見出し画像

And This Is Not Elf Land

DEAR EVAN HANSEN


2年半前に久々にニューヨークに出かけていくつかのミュージカルを観たままブログを放置していました。順次行きます。まずは映画版の公開も近いDEAR EVAN HANSEN(ディア・エヴァン・ハンセン)から。

とにかく、私は「少年」の話に弱い(笑)

たとえば、これとよく比較されるNEXT TO NORMALもかなりの意欲作で、圧倒されながら観たけど、あまり入り込めなかった。でも、その理由は単純なもんなんです、ハイ(苦笑)

以下、舞台のネタバレ含みます。映画版のネタバレはしていません。



主人公の高校生、エヴァンは不安が強くて、それは生活にも影響が出ているほどのもので(例えば、ピザデリバリーの人との会話が嫌で、ピザも注文できず、結局食事を抜くなど)治療を受けています。治療の一環として自分宛の手紙を書いていたところ、その手紙が、エヴァンと同様に孤立していた同級生コナーの手に渡ってしまい、結局、コナーの書いた遺書だと誤解されてしまったことから起きるドラマ。

とにかく、これは「メンタルの問題」「嘘」、そして、おそらく欧米では日本以上にタブーとされる「青少年の自殺」というコンテンツを含んでいる物語で、それが「ラ・ラ・ランド」「グレーテスト・ショーマン」で日本でも知られているベンジ・パセック&ジャスティン・ポールの楽曲で彩られています。

私は、これは「喜劇性」と「悲劇性」が、面白くも「ギリギリ感」をもって入り組んだ、とてもよくできた物語だと思いました。



まず、エヴァンはメンタルに問題を抱えています。私はここはこの物語を語る上で、とても重要な要素だと思うのです。

何というか、人間というのは「メンタルに問題を抱えている人」と「何の問題もなく健康な人」のどちらかに単純に分けられるものではなく、そもそも、誰もがその考え方や行動などにおいて、ちょっと「いびつ」なところがあるもので、ただ、そこに「治療」というものが必要か否か…というだけの問題なのであって…。(少なくとも、フィクションの世界を理解するうえにおいては…ということです)(実社会の中では、また違うアプローチで考えるべきなのかもしれない、ということは書き加えておきます)

たとえば、極端に短気な人が、気が短すぎるがゆえに起きる人との摩擦や誤解、そこから起きる騒動などを面白く描くドラマなどはコメディーの定番と言えます。登場人物の考え方や行動があまりにユニークなことから起きる思い違いの喜劇、このDEAR EVAN HANSENも「基本は」(←ここ大事)こういう話だと私は受け止めました。

私はメンタルの問題の専門家ではなく、自分が知っている範囲のことしか知りません。以下の記述で、もし、間違いを見つけられたらご指摘ください。

エヴァンは、自分の手紙が息子の遺書だと勘違いしていているコナー両親のもとへ行きます。本当は間違いを正すつもりで行ったのですが、結局、悲しみに打ちひしがれている両親の話に合わせてしまうことになります。

で、ここなんですが…もともと不安が強い人というのは、極度に緊張を強いられる場面では、それを回避するために、過剰に相手に合わせてしまうこともあるのではないでしょうか。また、不安が強いとかえって多弁になることもあると聞きますし、ここの「妄想ソング」とも言えるFor Foreverの流れにはあまり矛盾は感じませんでした。

ただ、「怪我をしたときに、コナーが助けに来てくれた」と歌うところは、おそらく、実際に怪我をした時には、なかなか助けが来なかったことを思い出して「そうだったらよかったのに」という願望を織り交ぜて口走ったのであろうと思われます。「自分の存在は誰からも認識されていない」というのがエヴァンを最も苦しめていることでした。

たしかに、このあたりの「積極的な作り話」は不安が原因なのかどうかは、私にはわかりません。ここと、のちに歌われるIf I Could Tell Herでも、コナーの妹に対する思いを「創作」しながら、自分の願望との境目が分からなくなっていく描写もあります。ただ、物語はこうやって流れていきます。

とにかく、For ForeverとIf I Could Tell Her、どっちも虚偽の内容を歌っているのに、メロディーが奇跡のように美しい。ため息がでるほどに美しいのです…あんなのを聞かされたら、今自分が見ているのは一体どういう世界なのか??何が何だか訳がわからない…不思議な気持ちになってしまいます。

