「ねえ、ジョウ。あたしたち、あの時、十二年前に出逢ってなければ今、どうなっていたかしら」
ガラスケースに映る自分の顔は、落とした照明のせいで青白く見える。まるで森の奥の深くにある湖を覗き込んだかのように。
目の位置を合わせて、かがみ込んだジョウがアルフィンの隣に来る。
優しいまなざしで、【ブルーレデイ】ではなく彼女を覗き込んだ。
「何だい? 急に」
「なんとなく。思っただけ。ふっとね」
アルフィンは目を【ブルーレディ】に移した。花の美しさに見惚れる振りをして、ジョウの視線から逃れたのかもしれない。
「妙なことを思いつくんだな」
ジョウの目が細められる。そうだな、と少し考えるしぐさを見せて。
「なんだか想像もつかない。君と俺が出逢わないでいるなんて」
「そう? あたしはなんとなく想像がつく気がするわ。
十二年前、あたしはピザンを救助艇で脱出した。でも燃料切れのせいで、救難信号を発して眠りに落ちた。
あのときミネルバでドンゴが救難信号をキャッチしてくれなかったら、そしてジョウが助けに来てくれなかったら、そのままにも気づかれずに、大海原を漂流して宇宙(うみ)の藻屑と散っていたかも知れない。ビザンを救うっていう志を遂げることもできずに、ね」
アルフィンの語り口は淡々としたものだった。聞きなれた冒険譚の一節をそらんじるかのように。
「.....…そうか」
アルフィンの話を聞き、そういう可能性もあったのか、とジョウは少し面食らった様子だ。
「もちろん、別の誰かに救助されてたかもしれないけどね。例えば…ほら、巡洋艇コルドバのコワルスキーとか」
ぶ。ジョウは思わず吹いた。相好を崩す。
「コワルスキーか。懐かしいなあ」
「でしょ。あちらの世界でも元気でいるわよね、きっと。あの人なら」
ガラス越しに、再び目と目を見合わせて二人は微笑む。
アルフィンは口許から笑みが引いてから言を継いだ。少しだけ肩をそびやかして。
「もしもコワルスキーがあたしを救助してくれてたなら、もっと滅茶苦茶な事態になっていたかも。ビザンの叛乱」
「ひどい言われようだ」
「人徳よ、彼の」
「人徳って言葉の使い方が間違ってるだろ」
「まあね。でも、そういう展開だって考えられるってことよ。で、あなたはどうなの、ジョウ? 今、どうしていたと思う? もしもあの時、あたしを救助していなければ、自分やあたしは、って考えてみてよ」
アルフィンがケース越しに促す。
ジョウは再度考え込んで、本当にお手上げだというように首を捻る。
「…さあ、想像もつかない。全く」
「そんなこと言わないで、少しは想像力を働かせなさいよ」
「そんなことに想像力を使ってどうするんだ」
「別にどうもしないけど…ただ、聞きたいなって思っただけ。あなたの考えてることを。
あたしはつくけどな、想像。
もしもあたしと逢わなかったら、ジョウが今何をしてどうなってるかって」
ジョウはアルフィンの言葉にどう反応していいものか、一瞬だけ戸惑う。
「へえ。どんな風になってると思うんだ?」
「知りたい?」
「ああ。知りたいね」
アルフィンはガラスケースに映るジョウに向かって話し始める。
【ブルーレディ】もわずか小首を傾げるようにして、アルフィンが話し出すのを待っているかのようだった。
アルフィンは「いいわ、聞いて」と言った。
「あなたはたぶんあたしに逢っていなくても、精力的に仕事をこなして、どんどん名前をあげていったでしょう。今みたいに。知名度も実力も抜群。銀河系随一のクラッシャーの称号を他に譲らず、第一線で活躍していた。そう思うわ」
断言する。
「ふうん。それで?」
「そのせいで女にもモテモテで、放っておいてもらえなくて、あちこちからアプローチを仕掛けられていたはず。で、今の歳になるくらいまでには、それなりに恋愛をこなしていたでしょう。きちんとお付き合いして、あるいは遊びと割り切って、振って振られて、そういうことを繰り返して、きっと誰もが振り返るようないい男になっていたはず」
「おいおい、ちょっと待て」
ジョウが口を挟もうとした。でもアルフィンは聞こえない振りで「そして」と続けた。
「数多くの女性遍歴の後、やがてあなたはひとりの女性と出逢い、恋に落ちる。
とびきりの、それまで出逢ったことのないほど素敵な女性と、ね」
そこで、アルフィンの目の青みが、ぐっと増したように見えた。
ケースを照らす明かりの照度が変わったのか、それとも【ブルーレティ】を間近で見ていたせいで、そう見えるのか、ジョウには分からなかった。
