高校まで住んでいたところの直ぐ近くに、
その街では一番大きな神社(昔、山本五十六氏も
出陣前に神頼みしたという)があったせいで、
秋祭りと初詣の時には、数百mもの道の両側に
露店ができていた。
更に鳥居に近いところに自宅があったせいで
見世物小屋があり、昼夜呼び込みの拡声器が
うるさいくらいだった。
でも、それを自宅まで大きく聞こえてくる呼び込みを聞いていると何故か心地よかったことを覚えている。
当時は、お化け屋敷でなく見世物小屋や傷痍軍人がいたことを覚えている。
見世物小屋⇒親の因果か可哀そうなのはこの子でございますなどとアナウンスして手足が無い障がい者、蛇女、を売り物にした。
傷痍軍人⇒全身白い出で立ちで松葉づえをついて寄付を募る人達が祭りでは必ず露店沿いにいた。
このようなことは今ではとても考えられない。
今は遠く離れているが、そこにはもう露店などが準備に追われているものと想像する。
幼少期この時期冬休みなので、準備中の露店を行ったり来たりして時間を忘れるくらいワクワクしていた。
大晦日になると参拝客が大勢やってくる。紅白歌合戦が終わることになると100mくらい拝礼のため列をなしていた。
これが年末年始の風物詩だったが、今は年末年始とくに感動するものが無くなった。ただ単なる日常生活の延長になっている。強いてあげればTVでの(面白くない)特番ばかり??
これは高齢になったせいなのかな・・・?
ちなみに私の故郷は、呉市
大戦時、戦艦大和を建造した街で有名。
(父は建造しているところを見ていたそうだ)
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