鳥と犬と猫と、ときどき雀

ー鳥2羽と保護犬2匹と捨て猫2匹との生活を綴ったブログですー

犬と猫の日向ぼっこ

2021-11-15 | 日常のこと

11月に入り、日に日に夜が長くなり朝晩の冷え込みが厳しくなってきました。

 

さて、鳥たちは1年を通して窓際で過ごしますが、寒さに弱いので冬場は保温マットを使って暖を取ります。(夜は場所を移動して、暗くして寝ます。冬は保温マットの温度を設定して寝ます)

犬猫たちは、朝起きてストーブをつけて部屋を暖めるとすかさずストーブの前を陣取ります。(犬猫たちは人間と一緒に寝ています)

特にチワワのソイは寒さが苦手のようで、ストーブがついていない時もその場所を動きません。(夏場はお気に入りの“クマのプー”のハウスに入っていることが多く、暖かくて暗くて狭い場所が落ち着くようです)

そして、最近はソイの後ろに猫2匹が溜まり暖かさを分かち合うという構図ができています。

チワワのミルキーは毛量が多いので寒さには強いのか、もっぱらクッションの上で寝ています。

 

ところが太陽があがり部屋に日差しが差し始めると、大移動が始まります。(我が家は2Fがリビングで、冬は日当たりはわりとよく、太陽の日差しが入ると暖かさを感じます。その分夏場は厳しい暑さになりますが…)

知らぬ間にみんなが太陽の日差しを求めて日向に大集合するのです。

太陽の暖かさと人口的なストーブの暖かさの違いが分かるのでしょうか。

人口で作ったものは到底自然のものを超えることはできないのだと思いました。

そこでみんなが寝そべっている姿はまったりしていて、とっても癒されます。

みんなは太陽の日差しで身体がポカポカ、私はその様子を見て心がポカポカになります。

 

そんな姿から、次のようなシルバーバーチの言葉(*1)を思い出しました。

「健康な身体ほど、精神と霊が顕現しやすいのです。

所詮、地上ではその身体を通す以外に、自我の発現の手段はありません。

動物をごらんなさい。

猫は暖かい日向に寝そべり、太陽が動くと、そちらへ移動します。

本能的に単純な真理を知っているのです。

不幸にして人類は、文明というものに毒されて、ますます人工的になりつつあります。」

霊的新時代の到来 P187

 

この言葉から思い浮かんだのは、便利になったことで巷にあふれている食品ロスの問題です。(日向ぼっことは全く違いますが)

規格外の加工食品の廃棄や賞味期限切れ加工食品・家庭や飲食店での食べ残しなど食品ロスは、いったいどれほどあるのでしょうか…

文明というものに毒されて人工的になった結のように感じます。

 

令和2年4月農林水産省発表の資料によると、廃棄物処理法における食品廃棄物は、

【食品関連事業者】752万トン(内、可食部分と考えられる量:328万トン)
【一般家庭】783万トン(内、可食部分と考えられる量:284万トン)

と計算されており、合計で食品廃棄物は【1,535万トン】、食品ロスは【612万トン】と言われています。

612万トンというとあまりイメージできない重さですが、キログラムに直すと61億2千万キログラムで、10kgのお米が6億1千2百万袋分の計算になるそうです。

これは世界全体援助している食料の量の約2倍に相当するらしく、その廃棄コストは年間2兆円にも及ぶそうで、経済的にも非合理的な現状です。

便利さ、手軽さ、安さ、速さ、美味さを求める消費者と、消費者のニーズに合わせて大量生産し、利益を求めて生産者同士の飽くなき競争が繰り返されているのですから、当然なのだと思います。

 

 

こんなことを考えていると時、ふと、あるフレーズが頭をよぎりました。

それは子どもが小学生のころに知った、“アフリカでは、飢餓で死んでいく子どもの数は3秒に一人です”というフレーズです。

私はこの時、住む場所があり、3食食事が食べられ、学校に通えることが当たり前と思っていましたが、(本来なら全世界の人が当たり前にできることであらねばならないと思います)それが適わない人たちがいることに愕然としたことを今も覚えています。

 

あれから十数年たちましたが、少し調べてみると…、「世界では1分間に17人が飢餓が原因で亡くなっています。そのうち、12人はこどもです。」(日本国際飢対策機構調べ)とありました。

単純計算すると3.5秒に一人が飢餓で亡くなり、5秒に一人の子どもが飢餓で亡くなっていることになります。

十数年たった今も、その現状は変わっていないことに愕然としましたし、自分自身の意識が低いことに対しても悔しい思いがわいてきました。

 

同じ地球に住みがら、飽食に興ずる者と飢えに苦しむ者がいることに大きな違和感を感じます。

“貧富に差があるのは、それだけ頑張ったからで当たり前の報酬”という人がいるかもせれませんが、だからといってまだ食べれるものを廃棄したり処分していいはずはないと私は思います。

もちろん貧困や飢餓の問題は日本だけの問題ではなく、全世界で取り組んでいかなくてはならないと思いますし、食品ロスだけがいけないのではなくて、格差の問題や肉食の問題もあったり、私が知らないところにも多くの問題があるのだと思います。(ちなみに食肉として飼われている家畜の餌に多くの作物が使われていますが、それを飢餓で苦しむ人々に回したなら飢餓の問題は解決できるといいます)

 

単純な真理は、「猫は暖かい日向に寝そべり、太陽が動くと、そちらへ移動します」というように、何が大切かを知ったら自然にそちらに意識を向け、行動するという自然の摂理のことだと思います。

私にとっては、自分の飽食や便利さ、手軽さよりも飢餓で苦しむ人々が解放されることの方が断然比重が大きいです。

もし日本で廃棄処分になった食料が飢餓で苦しむ人達に回ったならば、現状を少しでも良くすることができるのではないかと思ってしまいます。

 

世界人口約79億人のたった一人がすることなんて…という方がいるかもしれませんが、そのたった一人がやらなければ何も変わらないのが現実世界です。

たった一人のすることですが、自分にできる食品ロスを減らしていこうと思います。

 

犬と猫が日向で寝そべる姿を見て、こんなことを思った11月の午後でした。

 

 

 

 

(*1)「霊的新時代の到来」は、スピリチュアリズム普及会で、自費出版されています。


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