前編
それでもさすがは手塚というべきか。二時間も経過すると、それなりにスケートの形になってきた。
柴崎が手を離したとたん、どべっと地面を舐める(リンクを?)という有様ではなくなっていた。
「ちょっと一人で行けそうなとこまで行ってみて。ここで見てるから」
と、促すと、「ん。わかった」と意を決してそろそろとリンクの外周を進んでいった。
柴崎は他の利用客より頭一つ分高い男を見送る。
自分でも思っていた以上に手塚と過ごす時間は楽しかった。
それは彼がスケート初心者で、滅多に見られない様子を見せたからではなく。
ただ一緒にいるだけで楽しいのだということに、自分でも薄々勘付いている。そしてそのことに柴崎は戸惑う。
異性と二人きりでいて、手塚くらい素の自分を出せる相手はいない。
気取らなくていいし、猫をかぶる必要もない。向こうもあたしの本性は知っている。
しかしそれが友人として「楽」だからなのか、それとも特別な感情からなのかは自分でも判然としない柴崎だった。
もの思いにふけっていたら、手塚を見失った。ふと不安になって背伸びしたところで
「ねえ、もしかして一人で来てる?」
と背後から声をかけられた。
見ると大学生風の男子二人組。柴崎にとっては珍しいことではない。
街に出て、最近ナンパしてくるのはたいていこういうチャラい年下ちゃんだった。
やれやれ、とブルーなのを露骨に顔に出しながら「違いますけど」と返す。
「じゃあ友達とかな。彼女さ、栗山千明に似てるってよく言われない?」
「言われませんけど」
認めるのも面倒くさい。しかし敬語は崩さない。慇懃に返すことで拒絶を表す。
「えーでもそっくりじゃん。もしかして、本人だったりして?」
人差し指を向けられて、柴崎の柳眉が跳ねる。
こら、人を指差すもんじゃないって、おうちで教わらなかった? 若造くん。
そして無意識に手塚を探す。ちょっと早く戻ってきてよ、面倒くさいことになってるんだけど今。
大事なときに外すなんて、使えないんだからまったく、と怒りの矛先があらぬほうへ。
そんな柴崎にかまわずアプローチを仕掛ける二人組。
「じゃあさ、友達が戻ったらさ、ちょっとお茶でもしない? あったかいのでも飲もうよ」
「さっき飲みましたから」
「えー固いこと言わないで。なんか、警戒してる? 俺たちのこと」
わざと崩した言い回しでおもねるように笑いかける。でもそんな浅はかさは、彼女はとうにお見通しだ。
それにね、警戒っていうかね、うんざりしてるの。
今日はとても気分よく過ごせていただけに、水を差された気分で。
「とにかくちょっとあっちで休もうよ。奢るし」
業を煮やしたか、片割れが柴崎の手を取ろうとする。さすがに柴崎が声音を鋭くした。身を引いてにらむ。
「やめて」
「やめて、って。つれないな。何も取って食ったりしないって」
一瞬気を飲まれた風に動きを止めた男だったが、さらにしつこく行こうよと手を伸ばしかけた。
いい加減、我慢の限界がくる。柴崎がそう思ったとき、
「うわあああ。誰か、ちょっと、とーめーてーくーれー!!」
大声とともに、どん、と後ろから体当たりされた。すごい衝撃が来た。
「きゃっ!」
唐突すぎて、受身が全然取れなかった。
柴崎はつんのめって、派手に転んだ。しかし、後ろから来た相手に抱きしめられて、リンクに激突するのはぎりぎりで避けられた。
もちろん突っ込んできたのは手塚だ。失速できず、勢いを持ったまま柴崎にぶつかって倒れた。
二人はもつれてリンクの上転がる。手塚が「いてててて」と大仰に顔をしかめて天井を仰ぐ。腕に柴崎を囲ったまま。
「あ、あんた何やってるのよ、重いっ。どいて早く」
柴崎が手足をばたつかせた。今日はミニを履いている。み、見えちゃうと裾を必死で引っ張った。
「ど、どいてと言われても、どうやって起きればいいんだっけ」
手塚の脚はむなしく宙を蹴る。柴崎は焦れた。
「いいんだっけ、とか呑気なこと言わないでよもう、手塚のばかっ」
「すまん。ってか、いてっ、お前、暴れるなよ。エッジが当たる」
「あんたが足をどかさないからでしょう」
リンクに倒れこんだままやりあう二人を、大学生風の男たちはあっけに取られた風に見下ろしていた。で、しばらくして顔を見合わせ、肩をすくめる。そして舌打ちしてから、
「連れがいるんならいるって初めから言えよ、ったく」
「時間の無駄だったな」
捨て台詞を吐いて立ち去っていった。
な、なんですって!? 時間の無駄って言った今? あたしに舌打ちしたわね?
