2012年8月21日(火曜日)
ドイツロマンチック街道3泊の旅がとうとう今日でおわります。
ミュンヘン Europaisher Hof ホテルの日当たりの良い最上階にて8時起床。
熱くて眠れない夜でした。
お楽しみの朝食バイキングは満足です。
十分なパンとおかずとフルーツとドリンクも充実しています。
大変美味しかった。
さて、私たちは今夜ミュンヘンからナポリへ飛びます。
11時のチェックアウトまではまだ時間があるので1ユーロショップヘ行き、これからの水分を購入してきた。 昨年の例で行くと、イタリアの観光地はドリンクが非常に高かったのだ。
ベリーダンスの街みたいなインド人の通りを歩いてお買い物。
100円ショップと同じでいろいろありました。
ハムスターやインコの餌も買いました。
ペットボトルのコーラや紅茶をスーツケースにしまって
さて、 この荷物をどうしよう・・・・
検討の結果、 フロントに荷物は預けず観光に持っていき
そこから直接空港へ行くことにしました。
Konzentrationslager Dachau
ダッハウ強制収容所
かなしいかなしい歴史の場所に行きます。
いままで、いくつかの本も読みました。映画もたくさん見ました。
悲しい悲しい殺人現場です。
集団皆殺しの土地です。
人間の最低のイジメ現場です。
人間という動物の醜い実態です。
ミュンヘン中央駅HauptbahnhofCentralStationからSバーン2 5ユーロで25分
Dachau下車
駅から観光客はバスをまっていたけど、私たちはスーツケースもあるし3人だからタクシーで10ユーロで強制収容所に到着。
入場無料。 広い敷地だった。
広いくて歩きにくい地面をスーツケースを引っ張って歩いた。
ダッハウにスーツケースで来ているのは私たちだけだ。
暑い
灼熱の太陽だ
虐待された人々の悲痛が聞こえる。
偶然にも現在BSにて [ドレスデン、運命の日]を放送中、いままさにドレスデンが壊滅しようとしている中、ブログ更新中。ユダヤ人は防空壕に立ち入り禁止・・だって
入り口扉の中央には「ARBEIT MACHT FREI=(働けば自由になる)」という文字があります。
ナチスドイツの嘘です。
4日間まるごとたっぷりご案内という言葉もわたしは信じていたんだ。 ナチスドイツの裏切りです。
公開されている収容所の様子は、写真やビデオで伝えてられていました。
ムチウチの刑、超高度低気圧での人体実験、冷却人体実験・・それはそれは悲惨な現場が次から次へと展示してあります。
収容所に来たら人々の霊を感じるだろうかと心配していた。
わたしは、何一つ霊を感じなかった。 私の心は冷静だった。
もう、悲しみしか襲ってこなかった。
悲しくて悲しくて。
本当の地獄、地獄以下に送られてきた人々。
収容所監獄は収容所の中でも残虐行為による恐怖の中心地
拷問に使われたムチと台
囚人が書いたリアルな絵もたくさんありました。
悲しいシーンの絵ばかりです。
毒殺でしょうか、ひどい、ひどすぎる。
逃げようとした人が死んだり、絞首刑にあったり
映画で知った、シマシマの囚人服。 実際の服と靴と帽子が展示されていました。
血と涙で一杯の洋服だった
展示されていた楽譜は、人々が歌っていたものだろうか。怖くて演奏することができない。
この大勢の人は、アメリカ軍によって解放された喜びの人々だ。 よかった開放されて。
<imgsrc="/milkie/timg/middle_1349274260.jpg" border="0">
亡くなっていった人のモニュメント
別の棟には、大勢が押し込められて極めて不潔状態であったという収容所なか
<imgsrc="/milkie/timg/middle_1349274491.jpg" border="0">
祈祷するところとか、慰霊塔とかあった。追いつかないきがした。
別の敷地には、殺人鬼たちがひどいことをしたところがある。
ガス室
ここに書いてある文字は シャワー室
シャワーかと思って安心して入室し、ガス殺人が行われたのだ。
ダッハウに限らずガス室殺人は各所で行われてたのだ。 ひどい。
焼却炉・・・死んだ人を焼却したんだよね? 生きている人じゃないよね?
