ジャバル・ハルーン(ホル)登頂記(ヨルダン通信番外編)
2度目のヨルダン赴任、私にとって一番のお気に入りの場所であるペトラで一大発見をした。それはハルーン(ホル)山。“モーゼの十戒”で知られる、モーゼの兄アロンがその頂で生涯を終えた山である。ガイドブックやインターネットで調べるが、日本人が登ったという記述が無い。いやそればかりか、日本人はまだ誰も登っていないだろうという記述がある。モーゼ自身はアンマンから南へ30キロ程離れたマダバの西に位置するネボ山が終焉の地であるが、その兄アロンもこのヨルダンで生涯を果てた。
イエス・キリストが信仰に目覚めたのも死海近くのバプティズム・サイト(べサニー)。そして、イエスの布教活動の中心地はヨルダン川付近であった。まさしくヨルダンは旧約聖書と新約聖書の舞台。その旧約聖書にはハルーン(ホル)山についてこう書かれている。
「『アロンと、その子エルアザルを連れてハルーン(ホル)山に登り、アロンの衣を脱がせ、その子エルアザルに着せなさい。アロンはそこで死に、先祖の列に加えられる。』モーセは主が命じたとおりにした。彼らは共同体全体の見守る中をハルーン(ホル)山に登った。モーセはアロンの衣を脱がせ、その子エルアザルに着せた。アロンはその山の上で死んだ。」民数記20章25
《夜明けのワディ・ムーサの街からハルーン(ホル)山を望む》
10月30日(金)に、ハルーン(ホル)山の偵察を兼ねて、ペトラの中央部に位置するビヤラ山に登った。そして、その奥に聳えるハルーン(ホル)山を真近に仰ぎ見て、直感的にガイド無しでも登れるだろうと踏んだ。
しかし、アンマンから日帰りで登るのは到底無理。最低でも1泊2日の行程になる。取り敢えずは、ガイドに頼らずに登りたい・・・。幸い頂上を含む岩峰の基部まで比較的はっきりした道が付いている。時間さえあれば、そこまでは容易に行けると考えた。岩峰基部まで行ってみよう。それから上は条件次第だ。少しでも不安を感じたら即座に引き返し、ガイドを付けて出直せばいい。そういう覚悟で計画を企てた。
さて、いつに決行すべきか・・・? しかし、好機は思いもかけず訪れた。以前から日本庭園に適した石がペトラへの道中、デザートハイウェイの近くに転がっているのを見つけ、調査に行きたいと公園事務所長のラーントに話していた。突然11月5日(木)に、そのための車が出されることになった。当然日帰りでアンマンに戻ってくる予定である。
ところが、職場の仲間が“Yoshi(職場で私はこう呼ばれている)はみんなと一緒にアンマンに帰るのか、それともぺトラに泊まるのか?”と聞いてくる。私が休日を利用してはペトラに行っているので、みんなは金曜日には私がペトラに行くものと決め付けているようだ。
“いや、みんなと一緒に帰るよ・・・。”そう答えた後で、ふと気付いた。そうか、ペトラで降ろしてもらえれば、翌日は休日。仕事を休まなくてもハルーン(ホル)山に行けるではないか・・・? “やっぱり私はペトラで泊まる。”と仲間達に宣言した。こうして、あっけなく私のハルーン(ホル)山挑戦は決まった。
石の調査を午前中に終え、ペトラ遺跡の入り口で車から降りる。一緒に来た役所の仲間に別れを告げる。さあ、出発だ! 取り敢えず、この日は偵察を兼ねたペトラ観光。
シーク手前から右に折れた谷への道を行くため、ジン・ブロックスという墳墓群から入る。以前、シークの入り口にあるポリース・ステーションで、ここから谷への道はガイドが必要だと言われ、入るのを阻止された経験がある。しかし、殆どの者がガイド無しで入っているし、谷の奥のルートは反対側から既に調査済みである。ステーションの手前から入ればポリースには会わないで済む。
《ジン・ブロックスからハルーン(ホル)山を目指す》
《ジン・ブロックスの奥より遥かにハルーン(ホル)山を望む》
