渡久地(TOGUCHi)政司(MASASHi)日誌 日記

2024-06-08 13:16:11 | 老牛たる遠吠え モォー

 

2024年6月    老牛の遠吠え 

2024年6月30日(日)

◯ 4時30分ウオ―キングへ。雨雲リだが降雨無し。急ぎ足で一周する。6月の最終日、感無量。来年はないはず。想起していない。夏は何とかクリアするが10月ーこのあたりが最終日ではないのか。7時、万歩計6487歩。

◯ 8時、イヤホーンで(NHK名曲の調べ)ベートーヴェンとバッハの曲を聞く。静かなので耳の鼓膜を痛めずにきけた。半分は睡眠。9時 、「NHK日曜討論 アメリカ大統領選挙 対決」 解説は所詮評論に過ぎない。

◯ 万歩計7152歩。

 

 

2024年6月29日(土)

◯ 4時30分ウオ―キングへ。雨曇り、何とか降雨無し。室内で歩き、6時までに6000歩達成。本日も下腹の張りはつづく。昨日の下剤は昨日の午後に効果あり。

◯ 朝日新聞の記事で、今朝「鳥山明」を初めて知った。調べてびっくり、有名人ではないか。名前は見ていてもその気になっていないので記憶されていない。50年ほど昔、「ビ−トルズのレオン」が死んだ時、MASAHARU君がビックリしたので、「有名人なのか」と聞き返した。「レオン」を記憶していなかったと同じか。「鳥山姓」は豊田市にもいた。

◯ 万歩計 6134歩。

 

2024年6月28日(金)

◯ 夜来降雨。NATUKOさんお泊り。4時30分名古屋の自宅に帰宅。5時50分下剤3粒飲む。本日は終日降雨の予報。室内閉じ籠り。本格的降雨。

◯ 「カスタマハラスメント」が分からなく調べる。昔からあったこと。客からの嫌がらせ、役場や店で大声をあげる。イチャモンをつける、など。こちらもよくやったしやられた。弱者の抵抗手段でもあった。土下座して殴り込みをかけてきたヤツもいた。英語にするとスマートになるが内容は大差なし。

◯ 昼食後下剤2粒追加して飲む。効果ありや無きゃ。

◯ 「ヒップホップ」を調べる。名前は知っていたが内容はまったく知らなかつた。中学では禁止されているようだ。テレビで見たり聞いたことはあったはずだが関心がなかったので記憶になかった。

◯ 万歩計1283歩。

 

2024年6月27日(木)

◯ 4時30分ウオ―キングへ。東は雲なし。西は薄雲。天頂に白い半月。やがて眩しく輝く太陽が稜線から飛び出してきた。

◯ がん治療の最終段階の「緩和ケア」をyahooで調べる。納得。開始は7月1日から。トヨタ記念病院。

◯ 正午のラジオで「昼の憩い」をひさしぶりに聞く。ペギー葉山のケセラ セラ 「後のことなど」と記憶していたが「先のことなど」だった。「昼の憩い」のメロディーは70年くらい前から聞いていたように思う。

◯ MiYANO    FUMiO氏からの通信ーーに返信。咽頭がんが見つかった時、「これで良い」と言う言葉=教訓 に勇気を頂いた。 MARUYAMA   TOSHiO先生の人生最期の言葉。

◯ 万歩計 6596歩。

 

2024年6月26日(水)

◯ 4時30分ウオ―キングへ。雨雲、東のの稜線も雨雲に被われていた。湿度が高く息苦しい。猛烈な汗💦、疲れ。体調も良くない。

◯ Facebookの反応(がんセンターから撤退)は今一、だがこんなものかもしれない。

◯ 新聞に「リスキリング」があつた。意味不明、検索ーー 再教育や再検討、再編成、再構築など、とあつた。40〜50代の男性会社員が「リスキリング」で転職を強制されている。安全 安心 安定 した社会が理想。わからない英語のはんらん。

◯ 万歩計 6255歩。

 

 

