神田うのが献身介護 夫が脳梗塞で搬送、左半身の温痛覚に後遺症

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※女性セブン2021年4月15日号

神田うのが献身介護 夫が脳梗塞で搬送、左半身の温痛覚に後遺症 (2021年4月1日掲載) - ライブドアニュース

  • 2020年末以降、神田うのは夫の看病に大忙しだったと女性セブンが報じた
  • うのの知人によると、夫が脳梗塞で救急搬送され、1カ月以上入院したという
  • 夫は現在、左半身の温痛覚に後遺症が残り、痛みや温度を感じない状態だそう

 神田うの(46才)といえば、“セレブ”“ブランド好き”“お騒がせ”といった印象をお持ちのかたが多いかもしれない。うの自身が芸能人にもかかわらず、すべてをさらけ出す性格だからだろう。NGのない彼女にしては珍しく隠していた事実は、意外にも家族の絆を感じる心温まる話であった──。

【写真14枚】娘とともに、ディナーに訪れたうのと西村氏。うのはピンクのドレスにエルメスのバーキン。高級車からおりる西村氏の姿も

 エルメスの最高級バッグ・バーキンのコレクションを披露したかと思えば、1粒1万7000円のいちごを食べたり。神田うのは最近、セレブ生活を見せる場をSNSやYouTubeに移している。ただ、そんな突き抜けた陽気さの裏には、本人も想像だにしなかった驚くべき苦労と努力があったことを知る人は少ない。

「実は昨年末以降、うのさんは旦那さんの看病に大忙しでした。ご主人が脳梗塞で救急搬送されていて、1か月以上入院する大ごとになっていたのです」(うのの知人)

 うのの夫といえば大手パチンコチェーン社長の西村拓郎氏(51才)。ふたりの出会いは1998年で、結婚に至るまでは9年の年月が掛かった。

「最初、うのさんにとって西村さんは恋愛対象ではなく、ただの遊び友達でした。が、交際を始める前から西村さんは、うのさんに惚れ込んでプロポーズをしていましてね。『ぼくの人生を全部きみにあげる』とか、とっても情熱的でした。うのさんがその熱意に押し負けた形で、交際がスタートしたんです」(芸能関係者)

 2007年、うのが32才のときにふたりは結婚。年商1000億円以上の経営者との結婚は超セレブ婚といわれた。その名に恥じず、総費用6億円を掛けたホテルニューオータニ(東京・赤坂)での結婚披露宴をはじめ、ハワイやモルディブ、ニューカレドニアなどで結婚式を繰り返した。

「なんと合計9回。うのさんは結婚式が趣味と語っていましたが、彼女がデザインするウエディングドレスの宣伝のためという計算もあったのでしょう。そうだとしてもケタ違いにすごいですが……」(前出・芸能関係者)

 うの自身も、ウエディングドレスやストッキングのデザイナーとして大成功。セレブ同士の結婚は、当時の世間の興味の的となっていた。

「結婚してすぐは衝突の連続だったみたいですよ。お互いお金を持っているから、家庭に収まるという意識もないですしね。人前でも、うのさんが西村さんを罵倒して、西村さんがそれにうんざりしている様子も目撃され、ふたりが離婚を口にすることも増えました。離婚報道が頻発したのもこの頃です」(前出・芸能関係者)

 ところが2011年、うのが長女を出産すると、それまでの夫婦に変化が訪れる。

「もともとはお弁当を作るような人ではなかったうのさんが、料理をするように。友人の延長で結婚した形でしたが、これを機にふたりが家族になっていった感じですね。うのさん自身もよく『私は子供に成長させられたの』と口にしていました。かつては確かに『別居だ! 離婚だ!』っていうけんかをしていましたが、もうすぐ結婚15年ですからね」(前出・うのの知人)