道から外れ、谷を目指す。周りに誰も居ないので気持ちいい。しかし、単独行はちょっとした事故が命取りになり兼ねない。岩場の昇り降りは慎重に慎重を期す。一部岩場をクライミングダウンし、想像通り目的の谷へと下る。途中狭いシークを過ぎると、以前に偵察済みの北の壁付近にたどり着いた。
《ベドウィンに出逢う》
《狭いシークにあった祭壇》
北の壁で一人のフランス人女性に出会う。見事な墳墓をバックに写真を撮っている。40代半ば位であろうか? 私に気付くと、“自分の写真を撮ってちょうだい。”と頼まれ、彼女の要望通り、全身とアップで2枚撮る。私の撮った写真を見て驚き、“今までいろんな人に撮って貰ったが、私の望む通りに撮ってくれたのはあなただけだ。”と言われた。“私の趣味は写真だ。”と言ったら、なるほどと頷く。
《北の壁を撮影するフランス人》
《天国へ続く階段》
私のカメラバッグに付けている本物のカラビナを見て、“あなたは登山家か?”と聞いてくる。“そうだ。”と答えると、“ワディラムには行ったか?”と尋ねられる。“奥の大きな橋を登ったが、ガイドが必要だよ”と私が言うと、“私はもっと簡単な所にしか行かないから大丈夫。”と答えた。もう夕方まではあまり時間が無いのに、彼女はエド・ディル(モナストリー)まで行くと言う。なかなか達者なおばさんだ。
《王の墓を望む》
さて、私もモナストリーへ行って夕陽を見ようかなと歩を進める。しかし、ここで名案が浮かんだ。少しでも明日の工程がスムーズに行くように、ハルーン(ホル)山に近付いて偵察しておこう。あわよくば途中にあるベドウィンの住居に泊めて貰えるかもしれない。ビヤラ山の麓にある住居で、先週気の良さそうなおばさんが“シャイ(紅茶)を飲んで行け。”と誘ってくれた。その時は先を急いでいたので断ったが、そこへ寄って宿を頼んでみよう。
案の定、今度は子供が私にシャイ(紅茶)を誘う。これ幸いとお邪魔する。シャイ(紅茶)にベドウィン特製のパン、羊肉の欠けらまでご馳走になる。ここのベドウィン達は観光地なので英語が達者だ。私がアンマンで日本庭園作りをしている話を聞かせ、親父さんや家族の写真を撮る。
《ビヤラ山麓の住居でシャイ(紅茶)を戴く》
そして、“ハルーン(ホル)山に行きたいのだが”と切り出すと、“ここから3時間以上は掛かるから、うちのロバに乗って行かないか?”とのこと。今回はガイド無しで行ける所までと思っていたので、丁寧に断る。
さて、“ここで泊めて貰えないだろうか?”とお願いするが、“ペトラは宿泊禁止でポリースが夜中でも見回りに来る。以前外国人を泊めて見つかり、たいへんな問題になったので無理だ。”と言われ、諦めてワディ・ムーサのホテルに向かうことにする。彼らに“明朝、またここに寄るからね。”と挨拶して別れる。
ライオンのモニュメントから犠牲祭壇を抜けようと進むが、夕方になりトリクリニウムの土産店も閉店。近くに誰も居なくて、ひっそりとしている。もう誰もここを通る者は居ないだろう。ひょっとして、ここら辺りなら誰にも見つからずに野宿できるのでは・・・。
《途中にあるライオンのモニュメント》
名案が浮かんだ。道から少し外れると野宿に最適の場所が。ちょっとした窪みで周りからは見えない。しかも岩が平らで気持ち良く眠れそうだ。幸いベドウィンの家やホテルでも便利だろうと夏用のシュラフを持参していた。時刻は5時半ごろであったが、辺りもうっすらと暗くなってきていた。ビスケットとリンゴで豪華?な夕食を採り、他にすることも無いので早々とシュラフの中に入る。
シュラフの中はちょうど良い暖かさだ。山岳部時代、訓練で仲間とはやったが、テント無しで単独での野宿は初めてだ。ベドウィンが飼っているロバの妙に物悲しい鳴き声や何匹もの犬達の吠える声が岩に反射して非常に近くに聞こえる。犬達が襲ってくるのではという恐怖も感じ、ちょっと悔やんだが、もう遅い。槍ヶ岳で熊に襲われたのを思い出す。携帯ナイフと石ころ(トルコでは犬除けの必需品である)を準備する。騒々しい周りの音を消すため、iPodで音楽を聴きながら寝ることにする。