2024年6月25日(火)

◯ ラジオ深夜便「沖縄戦 安田味知子」を聞く。

◯   8時、がんセンター、採血、11時診察。12時30分最終手続き完了。14時、玄関先で記念写真撮影。約4ケ年この玄関をくぐった。咽頭がん、食道がんの手術を行い、胆のうがんが見つかり、抑制治療を17ケ月行い、本日終了。がんセンターの方々に感謝。最高の人生経験をさせていただいた。

◯ 万歩計 8924歩。

 

2024年6月24日(月)

◯ 夜来降雨、4時30分雨あがる。ウオ―キングへ。西と南に厚い雨雲、天頂から東のみ雲が切れていた。東の稜線にも雨雲。急ぎ足で一周。猛烈な汗💦。

◯ 深夜、ラジオ文芸館 田辺聖子「淋しがり屋さん」を聞く。神戸の下町のドヤ街の話。「福原」の地名が出た。1958年6月ころ、神戸市兵庫区福原を訪ね彷徨っていた。交番で「安全で、安く泊まれる旅館」を教えてもらった。目的は沖縄の従兄が神戸で死んだ。死んだ場所、働いていた工場と遺骨のある場所の調査だった。死んだ場所は在日CYOSENjiN経営のバラックの居酒屋の2階だった。「迷惑している」と件もほどほどに追い出された。働いていた工場で遺骨は須磨の寺にあることを確認し、沖縄に報告した。その後、沖縄にのめり込んだ。今の自分があるのは、この事案があつたからだ。

◯ 4時 深夜便「絶望名言 カフカ」最初を聞く。「人物評価は、対象人物の死後に決まる」は、客観的事実のみを対象に検討出来るので、理解。「自分は失敗も出来ない」は、何もしなければ「失敗」はしない。「失敗は成功のもと」は、「犬も歩けば棒に当たる」の言い換え。それ以下の絶望が「失敗も出来ない」。理解。

◯ 下腹の張りは、本格的。

◯ 万歩計 6219歩。

 

2024年6月23日(日)

◯ 本格的降雨。室内で歩く、午前7時まで、約600歩。87歳となり、視野が狭くなった。自分の身体のことを考えることが多くなった。まず両手をこすり、シゲシゲと眺める。小さいな傷や皺、血管の膨らみは何度眺めても飽きることがない。

◯ 沖縄戦 79年  慰霊の日

MASAKOさん6歳6ケ月ーーで体験。1946年4月小学1年生。沖縄戦の記憶を2015年7月に朝日新聞で語り掲載された。貴重な記録。

◯ 午前中「日経新聞」を丁寧に読む。人生を振り返り記録しておくべきことは何か、となると何もない。わざわざ記録すべきこと、とするとない。どうでもいいこと、ならいくらでもある。記録しても、誰も読んでくれなくても良い、捨てられ燃やされてもいい、その確率が高いが今気安めに書く、なら書ける。エネロスでも87歳のボケ防止になる。

◯ 万歩計 1068歩 。

 

 

2024年6月22日(土)

◯ 4時30分ウオ―キングへ。朝焼け。高圧鉄塔と電線の通るコースと鉄塔の位置を確認しながら歩く。岩津天満宮の本体は電線の西側、本体のすぐ東に電線が南から北に走っていた。太陽は鋭い光を放ちながら昇った。昨日が夏至。予報は今晩から降雨。

◯ 新聞丁寧に読む。夕食後、下剤2粒飲む。

◯ 万歩計 6342歩。

◯ 新聞記事の一部を切りとりFacebookに転載。

 

2024年6月21日(金)夏至

◯ 夏至、梅雨入り、昨晩NATUKOさんお泊り。先程名古屋市の自宅にお帰り。時が間違いなく回転している。岡崎に来て約3ケ月。体調も確実に変化している。変わり始めたら早いようだ。ここ一両日ではっきりするはず。

