2011年 9月

2011-09-08 19:41:40 | 老牛たる遠吠え モォー

2011年9月

    自分自身を変える



・9月30日(金)

○(17時34分) 深夜、PCB事故14の原稿作成、ホームページに掲載。
○ 3時55分起床、4時ウオーキングへ。曇り、雨雲ではない。6時、「竜泉寺のゆ」へ。TANAKA Q君にあう。
○ 午前中、寸時、出社して完工高表の原稿提出し帰宅。
○ ここ数日間、SAGA氏(元市職員組合委員長)、YAGI氏(論客)、KODAMA TERUYO(俳人)=面識なし の逝去を知る。葬儀にでるまでの方ではないが、身辺に秋の風吹く。
○ 午後、庭の南側、ゴーヤ畑の転地返し。掃除。
○ 昨日から今日にかけて、ホームページへののアクセス数33個。PCB14現象か。
○ 9月も終わる、心身とも引き締めて。

・9月29日(木)

○(現在1時54分) 1時間近くPCB事故14 を作成しているのだが、不思議なことに操作がうまくいかぬ、おかしい。
○(6時15分) 4時30分起床、ホームページの送信機能が不能になっている。昨日午後7時以降だ。不思議。
○(17時28分) 出社、終日、新聞の整理作業。
○ 横浜・ARAKIさんからメール。
○ PCB事故14 ホームページに送る作業完了。不具合の原因不明。
○ かなり疲れたまる。
○ 昨晩、KIYOEさん来訪。NANIKA OKISOUNA KEHAI。

・9月28日(水)

○(17時35分) 4時30分起床、 ウオーキング中止。5時、NHKEテレで「仕事術」・「ブッタ」を観、6時25分からラジオ体操。出社。
○ 社からISHIKAWA氏に中国・青海メモメール。多分失敗。容量が大きすぎか。
○ 沖縄・NAKAMURA氏から「仲田青毛・名馬の絵画」についてメールあり。そのメールを横浜市・SADOYAMA氏に転送。
○ 社で古い新聞資料の整理。午後、新聞発送作業。

・9月27日(火)

○(19時14分) 4時05分起床、ウオーキングへ。曇り、天頂付近の雲間に木星。逢妻女川の堤防の彼岸花が咲きはじめた。
○ 6時、豊田市北セミナー出席。睡眠不足ゆえ途中で居眠り。
○ 出社、菊石ー聞く意思 の原稿、10文字×63行 終了。
○ 市長候補者 BETUFU ATUHIKO を調べる。ルーテル幼→挙母小→崇化館中→豊田西→東大→内閣府 54歳までわかる。
○ 横浜市・SADOYAMA YASUHIKOさんからメール。名馬 仲田青毛 絵画 寄贈の件。熊本県の仲田朝研さん(飼育者の子孫)に知らせる。
○ 夕刻、SADOYAMAさんとARAKIさんのメール2本をまとめて沖縄や関係者に転送。
○ 中国・青海省メモ、修整してまとめる。ISHIKAWAさんへ、2つにわけてメール。

・9月26日(月)

○(5時40分) 4時05分起床、ウオーキングへ。逢妻女川上流へ。曇り、月なし。
○ 夜中、熟睡できず。本を読んだり、暗唱したり、集中したり…。別に悩みごとはないが、季節の代わりめ、体調異変か。
○(17時28分)  出社、豊田スタジアムの原稿作成。多、雑用。
○ 夕刻、元豊田市職員・HADA氏来社、シルバー人材センターの件。
○ 終日、グズついた空模様。気分もすっきりしない。

・9月25日(日)

○(5時48分) 3時50分起床。ウオーキングへ。月齢 26.7の月が東に。空の東だけが雲がなく周囲は低い雲。予報は降雨だがその気配なし。細くなった月は、影の部分、その輪郭までわかる。
○ トヨタの土・日出勤は本日まで。幌付きトラックがこの時間でも走っている。
○(17時31分)午前中、畑でトーガン収穫。また、除草など。汗かきシャワー。午後1番に畑の周囲の測量、次期耕作放棄。
○ 午後、・TOMOKAZU君とこの間のこと、打合せ。少し安堵する。
○ OSHITAさんのウーマクシーサの原稿案作成。

