――お目覚めですか、お姫様。
「ん……」
「……もう朝ですよ。起きてはどうですか」
「もうちょっと……。あと、10分」
くす、と笑みを漏らす音。かすかに。
男性の声。今朝は執事が起こしに来てくれたのね。
あたしは寝返りを打つ。目を閉じていても朝陽が差し込まないのがわかる。レースのカーテンが、光を集めていない。今日は、……曇り?
「じゃあその間に朝食を作りますか。今朝は? ベッドで? テーブルで?」
声が背中に当たる。
うーん。このベッドから起き上がるのは名残惜しいけれども。
「……ちゃんと、起きて食べます」
あたしは言った。
今朝はベーグルがいい。ちょっとだけ焼いて、木イチゴのジャムをのせて。卵はスクランブルでふわふわのやつ。紅茶は、そうね……イングリッシュブレックファーストがいいわ。
なんだか食欲が出てきた。お腹が、減った。
「了解」
その応えとともに、ぱちっとあたしは目覚めた。覚醒した。
枕から頭を上げると、ベッドにジョウが腰かけてあたしに笑いかけていた。
「おはよう。よく眠れたか」
「ジョウ」
あれ? あたしは混乱する。
ここは、どこ? ピザンの宮殿じゃないの。
見回すと、あたしの私室だった。見慣れた、ミネルバの中の。
窓はあってもレースカーテンなんかついてるはずがない。朝は来ても、光は差し込まない。四六時中、黒々とした銀河が広がっている。
あ、れ……? さっきのやりとりは、夢?
起き抜けで働かない頭をおさえる。ジョウは優しく微笑んだまま、
「お姫様は注文が多い」
そう言ってあたしに手を伸ばした。
ほつれた髪を直してくれる。
「やだ。あたし、寝ぼけてた? 恥ずかしい」
「別に。ベーグルにジャムだろ、で、スクランブルエッグと。紅茶は? なんだっけ? イングリッシュなんとか」
「ち、違うの。それは宮殿の時に、よく出してもらったメニューで。口が勝手にしゃべっちゃっただけ」
執事が起こしに来たと勘違いしたのと言い訳。
「作るよ。そのくらいなら俺でもできそうだ」
10分な。そう言ってジョウは立ちあがる。
え、と半身起こしたあたしに、ジョウは言った。
「もう10分だけ寝たいんだろ、そうしろよ」
あたしは赤くなる。
「そんな、起きるわ。朝ごはん作る。さっきは、寝ぼけてたのちょっと」
真に受けないでと言うと、そっと肩を押さえられた。
「まあ、ゆっくりしろよ。たまには」
「……ジョウ、どうしたの。いつもはこんな風に起こしに来るなんてことないのに」
あたしは首をかしげる。と、ジョウは照れたように目をそらした。
「昨日のお礼だ。ささやかだけどな」
あ。
ジョウはなんだかうれしそうだった。
「10分したらおいで。キッチンにいるから」
「……うん」
あたしはブランケットを胸元まで引き寄せた。今朝はありがたく、ジョウの提案にのせてもらう。
あたしの部屋のドアを出ていこうとするジョウの背に、声をかける。
「ありがとう、ジョウ」
彼はいったん足を止めて、肩越しにあたしを見た。そして、
「たまにはお姫様扱いもいいだろ」
と言った。
たまにじゃないよ。
いつも、だよ。ジョウ。
あなたは無意識かもしれないけれど、ジョウがそれはそれは大切にあたしを扱ってくれるのを知っている。
仕事のときに守ってくれるだけでなく、普段も。外出して、何気なく街を歩くときでも、ジョウはあたしに車道側を歩かせたことはない。
エアタクをつかまえても、ドアを開けて先に乗り込ませるのはあたし。レディファーストが身に付いている。
夜更かししてソファで寝落ちしたときも、あたしの部屋に抱き上げて運んでくれる。ベッドに横たえて、「おやすみ」と。
この人はとても紳士だ。気づいていないのかしら?
