「水きたー!」地震から5カ月半が経った石川県珠洲市 断水が解消された家がある一方で目途立たない地域も (2024年6月18日)
連日暑い日が続く中、深刻なのは水問題です。 珠洲市の大谷地区では地震の発生から5カ月半が経ちようやく断水が解消された家がある一方、今も水道復旧の目途が立っていない地域もあります。 アクア・エル 村田善治(むらた・ぜんじ)代表: 「水を出そうとすると…どこか漏れてます。普段は止まってる。完全にあっちでジャーって言ってる。ここ漏れてますね。(原因が)セメントの下にあるんで直すには大変なんです。セメントを割らなきゃいけないし、違う所が漏れてるかもしれないし」 珠洲市大谷町(おおたにまち)。 地名坊(じなぼう)行雄(ゆきお)さんの自宅です。 市の水道復旧工事は今月上旬に終わり町には水が通りましたが自宅の配管が壊れていて水道が使えない状態が続いていました。 地名坊行雄さん: 「(止水栓までは)6月頭ぐらいには来てた。まだ来ないのかとは言ってた」 母・暢子(のぶこ)さん: 「水が(家に)入ればいいけれど1月1日からずっとだから。洗濯できればいいけれど…洗濯と自分の体を洗いたい」 町に水が来てからおよそ3週間。18日、ようやく地名坊(じなぼう)さんが自分で呼んだ水道業者がやってきました。 村田代表: 「ここからこのパイプで仮で」 元々使われていた鉄の配管は、地震で割れてしまっているため新たに管を設置。 地震で揺れても割れないポリエチレン製です。 作業することおよそ4時間。 地名坊さん: 「水きたーーー水きた!」 母・暢子さん: 「ありがたいです、嬉しい。やった」 「お風呂は?」 地名坊さん: 「そのうち入れる」 母・暢子さん: 「助かったね、嬉しい」 一方、珠洲市の一部の地域では少なくとも985世帯でいまも断水が続いています。 近くの浄水場が地震で被害を受けた片岩町(かたいわまち)もその1つです。 川端昇(かわばた・のぼる)区長: 「これは片岩町が断水状況ですので、市の方で用意した給水のタンク。しっかりと飲むことができる水。沢・井戸の水は洗濯などには一部の方が使っているが大変助かるんじゃないかと。安心して飲める水道水だから」 浄水場の取水口までたどり着くことができず、解消の目処は立っていません。 川端さん: 「一刻も早く断水を解消してもらいたい。”水道の復旧”それが一番この地区の方の望み」 地震発生からまもなく半年。住民は1日も早い断水解消を待ち望んでいます。
「前より体力めっちゃ減っていた」被災地では設備が無事だった小学校のプールを6校で使用 (2024年6月18日)
17日までの暑さから一転、18日は肌寒い朝となりましたがプールには子どもたちの 元気な声が響きました。 能登半島地震で甚大な被害を受けた輪島市の小学校では被害の少なかった学校のプールを使用して水泳の授業が始まりました。 18日から水泳の授業が始まったのは河井(かわい)小学校や大屋(おおや)小学校など輪島市内の6つの小学校です。 6校が間借りしている輪島中学校にはプールがないため、この夏は設備が無事だった河井小学校のプールを使って水泳の授業を行うことになりました。 プール開きの18日は、2校の6年生35人がビート板をつかって泳ぐ練習をしました。 17日までの晴れとは一転、日差しも少なく少し肌寒いプール開きとなったようです。 児童: 「楽しかったまたしたいです」 「前より体力めっちゃ減っていた。体力上げて100メートルくらい泳げるようになりたい」 河井小学校 六田茂行校長: 「プールに入って子供たちの歓声を聞いた時には、いつもの時よりも感激というか喜びはいつもよりも大きかったですね」 能登地方ではプールが被災した小学校も多く穴水町や七尾市の一部の学校では今年度はプールでの授業を実施することが出来ないため、安全指導のみ行うということです。
再建に向け歩み進むか…能登半島地震で被災した事業者と工事業者のマッチングを支援 石川県が取り組み開始 (2024年6月18日)
