ノックの音が聞こえたような気がした。
開いてるぞ、と言えたかどうか、分からない。意識が朦朧としていた。
だから目の前に柴崎の顔があっても、現実なのか幻覚なのか、よく分からなかった。
「……なんでお前、ここにいるんだ」
まるで死人のようなかすれた声が口から漏れた。そう思って、死人はものを言わないよな、と自分で突っ込みを入れる。
怒ったような膨れたような、それでも美しい柴崎の顔の眉間にひとつ皺が寄る。制服姿ってことは、勤務中か? 今何時だ?
「なんでじゃないでしょう。あんたこそなにやってんのよ」
「なにって……病欠」
熱のせいで、関節の節々が痛む。思わずうめいて身体を縮める。
会話してるってことは、あれ? これって幻覚じゃないのか。リアルで? とぐるぐる回る頭が余計に混乱してくる。
「インフルエンザなんだって? 笠原に聞いたわ。もう、なんなのよ、あんた」
柴崎は言って無造作に俺の額に手を当てた。
ひんやりとしていて気持ちいい。
「すごい熱」
柴崎は息を呑んだ。
「あたしじゃないからね、あんたに感染(うつ)したの。――あたし、こないだのインフルじゃなくてただの風邪だったんだからね」
弁解するように言って、柴崎は肩に下げていたトートバックを探る。
スポーツドリンク、栄養ドリンク、冷えピタ、電子体温計、プリンのパック、ヨーグルト、みかんなどを取り出し、部屋のローテーブルにてきぱきと並べていく。
俺は枕元の目覚ましに目をやる。じきに13時だった。
「そうだ。ひとえに俺の不養生のせいだよ。……ところで、それなんだ?」
「ん、同室がいるってったって、男所帯なんだから、要り用でしょ。差し入れ」
桃缶がセレクトされてないのが柴崎らしい。そんなことを思いつつ、俺は訊いた。
「……お前、仕事は」
「昼休み。抜けてきた」
あっさり言って、柴崎は、
「どうやって男子寮に入り込んだなんて、野暮な事は訊かないでよ。時間がもったいないから。薬は処方されてるの、ちゃんと飲んでるわね」
「……ああ」
「よろしい。とにかく栄養採って眠ること。あんた、基礎体力は抜きん出てあるんだから、すぐによくなるわ。ゆっくり休むのよ」
柴崎は冷えピタの箱を開け、中の小分け袋を開く。
慎重な手つきで、ビニールシートをはがし、シップのようなものを俺の額に置く。
「冷たい」
「ああ、もう、動かないでよ。くしゃくしゃになっちゃったじゃない」
柴崎は皺の寄った冷えピタをしきりと伸ばす。
そこで、ふと気がついた。
「――あんた、何笑ってんの」
「え」
俺はシーツから重い頭を少しだけ持ち上げて、柴崎を見上げた。
「大丈夫? 熱のせいでここんとこやられた?」
憎まれ口を利きながらも心配そうに顔を曇らせ、俺の頭にそっと触れる。そんな柴崎を見ていたら、体調は最悪だというのに、くすくす笑いが自然とこみ上げてきて止まらない。
「なんでもない。大丈夫だ」
「ならいいけど。いい、くれぐれも無理しちゃだめよ。ちょっとよくなったからって、起き上がって動いたりしないこと。油断禁物」
「はいはい」
「本を読むとかもだめよ。目を休めないと。眠くなくても目を閉じてるのが大事なんだから――。って、ねえちょっと、あんたどうして笑ってるの。あたしの言うこと聞いてる? 分かってんの?」
柴崎は唇を尖らす。機嫌を損ねたらことなので、俺は笑みを我慢して飲み込み、
「分かってる」
と頷いた。
分かってるよ。
お前が優しい女だってこと。
笠原から俺が休んでいるってこと聞きつけて、昼休みに急いでドラッグストアに駆けつけてあれこれ買い込んできてくれたってこと。
きっと、自分の昼飯は適当に済ませて、時間を無理繰理作って。
口うるさく言うのは、心配の裏返しだってこと、ちゃんと分かってる。
俺は右手を伸ばした。
「なに? 苦しいの」
反射でそれを握った柴崎の右手をぎゅっと掴んで、俺は言う。
「ありがとう、柴崎」
たまにはインフルエンザにかかるのも悪くないな。そう言うと、
「……ばか」
と照れたふうに横を向いた顔がレアもので可愛かったから、やっぱり悪くないと俺は緩む口をシーツに押し当てた。
(fin.)
web拍手を送る
開いてるぞ、と言えたかどうか、分からない。意識が朦朧としていた。
だから目の前に柴崎の顔があっても、現実なのか幻覚なのか、よく分からなかった。
「……なんでお前、ここにいるんだ」
まるで死人のようなかすれた声が口から漏れた。そう思って、死人はものを言わないよな、と自分で突っ込みを入れる。
怒ったような膨れたような、それでも美しい柴崎の顔の眉間にひとつ皺が寄る。制服姿ってことは、勤務中か? 今何時だ?