きっかり10分後、着替えてキッチンに行くと、ジョウがスクランブルエッグを作ってくれているところだった。
いい匂い。というよりも、なんだか、火力が、強くない?
「大丈夫? ジョウ」
気になって声をかけると、
「なんだか焦げ付きそうなんだよ。アルフィンが作るみたいにふわふわにならないんだ」
なんでだ、と必死にフライ返しを繰って言う。
あたしは笑ってジョウの隣に立つ。IHの火力を絞ってあげながら、
「こつがあるのよ。でも、ふわふわじゃなくてもジョウの作る卵、好きよ。食べるの楽しみ」
ぴとっと腕にくっついた。
「ん」
でれっと崩れそうな表情を見られまいとジョウが口を引き結ぶ。耳たぶが赤い。
あたしはますますジョウの腕にまとわりつきながら、「もうおなか、ぺこぺこ」と甘えた。
「イングリッシュ何とかっていう茶葉、出してあるぞ」
「ブレックファースト」
「君は紅茶党なんだな」
「もともとはね。ここに来てからコーヒーを飲むようになったの」
「ふうん」
「……変わるもの、悪くないね」
「そうだな」
昨夜、バレンタインの日。ジョウにあげた贈り物。
驚きながら、嬉しそうに目を細める彼の笑顔が忘れられない。
ジョウは、この「お姫様扱い」はそのお返しだと言った。ささやかだけど、と照れながら。
慣れない手つきでスクランブルエッグを一生懸命作ってくれる。
ふだん、キッチンに立たないあなたが。
こんな風に、あたしたちの関係も変わっていく。とても自然に。
「美味しそう」
グリーンサラダとともにお皿に盛ったそれを見たあたしが言うと、
「アルフィンは嘘が下手だな」
ジョウが空を仰いでやれやれと吐息をついた。
END
今年のバレンタインSSは、少し毛色を変えてみました。アルフィンが何をジョウに贈ったのかは、ご想像に委ねます。
「ん……」
「……もう朝ですよ。起きてはどうですか」
「もうちょっと……。あと、10分」
くす、と笑みを漏らす音。かすかに。
男性の声。今朝は執事が起こしに来てくれたのね。
あたしは寝返りを打つ。目を閉じていても朝陽が差し込まないのがわかる。レースのカーテンが、光を集めていない。今日は、……曇り?
「じゃあその間に朝食を作りますか。今朝は? ベッドで? テーブルで?」
声が背中に当たる。
うーん。このベッドから起き上がるのは名残惜しいけれども。
「……ちゃんと、起きて食べます」
あたしは言った。
今朝はベーグルがいい。ちょっとだけ焼いて、木イチゴのジャムをのせて。卵はスクランブルでふわふわのやつ。紅茶は、そうね……イングリッシュブレックファーストがいいわ。
なんだか食欲が出てきた。お腹が、減った。
「了解」
その応えとともに、ぱちっとあたしは目覚めた。覚醒した。
枕から頭を上げると、ベッドにジョウが腰かけてあたしに笑いかけていた。
「おはよう。よく眠れたか」
「ジョウ」
あれ? あたしは混乱する。
ここは、どこ? ピザンの宮殿じゃないの。
見回すと、あたしの私室だった。見慣れた、ミネルバの中の。
窓はあってもレースカーテンなんかついてるはずがない。朝は来ても、光は差し込まない。四六時中、黒々とした銀河が広がっている。
あ、れ……? さっきのやりとりは、夢?