◯ 午後雨上がる。ウオ―キングへ、矢作川左岸から天神橋往復のコース。約5000歩。猛烈な汗かく。

◯ 美空ひばりの「みだれ髪」が気になり調べる。作詞星野哲郎の詩が凄い、背景にひばりの人生があるようだ。ひばりの最後の歌。詩も大変難しい文字が並んでいる。ひばりは昭和12年5月29日生まれ、こちらは6月2日生まれ。同学年、時代が同じ。中学1年の時、名前を知った。「同じ歳なのに大人の歌を歌いやがって」「味噌が腐る」と気になったので貶していた。終わり良ければ全て良し。

◯ 万歩計 6019歩。

 

2024年6月20日(木)

◯ 4時30分ウオ―キングへ。薄曇り、予報は今夜から梅雨入り?岩津天満宮の裏山から太陽が燃えあがっていた。本日は食道がんの3ケ年目の検診。朝食ヌキ。

◯ 9時30分がんセクター到着、食道がん検診。のどから管を入れる。かなりの痛み、がまん我慢、検診結果は再発してない、安堵する。今後、がん治療は行わない、旨伝える。

◯ 3時過ぎ帰宅。下腹張る。下痢症状始まる。病状新しい段階に入ったか?

◯ 万歩計 7447歩。

 

 

2024年6月19日(水)

◯ 4時30分ウオ―キンヘ。湿気が多く霧が低く漂っていた。太陽が稜線を昇るのをスマホで撮影。岩津天満宮の裏山から顔を出した。森が燃えている感じ。太陽が肉眼では輪郭が確認できたが写真ではボケていた。朝火、燃えていた。

◯ 「世界 7」 古波蔵契「沖縄戦後史 」再読、丁寧に読む。納得。豊田市の戦後史、総括ができていない。市政研運動の消滅にも繋がる。渥美の明平 清田の運動にも繋がる。労働運動、市民運動、革新運動の消滅の解明の参考資料でもある。

◯ 体調ーー下腹張り、左腕張り。疲れあり。

◯ 万歩計 6287歩。

 

2024年6月18日(火)

◯ 梅雨前線が上がってきた。予報は深夜から朝、日中までかなりの雨量とのこと。本日梅雨入りの発表があるだろう。全て受け入れることしか出来ない。そこから巳の出来ること、やれること、またやってはいけないことを決断する。87歳なのだ。

◯ ラジオ深夜便「全盲冒険家 岩本光弘」を偶然聴く。感心する。

◯ 朝食は「きなこバナナブレッド」が主食、ヨーグルトにバナナ。満足。

◯ 午前中、星山医院へ。咽頭がんが見つかってから4年経過、結果について報告する。

◯ 3時30分ウオ―キングへ、強雨あがる。学校帰りのこともたちとすれ違う。猛烈な汗をかく。下着交換。

◯   万歩計 6898歩。

 

2024年6月17日(月)

◯ 4時30分ウオ―キングへ。雨上がり、朝焼け、路面濡れ跡。湿気大。息苦しい。太陽はもろに出現、眩しい。体調やゃ低下か、左手に軽い腫れ。下腹も軽い腫れ。気力は低下せず、旺盛。沖縄県議選挙結果、まァこんなもんだろう。人間イジメられて強くなる。大雨降っていたし……。

◯ 朝日新聞6月13日掲載、山極寿一「適応と分散」を読む。科学的社会主義が権威を喪失した背景に当てはめて考えた。また、「エネロス」と言う言葉で時間を重視して物事を判断してきたことを反省。これからは、個性を尊重した「適応と分散」の時代を目指すべき。

◯ 「ナラティブ」を調べる。時間軸にストーリーを組み立てる。言い換えーーでもない。物語ではいかんのかな。

◯ 万歩計  6130歩。

 

2024年6月16日(日)

◯ 4時、予報は「今後1時間は雨が続くでしょう」、確認するとやはり霧雨。5時30分ウオ―キングへ。路面はかなり濡れていた。東には雨雲、天頂から西は雲が切れ始めていた。東名高速道路側道の樹木から雨☔️が落ちてきた。湿気が高く息苦しい。下着取替、水分補給。かなりエネルギー消耗。

