∞開運ひとりごと♪~強運人生一本道∞ ☆(・∀・)!

人の中にはすべてがある。求めよ、されば与えられん
ブログには気づきがある。
私という世界でたった一つの物語

からだ2

2009-06-19 | 生き方の哲学

 

前回からからだのことを少しだけ、 私は小さい頃から虚弱なからだをしていたので、みんなからよくからかわれたこともありました。 しかし、このような体型・体質をもって生まれたことの理由に意味があると言ったらどう思いますか?


 あなたの体型はあなたが欲したものではないとおっしゃるかもしれませんが、実は生まれて来る前にあなたが決めたものです。

 病弱で生まれたこのからだを恨めしく思い、他人の健康なからだを恨めしく思ったところで、変わるものではありません。 そのように恨めしく思う心のストレスはよっぽど身体を傷つけ苦しめるということです。

 私もそう思った時期もありました。けれども、そうじゃないんだな。 これは天から与えられた大事なからだだからきっと意味があってこのようなからだで生まれてきたんだな。だから感謝して大切にしていこうと思い直しました。


また寿命がきてあの世に行く前にきれいな身体で神様にお返ししようって思ったんです。

 自分を粗末にしてはならないっていっても環境が苦しくて辛くて逃げ出したいとか悩みが尽きませんよね。 だけど感情を出してはならないとかね。怒ると活性酸素が生成されて・・・とか まぁほんとうに切りがないですよ。

だけど感動するためには怒ったり泣いたり笑ったりして日々を楽しんでいる天来無法な姿で無邪気に遊ぶんです。 そう!まさに良寛さんのような生き方を目指したいものです。

 なにものにも囚われない。過ぎたものを捨てていく。後悔はしない。いつまでもめそめそしないって

そういうふうに切り替えていく時期があるんです。壁は誰にでも来るんですよ。 目の前に立ちはだかる壁は大きくて「こんなの無理だ!」とか 「越えられるわけがない!」「どうして神様はこんな試練を私に!」 なんて恨めしく思ってやけになったりしてね。

自暴自棄になればなるほど追いつめられてたくさんの人が離れていって 寂しくて、でもそういうとき天が私をみているんだと背後から見られていると思いましょう。

 人間には魂を守る親がいるんです。 その親がいつも一緒にね。あなたと一緒にいるんです。それを仏教では『同行二人』っていうんです。 いつもいつでもあなたを見ている人がいるんですよ。一緒に歩いている人がいる。もうひとりの自分という表現でもいいですね。私もよく日記書いてますけれども、書いているときもうひとりの自分と対話しているように問題が沈静化するときがあります。納得します。ああそうかって!。

いつも同行二人だからあなたは決して悪い事はできないし、やってもばれない誰も見ていないのだから大丈夫だと思って実行しても、自分にうそつくことはできません。

天につば吐きゃ己に降りかかるっていいますけれども、 心のどこかでみられていることを知っているので悪い事をすれば自分で自分を罰します。

 自分を裁くことで気持ちがよくなるちょっと変態(笑)な脳神経で 自分で自分を罰する自己処罰という行いが自然と行われてしまうのです。

 罪と罰の因果関係から

またそれが過去世でもし悪い事をしていた人ならば今世そう処罰する悪い癖が抜けきれていない人もいるでしょう。

悪い事をしていなくても勝手に私が悪い事をしたと思いこむ人もいるかもしれません。 そんな人には「神は人を罰しません。そして自分は自分を愛し労わり認める。いまの自分自身を受け止めること。もっと愛を学び感謝に変えることでその処罰意識は消えてゆきます。」 と言います。

いつも不安なとき同行二人と言っていれば気持ちも落ち着きますよ。

ところで人間が不思議だとかんじるのは「すべてはおまえがわるい」というサゾと「すべては私のせい」というマゾ気質のどちらかのタイプがあります。これが男性性と女性性を見分ける分水嶺です。あなたはどちらですか。

 私は落ち込んだときロッキーを見るんです。

 ロッキーはいろんなハンディにも負けずにがんばっているじゃないかと励まされるわけです。 サントラはロッキー3の「Eye Of The Tiger」という曲が好きですね。 聞いていると大切な試合に勝つために淡々と練習をこなしている

そんな情景が浮かんできます。 人生って大事な試練のときの前には準備が必要で淡々と日々をこなしていく中で気づきなどを経験として学習できます。

 (生きているだけでいい)自分が活躍しようがしまいが、成功しようがしまいが、生き抜く事は勝つことである。成功する事である。

 「生きているだけで丸儲け」というお笑いのさんまさんが書いたフレーズに当てはまります。 生きているってことはわからないけれどもなんとなく生きていればたのしいなぁという感覚が伝わってきます。

生きることってわくわくがいっぱいなんだなぁって伝わってきますよ。 さんまさんの人生観があって、あの人だから語れる言葉のメッセージは重いけれども、心地よいです。

生きているだけで学習ができるから今の自分がどうしようもなくても自信をもって生きていられる。 もし死んでしまったならば本当はあなたのことを影で見守ってきた人々も寂しさを禁じえないとともに救えなかった自分の至らなさに悩み続けます。

自殺する人、事故でなくなる人、冤罪で罪を背負う人すべてに原因があって結果があるのですが、何度もいいます『あなたはこの世で感動する物語りを作成する創造者です』

生きていられるだけでしあわせだということに感謝できる人のたましいは輝いているはずです。仏画や聖人画のように頭の後ろに後光が射しているんです。

感謝しましょう。

 

しあわせなら手を叩こう♪ ぱんぱん

しあわせなら手を叩こう♪ ぱんぱん

しあわせなら態度で示そうよ♪ ほらみんなで手を叩こう♪ ぱんぱん

ていううたありますよね。あれみて「ああ、しあわせじゃなくても歌っているうちにしあわせになれるんだなぁ」って考えてみました。 手を叩くだけでしあわせが来るってなんか神社での儀礼である拍手みたいだなぁとも思いました。

あれはあいさつというよりも「お蔭様でいつもしあわせです。元気です。ありがとうございます」というあいさつの表現ではないかとも考えてみました。 一度、アルプスの少女ハイジみたいな曲を頭の中でいっぱいにしてお参りしてみてくださいね(笑)

ちょっとくらいオバカな状態で行く方が神様も喜ばれると思うんです。

 ら~ら~ら~ら らららり らららり ららら~♪ とか

お・し・え・ておじい~さんーーーーー!!!

ってばかっぽいですけどね。可愛いなぁって言ってくれますよ。 1日、感謝できることをたった一つでも見つけられたらハッピーでしょ。


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