 しかし昨秋、その夫婦に思いがけない危機が忍び寄った。前述した西村氏の脳梗塞だ。

結婚っていいものだな

 西村氏は、パチンコ関連の業界団体の会長を務めている。昨年11月中旬に開かれた理事会では、“のどの不調”を理由に議長役を副会長に譲っていた。

「脳梗塞の後遺症で、右の声帯がまったく動かず、声を出そうとしてもがらがら声しか出ない状態だったんです」

 そう語るのは、西村氏本人だ。今年3月、うのの誕生日を家族で祝うディナーの前に本誌・女性セブンの直撃を受けた西村氏は当時を振り返った。いまは声帯の手術が成功し、声色もハッキリと力強い。救急搬送までには、わずかながら兆候があったと語る。

「救急車を呼んだのは11月4日の朝でした。実は、その4日前から頭痛が続き、最初は寝違えたのかなと思っていたんです。でもだんだんとひどくなっていって変だなと。

 3日の夜は、うのが実家に行っていたこともあって外食をしたのですが、めまいがし始めたので早めに帰宅しました。でも、家に帰ってからもめまいが続き、横になっても症状がひどくなる一方で、吐いてしまった。夕食はフグだったので、変わった部位は食べていませんが、あたったのかなとも考えつつ、結局、一睡もできずにつらいまま朝を迎え、救急車を自分で呼びました」(西村氏・以下同)

 搬送先の病院で、脳梗塞と診断された。

「意識がなくなるようなことはありませんでしたが、とにかくめまいがひどく、寝返りも打てません。検査室まで移動するために車椅子に乗ろうとベッドから身を起こすと吐いてしまう状態が続きました」

 車椅子は諦めて、ストレッチャーで検査室に運ばれたこともあるという。それでもリハビリはすぐに始まった。

「歩行と発声、それから手作業のリハビリの3種類です。手作業のリハビリでは、将棋の駒を立てて並べるのですが、最初は駒を掴むことすらできませんでした。食道が閉じてしまっていたので食事を普通にはできず、一日に何度もバルーンカテーテルをのみ込んで食道を広げていました。本当につらかったです」

 いまも週に3回は通院し、リハビリに励んでいるという。西村氏が感謝を捧げるのは妻のうのに対してだ。

「うのには頭が上がりません。入院直後から、週に一度はPCR検査を受けてコロナ陰性であることを確認し、病院から許可を得て、病院に来て私の世話をしてくれました。食事制限があるわけではないので、手作りのお弁当やフルーツを持ってきてくれて、普段以上に、妻への愛情や感謝の気持ちを感じました。ここまで心から“結婚っていいものだな”と思ったことはありません」

 1か月以上の入院を経て退院したが、左半身の温痛覚に後遺症が残り、痛みや温度を感じない状態が続いている。うのも、慣れない介護生活による心労で、昨年末の一時期、入院をしていたという。うるさくも映るセレブアピールの陰で、うのはSNSでひけらかすこともなく、夫への献身介護に努めていたのだ。うのは事務所を通じて以下のようにコメントした。

「昨秋、主人が倒れたときは最悪の状況も頭をよぎりましたが、9才になる娘もパパを、そして私のことも心配してくれて家族の絆の大切さを改めて痛感いたしました。ご報告が遅れてしまって、申し訳ありません。コロナ禍にもかかわらず、主人の治療にお力添えいただいた医療関係者の皆様に感謝申し上げます」

 西村氏はまだ50代に差し掛かったばかり。若年性の脳梗塞について、くどうちあき脳神経外科クリニックの工藤千秋院長がこう解説する。

「高血圧、糖尿病、脂質代謝異常があるか、親族に脳梗塞経験者がいるケースがなりやすい。リハビリをすれば脳の損傷部の役割をその周囲の脳細胞が代替できます。ポイントは、発症後いかに速やかにリハビリに取り組めるか。早ければ早いほど回復の度合いが上がります」

 西村氏は症状を自覚後、速やかに119番通報したことで、命に別状はなかった。西村氏はこうも語る。

「お医者さんからは『もっと早く来ればよかったのに』と言われました。発症から4時間半以内に処置をすれば後遺症が残りにくいのだそうです。だから、違和感のある頭痛が長引いていたら、皆さんも早めに病院に行ってください」

 そんな教訓を残し、妻の誕生日を祝うため、妻と娘が待つ店へと入っていく。家族の絆に支えられているその足取りは、脳梗塞を患ったとは思えないほど、強く、しっかりとしたものだった。

 

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