VIVA! HOUSEKEEPING

『孤高の人』と人間の尊厳


さて本日は ジージョのSwimSessionに帯同 っとその前の 午前中は
STRIDERのTraining ボクとは 初めて乗ったんじゃないかな

ずっと『こわいこわい』と言って 乗っていなかったが スッと乗ったね

ベビーカーでお昼寝 SwimSessionへ チョージョ妃の時から帯同しているが
初めての子には 何でも全力投球させがちなのが 親と言うものである(当社比)

なので ジージョ妃には あまり親目線で 無理強いさせずに 
あんたのスキにやったらイイけんね というケンネ的スタンスで 保育をしている 

さて 再毒『孤高の人』でも書いてきたが 新田次郎の『孤高の人』を毒了

不世出の登山家・加藤文太郎の生涯を綴った 上下巻からなる長編山岳小説
ボクは 同じ本を何度も読む事が多い 困った時 行き詰った時 良本を読む

以前読んだのは いつだったか思い出せないが 若い時に読んだ作品を
結婚して子どもが出来て そんなささやかな幸せの中で読み返してみると 
全く違う新しい作品の様に 感じる事がある まさにこの作品がそうだった

カトブンも 結婚して子どもが出来て 山に対する考えや社会との関わりにも
変化が出てきた事は 一人の社会人 家長として 当然の帰結のように思う

単独登山を貫いたカトブンだったが 山仲間の熱意に負け 初めて他者と
ザイルを共にする それが槍ヶ岳と北鎌尾根 そして厳冬期の北鎌尾根に逝った

下巻の中盤以降は 作品にのめり込むというHSP特有の性格故 読むのが辛かった 
泣いてしまいそうになるのをこらえながら読んだ そういう作品は結構多い

深い毒後感に包まれながら 作品を通じて 人間の尊厳について考えている
尊厳とは 尊くおごそかで犯してはならないこと 気高く威厳があることである

ボクは この作品のカトブンの生き方の中に 人として誰もが持っている
または持っていなくちゃいけない 尊厳というものを ヒシヒシと感じた

彼は山にだけでなく 家庭に対しても社会に対しても 加藤文太郎という
個のフィルターを通して 尊厳という アイデンティティを 表現した

そこには 彼の厳しさ個性があり 美学がある
美学とは 何も美しい美談だけではない

時には 埃に塗れ 失望に打ちひしがれながらも 自分を失わない誇り
とでも 言い換えられるものであろう

この作品は 山を想い 家族を想った 彼の尊厳と美学が伝わると同時に
尊厳とは現代社会が失いつつある大切な感覚質のひとつなんだ という事を伝える
ひとつのアンチテーゼではないだろうか
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