ガス室のそばにあった銅像、 そして大変気持ちの悪い川がながれていました。
当時、収容所の周囲は、電流の通る有刺鉄条網が張りめぐらされていた。
チョコパンとマクドウウェルさんは、私と交代でガス室や遺体焼却呂のある敷地へ歩いて行きました。 炎天下の陽炎のなかを ふたりは歩いて行きました。
そして、
数秒後
白い光が二人を包んだ そして
この二人の姿は二度と見ることがなかった。
ドイツロマンチック街道3泊の旅がとうとう今日でおわります。
ミュンヘン Europaisher Hof ホテルの日当たりの良い最上階にて8時起床。
熱くて眠れない夜でした。
お楽しみの朝食バイキングは満足です。
十分なパンとおかずとフルーツとドリンクも充実しています。
大変美味しかった。
さて、私たちは今夜ミュンヘンからナポリへ飛びます。
11時のチェックアウトまではまだ時間があるので1ユーロショップヘ行き、これからの水分を購入してきた。 昨年の例で行くと、イタリアの観光地はドリンクが非常に高かったのだ。
ベリーダンスの街みたいなインド人の通りを歩いてお買い物。
100円ショップと同じでいろいろありました。
ハムスターやインコの餌も買いました。
ペットボトルのコーラや紅茶をスーツケースにしまって
さて、 この荷物をどうしよう・・・・
検討の結果、 フロントに荷物は預けず観光に持っていき
そこから直接空港へ行くことにしました。
Konzentrationslager Dachau
ダッハウ強制収容所
かなしいかなしい歴史の場所に行きます。
いままで、いくつかの本も読みました。映画もたくさん見ました。
悲しい悲しい殺人現場です。
集団皆殺しの土地です。
人間の最低のイジメ現場です。
人間という動物の醜い実態です。
ミュンヘン中央駅HauptbahnhofCentralStationからSバーン2 5ユーロで25分
Dachau下車
駅から観光客はバスをまっていたけど、私たちはスーツケースもあるし3人だからタクシーで10ユーロで強制収容所に到着。
入場無料。 広い敷地だった。
広いくて歩きにくい地面をスーツケースを引っ張って歩いた。
ダッハウにスーツケースで来ているのは私たちだけだ。
暑い
灼熱の太陽だ
虐待された人々の悲痛が聞こえる。
偶然にも現在BSにて [ドレスデン、運命の日]を放送中、いままさにドレスデンが壊滅しようとしている中、ブログ更新中。ユダヤ人は防空壕に立ち入り禁止・・だって
入り口扉の中央には「ARBEIT MACHT FREI=(働けば自由になる)」という文字があります。
ナチスドイツの嘘です。
4日間まるごとたっぷりご案内という言葉もわたしは信じていたんだ。 ナチスドイツの裏切りです。
公開されている収容所の様子は、写真やビデオで伝えてられていました。
ムチウチの刑、超高度低気圧での人体実験、冷却人体実験・・それはそれは悲惨な現場が次から次へと展示してあります。
収容所に来たら人々の霊を感じるだろうかと心配していた。
わたしは、何一つ霊を感じなかった。 私の心は冷静だった。
もう、悲しみしか襲ってこなかった。
悲しくて悲しくて。
本当の地獄、地獄以下に送られてきた人々。
収容所監獄は収容所の中でも残虐行為による恐怖の中心地
拷問に使われたムチと台
囚人が書いたリアルな絵もたくさんありました。
悲しいシーンの絵ばかりです。
毒殺でしょうか、ひどい、ひどすぎる。
逃げようとした人が死んだり、絞首刑にあったり
映画で知った、シマシマの囚人服。 実際の服と靴と帽子が展示されていました。
血と涙で一杯の洋服だった
展示されていた楽譜は、人々が歌っていたものだろうか。怖くて演奏することができない。
この大勢の人は、アメリカ軍によって解放された喜びの人々だ。 よかった開放されて。
<imgsrc="/milkie/timg/middle_1349274260.jpg" border="0">
亡くなっていった人のモニュメント
別の棟には、大勢が押し込められて極めて不潔状態であったという収容所なか
<imgsrc="/milkie/timg/middle_1349274491.jpg" border="0">
祈祷するところとか、慰霊塔とかあった。追いつかないきがした。
別の敷地には、殺人鬼たちがひどいことをしたところがある。
ガス室
ここに書いてある文字は シャワー室
シャワーかと思って安心して入室し、ガス殺人が行われたのだ。
ダッハウに限らずガス室殺人は各所で行われてたのだ。 ひどい。
焼却炉・・・死んだ人を焼却したんだよね? 生きている人じゃないよね?
ガス室のそばにあった銅像、 そして大変気持ちの悪い川がながれていました。
当時、収容所の周囲は、電流の通る有刺鉄条網が張りめぐらされていた。
チョコパンとマクドウウェルさんは、私と交代でガス室や遺体焼却呂のある敷地へ歩いて行きました。 炎天下の陽炎のなかを ふたりは歩いて行きました。
そして、
数秒後
白い光が二人を包んだ そして
この二人の姿は二度と見ることがなかった。
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