県はなりわいの再建に向けて被災した事業者と地元以外の工事業者とのマッチングを支援する取り組みを18日から始めました。 これは県庁で開かれた災害対策本部会議で、馳知事が明らかにしました。 被災した事業者がなりわい再建のための補助金を申請する際、工事業者による見積書を添付する必要があります。 しかし、これまではなかなか業者が見つからず、補助金の申請ができない状況が続いていました。 そこで18日からは県などが開設する「復旧・復興マッチングサイト」に被災状況などを登録した事業者に対し、専門のアドバイザーが地元以外の工事業者とのマッチングを支援していきます。 県によりますと現時点で、県内およそ150の工事業者が対象になっています。 馳知事: 「今まで対応していた方がいなかった、少なかったわけですから飛躍的に再建に向けての相談支援が進むと期待しています」 また馳知事は珠洲市と輪島市の一部の避難所で進めていた冷房設備の設置について、来週にも電気工事を完了しすべての避難所で稼働できる見通しを示しました。
東日本大震災の教訓踏まえ対応も…「活動は圧倒的に制限された」民生委員に課せられた課題や今後の役割 (2024年6月18日)
能登半島地震の被災地で活動する民生委員にとって今回の震災は大きな試練となった。 民生委員とはどんな職種なのか、災害時の課題や今後期待される役割について北陸中日新聞の室木記者に伺う。
【ニュースまとめ】6月17日放送分 飯田高校ウエイトリフティング部 北信越高校体育大会で優勝 など
【2024.5.29 OA】 00:00 飯田高校ウエイトリフティング部 北信越高校体育大会で優勝 01:31 熱中症防止へ 小松市で「クーリングシェルター」運用開始 03:00 金沢の住宅密集地で火事 けが人なし 03:47 住民参加のワークショップ「わじま未来トーク」 04:51 のとだより~前輪島市長のメッセージ 09:28 記者解説・北陸新幹線のルートは…小浜?米原?議論再燃 18:38 被災者向け復興モデル住宅の建設を検討 自力再建への参考に… 19:22 日銀金沢支店 新支店長が着任 20:09 小松や金沢で午前中から夏日 21:08 中継・珠洲市 いま「日本代表育成中」 飯田高校ウエイトリフティング部 31:36 七尾の住宅火災 被害は6棟 火元は居間か ★義援金のお知らせ★ テレビ金沢では、「令和6年能登半島地震」の被災地を支援するため、義援金を募集しています。詳細は以下のホームページよりご確認ください。 https://www.tvkanazawa.co.jp/topics/2... #地震 #災害 #能登半島地震 #テレビ金沢 #ニュース
津幡町で大の里関の5月場所優勝関連品を展示
大相撲5月場所で初優勝を果たした大の里の快挙を祝おうと、 地元・津幡町では賞状など優勝にちなんだ記念品が展示されています。 津幡町文化会館シグナスで展示されているのは、 大相撲5月場所の賞状など、大の里の優勝記念品およそ15点です。 優秀な幕内力士に贈られる殊勲賞や技能賞の楯なども並び、 大の里の活躍が称えられています。 大の里の優勝記念品は、津幡町文化会館シグナスで展示されています。
【特集】60年前の新潟地震で粟島におきた〝隆起〟住民たちが語る記憶と今【新潟・粟島浦村】スーパーJにいがた6月18日OA
60年前におきた新潟地震の震源に最も近い粟島。岩場は、強烈な揺れで地盤が隆起しました。 能登半島地震でも見られた隆起。その時何が起きていたのか、住民たちを取材しました。 1964年、新潟を襲った大地震。信濃川を遡上した津波の影響などで家屋への浸水は、1万5000棟あまりにのぼりました。さらに、液状化の被害が拡大、鉄筋コンクリートのアパートが倒壊するなど甚大な被害を受け、新潟地震が液状化現象を研究するきっかけにもなりました。 死者13名を出した未曽有の大災害。震源は、粟島の南方沖40km。粟島浦村は、震源に最も近い場所でした。 ■渡辺義雄さん 「立って歩くのが大人でも無理なくらいどこかに捕まっていないと倒れそうな揺れ方でした。」 当時、漁師として働いていた渡辺義雄さん・91歳。新潟地震が発生した時、島の北東部にある内浦地区の港の近くにいました。