ヨルダン通信その7
アンマンで、9月中はまだ夏のうだる様な暑さが続いていた。そして、9月30日に夏時間から冬時間になった。時計の針を1時間早めるので、日本との時差は1時間広がり7時間となる。冬時間になると同時に、季節も秋を通り越して一気に冬へ突入といった感じである。アンマンでは殆ど無縁だった雨も降り出し、気温も急に下がった。
秋の合い服がここでは必要無いとは聞いていたが、まさしくその通り。冬の外出用にダウンタウンの古着屋で見つけた5JD(700円程度)均一のLLビーンのジャケットとカナダ製のダウンジャケットが大活躍となりそうだ。
実は日本庭園の工事が着工してからこのヨルダン通信を送る予定であった。しかし、事は思うようには進まず、本格的な着工はいつになるか解らないのが現状だ。私の様子を心配されている方も多いと思う(希望的観測)ので、取り敢えず最近の様子を知らせたいと思う。
<活動編>
10月19日にイスラム最大の行事であるラマダン(断食月)が終わった。待ちに待った日本庭園の工事開始だと意気込んでいたが、一向に始まる気配がない。市役所本庁の技術者に呼ばれたと思ったら、以前に打ち合わせした事の繰り返しである。図面にあるこの部分の石はどんな物を使うのか・・・?どれくらい必要なのか・・・?どんな仕様なのか・・・?等々。
前に説明して、サンプルの石も提出済み。なのに、そのサンプルもどこかへ無くしたようで説明は最初からやり直し。一体どうなっているんだ・・・。工事の苦労ならともかく、それ以前の問題で頭を悩まされるとは。時は私の思いに反してどんどん経過していく。果たして来年の3月に完工できるのか? 次第に不安が増してきた。
少しでも市役所に対してプレッシャーになるのではと、一人でアブドゥーンの現場での人力整地や事務所の周りの公園の清掃を再会したが、全く気にも留めていない。余りに事が進む気配がないので、工事が始まるまでは事務所にも来るものか!!と出勤拒否を企てようとも思った。
大使館やJICAからも市役所に圧力を掛けてもらうように要請した。その甲斐あってか、“11月中には工事業者を入札により選定し、12月初めからは工事に入れるだろう・・・、インシャアッラー(神のご加護があればね?)”という新任の公園事務所長、ラーントからの返事をやっともらった。
一歩前進と思ったら、石の第一候補地であったウンム・カイスが遺跡に近いので採取許可が出ないと言う。“ならば、もっと早く言えよな!”という気持ちだったが、他の候補地を検討するようにとラーントから要請があり、ペトラ近くのマアーンという街付近に調査に出かけた。
ここの石は色がもう一つ気に入らなかったので、他の場所から採取しようと考えていたのだが、既にダンプカーが用意されていて、せっかくだから採取して帰れとの事。日本庭園には合わないと言っても後の祭り。結局ここの石を採取することに。しかし、ダンプ2台分を採取した後は何とかストップを掛けることができた。やれやれ・・・。
《マアーンで石を採取する》
《アブドゥーンの現場に石を降ろす》
ヨルダンでの日本庭園建設は実に多くの妥協を強いられる。私がどれくらい妥協するかが工期に関わってくる。時間さえあれば、日本庭園に対しての妥協はしたくないが、現実は厳しい。スムーズに事を運ぶには、できるだけ彼女らと妥協していく必要性があるように感じられた。
石が現場に搬入できれば、12月からの本格的な工事の前に、重機を導入してもらい、滝組や護岸の石組みが進められる。そうすれば私の焦りも少しは紛れるだろう。
上手くいく様に、今までより真剣にアッラーの神にお祈りすることにしよう。
<結婚式編>
事務所の同僚、ベドウィンのモハメットに誘われて、またまた結婚披露宴に行った。ベドウィンは《 砂漠の民 》 として、ヨルダンへの赴任前から興味を抱いていた。前に招待されたのはヨルダン人の結婚披露宴だったが、今度は待望のベドウィン。
《結婚披露宴の野外会場》
