
ソイ・チワワ ・8歳は、3年半前に「保健所の成犬・猫の譲渡を推進する会」という保護団体から譲渡を受けました。
きっかけは娘の友人のご両親が保護団体の預かりボランティアをしていて、友人から話を聞いた娘が「1匹でも助けてあげたい」と訴えてきたことからです。
しかし簡単に飼うというけれど、それは命を引き受けることになるのですから、最後までみんなで大事にできることと、家族全員が賛成することを条件にしました。
娘は父、祖母、弟、私(母)一人一人と話をして、家族全員の賛成を得て譲渡会に向かうことになります。
始めにお見合いを予定していたのは同じ犬種でしたが、家で飼うには難しいと思いました。
高齢の方が病気で飼えなくなり保護された犬でしたが、抱っこが大好きで抱っこをねだり吠えることがあることと心臓病を患っていて、初めて室内犬を飼う私たちにはレベルが高いと思われたからです。
こうしたことも縁がありますから、今回は残念ながら…と思っていたところ、娘がとても気になる子がいるとソイ(前・金次郎)を連れてきました。
ソイを預かってくださっていたボランティアの方にソイの生い立ちと現状を聞くと…。
約50頭の多頭飼いの崩壊で保護されたそうです。
狭いキッチンに50頭がひしめき合う様にいて、保護当時は野生のようだったといいます。
飼い主は動物病院の看護師をしていて、それぞれの名前・誕生日は記録されていました。
ソイにつけられた最初の名前は毛の模様から「うしおとこ」でした。(「うしおとこ」と名付けることに愛情を感じないと思うのは私だけでしょうか…)
多頭になった飼い主の言い分は、去勢が可哀そうだったことと、パピー(子犬)が大好きだったことのようです。
去勢が可哀そうというのは私も感じますが、崩壊するまで増やしてしまうのはもっと可哀そうなことだと思います。
実際にこうして、保護されてしまったのですから…。もし保健所扱いになれば、多くの命がなくなっていたことにもなります。
そんな「うしおとこ」は「金次郎」と改められ、預かりボランティアさんのお家に迎えられました。
部屋から一切出た経験がなかったソイは、初めての場所に馴染むのに時間がかかったようです。
また男性に会うのも初めてで、預かりボランティアの御主人もかなり大変だったと話されていました。(ご主人はドッグトレーナーをしていますが、その人が言うのですから半端ない大変さだったと思います)
もちろん散歩も初めてで、広い世界を見てきっと恐怖をかんじたのだろうと想像します。
我が家に“トライアル”(お試し期間:飼えるか判断するためにを2Wほど一緒に暮らします)に来た時も、人が動くたびにビクビクして暗くて狭い場所を探して隠れていました。
餌も2日間食べませんでしたし、加えて犬1匹という初めての体験です。
それでも時間をかけて家の子になってもらおうと、2wのトライアルを終えて晴れて我が家の大切な仲間になりました。
迎えて3年半が経った今は、もうすっかり家族の一員です。
散歩も大好きで「散歩」と声をかけると、“キャン・キャン”と嬉しい声を上げて走りまわります。
家族がお出かけから帰ると、甘えた声で喜んでくれます。
でも未だに直らないのは男の人が怖いということです。
主人や息子がリビングから出ていこうとすると(後ろ姿になると)、吠えてアキレス腱を狙う仕草をしたり(ときどきパクッといきます)、リードを付けようとすると逃げ回り未だに付けさせてはくれません。
また、もう一つ不思議に思う事があります。
家族は仕事や学校で日中のお世話は私がしますので、預かりボランティアさんには「きっとお母さんに懐くかな」と言われていましたが、ソイにとっては迎えたいと言ってくれた娘が、唯一絶対の存在の位置にあることです。(娘と一緒に就寝するので、それも大きいとは思いますが)
犬は家族の中で順位をつけると言いますが、その中で娘が絶対1番ということです。
この不思議なソイの行動は、順位というよりも動物の心霊能力が優れているから、救いを手を差し伸べてくれはのが誰なのかが分かるのではないか?と思うほどです。
その動物の心霊能力について、スピリチュアリズムの知識である「シルバーバーチの霊訓」(*1)の中には、次のような箇所があります。
質問者「人間より動物の方が心霊能力がすぐれている場合があるのはどうしてですか」
「“進化”の観点からいえばまだ人間となる段階には到達していませんが、人間がいまお送っているような“文化生活”を体験していないからです。人間がもし文化生活の“恩恵”に浴さなかったら、もっと早い段階で心霊能力が普段の生活の一部となっていたはずです。