こっちには連れがいるって言ったじゃない。最初から!
柴崎はいきり立つ。時間の無駄はこっちよ。返せ、のしつけてあたしの時間を返せ、と売られた喧嘩を買おうとした。
しかし、背後から長い腕に抱きしめられて、口まで出かかった台詞を飲む込む。
そろそろと後ろを見ると、切れ長の目があった。困ったような、はにかんだような。
それを見たらすっと頭が冷えた。理性が戻る。
「……もしかして、助けに来てくれた? ナンパに遭ってるの見て」
拗ねた声で訊いてみる。と、手塚は都合が悪そうに目をそらした。
「スマートに助けられなくてスマン。これでも、大急ぎで駆けつけたんだけど」
その分失速できなかった、と詫びる。柴崎は言葉に詰まった。
お礼を言いたかった。ありがと、おかげで助かったわと。
けれども突いて出るのは憎まれ口だった。
「……遅いのよ、もっと早く来てよ」
あ、やだ。こんな風に言いたいんじゃない。
可愛げのなさがいやになる。でも、いったん口にした言葉は取り返せない。
うつむいた柴崎の顔を覗き込んで、手塚は言った。
「ごめん。一緒に来てるのに、お前から目を離した俺が悪かった」
そして柴崎を囲う腕に力を込めた。あくまでも、そうっと。
柴崎は手塚のダウンの胸におでこをくっつけた。顔を見られたくなかった。
「馬鹿な男に誘われて、すっごくやだった。もっとちゃんと見ててよ」
あたしを見てて。
初心者で、自分のすべりでいっぱいいっぱいな手塚に、そんなことを言うのはお門違いだとわかっている。けれども、今なら上手に甘えられる気がした。
拗ねて甘えたかった。恋人みたいに。
「ごめん」
案の定、上手に手塚は柴崎のクッションとなる。頭を軽くぽんぽんと撫でられた。
手袋をしていないせいで、手塚の手は冷え切っている。けれどもこんなにもあったかい。
……豪勢なクッションだわ。こんなグレードの高い緩衝材、今まで会ったことない。
それからも手塚はごめんなと謝って宥める一方で。柴崎はほんとに遅いのよと責める一方で。
二人はしばらく身を離すことを忘れた振りをして、堂々とくっついていた。
リンクについたお尻が、冷えて痛んでくるまでずっと。
柴崎の手を借りて手塚が立ちあがって、二人はまた滑り出す。
今度は、柴崎が先導しなくてもなんとかかんとか肩を並べられた。ゆっくりとしたストロークで進んでいく。
緊張しつつも、口角に笑みを湛えるという、なんとも複雑な顔をしている手塚に、
「何よ?」
と柴崎が突っかかる。手塚は空いている方の手で口元を押さえた。
「いや、何も」
「ふんだ」
まだ拗ねた横顔で、柴崎がそっぽを向く。耳がほのかに赤い。
でも、手塚の手を握る柴崎の指は、しっかりと【恋人つなぎ】をしていて。ナンパに遭う前とは握り方が違っている。
何か言いたそうな手塚に、「何よ、ちゃんと滑ってよ。転ばないで」と叱咤する。
それは照れ隠しだとさすがに彼にもわかる。
柴崎と歩調を合わせながら手塚が呟いた。
「スケートもたまには悪くないもんだな」
こんなに堂々とお前と手をつないだり、抱きしめたりできる。
悪くない。
二人が刻む軌跡は、緩やかに甘いカーブを描く。それは、リンクサイドからもはっきりと見て取ることができた。
(了)
バレンタインものを、と思ってどこかにチョコ要素を入れようと思って書いたのですが、入るところがありませんでした(泣)
でもできる限り、同期時代の二人の関係性の中で甘くしてみようと頑張りました。
みなさま、少し早いですが大切な人とよいバレンタインをお過ごしください。
web拍手を送る
それでもさすがは手塚というべきか。二時間も経過すると、それなりにスケートの形になってきた。
柴崎が手を離したとたん、どべっと地面を舐める(リンクを?)という有様ではなくなっていた。
「ちょっと一人で行けそうなとこまで行ってみて。ここで見てるから」
と、促すと、「ん。わかった」と意を決してそろそろとリンクの外周を進んでいった。
柴崎は他の利用客より頭一つ分高い男を見送る。
自分でも思っていた以上に手塚と過ごす時間は楽しかった。