・9月24日(土)

○(5時39分) 3時50分起床、4時ウオーキングへ。雲ひとつない星空。月齢25.7の月がやや東の空、その右上に火星。西空にカシオペア、そこからオリオン座の上にかけて銀河があるはず。途中、幾度も目をこらしてながめるが、あるようでない、ないようである、そんな星空。やはりここからは銀河を観ることは不可能か。
○ 4時50分くらいになると東の山並・稜線がはっきりしてくる。村積山から焙烙山、そして寧比曾連峰から左にかけて恵那山までの長い稜線は、薄化粧したように赤みをおびてくる。5時には、浄覚寺の鐘が5つ響く。
○ この季節にしては、やや冷える。耳をすましてよく聴くと、秋虫の鳴き声もいろいろでギィーと伸ばし、2~3度でとまるものからジィーと鳴き続けるものまで、それらが束になると同じ音のようになる。
○(17時42分) 午前中、庭の畑にワケギネギとネギを移植。また、除草など。
○ 午前11時、NHKBSでテンペスト 最終回 を観る。エンターテイメントとしての琉球王国崩壊ドラマとして観れば、それなりに意味があるのではないか。今、日本国の惨めなアメリカ追随外交、沖縄・普天間基地が俎上。実は、100年前とこの2つ繋がっているのだ。
○ 午後、出社。中国旅行メモのコピー。NHKテキスト「君主論」購入。
○ 豊田スタジアム原稿(案)作成。

・9月23日(金)

○(18時51分) 3時50分起床。4時ウオーキングへ。いわし雲、秋風吹く。6時「竜泉寺のゆ」へ。体を浮かせ、朝の青空、高いうす雲を眺める。至福のひと時。
○ 8時30分から庭の除草。10時、名古屋市・MASAHARU君家族とHARUさんとKOU君来訪。昼食後、鞍ケ池公園へ、若草山を徒歩で登る、こどもたちは走って登った。凄いエネルギー。
○ 中国旅行メモ、ほとんど完成。ただ、メール添付で送ることは、容量の関係で不可能。
○ 「わけぎ」球根植える。

・9月22日(木)

○(5時36分) 4時20分ウオーキングへ。台風一過、東北の恵那山は冠のみ明確に現し、下側は取り残された雨雲。天頂は月齢23.7の輝く月。その右にオリオン座、その西にオウシ座、さらせ西に木星。月の東には火星。北極星を左を上にして斜めに、上側にカシオペア、右下に北斗七星。オリオン座の左下にシリウス、横にウサギ、その下にハト。
○ (18時18分)台風一過、秋風。
○ 昼、ZEIMUSYO調査員来る。TOMOKAZU君関係。きれいに清算することだ。
○ 出社、中国旅行メモに目処。
○ 74歳の自覚。何事にも慎重に。

・9月21日(水)

○(18時29分) 台風接近、深夜降雨。5時、NHK「仕事術」、「ブッタのコトバ」を観る。6時、台風対策で戸板を打ちつける。
○ 7時出社、雑用。写真の整理。
○ 午後、台風は三重県・愛知県沖を北東方向に通過。大きな被害なし。安堵す。
○ 中国旅行メモ、UENO氏・ NISHIHSRS氏にメール添付で送致。成功。明日ISHIKAWAさんにも試みる。
○ 新聞発送日。疲れ残る。

・9月20日(火)

○(18時33分) 降雨、台風接近。4時30分起床、5時からNHK教育 遡り日本史を観る。6時豊田市北セミナー出席。
○ 出社、写真の整理、ちょっとしたコツを覚える。
○ 沖縄・YUIさんから公民教科書でメール。表紙の写真をホームページに掲載しようとするも失敗。原因不明。
○ 市役所・高額医療費の手続きへ、領収書が必要、めんどうくさい。
○ 金融機関へカードの手続き。

・9月19日(月)

○(5時51分) 4時過ぎ起床。昨夜、中国旅行反省会出席、10時過ぎ就床。NATUKOさんお泊まり。
○ 横浜市・ARAKIさんのメール、操作不手際で、メールと画像を分離して送付、二重手間となる。2通返事あり。工夫すること。
○ 今日は、敬老の日で役所・銀行も休みであることに今、気付く。
○(17時41分)出社、預かったメモリーから写真の整理。1000コマ超す。
○ 終日写真の整理。OGAWAさんの部分のみ完成。

