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And This Is Not Elf Land

ビリー・エリオット

念願の再演、ミュージカル ビリー・エリオット!

初演の感動をもう一度!

そして、初演のときは不整脈に悩まされていて、1回しか観ることができなかった…今回はぜひリピートしたい!いろんな思いを胸に赤坂ACTシアターに向かいました。

久しぶりだな~新幹線(笑)

ミュージカル ビリー・エリオットの原作映画「リトル・ダンサー」を観て既に泣く…


※以下、物語の内容にもふれています


1984年のイギリスの炭鉱町が舞台。冒頭のニュース映像は、WE版の舞台収録とはちょっと異なっているのだけど、少しでも日本の観客に分かり易くしようとする意図かな?(どっちにしても、日本ではあまりなじみはないと思う)

WE版ニュース映像では、1940年代、労働党のハーバート・モリソンの炭鉱の国有化を求める力強い演説が映されます。「炭鉱の国有化は、民主主義社会で行う社会主義的実験の成功を目指すもので、これは画期的な新体制であり、かれらの目指すものはこの国の人々のものである」と高らかに宣言します。

常に危険と隣り合わせで働く炭鉱労働者たちには、まずは安心して働ける環境を保障する必要がありました。やがて炭鉱は国有化され、組合の力も強く、炭鉱労働者たちは、生活は貧しくても、とりあえず雇用不安から解放されます。そして「自分たちが国の根幹を支えているのだ」との誇りを支えに、暗く辛い炭鉱で働きました。また、地域福祉やコミュニティー活動もしっかりしていて、労働者たちの日常はそれなりに安定していました。ここはビリー・エリオットにも表れている通り。

ところが、1980年代に入り、サッチャー首相はそこにメスを入れてきます。いわゆる「英国病」は放置できない状態にまでなっていました。

炭鉱労働者たちにとっては、所属していた自分たちの世界が、突然「お荷物」のように見なされてしまったということです。国の根幹を支えているという誇りを持っていたからこそ、危険な厳しい仕事にも耐えてこられたのに…突然「あなたたちには、もう用はない。これからは自助努力をしなさい」と言われる。

ちょっと長い前置きになりましたが(笑)…私には、ビリー・エリオットを語るときには、ここはどうしても外せないのです。

私が小さいころ、やはり労働組合に熱心な人たちに囲まれて暮らしていました。大人になってからも、お酒が入れば「インターナショナル」を高らかに歌うような人たちの中にいました。昭和の時代の話です。私にとってビリー・エリオットは追憶の世界から引っ張り出してきたような話です。イギリスだけでなく、日本の国もあれから変わりました。

イギリス出身の知人が「1980年代にイギリスの労働者階級のコミュニティーのほとんどすべてが消滅してしまったんだ」と話してくれたことがありますが、序盤に町の人たちが「私たちのコミュニティーを死なせるな!」というバナーを手にして抗議する姿が胸に迫ります。

もはや消滅しようとしている世界に現れたのがバレエの才能がある少年ビリー。

とは言え、屈強な男たちには受け入れられにくいバレエ、激しい労働争議、貧しさ…さまざまな軋轢を乗り越えて、消滅しつつあるコミュニティーの人たちはビリーをバレエという新しい世界に旅立たせます。

重要なキャラクターが、炭鉱町のコミュニティーセンターで子どもたちにバレエを教えるウィルキンソン先生。私はこのキャラクターが好きでね(笑)ミュージカルに出てくる女性キャラクターの中では一番好きかもしれない。母を亡くしたビリーにとって、先生は、最初は「おかあさん」のような存在のように見えるのだけど、バレエが上達してくるにつれ、先生にとって、ビリーは次第に「ライバル」のようになってくる。このあたりがとてもいいですね~

バレエ教師をしているウィルキンソン先生は、とりあえず、炭鉱労働者たちよりは恵まれた環境で教育を受けてきたものと思われます。でも、それはあくまでも「炭鉱労働者たちよりは…」ということ。先生本人はどんな夢を思い描いて、何を目指していたのか…物語の中では語られないけど、見ている側は推測することはできます。

ウィルキンソン先生は、炭鉱労働者たちの厳しい現実は理解しているけれど、彼らの世界にありがちな「緩さ」も厳しく指摘します。

前半のクライマックスSolidarityで、労働者たちが勇ましく団結を訴える一方で、ウィルキンソン先生は「ひとり一人が輝くのよ!」と歌います。彼らに「覚醒」を促すのですね。先生だからわかる「今もっとも大切なこと」…先生こそ「架け橋」の役割をするキャラクターであることが感動的に見せられます。

