今日は、いつも私がどんな心持ちで過ごしているか、パート2として書いてみたいと思います。
ひとつ前の記事では、なぜか「鬱」ではないと書きました。
そう、鬱ではないから頑張れるのかもしれないなぁ~。
鬱だったらきっと「飛んで」たかもねー。窓から。
あ、でも、うち、1階だから、飛んだとしても痛てぇだけだけど。笑
それからね、一番は、「知識」があるから頑張れるのです。
そう、知識武装することは大切ですよ。
実際、こういう人を知っています。
20歳ぐらいの頃、交通事故に遭い、むち打ちになり、病院に通ったけど全く治らなくて、それから20年以上、全国の病院を北は北海道から南は沖縄まで点々と巡ったけど、一向にしびれと痛みが治まらず、むしろどんどんひどくなっていき、最後、もうその苦痛に耐えられずに自ら命を絶ってしまった人を・・・
とても悲しいことでしたし、ご本人もさぞお辛かったと思います。
その人は、事故直後から、痛み止めなどの注射を打ち続けたそうです。
そして、毎日湿布を貼り続けたそうです。
最初から最後まで病院一辺倒だったそうです。
西洋医学以外に目を向けることはしなかったそうです。
本当は、その痛み止めの注射や湿布薬のせい(薬毒が患部に蓄積してしびれや痛みとなる)で治るものも治らなかったのですが、その人もそのご家族も知ることはなかったようです。痛いのは事故の後遺症と最後の最後まで思っていたんですね。
船瀬俊介氏や安保徹博士いわく、消炎鎮痛剤は、交感神経を緊張させ、血流障害を起こし、知覚を麻痺させて痛みを抑えるものである。
痛みが取れると患者は「やれやれ」と薬をやめる。すると、また体は血流を元に戻そうとまた血管を開く。すると、また痛みが再発する。だからまた痛み止めを注射したり、飲んだり、貼ったり・・・延々とやっている。
そのうち、血流障害は、全身の細胞の活力を奪い、様々な病気招きます。
冷えや耳鳴り、めまい、頭痛を併発し、さらには、低血流、低酸素、低体温。
低体温は万病のもとです。
そして最後には恐ろしい癌が発生するのです。
なのに、
クスリが病気や体の不調を治してくれると信じて疑わなかったのですね。
結局20数年治らないばかりか、どんどんひどくなって、結果、自死という道を選んでしまった・・・
知らないことは怖いです。
私の場合は、幸か不幸か、医者がサジを投げてくれました。
大きい病院紹介してくださいと懇願しても、
「いやぁ、大きい病院行ったってわかんないと思うよー。」
と、半笑いで、紹介もしてくれませんでした。
ひどい!と思いましたが、「わからない」と言ってくれたのは、今となっては良かったと思います。
(まあ、紹介状がなくても、行く気になれば行けたとは思いますが、その頃の私は、もう医者を頼るのはよそうと思っていたので、行きませんでした。)
私はそれで、必死に調べて知識を得ました。
私の身に起きているのはいったいなんなんだということがはっきりとわかりました。
(でも、私の周囲の人達は、いまだに「なんなんだろうね、それ。」と言い続けていますが。
いくら、「薬害」だと言っても、理解しません。二言目には、「やっぱり病院行かないとダメじゃない?」
と言います。)
しかし、私は、これは病院に行かない方が「治る」というのがわかったのです。
いや、「行かない方が」ではなく、「行かないことで」と言う方が正しい。
だから、頑張れました。いや、現在進行形なので、頑張れています。
もし、これが、いまだ何にもわからなくて、一切自分で何も調べようともせず、医者に頼ることしか思い浮かばなかったら、きっとね、もうどうなってたでしょうね。
いまだに、全国の医者巡りをしていたかなぁ・・・
それとも、わかるふりした医者につかまり、眼球摘出でもされていたかなぁ?