・9月18日(日)

○(5時49分) 3時50分起床、4時ウオーキングへ。逢妻女川左岸を南下、東名高速道路側道に架かる西新橋まで往復約6㌔。月齢19.7のつぶれた月が天頂に、その右下に木星。東の山並は雨雲におおわれ、その上は真っ青な空と帯び状の茜雲。太平洋上は晴れて太陽光線を反射しているのだろう。
○ 深夜、『世界』10月号のいくつかを読む。
○(21時54分)午前中、南側の畑の除草。右薬指に水袋、破れる。予定の作業終了。
○ 横浜・ARAKIさんの画像と楽譜を関係者にメールで送る。
○ NATUKOさんお泊まり。
○ 中国旅行 反省会、"蓮"。

・9月17日(土)

○(18時30分) 5時起床、疲れあり、深夜に降雨。台風の外周の雨。
○ 7時、庭の除草。ワシントンヤシ伐採の予備作業。8時30分、名古屋市・KAMIUNTEN氏伐採作業開始。午前中に完了。降雨なし、安堵する。
○ 南側のフェンスの植栽、アサガオ・ゴーヤなど撤去。明るくなる。
○ クルマに乗らず、家の周囲の外にでかけず。こんな1日があってもよい。

・9月16日(金)

○(5時16分) 3時50分起床、月齢17.7の月天頂に、その左側に木星。気持ちのよい気温。ウオーキングへ。逢妻女川上流、トヨタ貞宝工場北側まで、往復約4キロ。
○ 歩きながらブッタ 「四諦と八正道」 の暗唱。妙なところでひっかかる。「識」と「六処」が出てこない。突然、穴があいたように。
○(18時21分) 6時「竜泉寺のゆ」へ。露天フロから白くなった月を眺める、薄い雲が月を掠めて流れる。天国にいる気分。
○ 午前中、庭の畑の除草、しっかり繁茂。土地はカチカチに固くなっている。
○ 中国旅行関係者にメモをメールで送る。
○ 名古屋・KAMIUNTEN氏から電話。明日、ワシントンヤシ撤去、工事費・預金下ろす。

・9月15日(木)

○(8時20分)  疲れあり、鼻かぜ今一不調。5時起床、身辺整理、雑用。テレビ体操と軽いストレッチ。体硬直。
○ 横浜・ARAKIさんからメール、元気。老骨にムチうたなくても、楽しく苦労することは可能。
○ 出社、木曜会議。若宮町ポスティング。
○(18時06分) 雑用。
○ 午後3時、美里幼稚園へ。HONDA SYUGO先生関係資料とどける。

ポピュリスト・ポピュイズム
語源は、アメリカ民主党にあるようだが、それはさておき、豊田市の一与党市会議員が、先の市会議員選挙で「わたしはポピュリストではないのでドブ板はやらない」と発言していた。
昔、日本共産党が前衛政党として、大衆を指導する、というようなことを主張していたころ、それを批判して、「エリート・前衛主義」として市民運動側が批判していた。
ポピュイズムを肯定的に使用するのか、否定的に使用するのか、の評価はさておく。
今、この言葉を肯定的に使用することに違和感を感じない市会議員がいること、それを肯定している人々がいることに注目したい

・9月14日(水)

○(6時14分) 3時50分起床、ウオーキングへ。月齢15.8、雲なし。カメラ持参。約60分間、川の堤防、田の中、樹木や我が家の庭などから20枚くらい名月を撮影。
○ NHK教育。5時、伊藤真の「仕事術」。5時35分から佐々木閑「ブッタ」を観る。直ぐ、庭の草花にみずをかけ、パソコン開き、メール読む。
○(19時36分) 出社、建設業完工高表完成。
○ ホームページに名月の写真を掲載する作業、どういうわけか難航。
○ 新聞発行日、午後7時過ぎ帰宅。

・9月13日(火)

