鳥と犬と猫と、ときどき雀

ー鳥2羽と保護犬2匹と捨て猫2匹との生活を綴ったブログですー

マイ・ドッグラン

2023-03-01 | 日常のこと

新型コロナウィルス感染症が広がり始めた2019年12月から約4年が経ちましたが、今もって収束はしていません。

それでも新型コロナウィルス感染症の捉え方は大きく変わり、日本でも「2類」だった感染症の分類をゴールデンウイーク明けから季節性インフルエンザと同じ「5類」に移行する方針を決めました。

マスクの着用や会食、イベント、旅行等の制限も緩和されるそうです。

 

さて、我が家でも新型コロナが蔓延し始めた3月ごろに影響を受けました。息子の大学は休校になり、娘の職場も臨時休業を余儀なくされて家で過ごす時間が増えました。

そこで、この時間を利用して庭に″ドッグラン″を作ってはどうか?という話になりました。

 

先ずは土地の所有者である母に相談します。母は趣味で行っていた家庭菜園の半分を快く明け渡してくれて土地を確保し、「マイ・ドッグラン」計画が始まりました。

とはいっても、実際に実行したのは夫と息子の二人です。

整地のために2tトラックに2杯分の土を取り除き(土壌が粘土質のため必要でした)、暗渠排水(水はけを良くする作業)づくりをして、その上に砂や土をはり、芝生を植えました。その作業の全工程を人力で…約3か月をかけて、手作りの夢の「マイ・ドッグラン」が完成しました。

余談ですが…その間、私も土運びなどを手伝いましたが、余りの労働の辛さに体力の限界で階段から滑り落ち、肋骨にひびがはいるという出来事もありました。

 

3か月をかけて出来た「マイ・ドッグラン」は芝生が定着するのを1か月ほど待って、いよいよソイとミルキーにお披露目です。

喜んで走り回ってくれることを期待しながらワクワクして連れていきましたが、二匹ともフリーズして動きません。動物のあるあるですが、人間の期待を大きく裏切ってくれます。

ミルキーは芝生に寝転び芝生をむしゃむしゃ食べていました。ソイは私たちが追いかけたりすることで、ようやくその楽しさが分かったようで小さなドッグランを走り回っていました。

 

ちょうど夏場に仕上がったので、涼しい時間に夕涼み会をして人間も一緒に楽しみました。そして気候の良い夕散歩の前後にはドッグランで遊ぶのがソイとミルキーの日課になりました。

八割れ猫のウニとシッポナも外の空気を吸ってほしくて、リードをつけて何度かドッグランに行きましたが、怖がってフリーズしたりエアコンの室外機の隙間に身を隠したりします。ベランダには喜んで出ていくのに…広い世界が怖いのかもしれません。ちょっと可哀そうになります。

 

さて、時間と労力を使って作ったドッグランですが、時間の経過とともに雑草が生えてきました。

ドクダミとカタバミが主なものですが、ドクダミは根が深く取りきるのが難しいです。カタバミは種を遠くに飛ばすので、知らないうちに芝生のあちこちに生えています。カタバミはシュウ酸が10%ほど含まれているので、草を食べてしまうミルキーが心配です。

それにしても雑草はどこからやってきたのか??不思議でなりません。

そんなこんなで雑草取りが私たちの日課になってしまいました。雑草も生きているんだよね…と思いながら、とにかくソイやミルキーにとって危険なカタバミはとり去ろうと思います。ですが、とってもとっても生えてきて雑草の生命力の強さを感じます。

雨や嵐にも、晴天続きの乾燥したときにも、人間にとられても生き延びるカタバミの強さに感動すらします。と同時に、シルバーバーチのこんな言葉を思い出しました。(*1)

 

「人間は、愚かさと無知と利己心から、誤った道へ外れる可能性もあるのです。美しい花を咲かせるべき庭園に、雑草を生い茂らせることもあり得るということです。正しい生き方とは、何であるかを自ら学んで行かねばなりません。そうすることが、人間としての、神への貢献となるのです。潜在的には、無限の霊的属性を秘めておりますが、それを駆使できるようになるには、それなりの努力をしなければならないということです」  シルバーバーチの霊訓9  P39

 

このシルバーバーチの言葉から、自分の中にある雑草ともいうべき利己的で物的な部分のことがリンクします。

以前に比べれば大分減ったものの、ふとした瞬間に自分が中心になっている時がありますし、人を批判的に見たり、人間的な感情で責めたりすることもあり、まだまだ霊が主にはなっていないことに気づくことがあり、直ぐに道を外れてしまいます。