それは彼がスケート初心者で、滅多に見られない様子を見せたからではなく。
ただ一緒にいるだけで楽しいのだということに、自分でも薄々勘付いている。そしてそのことに柴崎は戸惑う。
異性と二人きりでいて、手塚くらい素の自分を出せる相手はいない。
気取らなくていいし、猫をかぶる必要もない。向こうもあたしの本性は知っている。
しかしそれが友人として「楽」だからなのか、それとも特別な感情からなのかは自分でも判然としない柴崎だった。
もの思いにふけっていたら、手塚を見失った。ふと不安になって背伸びしたところで
「ねえ、もしかして一人で来てる?」
と背後から声をかけられた。
見ると大学生風の男子二人組。柴崎にとっては珍しいことではない。
街に出て、最近ナンパしてくるのはたいていこういうチャラい年下ちゃんだった。
やれやれ、とブルーなのを露骨に顔に出しながら「違いますけど」と返す。
「じゃあ友達とかな。彼女さ、栗山千明に似てるってよく言われない?」
「言われませんけど」
認めるのも面倒くさい。しかし敬語は崩さない。慇懃に返すことで拒絶を表す。
「えーでもそっくりじゃん。もしかして、本人だったりして?」
人差し指を向けられて、柴崎の柳眉が跳ねる。
こら、人を指差すもんじゃないって、おうちで教わらなかった? 若造くん。
そして無意識に手塚を探す。ちょっと早く戻ってきてよ、面倒くさいことになってるんだけど今。
大事なときに外すなんて、使えないんだからまったく、と怒りの矛先があらぬほうへ。
そんな柴崎にかまわずアプローチを仕掛ける二人組。
「じゃあさ、友達が戻ったらさ、ちょっとお茶でもしない? あったかいのでも飲もうよ」
「さっき飲みましたから」
「えー固いこと言わないで。なんか、警戒してる? 俺たちのこと」
わざと崩した言い回しでおもねるように笑いかける。でもそんな浅はかさは、彼女はとうにお見通しだ。
それにね、警戒っていうかね、うんざりしてるの。
今日はとても気分よく過ごせていただけに、水を差された気分で。
「とにかくちょっとあっちで休もうよ。奢るし」
業を煮やしたか、片割れが柴崎の手を取ろうとする。さすがに柴崎が声音を鋭くした。身を引いてにらむ。
「やめて」
「やめて、って。つれないな。何も取って食ったりしないって」
一瞬気を飲まれた風に動きを止めた男だったが、さらにしつこく行こうよと手を伸ばしかけた。
いい加減、我慢の限界がくる。柴崎がそう思ったとき、
「うわあああ。誰か、ちょっと、とーめーてーくーれー!!」
大声とともに、どん、と後ろから体当たりされた。すごい衝撃が来た。
「きゃっ!」
唐突すぎて、受身が全然取れなかった。
柴崎はつんのめって、派手に転んだ。しかし、後ろから来た相手に抱きしめられて、リンクに激突するのはぎりぎりで避けられた。
もちろん突っ込んできたのは手塚だ。失速できず、勢いを持ったまま柴崎にぶつかって倒れた。
二人はもつれてリンクの上転がる。手塚が「いてててて」と大仰に顔をしかめて天井を仰ぐ。腕に柴崎を囲ったまま。
「あ、あんた何やってるのよ、重いっ。どいて早く」
柴崎が手足をばたつかせた。今日はミニを履いている。み、見えちゃうと裾を必死で引っ張った。
「ど、どいてと言われても、どうやって起きればいいんだっけ」
手塚の脚はむなしく宙を蹴る。柴崎は焦れた。
「いいんだっけ、とか呑気なこと言わないでよもう、手塚のばかっ」
「すまん。ってか、いてっ、お前、暴れるなよ。エッジが当たる」
「あんたが足をどかさないからでしょう」
リンクに倒れこんだままやりあう二人を、大学生風の男たちはあっけに取られた風に見下ろしていた。で、しばらくして顔を見合わせ、肩をすくめる。そして舌打ちしてから、
「連れがいるんならいるって初めから言えよ、ったく」
「時間の無駄だったな」
捨て台詞を吐いて立ち去っていった。
な、なんですって!? 時間の無駄って言った今? あたしに舌打ちしたわね?
こっちには連れがいるって言ったじゃない。最初から!