○(17時56分) 深夜、中秋の名月をめでる。4時30分起床。5時NHK教育で明治維新革命の裏話を観る。6時豊田市北セミナー出席。講師はY氏。家族問題で苦悩。
○ 出社、建設工事高表ほぼ完成。
○ 青海省メモある程度まとまるが写真に難点。
○ 横浜・ARAKIさんから作曲・「おもろ」楽譜のメール。
○ 鼻風邪つづく。微熱あり。不愉快。

・9月12日(月)

○(4時54分) 3時40分起床。深夜、中秋の名月が輝いていることを確認していたので、早々とウオーキングへ。夜空すべてよし。
○ 西の低いところに月齢13.7の名月。天頂に木星。やや東にオリオン座とその周辺の星星。オリオン座の下に、ウサギ座かハト座。シリウスより下なのでハト座かも知れぬ。そのそばを点滅しながら夜間飛行機が左方向へ。
○ 秋の虫虫が一斉に鳴きだした。区別がつかぬ。ジーなのか、うなっている感じ。
○(18時34分) 出社、建設業売上高表の作成準備。
○ 青木町・O氏に資料と手紙郵送。
○ 朝夕秋風吹く。
○ 鼻風邪なおらず。軽い頭痛。

・9月11日(日)

○(17時25分) 5時30分起床、疲れあり。土手の北側掃除、汗かきシャワー。体重63キロ。中国でご馳走「地獄」を経験したが、体重の増加なし。むしろやや減。
○ このところ、佐々木閑著「ブッタ 真理のことば」を丁寧に読む。部分的には暗唱も、例えば「無明→行→識→名色→六処→触→受→愛→取→有→生→老死」。この意味はわからないが、煩悩の素のようだ。
○ 午後、NHMBS「9.11」関連、イギリスBBC製作「対アルカイダへの拷問」のドキュメントを観る。それは「欧米の民主主義の死滅」でなく「正体をあらわにした」というもの。欧米民主主義などもともとなく、そのメッキがはげた、ということ。
○ 蝉・つくつくぼうし 鳴く。秋風。聞き耳をたてると、秋虫があちこちにいる。
○ 山本義隆著「福島の原発事故をめぐって」33ページまで読了。原発の歴史、わが国での経緯など知らなかった数々。最良の入門書。

・9月10日(土)

○ 疲れが溜まっている。5時30分起床。7時から1時間、庭の除草。
○ 中国・青海省旅行記録まとめる。ただ、写真が掲載できないことが残念。
○ 和歌山市・M氏へ手紙とCD送る。
○ テレビ・ドキュメント 9.11事件を観る。アラブ世界からみると真珠湾以上の「快挙」。

・9月9日(金)

○ 父政蔵の誕生日。生存していたら102歳。
○ 5時起床、鼻風邪か、花粉症か。頭痛。6時、「竜泉寺のゆ」へ。無茶かもしれないが10日ちかく頭を洗っていないので意を決してでかける。
○ 出社。雑用こなす。小坂本町周辺でポスティング。
○ 昼休みをはさんで2時間、HP作成。
○ 3時から矢作川をさかのぼり旭まで。4時、歯科医院へ。
○ 和歌山市・M氏から手紙と「本」・山本義隆著「福島の原発事故をめぐって」。以前、書評を読んだが、おそろしくて購入する気になれなかった。真正面から対峙することにしよう。

・9月8日(木)

○ 昨晩11時過ぎ帰宅。シャワー浴び、深夜12時就床。今朝5時起床。体調、やや不良。風邪ぎみ。
○ 出社、土産もの届ける。
○ 午前中で帰宅。体、だるい。
○ 青海省写真の整理。前半部分の写真を誤って消去。愕然となる。
○ 5時、庭の樹木、切り込み。

・9月7日(水)

○ 陜西金座大酒店を雨の中、7時45分出発、西安飛行場へ。
○ 検査で白酒と薬用酒の2本を没収される。封を切っていなければ良いと思いこんでいたのが間違い。
○ 気流の関係で出発時間が約1時間のびる。飛行機はCA1232。変更の告示はゲイト入り口の横に張り出される。アナウンス放送は中国語と英語。これはさっぱりわからない。12時28分飛行機が動きだす。
○ 午後1時48分、着陸体制に入り、窓から下を観察。道路は整備されており、農村集落も規格化されている。2時07分北京空港に着陸。
○ 北京空港の販売店で酒、Tシャツなど購入。6時45分離陸、一路中部国際空港に9時30分着陸。10時10分の豊田市行きのバスに間に合うかどうか、気もむ。しかし、入国手続きはいとも簡単。バス乗り場の上空に月明かり(月齢10くらい)。安堵する。午後11時50分帰宅。

