娘がもうすぐ来る卒業演奏会に弾く曲です。
ラフマニノフのコレルリの主題による変奏曲Op42。
もう1曲、モーツアルトのピアノソナタk284、デュルニッツを弾くのですが、
この間、練習に人前で弾いたら、えらいことになりまして、
さすがにお尻に火が付いた模様で、取り組み始めました。(遅いわ)
起こった結果には原因があるのですよ、まったく……
その時点で、こちらのラフマニノフのほうはまだ暗譜も怪しい感じ。
もう大学に入ってからは、ほったらかしで関わらないようにしていたのですが、さすがに最後の演奏ぐらい錦を飾ってほしいわと、私も研究をし始めたのでした(笑)
いきなり上のプレトニョフの演奏ですが、
はっきりいってこの方の域に入ってくると、自由闊達で、凡人には参考にならないことが多々あるのですが、やっぱり一流と言われるピアニストの演奏は、普通のピアニストと比べても違います。
その1つに拍感があると私は思います。
書道でいえば、やはり楷書が極まっていないと草書、隷書など、それらしく書いていてもちょっと違うな……みたいな感じです。
きちんとした枠みたいなものができた上での自由さというか、崩しというか。
話はちょっと逸れますが、人間、いや生きもの(花も含めて)は概日リズムというようなリズムにのっとって生きています。ロボットにはないです。音楽には1曲全体を通して、概日リズムのような、一生であったり、1年であったり、1日であったりというものが含まれているような気がします。何なら、1小節の中にも小さいリズムが含まれています。モーツアルトのソナタなんか聴いていると、生まれて、育って、楽しいことや悲しいことを経験し、そして最後は華やかに、あるいは静かに終わる……みたいに感じます。
このデュルニッツも、曲全体を通してもそうですけれども、3楽章の中だけでもそうなっているなと思います。
まあ、演奏する側の方はもっと違う観点で弾いていらっしゃるのでしょうが、
私のような聴くだけの者はそれぞれ違う思いで音楽を聴いていて、私はそういうことをいろいろな曲で感じます。
ラフマニノフに戻しまして、
後期ロマン派、近現代の曲だと、訳分からない拍の曲もありますが、
どんな曲も、古典から積み上がってきた上でのものであると、きちんとした拍、リズム感が根底にあり、そこの上で自由に演奏ができると、聴いているのも面白いですね。
私を知っている人は読んでいないことを想定して、勝手に持論を述べてしまいましたが(これが知り合いとかだと言えない)。
大学6年間、無駄にしないでよね!と切に思っている次第です。
って、本人、また出かけてしまいましたよ。
分かってるんでしょうねえ……
最後にもう1つ、コレルリ。
こちらは最近いいと思っているジョージ・リー君の演奏。
コンクールなので、あまり崩さず、でもとても本人がしたい演奏になっているのではないかと思います。
自分の覚え書きにも貼っておきます。