ヨルダン通信その5
2回目のヨルダン赴任でアンマンにいる。 2008年3月25日から6月24日までの3ヶ月間、日本庭園の設計でここに赴任していた。その工事が決定し、日本庭園建設のため、2009年6月2日にここアンマンにやって来た。
赴任してあっという間に2ヶ月が経ってしまった。最初の1ヵ月半はホテル住まいだったが、JICA事務所のあるスワフィーエに洒落たアパートが見つかり、アンマンでの生活を楽しんでいる。これまでの様子を報告する。
<作業編>
アンマンに着いた時は、至る所にジャカランダの鮮やかな紫の花と色とりどりのブーゲンビレアがとても美しかった。青年海外協力隊で赴任したタンザニアでもジャカランダの紫の花が非常に印象的であった。肌を刺す太陽の痛みと共に目の中まで飛び込む紫の花々が、心の奥底にある懐かしいアフリカの記憶をフッと思い起こさせた。
《シェラトンホテルの前でジャカランダの花が咲き誇る》
さて、アブドゥーン日本庭園の現場だが、私の赴任までにおおよその整地は完了しておくというアンマン市役所の話だった。しかし、到着して最初の休み(金曜日)に現場に行くと、全く手付かずの状態で放置されていた。覚悟はしていたものの、前途多難といったところであろう。
とりあえず、昨年と同じ公園事務所での事務作業や事務所に隣接する公園の清掃作業(とにかく公園はゴミが多い)をこなしていた。一向に日本庭園の着工日が決定される様子がないので号を煮やし、“私一人でも工事を開始するんだ”と言う気構えで、単身アブドゥーンの現場に入ることにした。
《女性部屋から男性がたむろする玄関に移された私のデスク》
日本人が一人で現場作業していれば自ずと目立つだろうし、工事現場近くの住人も集まってくるだろう。以前赴任したトルコに於いても興味を持った人々が次々と私の元にやって来た。ここでもやがて話題になり、役所も本腰を入れ始めるのではと言う目論見があった。
《レーキを手に一人で黙々と整地作業をする》
ところが、ここヨルダンは違っていた。現場が高級住宅地の一角にあるために、平日の昼間は人通りが殆ど無い。誰に見られることも無く、ただ一人辛抱強く作業を続けるだけだった。
そして、整地のためのブルドーザを現場に入れてくれるよう、事務所長のシハームに口を酸っぱくするほど嘆願した結果、先日やっと念願のブルドーザが現場にやってきた。ブルドーザが入ると、何と半日程度で整地作業及び既存の松の移植が完了。私のあの苦労は何だったのか・・・。まあ、身体慣らしというところであろうか。
《ようやくブルドーザを入れて整地に取り掛かった》
《現場に植わっていたマツの移植》
これで一段落といったわけでは無いが、本局の工事技術者達との打ち合わせも始まり、建設工事の業者は入札で選定するという段取りが決定した。そのための詳細図作りや庭園に使用する石やタイル等の建設資材の選定作業に入っている。
《石の剪定にカラクに向かう。奥にアンマンの水瓶であるダム湖が見える》
《降水量が世界で2番目に少ないヨルダンでは貴重な水源だ》
《カラクの石》
念願の工事もようやく動き出した。しかし、厄介な事には今月の20日からイスラムの最大行事であるラマダン(断食月)が始まる。それまでには工事業者を決定し、着工を開始するという話にはなってはいるが、果たしてうまくいくだろうか?
たとえ工事を開始しても、この暑さの中の断食ではちょっと肉体作業はきついだろう。断食が終わり一段落着いた、10月初旬当たりが本格的な工事開始になるのではと感じている。以後の工事がスムーズに捗る様、それまでの期間は周到な準備に当てる必要がある。
工事は一応、来年の3月末が完工の最終期限(日本の万博基金を充てるために、今年度中に完成させなければならない)である。私の任期も3月末までなので、昨年に作成した工程表もそれに合わせて修正する必要が出た。
昨年患った花粉アレルギーの季節も過ぎ去り、今回は体調もすこぶる良いので、若干の焦りを感じながらも、張り切って仕事をこなしている。
<観光編>
さて、ここでの休みは金曜日(イスラムの安息日)だ。今回の任期は10ヶ月。去年よりは時間が有るのであまり観光には行っていない。しかし、青年海外協力隊の若者達と共に大使館関連の催しなどに出席する機会が多く、それなりにいろんな体験をしている。
ハンドボール日本女子ユースのアジア予選がここアンマンの体育館で行われ、その応援に大挙して出かけた。 宿敵韓国に決勝で、32対31の1点差で惜しくも負けはしたが、声を限りに応援した。
《韓国コート内に攻め込む日本チーム》
《健闘を称えて、大使(中央右)を囲んでの記念撮影》
翌日は大使公邸で、彼女らとの懇親会。久しぶりに美味しい日本食を戴いた。大使公邸の料理人はあの“なだ万”から出向して来ている“げんさん”と言う好青年。協力隊員の間に溶け込み、料理の腕もさすがである。
ある日、事務所からの帰りに美しい教会(イスラムの国だが、ヨルダンではトルコよりも教会の数が多い)を撮影していると、中にいたヨルダン人に捕まり、教会の中に連れ込まれた。しかし、こっちも慣れたもので、落ち着いて身分証明書を見せ事情を話すと、逆にキャンディーやシャイ(紅茶)でもてなされた。内部の写真も自由に撮っていいよと言われた。こんな時は日本人で良かったと思える。
《昨年から気になっていた教会へ行く》
《教会中庭のマリア像》
同僚のサートの住まいがあるザイでは、昨年仲良くなった彼の子供達とバーベキューを楽しんだ。後日、日本人の仲間達ともここでバーベキューをしたが、みんな大感激!! 素晴らしい自然とバーベキューの鶏肉に舌鼓を打った。
《サートの子供たちとバーベキューを楽しむ》
青年海外協力隊の若者達とワディ・ムジブという沢にハイキングに出かけた。想像以上にスケールの大きな沢で、水量も多く、泳がなければ通過できないところもある。日本の黒部川上廊下を思わせるような沢だ。
《黒部川上廊下を思わせる死海沿いにあるワディ・ムジブの沢》
久し振りの沢登りを体験できたのだが、新調した一眼レフが水に浸かり、おじゃんと相成った。昨年使っていたバカチョンカメラ(こっちの方が発色は良い)がもう一台あるので、何とかなるだろう。ここでの修理はあまり信用できないので、修理は日本に帰ってからにした。
次の休日は念願の死海へ浮かび(浮力がありすぎて泳ぐ事はできない)に行った。昨年はカラクへの石視察の帰りに眺めただけだった。浮かぶのは今回が初めて。想像はしていたが、身体がふわりと浮いた時の感激は想像を遥かに超えたものだった。
《プール付きの豪華ホテルで死海に挑戦》
水から上がるとヨルダン人に捕まり、泥パックをされてしまった。どうも私を泥パックの広告塔にという企みらしかった・・・。
《泥パックに挑戦》
この時期は死海付近の気温も50度近くになり、浮かぶのも15分が限界とは聞いていたが、一緒に行った者の中には死海大好き人間が多く、照りつける太陽に真っ向勝負を挑み、“負けてなるものか”と、1時間以上の浮遊体験をする。このまま数時間も浮いていれば、流されてイスラエルにも行けそうな感じだった。でも対岸に辿り着く前に機関銃の嵐が待っているのだが・・・。
《念願の死海で浮遊体験をする》
日本の援助で建設された、デッド・シー・パノラマから見下ろした死海とレストランでの食事がまた素敵だった。