八割れ猫のシッポナは外が大好きです。最近は犬の散歩やお出かけから帰り玄関ドアを開けると、玄関から顔をのぞかせて出迎えてくれます。
本当に外へ興味があれば人間の隙間をぬって飛び出すことが出来ると思うのですが、その勇気がないのか?ちょっと外を見て家の中へと戻っていきます。
またベランダに出て外監視や虫取りも大好きです。ベランダ窓が開いていないとそこに座って私の顔を凝視します。その目は「外に出たいから窓開けてよ!!」と訴えています。声なき声でそう言うのです。
「外に出たいの?」と聞きながら、窓を開けると一目散にベランダに出て、外を監視したり虫を探したり、時には風に吹かれてまったりしています。
八割れ猫のウニは夏場の暑い日でも冷房の効いた部屋は苦手なのか?みんなが一緒にいると落ち着かないのか?すぐに寝室に行きたがります。そんな時はドアの前に座って「ニャ~~」と鳴きながらジーッと視線を合わせてきます。ドアを開けないと鳴き声は大きくなり“出たいアピール″は強くなります。ドアを開けるとサッと出て寝室のウォーキングクローゼットへと消えていきます。
チワワのミルキーもベランダ窓の前に座ってジーッと見ていることがありますが、雨などで散歩に行けない時のトイレへの合図です。
「トイレいきたいから窓開けて!」と切羽詰まったように見てくるのです。そんな時は慌てて、ペットシートをベランダに敷くと気持ちよさそうに用を足します。笑
ホオミドリアカオウロコインコのマメやコミドリコンゴウインコのナッツも水浴びをしたいときには、キッチンの水道につかまり″チョロチョロチョロ…″と水の流れる音を真似て水浴びを訴えてきます。
水浴び用の小さなタライを用意すると、水を周りに飛び散らかしながら体や羽をふるわせて気持ちよさそうに水浴びをします。
人間との間に会話こそ成立しませんが、シッポナもウニもミルキーもマメもナッツも態度や鳴き声、鳴き真似で自分の思いや欲求を訴えてくるのです。それを人間がキャッチして欲求を満足させてあげる、それは人間が動物たちの放つ波動をキャッチするということだと思いました。
また動物たちも訴えることで欲求を叶えてもらえることを知っているということです。そこには相互間にテレパシーのようなものが働いていいるのではないか?と私は思っています。
さて「ペットが死ぬとき」という書籍にも、動物たちの思念の影響について綴られた箇所があります。その中の一部を抜粋します。
「それは屠畜されていく動物たちの恐怖と苦痛、誰をということもない恨みの念があたりに渦まいていて、その念や感情の波動が地上界の霊的、精神的大気を汚し、人間生活を毒し、進歩を阻害しているというものです」
この箇所は、ある霊能者が一定の場所を通るたびに感じた重苦しい雰囲気について、自身が幽界離脱をして霊界探訪をしたときに見せられた、その原因について書かれています。その重苦しい雰囲気は屠畜される動物たちの恐怖と苦痛と恨みの念の波動だったのです。
初めて読んだときには衝撃を受けました。人間の食肉となる動物たちが無念の思いや苦痛、恐怖を抱きながら屠畜されていく様を考えると、自分も含め人間とはなんと残酷で未熟な存在なのかと思い、苦しむ動物たちのことを考えると胸が押しつぶされそうになったからです。
そして思念には実態があることを感じました。
それは動物だけではありません。
未熟で利己的で物質的な人間の欲望や悲しみ、苦しみ、恨み、嫉み、恐怖、憎しみ……こうした感情の念が地上の霊的、精神的大気を汚し、人間生活を毒し、進歩を阻害しているのは間違いありません。
シルバーバーチは思念について次のように述べています。(*1)
「あなたは自分が思考していることを自覚していらっしゃる。が、思念は見えることも聞くことも、重さや大きさを計ることもできない。物理的な計量方法がないわけです。なのにあなたの行為のすべてに思念が責任を負っています。思念の方が行為に先行しているからです。思念なくして行為は生まれません。
あなた方の世界では考えたことが行為として具体化します。私たちの世界では考えたことが霊的実在として具現化し、それには、あなた方にとって物質の世界が実感があるように、私たちにとって実感があります。要は相対上の問題です。あなた方にとって物質に実感があるように、私たちにとっては思念に実感があるということです」 シルバーバーチの霊訓 8