◯ 化膿止めークラリシッド 薬 飲む。

◯ 午後、ふとヤマギシ会が頭に浮かんだ。ウィキペディアで検索。ヤマギシ会がダメならコミニズム社会もダメ、と以前書いた記憶がある。組織論として動物である人間は完全平等社会を実現するのは不可能ではないか。しかし不完全平等関係を実現するための努力は小から大へ、と願いとして、人間社会の中から発生するのではないか。過去、古代仏教社会にも似たような考えと構成があったのではないのか。ひょっとしたらイエスの運動にもあったのではないのか。ヤマギシ社会評価は未来の歴史に委ねる。気になる存在。

◯ 万歩計 5853歩。

 

2024年6月15日(土)

◯ 4時00分ウオ―キングへ。朝焼け。湿度高い。息苦しくなる。気合入れて歩く。昨日から新しいシューズーー(NORiさん)から贈与・感謝 。

◯ 朝、下剤2粒飲む。午前中、効果なし。どうなることか。午後3時排便あり、安堵する。

◯ 午後1時歯科医院へ。抜歯、安堵する。80年近く身近にいた歯とお別れした。感謝。

◯ 万歩計8408歩。

 

2024年6月14日(金)

◯4時00分ウオ―キングへ。NATUKOさんと一緒。矢作川左岸と天神橋コ―ス。快晴。東の山並み朝焼けでくっきり。北の地平には猿投山と三国山。気分最高!

◯ 朝1、昼1下剤飲む。午後2時現在効果なし。下腹は張りオナラは出るが出るモノがでない。このような状態が続くのか。がんの進行は緩やかなのだろうが悪くなっても良くはならない。付き合っていくしかない。

◯ 上側の右の歯がグダグダになりぶら下がって痛い。

◯ 万歩計 6157歩。

 

2024年6月13日(木)

◯ ラジオ深夜便 「脳外科医 認知 若井普の妻」―――

死を生きる――死への歩み。参考になった。

◯ 4時30分ウオ―キングへ。曇り。うぐいす10回囀る。カラスよくなく。

◯ 「世界 7」古波蔵契「沖縄戦後史 故郷の喪失と創造」 島ぐるみ闘争と今。 説得力あり。参考になった。

◯ 胆嚢がんーー腹水と黄疸ーーを調べる。黄疸症状はまだないが腹水ははじまったようだ。下腹が張ってきた。

◯ 「世界 7」一番難しい日本文ーー池田澄子さん俳句ーー不機嫌な日ーー感心する。

◯ 万歩計 6354歩。

◯マツチで火を付けポンプで消す。両方で利益を得る。

2024年6月12日(水)

◯ ラジオ深夜便   岡野雄一「ペゴロスの母に会いに行く」認知症の母 漫画など。 岡野が巳の家族と年齢が近い。参考。

◯ 4時30分ウオ―キングへ。弱い朝焼け。南に雨雲のかたまり。元気よく一周。痛み止め服用せず、経過みる。今朝6時、下剤2粒8時、排泄あり。3日ぶり。安堵。

◯ 10時00分再びウオ―キングへ。国道248号線を南へ、上里町をこえたあたりから引き返す。かなりの日照り、予報は30度。下着取替。

◯ 「岸田文雄」の名前を経った今、確認し記憶の中に入れた。文雄は小学生時代の同級生にいた。87歳の知識記憶力はこんなものか。

◯ 「世界 7」森本あんり、寺島実郎、蓮池薫を丁寧に読む。

◯ 万歩計10543歩。

 

2024年6月11日(火)

◯ 4時30分ウオ―キングへ。快晴。東名高速道路の陸橋岩津温泉橋を渡ると右側の高木からグゥ〜の鳴き声、すぐにホ〜ホケキョ ケキョ のうぐいすの囀りの鳴き声。岩津天満宮の裏山の鬱蒼とした森林からは鳥たちの声は聞こえてこない。人家近くの大木が棲み家なのか。