最初にとった行動は… ■渡辺義雄さん 「弟が中学生だったので(心配で)学校に行った。中学生たちがうろたえていたからこっちに来い、山に逃げようと言ったらみんながついて来た。」 渡辺さんは、中学生を先導して高台の竹藪に避難させました。 ■渡辺義雄さん 「小さい頃から地震があったら地割れがおきるので、竹藪に逃げた方がいいと昔の人から聞いていた。」 渡辺さんの引率で避難した当時中3の本保友明さん。竹藪では、地割れよりも津波を心配する声が上がっていたと言います。 ■本保友明さん 「この辺から(竹藪に)行った。ちょうど海岸が見える場所があって、今まで海だった場所に赤々と海藻や貝が見えていた、潮の引いた状態を見るとかなり大きい(津波が)来るぞ。」 本保さんが目にしたのは、むき出しになった海の底。住民たちは潮が引いた状態だと思っていましたが、実はこれこそが隆起の跡でした。 ■本保友明さん (Q.隆起を知ったのはいつ?) 「(避難中に)ラジオ放送で「隆起したらしい」と言った大人が「粟島が浮いた」と言った。(海岸は)このままなんだなと思った。」 岩の白い部分は、地震の前まで海に沈んでいました。60年前、粟島は島全体が1.5mほど隆起したと見られています。地盤の隆起は、地震で起こる断層のズレが要因です。震源が陸に近い場合に起きやすいとされていて、元日の能登半島地震でも起きていました。石川県の輪島市や珠洲市の沿岸で最大4mの隆起が確認されています。 ■本保友明さん 「子ども心に、島が浮くなんて考えられない。」 粟島の南西にある釜谷地区。60年前、海岸で隆起を目の当たりにした人がいます。 ■松浦数子さん 「本当に自然は怖いものだと思った。」 民宿を営む松浦数子さん・94歳。新潟地震が発生した時、船で来る客を迎えるため桟橋にいました。 ■松浦数子さん 「海の底が見えた。今まで海の中だったのが丘になったんだもん。自然とジワジワと水が引いていった。」 地震で釜谷地区の海岸線は、大きく変わりました。海の底だったゴツゴツとした岩肌が露わになり、海藻や貝・生きた魚が打ち上げられていたそうです。 ■松浦数子さん 「(地震直後は)どんな津波が来るかと思って、民宿の客に丘にあがってと言ったが言うこと聞かなった。魚を拾いに海岸に下りて行った、怖くないって言って。」 ■松浦数子さん 「この辺から海だったよ。」 隆起した場所は、その後、埋め立てられ港や宅地となりました。たった一度の大地震が島の姿を変えてしまったのです。 産業にも、大きな影響がありました。漁師の渡辺さんが証言します。 ■渡辺義雄さん 「それまでタイが採れていたのにピタッと採れなくなった。」 粟島では、明治期から大謀網と呼ばれる大型の定置網漁が盛んで、新潟地震の前は一網で56tものタイが水揚げさたという記録があります。しかし、新潟地震の後は、不漁に悩まされました。 ■渡辺義雄さん 「(地震の後)10年くらいは思うように仕事ができなかった。かなりの損害があった。」 さらに、農地でも。 ■本保友明さん 「(地震の影響で)田んぼに注ぐ用水路に水が来なくなった。やむなく田んぼを畑にした。」 現在、粟島に田んぼはありません。 震源に最も近いこの島には、新潟地震の記憶が確かに刻まれています。 2024年6月18日放送時点の情報です。 #粟島 #新潟地震 #地盤 #隆起 #UX新潟テレビ21 #新潟
【ライブ】蓮舫議員 公約発表会見(2024年6月18日)| TBS NEWS DIG
蓮舫議員の公約発表会見をライブ配信します。 ▼TBS NEWS DIG 公式サイト https://newsdig.tbs.co.jp/ ▼チャンネル登録をお願いします! http://www.youtube.com/channel/UC6AG8... ▼情報提供はこちらから「TBSインサイダーズ」 https://www.tbs.co.jp/news_sp/tbs-ins... ▼映像提供はこちらから「TBSスクープ投稿」 https://www.tbs.co.jp/news_sp/toukou.... #ニュース #news #TBS #newsdig