利己的で物的な思いは私の中に根をはっているんだな…取っても取っても生えてくる雑草と同じだと思うのです。

また地上世界の悲しく恐ろしい出来事を見ても感じます。戦争、紛争、略奪、支配など地上世界は利己主義と貪欲と強欲の雑草で足の踏み場もなくなっているのだと痛感します。

シルバーバーチが言うように正しい生き方とは何かを自分で学んでいかなくては!と思いますし、それが人間として神への献上物になるとなれば尚更そうであらねばと思います。

 

そんな時、私は何を思うかと言えば、この地上人生はほんの一時の時間を過ごす魂の訓練所であるということです。そしてシルバーバーチがいうように、自分が潜在的に秘めている霊的属性を使用できるようになりたいと強く思うのです。

そして”正しく生きる″とは、どういうことなのかをシルバーバーチが述べている次の箇所を繰り返し読んで自分を奮い立たせています。(*1)

 

「地上というところは予備校、ないしはトレーニングセンターであって、その目的は、内部の神性を可能な限り発揮する機会を提供することであるということです」シルバーバーチの霊訓10  P200

ーーーーー

「地上生活の目的はいたって単純です。本来のあなたである霊的本性を開発、強化して、死後に待ち構える次の生活の身支度をすることです。となると、ありとあらゆる人生体験――楽しいことも、苦しいことも、光も、陰も、有利なことも、不利なことも、愛も、憎しみも、健康も、病気も、その1つひとつが、あなたの霊的成長にとって何らかのプラスになるということです」 

シルバーバーチの霊訓9  P44 

 

この地上に生まれてきたのは、魂の教育をするためです。この地球という予備校・トレーニングセンターで内部の可能性を発揮して死後に備えること、次の生活の身支度をするのが私たちがすべきことなのです。

そのためには地上体験の楽しいことも、嬉しいことも、苦しいことも、辛いことも、愛も、憎しみも、健康も、病気も全てが魂の訓練に役立てなくてはいけないということです。

一つ一つの出来事が魂を鍛えるためのものであり、成長させるものとして受けとめていかなくてはいけません。(*2)

 

つい私たちは楽しいことや嬉しいことばかりを望み、それだけが人生にあればいいと思いがちですが、苦しいことも辛いことも憎しみも病気も試練も魂を成長させるためには重要なことだと忘れてはいけいなのです。

私も以前は苦しみや試練は起きてほしくない出来事でしたが、今の私はそうは思いません。困難や苦難よりも「霊的成長したい!」という思いの方が比重が大きいことを日々感じます。

 

自分中心になったときも、人を批判したり責めたりしたときも、霊的本性を開発する絶好機と受け取って、自分を内省し反省し成長していきたいと思っていますし、苦しいときにも試練のときにも決して弱音を吐かず、諦念をもって受け入れ、覚悟をもって償っていきたいと思っています。挫けたり、落ち込んでいる暇はありません。

 

それが霊的本性を開発することになり、強化されることは言うまでもありません。内省も反省もせず、逃げたり、避けたりする人生より強く逞しく美しい魂へと成長できるはずです。

それを為すために居る予備校であり、トレーニングセンターなのですから、自分の今の存在位置を自覚して、どんな出来事も霊的成長にとってのプラスにしたいと思います。

私の中にある雑草ともいうべき利己心や物的意識を減らして、神の愛でいっぱいの美しい庭園にすることをイメージして頑張ろうと思います。

 

 

 

 

 

(*1)「シルバーバーチの霊訓」は、スピリチュアリズム普及会で出版されています。
 
(*2)  「関東シルバーバーチの会」という、「シルバーバーチの霊訓」を学ぶ読書会のメンバーが「あいのしんこと舎」を設立し、自費出版にてスピリチュアリズムの知識を分かりやすく絵本にしました。

絵本は「コトとシンのうちゅういちたのしいおはなし」   「コトとシンの10のどうして?」 「コトとシンのうちゅういちたいせつなおはなし」  「コトとシンのうちゅういちすてきなおはなし」

「コトとシンのうちゅういちふじぎなおはなし」の五部作です。

その中の「コトとシンのうちゅういちすてきなおはなし」には、人間が嫌だなと思う出来事にも重要な意味があることが描かれています。また「コトとシンのうちゅういちたいせつなおはなし」には、神の摂理がこの全大宇宙を規制していること、その法則は完璧であることが描かれています。

「コトとシンのうちゅういちたのしいおはなし」  「コトとシンのうちゅういちふじぎなおはなし」は、私たちが死後に向かうことになる世界についての興味深い、人生を生きる上で役に立つ内容が描かれています。

 


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