「...…その女性はきっと可愛らしくて、あなたの仕事にも理解がある人。愛情深く、あなたをすっぽりと包み込んでしまう人。そしてあなたは決断するの。その人を受け入れ、一緒に歩んでいくことを。結婚して、夫婦になることを」
まるで実際に見てきたみたいなことをするするとアルフィンは言う。
上辺はつるりと滑らかなことを口にしているようだけれど、どこか目に見えない棘が含まれている気がして、聞いていてもジョウはなんだか落ち着かなかった。褒められているような、そうでないような。
アルフィンが話をどこに持っていこうとしているか読みきれず、居心地が悪くてしようがない。
「なんだよ、それ」
憮然としてジョウが口を結ぶ。でも、
「もしもの話よ。決まってるでしょ」
アルフィンはしれっとしたものだ。ジョウは皮肉っぽく、
「そうか?」
と斜に睨んでやった。ガラスケースの表面に映る美しく白い顔を。
アルフィンは動じない。
「あら、案外信憑性あるんじゃない? だって、あたしを救助しなければ、あなたのチームがピザンのクーデターの鎮圧にも絡むことはなかった。とすると、あの銃撃で、ガンビーノも亡くなることもなかったはず。
ガンビーノが健在で、男4人のチームだったら、引き受ける仕事の内容も変わっていたかもしれない。仕事を通じて出会いが待っていたかもしれない。あなたの心を射止める、とびきりの異性とのね。
ねえ、想像してみて、ジョウ。今ぐらいの歳には、あなた、結婚どころか、子供も何人か授かっていたかもしれないのよ」
アルフィンの言葉は相変わらず滑らかでよどみがない。
でもジョウはそこに何かのほころびを感じる。
上滑りでどんどんスピードを上げていくヴァイオリンの演奏のように。
わずか調律の狂ったピアノを思って聴いているような、どこか、据わりの悪さのようなものを感じずにはいられない。
アルフィンの言葉が切れたのを見計らって、ジョウは何か反論しようとしたが、結局口を禁んだ。
新たに言葉を選んだ挙句、
「俺はそうは思わない」
それだけぽつりと言った。
「君と出逢っていなければ、俺は、……きっと一生独身だった。
ガラスケースに映る自分の顔は、落とした照明のせいで青白く見える。まるで森の奥の深くにある湖を覗き込んだかのように。
目の位置を合わせて、かがみ込んだジョウがアルフィンの隣に来る。
優しいまなざしで、【ブルーレデイ】ではなく彼女を覗き込んだ。
「何だい? 急に」
「なんとなく。思っただけ。ふっとね」
アルフィンは目を【ブルーレディ】に移した。花の美しさに見惚れる振りをして、ジョウの視線から逃れたのかもしれない。
「妙なことを思いつくんだな」
ジョウの目が細められる。そうだな、と少し考えるしぐさを見せて。
「なんだか想像もつかない。君と俺が出逢わないでいるなんて」
「そう? あたしはなんとなく想像がつく気がするわ。
十二年前、あたしはピザンを救助艇で脱出した。でも燃料切れのせいで、救難信号を発して眠りに落ちた。
あのときミネルバでドンゴが救難信号をキャッチしてくれなかったら、そしてジョウが助けに来てくれなかったら、そのままにも気づかれずに、大海原を漂流して宇宙(うみ)の藻屑と散っていたかも知れない。ビザンを救うっていう志を遂げることもできずに、ね」
アルフィンの語り口は淡々としたものだった。聞きなれた冒険譚の一節をそらんじるかのように。
「.....…そうか」
アルフィンの話を聞き、そういう可能性もあったのか、とジョウは少し面食らった様子だ。
「もちろん、別の誰かに救助されてたかもしれないけどね。例えば…ほら、巡洋艇コルドバのコワルスキーとか」
ぶ。ジョウは思わず吹いた。相好を崩す。
「コワルスキーか。懐かしいなあ」
「でしょ。あちらの世界でも元気でいるわよね、きっと。あの人なら」
ガラス越しに、再び目と目を見合わせて二人は微笑む。
アルフィンは口許から笑みが引いてから言を継いだ。少しだけ肩をそびやかして。
「もしもコワルスキーがあたしを救助してくれてたなら、もっと滅茶苦茶な事態になっていたかも。ビザンの叛乱」
「ひどい言われようだ」
「人徳よ、彼の」
「人徳って言葉の使い方が間違ってるだろ」
「まあね。でも、そういう展開だって考えられるってことよ。で、あなたはどうなの、ジョウ? 今、どうしていたと思う? もしもあの時、あたしを救助していなければ、自分やあたしは、って考えてみてよ」
