保護犬チワワのソイが我が家に来て間もない頃(1か月くらいたった頃)のことです。もう4年と8か月前になるでしょうか。
その日は娘も私も用事があって、ソイが苦手とする″男の人″の夫が一人で散歩をしました。譲渡の際に約束をしていたように2リード(首と胴体にリードをつけます)をして出かけたようですが、リードを落としてしまった、その僅かな隙にソイは猛ダッシュをして逃げだしたそうです。
譲渡の際に、保護犬は新しい家に慣れるまでは恐怖や不安と闘っているので、直ぐに逃げ出そうとすることを聞いていました。見失ってしまったら譲渡先に連絡をして、みんなに来てもらい探すことも知っていたので、夫は焦って必死に追いかけたそうです。
小さなチワワと言っても犬の走りに人間が追いつくはずもなく、長い坂を上り姿が見えなくなりかけた、その時!バイクに乗った青年が追いかけて捕まえてくれたという「ソイの大脱走事件」がありました。ちなみに、ソイが走り去った坂を我が家では「ソイ坂」と呼んでいます。
それから4年半たった昨年末のことです。散歩に出かけるために玄関でリードを付けようとしていた矢先に、”ピンポーン”とインターホンがなりドアを開けると宅配の方(年配の女性)がいました。
ソイがいることをすっかり忘れて対応をしていると、開いたドアの間からリードを着けていないソイが出て行ってしまったのです。ちなみにミルキーは大きな段差のある玄関は怖くて降りれません。
「ソイ、待て!」と声をかけたのですが、責任を感じた宅配の方が「ソイちゃーん、待ってーっ!!」と追いかけてくれました。でも、こんな時は追いかけてはいけません!!脱走した場合でも焦らずに「待て」など、しつけの要領で落ち着かせるようにします。
追いかけたり叱ったりすると、パニックが助長されて、逃げられてしまう可能性があります。 また、追いかけっこだと認識してさらに走り去ってしまうかもしれません。
慌てて追いかける宅配の方を止めて、「ソイ、待て!」というと、嬉しそうなソイが坂の下で待っていました。静かに少しづつ近づいて、「おやつ食べようか。お散歩に行こうね」と語りかけながら、おやつを見せてしゃがむと寄ってきたので…すかざずリードを付けて事なきを得ましたが、以前のソイに比べると、なんと成長したのか!と…感動しました。
「待つこと」ができたソイを思い切り抱きしめて、頬ずりして褒めてあげました。
そんなソイの行動から、60頭の多頭買いで人間の愛情を受けず、狭い室内から一歩も外に出ることもなく5年間も暮らしていたソイが、私たちと暮らした4年半にこんなにも成長し、信頼関係が出来ていたことに、進化向上とは遅々としていて目に見えた変化はありませんが着実に身につくものだと改めて思いました。
それは動物だけではありません。地上人生を生きている私たち人間全てに言えることだと思います。本来私たちは進化向上のために生きているのだと思いました。
シルバーバーチはそうした進化向上の歩みについて次のように述べています。(*1)
「向上とは、不完全さを洗い落とし、完全へ向けて、絶え間なく努力して、成長していくことです。それには、今日一日を大切に生きるということだけでよいのです。 毎朝の訪れを、性格形成のための無限の可能性を告げるものとして、迎えることです。 それが自我を開発させ、人生に目的性を持たせることになります。 残念ながら、今の地上のあまりに大勢の人たちが、人生に対する目的意識を忘れております」 シルバーバーチの霊訓10 P34
このシルバーバーチの言葉はとても励みになる、身にしみるありがたい言葉です。
地上人生中に自分の中にある利己心や物資的な欲望を少しでもなくしていく努力をすることが、自分の魂にとっていかに大切かがわかります。今日という一日をそう努力していくことが、性格形成に役に立つのですし、何と言っても地上人生に目的が出来ることは素晴らしいことだと思います。
なぜなら、私がシルバーバーチの言葉を知る以前を振り返ってみると、人生に何か目的があっただろうか?と思うからです。
目的と言ったら、″子どもが健康に幸せに暮らせるように″…とか、”失敗や困難がなく過ごせるように”…”沢山お金が持てますように”…”病気になりませんように”…等々、いかにも物質的な豊かさを目的としていたことが分かりますし、また、それは自分だけ家族だけの幸せを考えていたことも分かります。
こんなことを目的だと思っていたとは、なんとも自分の未熟さに恥ずかしくなりますが、私に限らず多くの人が目的意識を持たずに生きているのではないかと思います。自分では目的を持っていると思っている人でも、多くが物的で利己的な目的であると思います。
それはこの地上という世界では、”財産があること” ”地位が高いこと” ”学歴があること” ”権力を握っていること” ”いい会社にはいること” を素晴らしいと考え、憧れて自分もそうなりたいと願っているからです。
しかし、そうした物質的で利己的なものを蓄えても地上人生を終えたあとに持っていくことはできませんし、性格形成に決して良い結果を残すとは思えません。
人と比べたり、人を見下したり、人を支配したり、人を蹴落としたり…そうした行為が作る性格とはいかなるものかを考えれば自ずと分かります。
こうして地上人生の目的を知ることが出来たのですから、今日という一日を大切に、自分の中の利己性と物的欲望を取り去る努力をしていきたいと思います。そして、死後にも魂に蓄積されるものを蓄えていきたいと思います。
それは思いやりであり、親切であり、協調であり、扶け合いや慈悲、優しさという愛ある行為です。愛ある行為、善行は心や魂という霊的な部分を豊かに深くする行為です。心や魂に刻み込まれた善なる思いは決して消えることなく、私たちの性格を形成していくのです。
それは ”困っている人を助けてあげること” ”苦しんでいる人の側で寄り添うこと” ”動物を可愛がってあげること” ″愛の念を送ること″ …何か特別なことをすることではなく、日常の何でもない出来事を愛の思いで過ごすことが性格形成に無限の可能性を見出すのだと思います。(*2)
そもそも私たち人間は神によって創造され神性という無限の資質を賦与された存在です。その無限の可能性を誰もが携えているのですから、それを引き出すことが大切であり、地上人生の目的ともいえると思います。
この地上人生を終えて、死後に霊界での生活を始めるときに後悔のない自分でいたいと思います。
次のシルバーバーチの言葉を励みに頑張りたいと思います。(*1)
「あなたの行為、あなたの活動、あなたの思念、要するにあなたの生活そのものがあなたという実在を形成していくのです。その実在は肉眼では見えませんが、“死”の過程をへて肉体と永遠に訣別した瞬間から、それがまる裸にされます。それ以上に立派に見せることもできませんし、それ以下に惨めに見られることもありません。地上生活によって形成された性格をそっくりたずさえて行くのです。平凡な日常生活の中で培われた霊的資質こそあなたの永遠の財産となるのです」 シルバーバーチの霊訓12 P33
「コトとシンのうちゅういちふじぎなおはなし」の五部作です。
その中の「コトとシンのうちゅういちたいせつなおはなし」 「コトとシンのうちゅういちすてきなおはなし」には、人間も動物も自然界のものも人工的なものも全てが私たちにとってかけがえのない存在で愛を発すべき尊いものであることが描かれている絵本です。子どもたちの心を豊かにしてくれる内容です。
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