《野宿場所とビヤラ山》
《野宿場所で》
空は絵の具を塗り重ねるように、どんどんダーク色を増してくる。金星が瞬いた。まさしくプラネタリウムのスイッチを入れた様に、一つまた一つと輝き始める。そのスピードが増し、程なく満点の夜空に。シュラフからちょこんと出ている目の前には半球形の星空が広がった。天の川もくっきりと判別できる。結構なスピードで動く星・・・。人工衛星だ。
そして点滅を繰り返す飛行機のライト・・・。夜空の天体ショーの始まりだ。ところが、肝心の流れ星はなかなか見えない。今日は無理かなと諦めかけた時、スーッと星が動いた。あっ、流れた・・・。恐怖感もだんだんと薄れ、天体ショーの真っ只中にいる幸せが溢れてくる。
しかし・・・。時間は思うようには経ってくれない。眠ろうと思っても意識は逆に冴え渡り、一向に眠くならない。だいたい夕方の6時前から寝ることに無理がある。今までの山行でも初日に熟睡できた記憶はあまり無い。身体も次第に岩の硬さで軋みを上げる。一睡もすることなく、ようやく12時。まだ夜明けまでは半分以上有ると思うと、ぞっとする。
その時、前方の岩をライトの明かりが照らした。ポリースが見回りに来たのだろうか? 身じろぎせずに息を潜める。どれくらい経ったろうか・・・。よし、もう大丈夫だろう。
今まで隠れていた月が後方の岩陰から現れ、周りの岩々を照らし始める。岩が自分たちの個性を解き放つ瞬間だ。月の光に輝く荘厳かつ華やかなペトラ。古代から岩と共に暮らしてきたナバタイ人やベドウィン達の悠久の想いに心を馳せる。このペトラの大地で寝ることで、自分もペトラの一員となった気がした。
ちょっと風も吹いて寒くなってきた。用を足すと同時に寒さ対策。ヤッケをザックから取り出し、シュラフの中に入れ、靴下も2枚に。そして、手袋もはめて帽子も被る。夜明け前はもっと冷え込んでくるだろう。この調子だと眠れそうに無いな、と覚悟を決めた。寒さに堪える為、身体も海老のように折り曲げる。やっぱりきついなと思いながらもだんだんと意識が薄れ、夜明け前にうとうととまどろんだ。ああ、ちょっと眠ることができたなと感じた頃、空は白み始めた。
そして、急速に周りの岩々が赤みを帯びる。いつもながら山で迎える夜明けの色は暖かい。夜明けのペトラを写真に収めようとカメラを出すが、うんともすんとも言わない。そんなばかな・・・。バッテリーを交換しても同じだ。ちゃんとバッテリーを充電してきたのに。もし、ハルーン(ホル)山に登れたとしても証拠写真が撮れないではないか? まあ、仕方ない。仲間を連れてもう一度登りに来いということか・・・。
あまり早く出発すると、ペトラで野宿したことがばれてしまう。わざとゆっくり過ごし、6時半頃に出発した。7時前に昨夜のベドウィンの住居でシャイ(紅茶)をよばれ、いざハルーン(ホル)山へ。
車の通るしっかりした道を進む。要所要所にはベドウィンの住居があり、“ロバや車に乗らないか”と誘われる。誘いを断りつつもハルーン(ホル)山への道を彼らに確かめる。途中大きな丘を越えると眼前に見覚えのあるハルーン(ホル)山と頂にあるアロンのドームが見えた。ちょうど真上にはまだ力強く光を放つ月の姿が・・・。
《遥かハルーン(ホル)山への道。下山後に撮影。山頂のドームが見える》
輝く月とハルーン(ホル)山。絶好のシャッターチャンス。カメラが使えればともう一度スイッチを押すが、やはり動かない。諦めて、誇らしげな山の姿と美しさを心に焼き付けて進む。
広い高原で、道も何本か現れるが、とにかくハルーン(ホル)山の方角を目指し、歩を進めた。途中の道も実にのどかで、その景色や周りの雰囲気も素晴らしい。ああ、いい山だなあとつぶやく。そして、見慣れたホル山岩峰の基部も真近に迫ってきた。