・9月6日(火)

○ 8時30分、陜西金座大酒店出発。市内観光へ。
○ 城壁内はそのままにして郊外に高層ビル群を林立させているようだ。このホテルの眼下には4車線の道路が走り、どうやら南東にあるようだ。
○ 大雁塔の200㍍くらいの周囲は、大きく変化していないが、500㍍くらい離れたところに巨大な商業施設が建設されていた。
○ 秦始皇帝兵馬俑博物館、華清池、青龍寺を見学。華清池では、西安事件の現場・捉蒋亭の見学はなかった。代わりに台湾の高官が華清池を見学した時の写真が掲示されていた。時代の変化。
○ 秦始皇帝兵馬俑博物館の周囲はかなり整備がすすんでいた。博物館の建てやまで1㌔くらい歩いた。喫茶店で値段(800円くらい)高いコーヒーを飲む。ここで買い物(翡翠のトラ)。
○ 青龍寺は空海ゆかりの寺、事跡に寺を再建したもの。商売熱心なガイドが必死に売りつけようとしていた。このお寺は、日本と中国両国仏教会が共同出資で建立した。
○ 夕食は、民衆の食事ということで秋林公司の飲食街1階。超満員の中で7人分の席を確保。そして、隣に居合わせた中国の若者と片言の中国語で話かけ、大いに盛り上がった。日系企業・ニコン(カメラ)で働く若者にカンビールをさし入れ、カンペイ。

・9月5日(月)

○ 4時30分起床、5時出発準備。6時集合。西寧飛行場(XINING AIRPORT)へ。07時08分西安市へ。ここから西安市までは日本人のみの旅。
○ 西安市には1981年10月6日(泊・人民大厦)に訪問している。2度目。今回の宿泊は陜西金座大酒店(3つ星)=西安市雁塔路北鈴78号。
○ 3時過ぎ、足もみマッサージのお店に全員入る。長方形の部屋に並び、足湯から始まる。眠くなる。足湯のマッサージ嬢?に数名が話しかけ、大いに盛り上がる。おかしな日本人と思ったに違いない。
○ スーパーマーケットで中国の習慣に従って買い物。買ったものを持つてレジを出たら、再び買い物を持つて入れない。また、サイフ以外の持ち物は預処に預けて入場というスーパーもあった。
○ 6時30分、陜西歌舞大劇院(食事付き)で「唐楽舞」を観劇。8時開演。題目 1.華清宮 2.舞踊 3.排筝独奏。解説は中国語と英語。日本語はない。

・9月4日(日)

○ 香格里拉○館はきれいなホテル。暖房を入れずに睡眠。朝食は庶民のものを所望。近くの食堂へ。労働者や若者。油条(ユーチョ・油で揚げ田食物)、おかゆ、まんとう。そばの若者に声をかけると大学生で、本日は試験、とのこと。値段は日本円にして1人30円くらい。
○ 雨降りなので一路西寧市へ。途中、雨の中、湟原市(10時45分)の丹喝爾城を見学。10元で折りたたみカサを購入。有料トイレを使用。
○ 劇場に入る。題名は「丹喝風」とあった。民族衣装のオンパレード。きれいであった。
○ 夕食は店の名前「順風肥牛」=西寧市小橋大街45号・金橋酒店3階。
○ 都心にある夜店を探索。福口街夜店。7時30分ホテル=青海穆斯林(MOSLEM)大厦にもどる。ここで旅の費用の計算をおこなう。値打ちな価格に感謝。

・9月3日(土)