このSolidarityは、ビリーとバレエ教室の子どもたちが練習に打ち込む姿と、外の世界で起きている激しい労働争議がモザイクのように表現される名シーンでありますが、私はここを見るたびに、スタインベックの「怒りのぶどう」で、故郷を失った農民たちの苦難の旅路と当時の社会情勢が1章ごとに交互に表されているのを思い出してしまいます。結局、このビリー・エリオットも「棄民」の物語なのか…

Solidarityは、最初は警官たちと炭鉱労働者たちの口汚い罵り合いから始まり、警官たちは「お前たちがストをやればやるほど、俺たちには時間外手当が払われる。このストが終わるころには、俺たちはリッチになってるんだぜ。悔しいか?」と挑発します。同じ労働者階級でも、自分たちはちょっと上…

でも、次第に…同じ労働者階級として、彼らの思いが一つになっていくことがステージ上で見せられていきます。

「自分たちが国の根幹を支えている」と信じて炭鉱で働いてきた人たち。でも…狭く限られた世界で生きてきた(生きるのを余儀なくされてきた)彼らは、時代は変わりつつあることに気づいていたのでしょうか?人生には様々な選択肢があるということを教えられていたでしょうか?仮に、何も理解しないでいたとしても、彼らを責めることはできるのでしょうか?これは重い問いかけですね…今の日本においても。

一方、炭鉱労働者のストライキという大きな社会のうねりの中で新たな胎動もありました…このビリー・エリオットはLGBTの物語でもあります。実際に、この時代の炭鉱労働者のストライキを、当時のLGBTの活動をしていた人たちが支援したという事実もあるのだそうですね。今よりもずっと不寛容な時代だったと思いますが。

ビリーの親友のマイケルは女の子の服装に興味がある少年でした。バレエ学校への入学が許されたビリーには輝かしい未来が見えてきましたが、消滅しつつあるコミュニティーに残される親友マイケルはどうなるのだろう…ビリーは暖かい友情のキスでマイケルと別れますが、切ないシーンです。

しかし、本編が終わった後のカーテンコールでは、全ての出演者が性差や年齢差を超えてひとつになり、高らかに生きる希望を歌い上げる感動的なエンディングが用意されています。マイケルにとっての「生きやすい世界」をきちっとアピールして終わるのです。


音楽の話もしましょう。ミュージカル、ビリー・エリオットの音楽はエルトン・ジョンが作曲しています。エルトン・ジョンは60年代後半から現在に至るまで、半世紀も音楽シーンをリードしているんですね。

映画版の「リトル・ダンサー」では、ビリーは兄のトニーの愛聴盤であるTレックスの「電気の武者」を聴きながらベッドで飛び跳ねるシーンで始まります。私はTレックスが大好きでした。とにかく「リトル・ダンサー」はTレックス映画と言ってもよい。

舞台ミュージカルでは、Tレックスの曲は使われていませんが、エルトン・ジョンはTレックスのマーク・ボランと仲が良く、このミュージカルでも、オマージュと思われるメロディーをたくさん残しています。

Tレックスの中心メンバーだったマーク・ボランが事故で亡くなったのは1977年でした。ビリー・エリオットは1984年に始まる話ですから、死後7年経っていることになります。イギリスの田舎の小さな町で、Tレックスがずっと聴き続けられていたという話はとても感動です。そして、貧しい環境で育った言葉足らずな少年ビリーが、自分の内側から湧き出る思いを「Tレックスの言葉を借りて」言い表します。私にとって、こんなに嬉しいことはありません。夢半ばで亡くなったマーク・ボランを思うと泣けてしまうけど…ありがとう、ビリー・エリオット!



再演も本当にパワフルで素晴らしかった!東京公演も今週末で終わります。私は大阪にも行く予定ですが(♪)演者さんたちの素晴らしさは多くの人たちが取り上げておられると思いますし、今さら言うまでもないので割愛しますが…本当にみなさん観てくださいね!

特に地方の人に観てほしいな、、こんなに素晴らしいものを東京や大阪の人だけが観ることができるのでいいんでしょうか!?

地方の人こそ観なさい!観ろ!!

(笑)
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