しかし、ここでその岩峰へのルートで迷いが生じた。するとそこにベドウィンの少女が・・・。彼女は私に“シャイ(紅茶)を飲んで行け。”と勧める。私は“先を急ぐので、帰りに立ち寄るよ。”と答える。“ところで、ハルーン(ホル)山へのルートは知っているか”と身振り手振りで聞く。彼女はベドウィンにしては英語が上手くない。しかし、ルートを指差し、“マイウェイこれこれ!マイウェイこれこれ。”と方角を丁寧に教えてくれた。
私の思っていたように、岩峰を左から回り込んでいくのが正解のようだ。確信を得て、彼女に礼を言い登り始めた。見えていたドームも手前の岩峰に隠れるが、頂上の方角を頭に叩き込んでいる。その方角をひたすら目指す。
やがて、目指す岩峰の基部に到着した。ここで道は右と左の正反対に別れている。左の方が明らかにはっきりしている。おかしい。私の目指すドームは明らかに右だ。決心して踏み跡の少ない右のルートを取る。岩場に沿った道は傾斜を増してくるが、しっかりしていて不安は無い。
しばらくすると最後の岩場に出た。しかし、ここはロッククライミングの道具が無ければ登れそうに無い。岩峰を回るように左側に道が続いていた。それを進む。そして、コル(鞍部)に立つと岩峰の割れ目にしっかりした階段が現れた。ああこれがドームに至る道なのか? 普通なら登れそうに無い所にしっかりとした階段が続いている。
《ハルーン(ホル)山頂上直下の岩峰》
登り始めて直ぐに白いドームが見えた。やった、俺は頂上に立てるんだ。そう思うと目頭が熱くなり、鼓動も激しさを増してくる。そして、憧れの頂へ・・・。
ドームに立ち、ひょっとしたら?とカメラを出す。スイッチを押すとレンズが動いた。アッラーの神の思し召しか? 諦めていた頂上のドームを撮影することができた。アッラー・アクバル(アラーは偉大なり)。天に向かって、そう叫ぶ私がいた。頂上の展望も実に素晴らしい。360度の大展望を一人きりで堪能し、アロンのドームに別れを告げた。
《山頂のドーム》
《山頂に聳えるドーム》
コルから下るのに別のルートを取る。おそらく下で迷った左のルートがここに繋がっていると確信した。コルにある小屋にいた一人の男に尋ねる。やっぱりこの道でも下れるとのこと。彼はベドウィンだと思ったら何とポリース。このコルには結構大きな発掘中の遺跡があり、ここに常駐して盗掘を防止しているのであろう。こんな厳しい場所にも立派な遺跡が存在するとは・・・。ペトラには想像を遥かに超えた文明が存在していたことを改めて思い知らされる。
無数の踏み跡が交差し、どうも登りとは違う道を辿ってしまった様だ。シャイ(紅茶)を約束した彼女の場所から離れそうになるが、御礼を言うために道を戻り彼女の元へ。妹と二人で私の帰りを気長に待ち続けていた。
シャイ(紅茶)を注文し、持参した昼食用のビスケットを3人で仲良く食べる。お姉さんの名はファーティマ。預言者モハメッドの娘の名で、タンザニアやトルコでもメジャーな女の子の名前である。聞き覚えのある名前なので、直ぐに覚えた。妹の名は聞きなれない名前で聞き流すのみ。ご免ね・・・。二人ともなかなか素朴で可愛い。
シャイ(紅茶)を飲んでいる時に二人の登山者が。ここで始めて見た私以外の登山者だ。ハルーン(ホル)山をバックに姉妹の写真を撮って、次回の再会を誓い別れを告げる。
《ハルーン(ホル)山をバックにファティマとその妹》
帰りに昨夜今朝とシャイ(紅茶)をよばれた住居に寄るつもりだったが、犠牲祭壇へと直接向かうルートを取った。お礼の挨拶はまた次回に。犠牲祭壇からローマ劇場横に下り、観光客でごった返すエル・ハズネを横目で睨みながら帰途に着いた。
《犠牲祭壇付近の岩峰とロバ》
《ハルーン(ホル)山をかなたに振り返る》
《犠牲祭壇から王家の墓を望む》
生涯忘れることのできない、充実した山行となった。