柴崎はいきり立つ。時間の無駄はこっちよ。返せ、のしつけてあたしの時間を返せ、と売られた喧嘩を買おうとした。
しかし、背後から長い腕に抱きしめられて、口まで出かかった台詞を飲む込む。
そろそろと後ろを見ると、切れ長の目があった。困ったような、はにかんだような。
それを見たらすっと頭が冷えた。理性が戻る。
「……もしかして、助けに来てくれた? ナンパに遭ってるの見て」
拗ねた声で訊いてみる。と、手塚は都合が悪そうに目をそらした。
「スマートに助けられなくてスマン。これでも、大急ぎで駆けつけたんだけど」
その分失速できなかった、と詫びる。柴崎は言葉に詰まった。
お礼を言いたかった。ありがと、おかげで助かったわと。
けれども突いて出るのは憎まれ口だった。
「……遅いのよ、もっと早く来てよ」
あ、やだ。こんな風に言いたいんじゃない。
可愛げのなさがいやになる。でも、いったん口にした言葉は取り返せない。
うつむいた柴崎の顔を覗き込んで、手塚は言った。
「ごめん。一緒に来てるのに、お前から目を離した俺が悪かった」
そして柴崎を囲う腕に力を込めた。あくまでも、そうっと。
柴崎は手塚のダウンの胸におでこをくっつけた。顔を見られたくなかった。
「馬鹿な男に誘われて、すっごくやだった。もっとちゃんと見ててよ」
あたしを見てて。
初心者で、自分のすべりでいっぱいいっぱいな手塚に、そんなことを言うのはお門違いだとわかっている。けれども、今なら上手に甘えられる気がした。
拗ねて甘えたかった。恋人みたいに。
「ごめん」
案の定、上手に手塚は柴崎のクッションとなる。頭を軽くぽんぽんと撫でられた。
手袋をしていないせいで、手塚の手は冷え切っている。けれどもこんなにもあったかい。
……豪勢なクッションだわ。こんなグレードの高い緩衝材、今まで会ったことない。
それからも手塚はごめんなと謝って宥める一方で。柴崎はほんとに遅いのよと責める一方で。
二人はしばらく身を離すことを忘れた振りをして、堂々とくっついていた。
リンクについたお尻が、冷えて痛んでくるまでずっと。
柴崎の手を借りて手塚が立ちあがって、二人はまた滑り出す。
今度は、柴崎が先導しなくてもなんとかかんとか肩を並べられた。ゆっくりとしたストロークで進んでいく。
緊張しつつも、口角に笑みを湛えるという、なんとも複雑な顔をしている手塚に、
「何よ?」
と柴崎が突っかかる。手塚は空いている方の手で口元を押さえた。
「いや、何も」
「ふんだ」
まだ拗ねた横顔で、柴崎がそっぽを向く。耳がほのかに赤い。
でも、手塚の手を握る柴崎の指は、しっかりと【恋人つなぎ】をしていて。ナンパに遭う前とは握り方が違っている。
何か言いたそうな手塚に、「何よ、ちゃんと滑ってよ。転ばないで」と叱咤する。
それは照れ隠しだとさすがに彼にもわかる。
柴崎と歩調を合わせながら手塚が呟いた。
「スケートもたまには悪くないもんだな」
こんなに堂々とお前と手をつないだり、抱きしめたりできる。
悪くない。
二人が刻む軌跡は、緩やかに甘いカーブを描く。それは、リンクサイドからもはっきりと見て取ることができた。
(了)
バレンタインものを、と思ってどこかにチョコ要素を入れようと思って書いたのですが、入るところがありませんでした(泣)
でもできる限り、同期時代の二人の関係性の中で甘くしてみようと頑張りました。
みなさま、少し早いですが大切な人とよいバレンタインをお過ごしください。
web拍手を送る
そういえば、スケートリンクをとんと見かけなくなりました。
今どこにあるかなぁ?
都内は外苑ぐらいかも…
昔は滑れてましたけど、今行ったらきっとお尻に青あざです…
柴崎は可愛い女の子なのですよ。そして私にとっては、同様に手塚も可愛い。。。。くっつく前の二人を描くのもファンとして無上の楽しみなのですv
>たくねこさん
都内にはリンクはあまりないのですね~
じゃあ架空のリンクでのお話ということで(笑)
当地にはあっちこっちにアイスアリーナありますよ。私はあんまし滑れないけど。。。
ウインタースポーツはとんと苦手です(寒いのはもっと苦手)
どうもありがとうございました。
すてきな手柴をいつも堪能させていただいて
おります。
今回の
拗ねた柴崎がかわゆすぎです。
ニヤニヤしてしまいました。
ようこそおいでくださいました。
レス遅れてすみません m(_ _)m
こちらへ来てくださる方は 特に柴咲を可愛いとおっしゃってくださる方が多くて、私も嬉しくなってさらに盛りで可愛く書いてしまいます。笑
よろしければ今後ともよろしくお願いいたしまう。