思えば、大人の女とばかり付き合ってきた。
年齢はともかく、精神的に大人という意味だ。男に依存しない、うるさく束縛したりしない、どちらかといえば男前、さっぱりした気性の女たちとばかり。
それは多分に母親の影響が大きいのだろうなと冷静に自己分析して司は思う。売れない舞台俳優であった父を見限って、女手一つで自分と弟を育ててくれた母。無意識に母親似の女を求めていたとなるとマザコンの要素大ということになるが、そこは棚に上げてあまり考えない振り。
とにかく、自分は神的に自立した、強い女が好きなのだとばかりずっと思っていた。
……思ってたのになあ。
「司さん」
不覚だ。
舞台がはけて、シャワーを浴びたあとの洗い髪の匂いも艶っぽく、千歳が舞台裏、満面の笑顔で近づいてきた。
「見てくれました? どうでした? あたし」
割と今宵の演技に自信があるのか、まっすぐに目を見て訊いてくる。今上演している演し物は、牧子とのダブル主演のコメディだ。辛口の自分でさえ「シアターフラッグ」快心の出来と認めざるを得ない。その証拠に連日の満員御礼だ。昼の公演のチケットも順調にさばけていた。
司の弟の主宰する「シアターフラッグ」は、もう以前のような大学のサークルに毛が生えた貧乏劇団ではない。この二年を通じて、確実に採算を上げられる劇団へ、商業演劇に通用する集団へと切り替わっていた。
「残念ながら通しでは見てない。知ってるでしょ」
自分の手の中で温めていた雛が、飛び立っていくのを見ているようだといったら、きれいすぎる比喩だろうか。「鉄血宰相」と劇団員に呼ばれて久しい俺が。柄にもない。自嘲気味に司は思う。
制作として、司がどのように本番中舞台裏で立ち回っているのか、女優である千歳は正直よく知らない。でもなんやかんやと忙しそうだというのは分かる。けれどもそれでも自分のことを見ていてもらえないと、やっぱりわずかに唇が尖る。
拗ねるように。
――ああもう、やめろってそれ。可愛いくて奪ってやりたくなるぞ今ここで。
さりげなく千歳の唇から目を逸らした司に、千歳が追い討ちをかける。
「じゃあ見たところだけでもいいんで感想をお願いします」
「だめ。俺はチョクで団員に演技についてどーたらこーたらは言わないの」
「ええ、だって初舞台のときは言ってくれた」
「だからあれはイレギュラー。初舞台のご祝儀みたいなもんだ」
「そんなあ、けち」
盛大に口を尖らす。横目で見て、司は笑みを噛み殺した。
そこまで膨れると、さすがによこしまな気は起きないな。
「けちでけっこう。アンタも無駄口たたいてないで、早く控え室片付けてきな」
「もう片付けました。っていうか、無駄口じゃないもん」
今日忙しくて話できてなかったから、ちょっとだけでもって思ったのに、と少し俯いて小声で付け加える仕草も可愛い。
周囲では劇団員が鵜の目鷹の目で自分たちを窺っている。その多くがにやにやと含みのある笑みを口の端に浮かべているのも面白くない。
でも、その中でたった一人だけ。
肩の線が強張っている背中が目に映る。
わずかになで肩。その上に載った小さな頭。
後ろ姿では、とても三十に近い男のようには見えない。せいぜいが大学生といった容貌。
まずい。
聞こえない振りで、司は千歳をくるんと逆向かせた。背中をとんと押す。
「はい、行った行った。自分の片付け終わったら他のやつの手伝いは常識。さっさと撤収しないと延長代取られるぞ」
「そんな、延長代持ち出します? ここで」
もお、言うことがいちいちオジサンくさいんですよ。ぶつぶつ不満を口の中で転がして、しぶしぶ千歳が行きかける。
「オジサンで悪かったな。アンタこそ、メイク落としてすっぴんになると、すっかり中学生」
「ち、中学生ー? 妙齢の女つかまえて、中学生呼ばわりってどういうこと」
目を白黒させてまた突っかかってこようとするのを押して、はいはい、と司が強引に退場させようとする。
「褒めてんの。さ、行った行った。後は打ち上げで聞いてあげるからねー」
「司さん、いっつも子ども扱いなんだから、ムカツク」
ぶんむくれて千歳が行ってしまう。司は内心ほっとしていた。
たまらずひそかな笑みが上がる。振り向くとゆかりだ。
「鉄血宰相も形無しやね。千歳にかかると」
ムカツクなんて司さんに面と向かって言えるの、あの子ぐらいやわ、とからかうように付け足す。
司はポーカーフェイスで応じた。
「お前らも面と向かって言えなくても、普段から心の中で言ってるんだろうが」
「あ、そこ突つきます? ひえー」
後ろ暗いのか、すぐに退散。ふん、と鼻息を荒くして司は撤収指示を再度出した。
その間も、巧の背中は硬いままだった。意固地にこちらを見ないようにしているとしか思えない。
ぞんざいな手つきで、荷物を詰める作業をこなす弟を見ていたら、なんだかため息が漏れた。
千歳の気持ちは劇団員全員にばれている。本人は自覚しているかどうか分からない。が、だだ漏れになるのを抑えられないくらい好きなのだろうなというのが周囲の共通した見解だ。「あの子、業界長いけどそんなにスレてないから、案外恋愛経験少ないのかもね」
以前牧子が言っていた。司さん、どうするの、と。
どうするもこうするも。
俺は自分が出資している劇団のメンバーと、そういう関係になることはない。あの時はきっぱりとそう返した。
そう、と牧子は頷いて、さらに言葉を重ねてよこした。
「じゃあ二年の期限のあとは? あたしたちのとの契約が切れたら司さん、どうするの?」
挑発するようなその目つきは、牧子の女優としての伝家の宝刀だ。舞台の上で観客にそれを繰り出すと、たいていが彼女のとりこになる。 舞台から降りて、素でそれを見せられたのは初めてだったから、司は思わず言葉に窮した。
二年の契約はまもなく切れる。正確に言うならあときっかり二週間で。
そのとき、俺は千歳をどうしたいんだろう。司は頑なな弟の背を見ながら、誰にともなく心の中で呟いていた。
(この続きは、オフセット本「ナニモイラナイ」2010・2月発売予定で。
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なんだか続編がありそうな文庫本書き下ろしですよ。
読むまではだらだらしてたんですが、読んだら一気ですよー。さすが有川先生です。
読んだら二次書きたくなりました。てことで、急遽第二段オフセット本、「三匹のおっさん」CPと差し替えです。笑