◯ 6時30分愛知がんセンターへ。11時診察完了。検査結果を聞く、がんは進行している、お腹に少し水がたまっている。 ーーー がん抑制治療を辞退する旨を伝える。1年6ケ月点滴治療を行い成果あり、感謝を伝える。点滴治療は本日をもって完了。感動?している巳がいた。

◯ 「世界 7」受理。

◯ 万歩計 9100歩。

 

2024年6月10日(月)

◯ 夜来降雨。予報は5時過ぎ止む?らしい。準備だけはしておこう。このところ、時間が気になり秒を数にして100まで数える。2〜3度繰り返すと記憶が無くなリ、多分このころ眠リに入ったのだろう。秒単位で人生を考え、秒から無限までの時間を夢想する、その間は「無」なのだ。

◯ 5時過ぎ雨上がる。ウオ―キングへ。路面は水溜り。靴が濡れぬように注意。西空は晴れ、東空には雨雲。雨上がりは気分最高。

◯ 本日は昼食抜き。午後愛知がんセンターで胆嚢検査。がんが見つかってから1年半、これ以上命を永らえる必要なし。結果に左右されることなく治療は取り止め。

◯ 渡刈のOKADAさんとの超不思議な縁。WATANABE家とも超不思議な縁。こんなこともあるのだ。詳細は未記載。

◯ 午後愛知がんセクター、CT検査、造影剤注射。結果は明日判明。決断の時。

◯ 万歩計 6738歩。

 

 

2024年6月09日(日)

◯ 降雨。ラジオ深夜便を聞く。畑村洋太郎「失敗学」。87歳になってから知る分野、知識、体験がある。ガン体験、老人体験、弱者体験などなど。失敗は誰もがする。まず受け入れて原因を見つける。改善する。老いに原因がある時は、60秒数えてから、素直に受け入れ巳のモノとする。クヨクヨするのも「老い」の現象。受け入れてしまえばアラ不思議、消えてしまう。

◯ 7時ウオ―キングへ。霧雨程度。天満宮周辺の街路樹はみな大木、約1000メートル弱。この間でうぐいすが元気よくさえずる。昨日に続いて本日も歩きながら数えたら何と16箇所で確認した。ホ〜ォホケキョ キョ。

◯ 1週間前の6月2日が87歳の誕生日だったなど考えられない。遠い過去、この1週間は一体何だったのか。何かあったのは間違いない。しかし形になってないし臭いになっていない。音も色もない。どこにもない。しかし何かあったのは間違いない。87歳はこんなことしか考えていない。頭の芯からボーンが伝わってきた。まさにボーン〜。

◯ しまあじの刺身を沢山食す。

◯ 万歩計 5975歩。

 

2024年6月08日(土)

◯ 4時30分ウオ―キングへ。快晴。東の稜線に少し 雲、朝焼けになっていた。岩津温泉橋を渡った樹林でうぐいすの勢いのある冴えずリ、数えることにした。何と10度も冴えずっていた。びっくり。

◯ 8時40分、西の矢作川方向へウオ―キング。国道248号沿いに青木川堤防から矢作川左岸堤防を北上。天神橋を渡り、豊田市畝部から引き返す。          天神橋の思い出を書く。今から75年ほど前、昭和24年ころ、同学年の渡邉正清君と名鉄岩津駅から天神橋を渡って畝部の農産物集積場まで買出しに行った。歩いて渡ったのはその時以来。感無量。約6000歩歩き、汗ダクダク。引き返す。本日は貴重な一日となった。

●天神橋欄干から矢作川下流↓水面に岩が露出していた。左岸に港の跡(階段)。

●旧岩津の川の港があった位置に設置されていた。↓

◯ 午後2時、ウオ―キングへ。今度は旧街道を南下。約2キロ、折り返す。汗ビッショリ。軽い排便、濡れる程度。今朝の薬の影響か。

◯ 万歩計 16003歩。

 