私は披露宴の撮影係を頼まれた。ヨルダンではあまりカメラを持っている人が居ないので、私のカメラは重宝がられている。この日は職場の仕事を終えてから出かけた。会場は膨れんばかりの招待客だった。そして、さすがにベドウィン。頭にカフィーヤという布切れを巻いた客が多く、アラブの雰囲気たっぷり。受付で日本と同じ様に、お祝いのお金を渡す。
《日本と同様、受付けでお祝いのお金を渡す》
披露宴はこの前と違って、歌ありダンスあり花火ありの盛大な催しだった。私もダンスに借り出された。カフィーヤを頭に巻かれ、ベドウィン達と一緒に踊る。単純なステップの繰り返しで、見よう見まねで踊ると、やんややんやの喝采! なかなか楽しい経験が出来た。翌日も催されるということだったが、あいにく日本人会の運動会がある。残念・・・。
《私も一緒に踊り出す》
《長老達の席》
<ワディ・ラム編>
南東部に位置するワディ・ラムはヨルダンきっての自然景勝地である。映画“アラビアのロレンス”の舞台となった場所で、ペトラと共に世界的にも有名な場所だ。サウジアラビアへと続く砂漠地帯の中で、無数の岩山が忽然と聳え立つ景観は登山家の端くれだと自負する私ならずとも、強烈に人々を引き付ける磁力を持っている。
《ロレンスの泉から見下ろす》
《ワディラムにて》
青年海外協力隊のメンバーがワディラムツアーを企画してくれたので、これ幸いと参加を決めた。20名程のメンバーで出かる。4輪駆動のトラックで砂漠をサファリし、ベドウィンのテントに泊まった。
《砂漠を4輪駆動でぶっ飛ばす》
今回は奥にある自然にできた大橋を登るコースだ。ここは岩場が多く、ベドウィンのガイドがいないと登れない所で、最後のアップダウンはザイルを使ってのロッククライミング・・・。日本での未公認山岳ガイドとして、ここは醜態を見せられない。久々に緊張した。
《自然にできた大橋》
《橋の上に登る》
<ペトラ編>
ペトラはここヨルダンで私が一番気に入っている場所だ。雄大な自然の中に古代からの人々の暮らしが今も息付いている。ナバタイ時代やローマ時代の無数の遺跡が点在し、今は観光に従事しているベドウィンたちの住居もその中に在る。また、ハイキングに適したルートが数々存在する。何度赴いても新しい発見が私を待っている。トルコで一番気に入っていたカッパドキアに共通するものを感じている。
《愉快な協力隊の仲間達、背後の山がアル・ビヤラ山》
私がラマダン開けのイード(休日)にペトラナイトツアーを企画した。協力隊やシニアのメンバー、10名程が集まった。近くの村、ワディ・ムーサで1泊4JD(560円程度)の安ホテルに宿泊し、ホテルでの星空観賞とペトラハイキングを楽しんだ。近くのスモールペトラでは岩の割れ目に潜んでいた、本物のサソリを発見。岩場を登行する際は注意が必要だ。
《本物のサソリを発見》
《スモールペトラのシークを行く》
《スモールペトラ》
先々週の休みにはペトラの中央部に位置するアル・ビヤラ山に単独で挑戦した。この日はヨルダンでの登山の最大目標であるホル山の偵察を兼ねていた。ホル山はモーゼの兄、アローンが神に導かれて頂へ登り最期を迎え、そこで先祖の列に加えられたと旧約聖書に書かれている有名な山だ。頂上にはアローンの墓を象徴するドームが立っている。日本人はまだ誰も登っていないのでは?という噂もあり、これは是が非でも私が登らなくてはならない。
《背後に聳えるアル・ビヤラ山》
さて、アル・ビヤラ山は日帰りで挑戦なので、あまり時間が無い。朝6時45分、アンマン発のジェットバス(国営バス)に乗り、11時前にペトラの駐車場に着く。途中、ローマ劇場の上にある犠牲祭壇近くからこの山の全容を見ることができる。
岩峰の傾斜がきつく、簡単に登れそうな山ではない。しかし、ルートファインディングには自信がある。唯一考えられるルートを見出し、頂上を目指した。すると途中でしっかりした階段が現れた。階段は天にも続くか如く上へ延び、頂へと私を導いてくれた。見えない力に引っ張られた様で、不思議な感覚がした。そして憧れの山であるホル山の偵察もできた。次はホル山だ!!
《天にも続くアル・ビヤラ山の階段》
《アル・ビヤラ山頂からペトラ王の墓群を見下ろす》