「霊界では思念がすべてのものをこしらえる素材です。ですから心に思うことがみな存在するわけです。食欲と権力欲をもったままこちらへやって来れば、それがこちらでは無用のものであることに気づくまで、それを持ち続けます。そうした地縛的状態から解放される段階まで成長すると、ようやく救われることになります。
困ったことに、権力欲や強欲は霊を地上へしばりつけます。身体的に死んでいますが、同時に霊的にも死んだも同然の状態です。波長が私たちより人間の方に近い状態です。そこで同じ欲に燃えた地上の人間と感応し合って、その欲望を増幅してまいります」 シルバーバーチの霊訓 10
シルバーバーチの言葉は驚くことばかりです。
地上に住んでいる私たちには、思念を見ることも聞くこともできないけれど、確かに何かをする前には思考します。まず考えてから行為に移すのですから、思念がなくては行為は生まれないのは当たり前のことですし、思念が行為の全てに先行し責任を負っているというのも納得します。
でも、多くの人は思念が先行していることを意識していないのではないでしょうか。私もシルバーバーチの言葉を知る以前は、そんなことを考えたことはありませんでした。
しかも、霊の世界では思念に実態があるというのですから、本来、霊的存在である地上人の思念も見えはしませんが、実態を持っているということだと思います。それは行為に移さずとも、心に思うだけでも実態を持つということです。とても恐ろしいことだと思います。
地上では言葉や行動に移さなければ相手には伝わりませんが、邪な思いは実態を持ってしまうのです。故に、その邪念の波動は自分自身のみならず地上を汚し、毒し、進化を阻害してしまうのです。
見える行為や聞こえる言葉だけが大切なのではない、だから自分の欲望や利己心、嫉妬心や恐怖心、憎しみといった悪想念を取り去る努力が重要なのだと改めて感じました。
反対に愛の念、親切の心、協調の精神をもてば、その美しい波動にも実態があります。その波動は地上の霊的、精神的な大気を清め、人間生活に益し、進歩を助長するのだと思います。
心に思うこと、瞬時に湧く思いや言動をしっかりと見て、意識を改革していこうと決意を新たにできました。そして地球に住む人間が美しい思念を持てば、地球は美しい星へと進化してくことでしょう。その美しい未来のためにも努力したいと思います。(*2)
さて、更に驚くことがあります。
貪欲や権力欲などの思念は、地上へ縛りつけ自縛状態をつくりだすというのです。それは霊的に死んだも同然で、その欲望は地上の同じ思いの人間と感応しあい増幅するのですから大変です。
今、地上に住んでいる私たちは自分の思念次第で同じ思いの霊界者を引き付けてしまうのです。その様子を想像すると恐ろしくなります。邪念を持てば同じ思いの霊が側に取り囲むということですから…。
そして地上的な欲望や利己心・権力欲をもって死後の世界へ行ったなら、今度は自分が悪想念の増幅に加担してしまうことになります。いつ死後の世界へと旅立ったとしても、地上に未練を残さぬようにしたいと思います。
思念の働きについて考えるにあたり、自分の心の浄化がもっとも大切であることが分かりました。自分が霊的成長することが美しい霊的存在者を引き寄せて、地球の進化へと繋がっているのですから、真剣に真摯に頑張っていかなくてはいけないと思います。
絵本は全部で「コトとシンのうちゅういちたのしいおはなし」 「コトとシンの10のどうして?」 「コトとシンのうちゅういちたいせつなおはなし」 「コトとシンのうちゅういちすてきなおはなし」
「コトとシンのうちゅういちふじぎなおはなし の五部作です。
全ての絵本には地上人生をどのように捉え、考え、行動したら良いのかのヒントが散りばめられています。コトとシンが教えてくれる言葉の数々は、毎日を明るく楽しく価値あるものにしてくれます。お子様の読み聞かせに最高の絵本です。
絵本は英語版、中国版もあります。ご興味のある方はぜひ「あいのしんこと舎」のホームページへ足を運んでみてください。
また、読み聞かせ動画の「あいのしんこと舎チャンネル 」からは、コトとシンシリーズの全巻を見ることができます。心に響く語りと可愛い絵とバック音楽(オリジナル曲)が心を和ませてくれます。
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