ヨルダン通信その4
6月25日に関西国際空港に到着する予定だったが、1日遅れてヨルダンから帰国した。アンマン、ドバイ間の飛行機(ロイヤルジョルダニアン航空)が遅れ、休息場所もあてがわれず、空港で24時間以上待つ羽目になった。一人での帰国、しかも真夜中の乗り継ぎ。こんなアクシデントは初めてだったので、さすがの私もちょっと焦った。
しかし、ドバイ空港でおとなしく待っているだけの私ではない。広い空港内を隅から隅まで探検し、アラブ土産の買い物や食事も満喫できた。
《ドバイ空港》
何はともあれ翌日無事に帰国し、直ちに羽田に飛ぶ。 27日、新宿にあるJICA事務所で今回の報告を済ませると、大阪にとんぼ返り。休む間も無く28日から会社に出勤し、植木の剪定作業に精を出している。
さすがに日本の暑さは厳しく、思ったように疲れが取れない。身体が自分の物では無いようで、日本特有の蒸し暑さと、そして歳のせいかなと感じていた。あまり経験の無かった頭痛も慢性的にある。しかし、周りの仕事仲間も全員暑さで参っていたので、まあこんなもんかなと自分では納得していた・・・。
そして、久し振りにポレポレクラブ(私が主催している山登りのクラブ)のメンバーと山登りに出かけた。しんどい山でもないのに妙に疲れてしまい、やっぱりちょっとおかしい・・・。頭痛もひどく、あまり飲んだ事のないバファリンを飲む。上手い具合に薬が効いたのか、翌日からスッキリ回復。仕事でも気持ちの良い汗をかく事ができた。
《ポレポレクラブの活動再開》
考えるに旅の疲れから、軽い熱中症を罹っていたように思う。きっと血液がどろどろ状態になっていたのだろう。
ヨ ル ダ ン の 活 動 報 告
《ヨルダン国旗とアンマン市役所の旗》
【ヨルダンでの活動内容】
1.アブドゥーンにおける日本庭園の設計、積算及び工程表の作成
来年度の工事を念頭に置いたもので、この計画を万博記念基金に申請し、基金が下りれば2009年4月から着工予定。
2.日本庭園の紹介
職場の技術者達に、持参した日本庭園の本や写真,図面等で紹介した。
日本庭園の積算に関してはヨルダン側の工事単価算出が遅れ、結局日本側(私の計算できる単価)の工事費算出に留まった。今後は日本大使館の担当者とヨルダン市役所が中心となって、工事の実現を目指す予定。
《アブドゥーン日本庭園イメージスケッチ》
ヨルダンでは死海に浸かって、浮かぶのが夢だった。アンマンからは近く、いつでも行けると思っていた。ところが、自家用車かタクシーでないと死海に行くのが困難で、また気温が海に浸かれないほどに暑くなってしまったので、今回は取り止めることにした。アッラーのご加護があれば、また死海に浸かる日も来るだろう・・・。
その代わりにアンマン北部のアジュルンという街に行った。ここにはカラート・アル・ラバトという城がある。十字軍を迎え撃つためにイスラムの英雄、サラディーンの甥が築いた要塞だ。弓矢を射るための小窓が無数に開き、保存状態も非常に良く見応えのある城だった。
《アジュルン城となぜかフォルクスワーゲン》
《コーヒー売り》
《アジュルン城の城壁》
《アジュルン城にて警察官を撮影》
《敵に弓を射る窓》
《ナンバー・ワン》
《アジュルンの特産物であるオリーブの畑》
今回のヨルダンは3ヶ月という短い期間だったが、自分では納得する活動ができたと感じている。造園設計も工事を念頭に置いたもので、日本庭園の実現性も高いと言えるだろう。
ヨルダンの人々との交流も活発にできた。職場やその道すがら、暖かいヨルダンの人々の心に触れられた。アブドゥーン日本庭園の工事が決まり、縁があれば人々との再会を果たしたい。
《歴代ヨルダン国王達》
シュクラン(ありがとうございました) そして、インシャッアラー!!(神のご加護があれば・・・)
《アンマン最大のブルー・モスク》