つまり人間は文明と引き換えに心霊能力を犠牲にしたわけです。動物には人間のような金銭問題もなく、社会問題もないので、本来なら人間が到達すべきだあった段階へ人間により先に到達したのです。人間の場合は物的生活の必要性から本来の心霊能力が抑え込まれてしまったわけです。」
シルバーバーチの霊訓5 P104
この言葉に私はとても衝撃を受けました。
なぜなら、人間にも心霊能力を発揮する力が潜在的にあり、それが文明と引き換えに犠牲になったというのですから…。
シルバーバーチは動物には金銭問題もなく、社会問題もないからと言っているように、ある意味仕方のないことだと思うのですが、本来ならば心霊能力が普段の生活の一部にあるべきであることを思えば、人間の生き方にも問題があることになると思います。
金銭問題は人間が生きる上で必要不可欠です。
お金がなければ、食べることも、寝ることも、生活必需品を揃えることも、教育も、医療も受けられませんし、ペットを飼うこともできません。
社会問題にしても、生活に密接に結びついていることばかりですから、切り離すことは難しいです。
でも、自分を含めた人間の生き方には問題も多いのだと思います。
例えば、コンビニのお弁当の廃棄問題や過度の飽食、ファストファッションや100均などの購入では、安いから流行に合わせて買う、安いから何でも使い捨てにするという生き方はどうなのだろうかと疑問に思います。
人間が物質的で利己的な生き方の結果で得た文明と引き換えにした能力の代償はとても大きいと思うのです
さて、心霊能力とはどんなものなのでしょうか?
スピリチュアリズムの知識では、「霊的身体(霊体)に備わっている能力」といいます。
地上人は五感や運動能力など肉体の能力を持っていますが、霊的身体があり、その霊的身体にも様々な知覚能力や運動能力が備わっているのです。
そして、死後に肉体を脱ぎ霊体になった人間は、霊界でその霊的感覚、能力をもって生活をすることになるのです。(*2)
霊体の機能は、肉体の目や耳に相当する霊的視力、霊的聴力があります。
これ以外には霊的臭覚や霊的触覚やテレパシーなどの能力も備わっています。
良く霊能者という言葉を耳にしますが、こうした能力を身につけた人なのです。
私がなぜ、文明と引き換えにした能力の代償はとても大きいと思うのかと言えば…。
もしも心霊能力を開発できたなら、人間関係の誤解が少しは減るのではないかと私は思っています。
人間同士のコミュニケーションは言葉や動作・行為を通して介されますが、その人の発する言葉や動作が本心であるのかは、本人にしか分かりません。
嘘をついても相手には分からないということです。
また、言葉足らずで人間関係に誤解を生むことも多いと思います。
ですが、心霊能力があったなら本心がキャッチでき誤解が減っていくと思いますし、嘘はつけなくなります。
無理して相手に合わせたりすることもなくなると思います。
そうした状況は、ある意味自分にショックを与えることもありますが(自分に対して嫌悪を抱く気持ちが分かってしまうかもしれないので)、自分を省みる良い機会にすれば清々しいと思います。
そのためには、自分の物的な生き方や利己的な生き方を少しでも変えて質素に生き、人との慌ただしい関係を控えて一人静かになる時間をつくって、水際にある精妙な波動をキャッチできるようになりたいと思います。
心を常に平静に保ち少しでも自分の中にある潜在的な心霊能力を開発して、清々しい日常にしたいと思います。
そして可愛い動物たちの思いや隣人の思いをくみとれるように生活の一部になるように努力したいと思います。
(*1)「シルバーバーチの霊訓」シリーズは、”潮文社”から発行され、その後、絶版となりましたが、現在、スピリチュアリズム普及会で復刻・出版されています。
(*2) 「関東シルバーバーチの会」という、「シルバーバーチの霊訓」を学ぶ読書会のメンバーが「あいのしんこと舎」を設立し、自費出版にてスピリチュアリズムの知識を分かりやすく絵本にしました。
その中の「コトとシンのうちゅういちたのしいおはなし」という絵本には、スピリチュアリズムが示す「人間の本質」についてや「死後の世界」の知識が分かりやすく描かれています。
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