2024年6月07日(金) 

◯ 4時00分ウオ―キングへ。NATUKOさんと一緒。夜明前の静けさ。NATUKOさんが猿投山の話をする。しばし会話。日の出前にNATUKOさん名古屋へ帰宅。

◯ 深呼吸。目を閉じ、数字をゆっくり数える。時間の中に気持、心と身体を流し込む。自然の中、宇宙の中に入る。一体となる。極楽。

◯ 時間とは? 大きさ、形が無い、臭いは無い、流れているなら方向があるはず。なのに数を数えたら「時」と人間が名前を付けた「何か」が「過ぎるのか消える」のかわからないが「移動」することは確か。時は存在していることは確かなのだが、その正体は何かについては確定はできない。

◯ 朝日新聞をまとめて斜め読み。政治は流れを知る。Aiはバラバラ。文化はらしきもの無し。スポーツは即飛ばし。社説ー説得力無し。

◯ 万歩計 6240歩。

 

2024年6月06日(木)

◯ 4時30分ウオ―キングへ。弱い朝焼け。岩津天満宮の森でうぐいす鳴く。聞き納めか。気分よく一周する。87歳の年寄にしては健康だろうが認知の方はかなり劣化しているはずだ。同じ話しを繰り返す。気配りができない。

◯ 2時NHKラジオ「藤川幸之助 認知症 母親 介護」を聞く。巳は母親の心に添っていたか? 妻の心に添っていたか?否。資格はない。

◯ 日経新聞を抜粋しFacebookに掲載した。87歳になっても反骨精神は衰えない。

◯ 見た映画の最初の記憶は、「無法松の一生」(昭和19〜20年ころ中国天津の映画館・母親と一緒)、松が幼少の頃、父を訪ねてさまよい歩くシーン、こわかった。後日、大人になってから2度この映画を鑑賞した。

◯  万歩計 6175歩 。

◯ 日経新聞記事抜粋

2024年6月05日(水)

◯ 4時30分ウオ―キングへ。快晴。探したが雲はまったく見えない。超細の月も消えた。野鳥もチチと鳴くだけ。カラスは2羽縦に並んで飛んだ。太陽は眩しいので見なかった。帰宅後入れ歯を入れる時、激しい痛み、がまんして3回目に入れる、どうなることか。

◯ 11時30分、日経新聞読了。新知識なし。反中国、追随米。金融バラバラ。インドとメキシコに少し期待。Ai記事バラバラに配置。

◯ 小学4年のころ、読んだ本「マッチ売りの少女」ー2〜3回読んだ。涙がでた。結末は全てハッピー、と思っていたのでショックを受けた。

 小学5年のころ、「家なき子」ー を読んだ。貧しくとも夢がある、希望があるとして読んだ。

 中1のころ「次郎物語」ー を読んだ。感激したがストーリはみな忘れた。

 大学1年のころ、「静なるドン(チヒードン)」ーを読んだ。期待はずれだった。革命と縁がなかった。今、思うと本物のロシアとウクライナのなりたち物語で評価されて良いストーリだった。ドン  ・コサックの哀し物語でもある。

◯ NHKラジオ「アマゾン先住民族と南研子」を聞く。知らない世界から人間の生き方を学ぶ。

◯ 午後3時、岩津高校北.岩津小学校西を通るコ―スを散歩。真福寺街道案内石碑の写真を撮影。

 

 

◯ 万歩計 8578歩。

 

2024年6月04日(火)

◯ 4時30分ウオ―キングへ。快晴。細くなった月が天頂から東へ。東の山並みに雲なし。天神橋東交差点から南に折れたところで東を見ると太陽が素肌かで飛び出していた。眩しくて輪郭もわからない。

◯ 6時30分愛知がんセンターへ。8時前に到着。早々に手続き完了。9時前に採血完了。10時診断完了。午後1時点滴開始。針が刺さりにくい。右手に2ケ所。

◯ がんセンターは極楽。地獄から患者が押し寄せる。極楽の民が忙しく手当てをする。そこで冷静になって観察をする。目を閉じ、音を聞く。点滴で居眠りをした。巳はなんと幸せいっぱいか。

