暇老人

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喜寿の日々に思うこと

2017-11-21 13:05:20 | 日記
 
 喜寿の歳になって、まわりの社会に対して物申したい、そういう気持ちが強くなるのは、何故だろう。
小学生の頃から、何故かいじめられやすい自分であったと思う。中学の時は特定の一人の同級生が、過去のネタでからんできた。
小学生の学芸会で、浦島太郎の竜宮城のタコの役で、タコのお面をつけて、クラスの女子のモンペをはかされた。
そこからあだ名は「タコ」とされて、揶揄されては、からかわれることとなった。
以後何かにつけて、卑屈になる傾向を持つこととなった。
実家は、本家の没落から、篤志家による支援でその苗字を名乗って分家してもらっていた。
当然に、小作から戦後の農地解放で農地を取得することとなり、生活も成り立つようになったが、大工収入で代々僅かに潤った。
しかし、貧乏の子沢山で、最高時には家族は十二人の時もあり、祖父は早くに中気となり、親父が頑張って、旧家のようにはいかないが、
並の家を建てた。私が就職した翌年であった。
高校の下宿を経て就職し、二十六歳で結婚した。父が結納十万円を出してくれ、三十六歳で家を建てるにつけ、父は既に病床にあったが、
長兄が家の山から通し柱六本を切り出して、あとは次兄の棟梁が、七百万円で家を建ててくれた。

 この頃、相変わらず隣の奥さんからは嫌がらせが続き、自治会長時代の町内の特定の人からの無視されたこと等、世間に向き合わない
自分がいる。「長いものには、巻かれろ」はいやで、ことあるごとにアピールしたい自分がいる。悲しい老いの終末になるのか。  



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