アルフィンがケース越しに促す。
ジョウは再度考え込んで、本当にお手上げだというように首を捻る。
「…さあ、想像もつかない。全く」
「そんなこと言わないで、少しは想像力を働かせなさいよ」
「そんなことに想像力を使ってどうするんだ」
「別にどうもしないけど…ただ、聞きたいなって思っただけ。あなたの考えてることを。
あたしはつくけどな、想像。
もしもあたしと逢わなかったら、ジョウが今何をしてどうなってるかって」
ジョウはアルフィンの言葉にどう反応していいものか、一瞬だけ戸惑う。
「へえ。どんな風になってると思うんだ?」
「知りたい?」
「ああ。知りたいね」
アルフィンはガラスケースに映るジョウに向かって話し始める。
【ブルーレディ】もわずか小首を傾げるようにして、アルフィンが話し出すのを待っているかのようだった。
アルフィンは「いいわ、聞いて」と言った。
「あなたはたぶんあたしに逢っていなくても、精力的に仕事をこなして、どんどん名前をあげていったでしょう。今みたいに。知名度も実力も抜群。銀河系随一のクラッシャーの称号を他に譲らず、第一線で活躍していた。そう思うわ」
断言する。
「ふうん。それで?」
「そのせいで女にもモテモテで、放っておいてもらえなくて、あちこちからアプローチを仕掛けられていたはず。で、今の歳になるくらいまでには、それなりに恋愛をこなしていたでしょう。きちんとお付き合いして、あるいは遊びと割り切って、振って振られて、そういうことを繰り返して、きっと誰もが振り返るようないい男になっていたはず」
「おいおい、ちょっと待て」
ジョウが口を挟もうとした。でもアルフィンは聞こえない振りで「そして」と続けた。
「数多くの女性遍歴の後、やがてあなたはひとりの女性と出逢い、恋に落ちる。
とびきりの、それまで出逢ったことのないほど素敵な女性と、ね」
そこで、アルフィンの目の青みが、ぐっと増したように見えた。
ケースを照らす明かりの照度が変わったのか、それとも【ブルーレティ】を間近で見ていたせいで、そう見えるのか、ジョウには分からなかった。
「...…その女性はきっと可愛らしくて、あなたの仕事にも理解がある人。愛情深く、あなたをすっぽりと包み込んでしまう人。そしてあなたは決断するの。その人を受け入れ、一緒に歩んでいくことを。結婚して、夫婦になることを」
まるで実際に見てきたみたいなことをするするとアルフィンは言う。
上辺はつるりと滑らかなことを口にしているようだけれど、どこか目に見えない棘が含まれている気がして、聞いていてもジョウはなんだか落ち着かなかった。褒められているような、そうでないような。
アルフィンが話をどこに持っていこうとしているか読みきれず、居心地が悪くてしようがない。
「なんだよ、それ」
憮然としてジョウが口を結ぶ。でも、
「もしもの話よ。決まってるでしょ」
アルフィンはしれっとしたものだ。ジョウは皮肉っぽく、
「そうか?」
と斜に睨んでやった。ガラスケースの表面に映る美しく白い顔を。
アルフィンは動じない。
「あら、案外信憑性あるんじゃない? だって、あたしを救助しなければ、あなたのチームがピザンのクーデターの鎮圧にも絡むことはなかった。とすると、あの銃撃で、ガンビーノも亡くなることもなかったはず。
ガンビーノが健在で、男4人のチームだったら、引き受ける仕事の内容も変わっていたかもしれない。仕事を通じて出会いが待っていたかもしれない。あなたの心を射止める、とびきりの異性とのね。
ねえ、想像してみて、ジョウ。今ぐらいの歳には、あなた、結婚どころか、子供も何人か授かっていたかもしれないのよ」
アルフィンの言葉は相変わらず滑らかでよどみがない。
でもジョウはそこに何かのほころびを感じる。
上滑りでどんどんスピードを上げていくヴァイオリンの演奏のように。
わずか調律の狂ったピアノを思って聴いているような、どこか、据わりの悪さのようなものを感じずにはいられない。
アルフィンの言葉が切れたのを見計らって、ジョウは何か反論しようとしたが、結局口を禁んだ。
新たに言葉を選んだ挙句、
「俺はそうは思わない」
それだけぽつりと言った。
「君と出逢っていなければ、俺は、……きっと一生独身だった。
ジョウの最後の言葉から、
結婚はしたんだろうけどうまくいってないのかな。
結婚したとして、アルフィンがミネルバに乗っているのも気になります。
謎は、そのうち解けるよね。
色々気を揉ませてごめんなさい…