milima父のブログ/トルコ・ヨルダン・その他

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ヨルダン通信その4(2008年7月)

2012年07月14日 | ヨルダン通信

ヨルダン通信その4

6月25日に関西国際空港に到着する予定だったが、1日遅れてヨルダンから帰国した。アンマン、ドバイ間の飛行機(ロイヤルジョルダニアン航空)が遅れ、休息場所もあてがわれず、空港で24時間以上待つ羽目になった。一人での帰国、しかも真夜中の乗り継ぎ。こんなアクシデントは初めてだったので、さすがの私もちょっと焦った。

しかし、ドバイ空港でおとなしく待っているだけの私ではない。広い空港内を隅から隅まで探検し、アラブ土産の買い物や食事も満喫できた。

《ドバイ空港》

何はともあれ翌日無事に帰国し、直ちに羽田に飛ぶ。 27日、新宿にあるJICA事務所で今回の報告を済ませると、大阪にとんぼ返り。休む間も無く28日から会社に出勤し、植木の剪定作業に精を出している。

さすがに日本の暑さは厳しく、思ったように疲れが取れない。身体が自分の物では無いようで、日本特有の蒸し暑さと、そして歳のせいかなと感じていた。あまり経験の無かった頭痛も慢性的にある。しかし、周りの仕事仲間も全員暑さで参っていたので、まあこんなもんかなと自分では納得していた・・・。  
    
そして、久し振りにポレポレクラブ(私が主催している山登りのクラブ)のメンバーと山登りに出かけた。しんどい山でもないのに妙に疲れてしまい、やっぱりちょっとおかしい・・・。頭痛もひどく、あまり飲んだ事のないバファリンを飲む。上手い具合に薬が効いたのか、翌日からスッキリ回復。仕事でも気持ちの良い汗をかく事ができた。

《ポレポレクラブの活動再開》

考えるに旅の疲れから、軽い熱中症を罹っていたように思う。きっと血液がどろどろ状態になっていたのだろう。


ヨ ル ダ ン の 活  動  報  告 

《ヨルダン国旗とアンマン市役所の旗》


 【ヨルダンでの活動内容】 
    
1.アブドゥーンにおける日本庭園の設計、積算及び工程表の作成

来年度の工事を念頭に置いたもので、この計画を万博記念基金に申請し、基金が下りれば2009年4月から着工予定。 

2.日本庭園の紹介

職場の技術者達に、持参した日本庭園の本や写真,図面等で紹介した。
    
日本庭園の積算に関してはヨルダン側の工事単価算出が遅れ、結局日本側(私の計算できる単価)の工事費算出に留まった。今後は日本大使館の担当者とヨルダン市役所が中心となって、工事の実現を目指す予定。

《アブドゥーン日本庭園イメージスケッチ》

ヨルダンでは死海に浸かって、浮かぶのが夢だった。アンマンからは近く、いつでも行けると思っていた。ところが、自家用車かタクシーでないと死海に行くのが困難で、また気温が海に浸かれないほどに暑くなってしまったので、今回は取り止めることにした。アッラーのご加護があれば、また死海に浸かる日も来るだろう・・・。

その代わりにアンマン北部のアジュルンという街に行った。ここにはカラート・アル・ラバトという城がある。十字軍を迎え撃つためにイスラムの英雄、サラディーンの甥が築いた要塞だ。弓矢を射るための小窓が無数に開き、保存状態も非常に良く見応えのある城だった。

《アジュルン城となぜかフォルクスワーゲン》

《コーヒー売り》

《アジュルン城の城壁》

《アジュルン城にて警察官を撮影》

《敵に弓を射る窓》

《ナンバー・ワン》

《アジュルンの特産物であるオリーブの畑》

今回のヨルダンは3ヶ月という短い期間だったが、自分では納得する活動ができたと感じている。造園設計も工事を念頭に置いたもので、日本庭園の実現性も高いと言えるだろう。

ヨルダンの人々との交流も活発にできた。職場やその道すがら、暖かいヨルダンの人々の心に触れられた。アブドゥーン日本庭園の工事が決まり、縁があれば人々との再会を果たしたい。

《歴代ヨルダン国王達》

 

シュクラン(ありがとうございました)  そして、インシャッアラー!!(神のご加護があれば・・・)



《アンマン最大のブルー・モスク》