ポイントは以下のようなこと。
①
これは、過去に目に入れて来た全ての薬剤(化学薬品)の複合的な副作用である。
副作用と言えば聞こえはいいが、ぶっちゃけ「害」である。薬害である。
薬剤とは、
・目薬、成分はグリチルリチン酸2K、その他、抗ヒスタミン剤。
・カップに薬液を注ぎ、目を洗う市販の洗浄液:成分はグリチルリチン酸2K。
・まぶたに塗ったステロイド。
・コンタクトレンズの洗浄液(兼保存液):界面活性剤入り、その他殺菌剤類。
・もしかしたら、過去にしてきたアイメイク(化粧)用品。
※尚、なってない人がほとんどなので、万人に当てはまるということではありません。
なる人はなるということです。病気はなんでも。
②
からだには、「自然治癒力」という素晴らしい働きが備わっている。
体に害を及ぼす毒が一定量溜まると、体は自らそれを体外に排除しようとする働きが起こる。その方法に「熱」を使う。体内に蓄積された薬毒は平熱では溶けにくく、平熱以上の熱を必要とする。体全体の場合は、全身で熱を出すが、一部の場合はいわゆる「炎症」と呼ばれる患部だけの発熱となる。
炎症とは、体の誤作動でも免疫の異常でもなく、体の正当な働きである。
苦しいが、なんら恐れることはない。
体が健康に生きて行く為に、自らを守る為に、体が一生懸命に働いているのである。
体は「生きよう」としているのである。
これじゃ死んじゃうよ!と思いがちだが、
実は死なないのである。逆に。
そして、その熱で毒を溶かし、液状にして、膿や汁などの分泌物となり、外に出して行くのである。
出す為には、皮膚が腫れて出口の穴を開けたりするので、見た目は汚くなるが止むを得ない。
毒の量により、治るまでには時間を要するが、毒が出終われば、きちんと自らその傷を修復し、
きれいに治るのである。
そう、体は、「生きようとしている」のです。
体は「死にたくない」のです。
アトピーの場合はとくに見た目がひどくなるので、
「ああ、私の体はこんなふうになってしまって、もう死にたい。」
と思いますね。
しかも、「皮膚が悪い」と誤認されていますからね。皮膚のせいでもないのに、
あなたの皮膚は病気であると間違ったレッテルを貼られていますからね。
体は生きたがっているのに、意識は死にたいと思っている。
体と意識の想いにズレがある。
それは、なぜそうなるかと言えば、
やはり、知識がないからなのです。
そりゃぁ、苦痛ハンパないし、そりゃぁ、もう頑張れないって思う時だって正直毎日ある。毎日のように、奈落の底に落ちたような気分にもなるけど、でも、じゃあ、もう頑張らないと言ったからって、それで治るわけでもないんです。
頑張らないと しょうがないじゃないですか。
ずっとずっと休みなく、眼と眼の周りの皮膚から汁が垂れ流れ続けて、「いったいいつまでやってんだよぉー!腹立つわー!」と思うことも多いけど、ふと、たまに急に痛みや痒みなどの不快症状が消え、スッキリラクになることも最近は多くなり、そんな時、
「あぁ、私の体さん、よく頑張ってくれたなぁ。」
と思います。
目の他のいろいろな不調を全部外に出してくれたのだから。
「がんばれ、がんばれ、ワタシ!」
とも思います。
医者が治せなかった数々の不調を治してくれたんだから、「よくやった!」とも思います。ありがとね、とも思います。
そして、私の体だけでなく、この「頑張ろうと思って頑張ったこの私の意識」に対しても、「よく頑張ってるな。エライぞ自分! フレー、フレー、わ・た・し!」とエールを送りたいとも思います。
今まで生きて来て、あんまり自分を褒めたことなどなかった私ですけど、まぁ、今回は褒めますよ。誰も褒めてくれませんからね。けなされはしますけど。
でも、褒めたその次の瞬間には、また痛くなったり、痒くなったり、腫れがひどくなったりすると、また落ち込むということもあります。
正直、1日の中でもそういった両極の感情の波があります。
いつも一定して安定しているわけでは全然ありません。
ある人から、「そうやって、あれこれ考えてないで、もう天にお任せして落ち着いてみたら?」とも言われました。「私だったら、日々何かに感謝して生きるとかする。」とか言われました。
まぁ、それは、この苦しみをわからないからそんなことが言えるのであり、もしその人が私と同じ症状になったとしたって、絶対、そんなのんきに「日々いつも何かに感謝して生きる」とかできないと思います。
激痛で呼吸も出来ない最中に、
激カユで痙攣が起きている最中に、
自分の顔が日に日にゾンビのように崩れて行き、
しかもそれでも仕事に行かなければならないという最中に、
「感謝」だけして、一片の「苦しみの感情」さえも持たないなど、きっと出来るはずがないのです。
逆に「ちくしょー!!なんで私だけこんなふうになるんだ!誰もなってないのに!
しかも、どいつもこいつも勝手なことばっかり言いやがって!なんも知らないくせにわかったようなこと言いやがって。おめーがなってみろ!ふざけんなよ!」
とか激しい感情に占拠されることもあります。正直。
(ただ、思ってるだけで、別にそれを人にぶつけることはありませんけどね。)
正直、何かに感謝出来る時というのは、やはり、ふと時々訪れる、苦痛が消えた時なのです。最近、ふと痛みや痒みや色々な不快感がなくなるひと時が多くなって来たのです。
私の場合はそうですが、未熟者でしょうか。
心頭を滅却すれば、火もまた涼し。
私にはそれは出来ません。
ただ、そんなふりをして(なんでもないふりをして)仕事に行っています。
痛い痛いと言っても「医者行け」と言われるだけなので。
こちらも勉強しましょう!
アメノウズメ塾 杉田穂高さん 対症療法と根本療法のお話。日本根本療法協会 http://causaltherapy.org/dentist.html
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