コナーの両親から「コナーとはどこで会っていたの?」と尋ねられたエヴァンは、たまたまテーブルの上のリンゴが目に入り、思わず「リンゴ!」と口走ってしまいます。そこから、コナーの家は実はリンゴ園を所有していて、そこはもう管理が行き届いていなくて、でも家族には思い出の場所だった…という事実から、話が雪だるま式に転がり始めるのです。「エヴァンの腕のギブス」とともに「リンゴ」がこのミュージカルを表すアイコンになっています。

話が進むうちに、だんだん「リンゴ」が「アダムとイブが楽園を追われる原因になったリンゴ」と被ってきてしまいました。そういえばEvanという名前はEveから来ているんだろうか?…などと思いを巡らしているうちに、どんどん作品の世界に入っていきます。(ちなみに、小説版ではEvanというのはミドルネームとされています。父がつけてくれたMarkがファーストネームなんだそうです。でも、父が別の女性と再婚してしまった今、母がつけてくれたEvanを名乗っているのだと)

また、エヴァンが、日ごろから思いを寄せていたコナーの妹と親密になる流れも、私としては、メンタルに問題があっても、健康な青少年であれば、恋心を抱く相手には少しでも近づきたいという欲求もあって当然…と理解しましたが、ここもかなり「挑んできている」流れだと思います。「このカップルって、これでいいの…??」みたいな…ちょっと見る側の心を弄んでいるような流れですね。

やがて、そのエヴァンの「偽の思い出話」は、これまた現実なのか何だか分からないSNSの「仮想空間」のなかで「大化け」していきます。この辺りは音楽と演出の効果が素晴らしい。結局、最後には、もう取り繕うことができないほどに膨れ上がってしまい、エヴァンは絶望の淵に立たされ、そこから話は悲劇的要素を帯びてきます。Words Failは絶望のどん底から一筋の光を求めようとする歌。聴かせどころです。

最初から腕にギブスをして登場したエヴァンですが、怪我をした本当の原因も終盤になって明かされます。もっとも、多くの人は「もしや…?」と思いながら観ていたとは思いますが、明かされた事実をもとに、これまでの流れを頭の中で反芻することができます。こういうのって、古典的な劇にもある手法で、私は好きですね。そこからカタルシスへと流れていきます。



まとめると…
DEAR EVAN HANSENとは、基本は「勘違いの喜劇」から始まるミュージカルという「外見」を装いながらも、扱っているコンテンツはデリケートな「メンタルの問題」、向こうでは日本以上にタブーとされる「青少年の自殺」、モラルが問われる「嘘」などで、それらを正義なのか、何なのかよくわからないSNSの世界にぶち込んで、「自虐」「皮肉」「冷笑」というエッセンスも交ぜて巧みに編み上げられた作品です。で、最後には、「しれ~っと美談」みたいにしています(笑)。私はトータルとしては面白いと思うし、むしろツボなんですが(笑)、中には「ちょっと無理」という人もおられて当然です。

おそらく、アメリカで先週末に公開された映画版が叩かれまくっているというのは(!)ここの世界観をちゃんとスクリーンに移せなかったのでしょうね。そのあたりは、映画が公開されてから語ります。




最後に、
私が観た時は、エヴァン役はアンドリュー・バース・フェルドマン。





エヴァンの実年齢と同じ17歳の高校生で、前年の全米の高校生のミュージカルのコンテストでグランプリになり、この役に抜擢されました。

もう、抱きしめたくなるようなエヴァンで(はいはい)歌や演技の巧みさは圧倒的。歌はOBCのベン・プラットの歌い方に敢えて似せているようでしたが、そのような、似せるテクニックもアンドリューには容易なことなのでしょう。とにかく、スキルの高さには目を見張るものがあります。今後の活躍が楽しみです。

ただ、私には「やはりOBCのベン・プラットで観たかったなぁ」という思いが残りました。





ベンのエヴァンはもう演技じゃなくて、もはや憑依に近い。また、このミュージカルはエヴァンの歌うパートが全体の7~8割を占めています。(華やかなコーラスやダンスはありません)やっぱり、ベンの歌唱で聴きたかった。

そして、その思いは映画版で叶うことになります。

その話はまた後ほど~

名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「Theatre」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
2021年
2020年
人気記事