○ 8時30分、青海穆斯林(MOSLEM)大厦を出発。目的地は西海鎮のパオ、そして市街地のホテル。
○ 途中の景色。悲恋の妃の物語のある日月峠はあいにくのガス、何も見えない。草地と草原は違い(草地は牧草の繁茂している地帯、草原は自然まかせの荒地に各種の草がはえている)。砂漠化している地帯と砂丘の遥か向こうに青い「青海湖」が見える。
○ 予定ではバオで宿泊することになっていたが、8月末で閉鎖。それに小雨なので西海鎮のホテルに予定変更となる。
○ パオの施設内の接待所で昼食会。ここに、中国側から一昨日歓待を受けた家長の親族の病院長や技師も参加。かわいい12~3歳の少女も父親に同伴。
○ 中国式の歓待の儀式は、小さなお盆に小さなを並べなみなみに強いお酒を「天と地に感謝して」つぎ、2杯づづ一気に飲む。日本側はI氏が代表して応対。
○ 施設内のトイレはきれい。水は冷たい。気温は日本の11月末の早朝くらいか。
○ 西海鎮について解説ー西海省北チベット族自治州にある。かっては、原爆・水爆を製造していた秘密軍事基地であったが、今は12.000人の人口を擁し、年間80万人の観光客が訪れる。かっての核兵器基地は今は生活エリア、政府庁舎、博物館、観光地となっている。
○ 「草原情歌」のCDを購入したい、と要望したところ、いろいろ手配し、歌の発祥の地記念館へ案内してくださった。先の少女が走りまわり大活躍、感謝。元歌の題名は「在那遥遠的地方」。
○ ホテルは、香格里拉賓館(シャングリラ)=西海鎮剛察路64号

・9月2日(金)

○ 青海穆斯林(MOSLEM)大厦を出発、小雨。
○ 西寧市から北方の門源市へ。途中、トンネルの手前に標高3792.75㍍の標識。富士山より高い。この峠(ここで記念の石を採取)を越える。耳鳴り、頭痛を訴える会員もでた。
○ のぼりきったところに峠のトンネル。トンネルをくぐりぬけると景色が一変すると案内者。説明によれば、祁連山脈の間の盆地状の丘陵地一面に菜の花が咲く7月から8月は花がきれいさだけでなく、香りまでただよう、とのこと。中国、今青海観光ブーム、夏期はクルマの渋滞が発生する、という。
○ 門源市は高等学校が設置されているくらいの大きさ。ここを抜け、並木道を20分くらい走ったところに目的地・青海省門源泉口鎮○台村。ここの農家を訪問。
○ 農家で大歓待をうける。一族こぞっての中国農民料理をふるまってくれた。それも2軒も訪問した。名残りはつきぬが本日中に西寧市に戻らねばならない。
○ 農家には、ベランダのようなところに総ガラス張りのサンルームがどこの家にもつくられている。冬期、洗濯物を干すこともできる。ただ、トイレは居宅から15㍍くらい離れたところにあるので、どのようにしようするのだろう。お尻をだせば凍えてしまうのではないか。
○ 西寧市にもどり、再び初日訪問したS家へ。9月2日がI氏の61歳の誕生日祝いをケーキ付き、盛大おこなう。
○ 深夜、青海穆斯林(MOSLEM)大厦に戻り宿泊。

・9月1日(木)

○ 中国・青海省旅行へ。ある中国語の勉強会ツアーにまぎれこみ7日までの旅。
○ 6時名鉄トヨタホテルから中部国際空港へ。9時20分発北京行き、11時55分北京着。16時35分青海省都・西寧空港着。
○ 夕食は、民間人宅。都心中の都心、繁華街と中央官庁、大広場に接近している高層マンション。ここの窓からの夜景が実に素晴らしい。、イルミネーションをほどこした青海省博物館は、豊田市の小島プレスの寄贈。
○ ここの品のよい老女(74歳)には、長老としての品格を感じた。家族あげての大歓迎・もてなしであった。それは、われわれ一行の団長格のI氏が、ここの家長と長年にわたる友好のつみかさねがあった。
○ 宿泊ホテルは、青海穆斯林(MOSLEM)大厦=西寧市七一路65号。イスラム系。
○ ムスリムマンション12Fが部屋。豪華な装飾はしてあるが耐用年数を過ぎていて電気配線の不備なのか電気スタンド、たちスタンドとも点灯できず。水まわりも悪く、トイレの水か゛流れなかった部屋もあった。窓からは電飾されたムスリム寺院の屋根がみえる。眼下にはには、「西寧市○泉小学」とあり「創特色名校」「育世紀英才」とあった。すなわちエリート校を目指している、の意味か。



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