起き抜けで働かない頭をおさえる。ジョウは優しく微笑んだまま、
「お姫様は注文が多い」
そう言ってあたしに手を伸ばした。
ほつれた髪を直してくれる。
「やだ。あたし、寝ぼけてた? 恥ずかしい」
「別に。ベーグルにジャムだろ、で、スクランブルエッグと。紅茶は? なんだっけ? イングリッシュなんとか」
「ち、違うの。それは宮殿の時に、よく出してもらったメニューで。口が勝手にしゃべっちゃっただけ」
執事が起こしに来たと勘違いしたのと言い訳。
「作るよ。そのくらいなら俺でもできそうだ」
10分な。そう言ってジョウは立ちあがる。
え、と半身起こしたあたしに、ジョウは言った。
「もう10分だけ寝たいんだろ、そうしろよ」
あたしは赤くなる。
「そんな、起きるわ。朝ごはん作る。さっきは、寝ぼけてたのちょっと」
真に受けないでと言うと、そっと肩を押さえられた。
「まあ、ゆっくりしろよ。たまには」
「……ジョウ、どうしたの。いつもはこんな風に起こしに来るなんてことないのに」
あたしは首をかしげる。と、ジョウは照れたように目をそらした。
「昨日のお礼だ。ささやかだけどな」
あ。
ジョウはなんだかうれしそうだった。
「10分したらおいで。キッチンにいるから」
「……うん」
あたしはブランケットを胸元まで引き寄せた。今朝はありがたく、ジョウの提案にのせてもらう。
あたしの部屋のドアを出ていこうとするジョウの背に、声をかける。
「ありがとう、ジョウ」
彼はいったん足を止めて、肩越しにあたしを見た。そして、
「たまにはお姫様扱いもいいだろ」
と言った。
たまにじゃないよ。
いつも、だよ。ジョウ。
あなたは無意識かもしれないけれど、ジョウがそれはそれは大切にあたしを扱ってくれるのを知っている。
仕事のときに守ってくれるだけでなく、普段も。外出して、何気なく街を歩くときでも、ジョウはあたしに車道側を歩かせたことはない。
エアタクをつかまえても、ドアを開けて先に乗り込ませるのはあたし。レディファーストが身に付いている。
夜更かししてソファで寝落ちしたときも、あたしの部屋に抱き上げて運んでくれる。ベッドに横たえて、「おやすみ」と。
この人はとても紳士だ。気づいていないのかしら?
きっかり10分後、着替えてキッチンに行くと、ジョウがスクランブルエッグを作ってくれているところだった。
いい匂い。というよりも、なんだか、火力が、強くない?
「大丈夫? ジョウ」
気になって声をかけると、
「なんだか焦げ付きそうなんだよ。アルフィンが作るみたいにふわふわにならないんだ」
なんでだ、と必死にフライ返しを繰って言う。
あたしは笑ってジョウの隣に立つ。IHの火力を絞ってあげながら、
「こつがあるのよ。でも、ふわふわじゃなくてもジョウの作る卵、好きよ。食べるの楽しみ」
ぴとっと腕にくっついた。
「ん」
でれっと崩れそうな表情を見られまいとジョウが口を引き結ぶ。耳たぶが赤い。
あたしはますますジョウの腕にまとわりつきながら、「もうおなか、ぺこぺこ」と甘えた。
「イングリッシュ何とかっていう茶葉、出してあるぞ」
「ブレックファースト」
「君は紅茶党なんだな」
「もともとはね。ここに来てからコーヒーを飲むようになったの」
「ふうん」
「……変わるもの、悪くないね」
「そうだな」
昨夜、バレンタインの日。ジョウにあげた贈り物。
驚きながら、嬉しそうに目を細める彼の笑顔が忘れられない。
ジョウは、この「お姫様扱い」はそのお返しだと言った。ささやかだけど、と照れながら。
慣れない手つきでスクランブルエッグを一生懸命作ってくれる。
ふだん、キッチンに立たないあなたが。
こんな風に、あたしたちの関係も変わっていく。とても自然に。
「美味しそう」
グリーンサラダとともにお皿に盛ったそれを見たあたしが言うと、
「アルフィンは嘘が下手だな」
ジョウが空を仰いでやれやれと吐息をついた。
END
今年のバレンタインSSは、少し毛色を変えてみました。アルフィンが何をジョウに贈ったのかは、ご想像に委ねます。
⇒pixiv安達 薫
イメージとしてはお付き合い前ですね。ほんのりいちゃいちゃしているくらいの。
某所のベルばらにもコメント有り難うございました。
あの夜は漫画が完璧で、私の二次なんかは蛇足とも思ったのですが、書くことで50年来の二人の初夜の思いが整理できた気がします。お目汚しでした。