「なんでじゃないでしょう。あんたこそなにやってんのよ」
「なにって……病欠」
熱のせいで、関節の節々が痛む。思わずうめいて身体を縮める。
会話してるってことは、あれ? これって幻覚じゃないのか。リアルで? とぐるぐる回る頭が余計に混乱してくる。
「インフルエンザなんだって? 笠原に聞いたわ。もう、なんなのよ、あんた」
柴崎は言って無造作に俺の額に手を当てた。
ひんやりとしていて気持ちいい。
「すごい熱」
柴崎は息を呑んだ。
「あたしじゃないからね、あんたに感染(うつ)したの。――あたし、こないだのインフルじゃなくてただの風邪だったんだからね」
弁解するように言って、柴崎は肩に下げていたトートバックを探る。
スポーツドリンク、栄養ドリンク、冷えピタ、電子体温計、プリンのパック、ヨーグルト、みかんなどを取り出し、部屋のローテーブルにてきぱきと並べていく。
俺は枕元の目覚ましに目をやる。じきに13時だった。
「そうだ。ひとえに俺の不養生のせいだよ。……ところで、それなんだ?」
「ん、同室がいるってったって、男所帯なんだから、要り用でしょ。差し入れ」
桃缶がセレクトされてないのが柴崎らしい。そんなことを思いつつ、俺は訊いた。
「……お前、仕事は」
「昼休み。抜けてきた」
あっさり言って、柴崎は、
「どうやって男子寮に入り込んだなんて、野暮な事は訊かないでよ。時間がもったいないから。薬は処方されてるの、ちゃんと飲んでるわね」
「……ああ」
「よろしい。とにかく栄養採って眠ること。あんた、基礎体力は抜きん出てあるんだから、すぐによくなるわ。ゆっくり休むのよ」
柴崎は冷えピタの箱を開け、中の小分け袋を開く。
慎重な手つきで、ビニールシートをはがし、シップのようなものを俺の額に置く。
「冷たい」
「ああ、もう、動かないでよ。くしゃくしゃになっちゃったじゃない」
柴崎は皺の寄った冷えピタをしきりと伸ばす。
そこで、ふと気がついた。
「――あんた、何笑ってんの」
「え」
俺はシーツから重い頭を少しだけ持ち上げて、柴崎を見上げた。
「大丈夫? 熱のせいでここんとこやられた?」
憎まれ口を利きながらも心配そうに顔を曇らせ、俺の頭にそっと触れる。そんな柴崎を見ていたら、体調は最悪だというのに、くすくす笑いが自然とこみ上げてきて止まらない。
「なんでもない。大丈夫だ」
「ならいいけど。いい、くれぐれも無理しちゃだめよ。ちょっとよくなったからって、起き上がって動いたりしないこと。油断禁物」
「はいはい」
「本を読むとかもだめよ。目を休めないと。眠くなくても目を閉じてるのが大事なんだから――。って、ねえちょっと、あんたどうして笑ってるの。あたしの言うこと聞いてる? 分かってんの?」
柴崎は唇を尖らす。機嫌を損ねたらことなので、俺は笑みを我慢して飲み込み、
「分かってる」
と頷いた。
分かってるよ。
お前が優しい女だってこと。
笠原から俺が休んでいるってこと聞きつけて、昼休みに急いでドラッグストアに駆けつけてあれこれ買い込んできてくれたってこと。
きっと、自分の昼飯は適当に済ませて、時間を無理繰理作って。
口うるさく言うのは、心配の裏返しだってこと、ちゃんと分かってる。
俺は右手を伸ばした。
「なに? 苦しいの」
反射でそれを握った柴崎の右手をぎゅっと掴んで、俺は言う。
「ありがとう、柴崎」
たまにはインフルエンザにかかるのも悪くないな。そう言うと、
「……ばか」
と照れたふうに横を向いた顔がレアもので可愛かったから、やっぱり悪くないと俺は緩む口をシーツに押し当てた。
(fin.)
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寮に乗り込んでっちゃう柴崎もかわいいです。いや~~~、かわいいっ!二人とも!
ほんとならうつるから来るな、って言いそうなんですけど、それを言うのさえ忘れるほど弱ってる手塚を実は書きたかったのかもでした。。。えへv
あだちさん、やっぱりお上手です!!
「書ける側」はいいなーっ
あ、でも、手塚はちょっとやそっとの風邪じゃ休まないだろうから、郁ちゃんに追い返された後、ってところですかね笑
で、郁ちゃんにじゃーっかん嫉妬とかしつつ、一生懸命看病する柴崎、って感じですかね。
可愛いですね、2人とも!
途中、手塚が柴崎にインフルエンザを感染すシーンがあるかな...とか淡い期待を抱きましたが、これは内乱以降ですもんね。まだちょっと早かった...
リアルで娘がインフルAで入院しておりまして(気管支炎併発)しゃれにならんネタでしたが、ひとまず退院にこぎつけました。
みなさまも流行が終わったと思いきや、まだまだインフルにはお気をつけください。