドがグラウンドでランニングしてるシーンなんて「オッサン二人」にしか見えないし(笑)、ブランコのシーンなども、リアル十代の俳優じゃないと、ちょっと辛い。
ただ、ベン自身も「映画版で主演するにあたっては、舞台版との表現の違いを意識した」と語っています。そもそも、スクリーン上で、舞台と同じように描くには不可能に近い。映画化というのは、あくまでも「翻案」ということです。
また、映画版が多くの人の目に触れれば「舞台版よりも映画版の方が好き」という人も、当然出てくるでしょう。人は最初に目にしたバージョンに愛着を抱くものです。
それもこれも全部含めて、映画後のDEAR EVAN HANSEN が作品としてどのように進化していくのか、ファンとしては、興味は尽きません。
◆劇中歌の運命(!?)
歌のシーンについては、Waving Through A Window、So Big/So Small以外は、曲の中盤を過ぎたあたりから、歌は歌い手を離れてしまいます。そして、スクリーン上では、歌詞の世界が映像化されたり、ストリーの背景が見せられたり、ストリーそのものが進行したりします。(曲のアレンジはどれも良い)
ここは「ミュージカル映画において、歌うシーンが話の流れを中断させてしまうのには抵抗がある」と感じる人には歓迎されるのかもしれませんが…私はスッキリしなかった。
Words Fail は、進行上、あれでいいのかもしれません。If I Could Tell Her やFor Forever は「妄想」の歌なんで、あれもアリかな?…とは思うけど…Requiem、Only Us はちょっとありきたり。You Will Be Found とSincerely Me にいたっては、プロモーションビデオのようにしか見えず、ちょっと萎えた。
ただ、映画ファンの人たちには、こういうふうに、ミュージカル映画で「音楽を背景にもっていってしまう」手法はわりと好評なのですよね。映画関係者の試写会が行われている今の時点でも「歌のシーンが自然」だと肯定的な声が多い…よほど、歌で話が中断するのが嫌なんでしょう…(苦笑)
この映画に関しては、音楽を背景に持っていくのであれば、ゾーイがジャズバンドをやっているという設定をもっと生かしてほしかった。(舞台の演出では特に生かされていませんが、)映画ではできたはず。小説では、ゾーイの奏でるやるせないメロディーが家の中に広がっていっていく様子が印象的に描かれています。あそこは映画で採用されるものだとばかり思ってました。(私が勝手に思い込んでいただけなんですが…笑)とにかく、全体的にちょっと中途半端な感じはぬぐえません。
舞台版は、シンプルなセットでやっているので、スクリーンに移すにあたっては、当然、映像を効果的に使うことは考えられるでしょう。また、このミュージカルは歌の6-7割ぐらいがエヴァンの歌で、華やかな群舞もありません。映像が単調になるのを避ける必要があったのかもしれません。
そうだとしても…この映画の歌唱のシーンの扱いは「正解」ではない気がします。ミュージカルのファンとしては「骨抜きにされた劇中歌たち」が哀れに見えた…
◆人々の心に残る映画に
この映画は、結局は、ベン・プラットのエヴァンを映像保存しておくために作られたのかなぁという気はします。それでも、ベンのパフォーマンスは素晴らしい。
私個人としては、やはり映画化してもらってよかった!それも、最近多い動画配信ではなくて、映画館のスクリーンで見せてもらえるなんて、本当に幸せです。
映画「ディア・エヴァン・ハンセン」は、残念ながら、本国での酷評で幕を開けてしまいましたが、でも、感動して涙した人たちもたくさんいます。これからも、長く人々の心に残る映画になってほしいと思います。そして、上映期間中は無理かもしれないけれど、DVDなどが出たら、中高校生などの若い世代にも積極的に見せてほしい。
そして、ベン・プラットが日本でライブコンサートをしてくれますように(祈)あの声は生で聴きたいなぁ。
それにしても「舞台作品の映画化」…う~ん、難しいですね。
読んでくださってありがとう。
11月26日(金)公開
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