◯ 芥川龍之介の「蜘蛛の糸」の「かんたた」のストーリーが頭をよぎった。初めて知ったのは昭和21年3月末、中国天津の収容所。僧侶の紙芝居。がんセンターで「かんたた」の名前がまず最初に出てきた。オレは「かんたた」ではないのか。

◯ 万歩計 8118歩。

 

2024年6月03日(月)

◯ 4時30分ウオ―キングへ。雨雲が少し残る。路面にはところどころ水たまり。朝日は眩しい塊で姿を現せた。元気よく一周。ラジオ深夜便で 「ディク・ミネ」 を特集していた。「人生の並木道」はわかった。深夜、写真を操作したがうまくいかない。ちょっとしたことだが。慌てい。

◯ 写真掲載でいろいろ試みる、偶然掲載が出きた。

◯ 痛風を調べる。恐ろしい病気であることを初めて知った。自分の尿酸値を調べる。低い。今まで痛風を言葉では知っていたが、かかってしまうと回復がむづかしい、とは知らなかった。健康が如何に大切か。

◯ 万歩計 5873歩 。

 

2024年6月02日(日)

◯87歳誕生日 トーカチ

◯  4時40分ウオ―キングへ。弱い雨曇がただよう。東の山の稜線は輝き始めた。変な気候、変な気持ち。87歳なのだ、を幾度も繰り返しながら歩き続ける。日中降雨の予報。

◯ 沖縄 数え88歳 旧暦8月8日 トーカチの祝。本日誕生日にトーカチの祝を兼ねて「政司一族が挙行」してくださる。ありがたく受け入れる。言動には細心の注意を!ボケること。

◯ 正午雷鳴、今年初体験。よりによって本日とは!祝ってくれたと理解する。87年前、父は29歳、母は26歳どのような心境だったのか。想像する。わからない。直後、見知らぬ三河に旅立った。無謀か?三河しか行くところなかったのかもしれない。苦労したが結果は良かった。三河に約3年いて中国天津に約5年、昭和21年4月再び三河に舞い戻った。以来、約80年。多くを経験できた。後遺症は残り、取り返しができない悔いはある。だが、今さら悔いてもどうにもならない。全部引受るしかない。

◯ 午後5時から誕生日を祝う会を盛大に開催していただいた。感謝。写真掲載。私いれて総勢14人。

◯ 万歩計 7712歩。

 

 

2024年6月01日(土)

◯ 3時27分タブレット開く。6月になったのだ、を確認する。胆嚢がんが見っかつたのは昨年(2023年)1月。余命1ケ年と思った。それが1年半も伸び、まだ最終の兆候は現れていない。感謝すべきなのに実感が湧かない。小堀鴎一郎著「死を生きる」を熟読した。最終は下痢と痛みと苦痛との格闘なのだが、周りの人々への気使いはどのようにあったらいいのか、考えたことがなかった。ただただこころの内での感謝しかないのか。

◯ 4時40分ウオ―キングへ。東へ、岩津高校南を抜け東名高速道路下り方向側道を約500歩登る。岩津温泉橋を渡り住宅街を周り岩津天満宮東側の山の裾野を西へ、天満宮入口に到着。ここがこのコ―スの最高度地点。ここから南西方向へ急坂、大鳥居をくぐる。西へ。国道248号天神橋東で左折、南へ。「真福寺へ」の大看板を東へ。一周約5000歩。248号から東を眺めると、天満宮の小山には太陽が飛び出し猛烈な眩しさ。確認できない。毎朝のコ―ス、夏には大汗かくだろう。夏をこせることが出来るか、体力、気力がかかる。

◯ 朝食後下剤3粒飲む。効果無し。昼食後下剤2粒飲む。効果あり。名前「センノシド」。

◯ 万歩計 6102歩 。



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