日曜日、9月3日。
仕事もめどがついていて、時間があったので、思い立って、相模國三之宮の比々多神社へ行くことにしました。
このところ、毎日、寒川神社のことをおさらいしていて、お祭りのことなど、もう一度調べたりしているうちに、元々あの鄙びた感じの比々多神社が好きなこともあって、脱線して比々多神社のことを調べていました。
そういえば、コロナの頃から閉まっていた資料館を見学したことがなく、もう開いているだろうと思ったからなんです。
初めて行ったのは大山登山した時に、登る前にお参りしたのでした。
そこの神社の方が、「あなた、そんな靴で大山登るの?」とスニーカーの私に「ヤマビルがいるかもしれないから」とお塩を持たせてくれました。足もとに塗っておけばいいわよと。
このように、比々多神社そのものが他人のことを思いやるという雰囲気がすると、私は思っています。
多分、寒川神社よりも古く昔からそこにあり、でも決して目立たず、威張らず、でも自分の意思があるといいましょうか、まつろわず。まわりを気遣い、うまく収める。
この辺りの有名なお祭りである浜降祭での、古式座問答における比々多神社の立ち位置など、それを大きく表している気がします。
関係ないけれども、私もあまり目立ちたくないほうで、そんな比々多神社に親しみ、敬意を持っているのかもしれません。
思い立ってのですが、久しぶりの参拝ですので、お酒を持っていくことにしましたが、うちの近くの酒屋はまだ開いておらず、近くの酒屋を探して、買い求めました。
愛甲石田にある酒屋さん。
川沿いにあって、わかりづらかったですけど、そこら辺を走っていて一番近い酒屋を検索してたどり着きました。
おじいさんがいて、達筆な筆で、のしも書いてくださいました。
なんかここも古くて味のある感じの酒屋さんでした。
そして、比々多神社に到着。
地名も面白くて、「叔母様」なんていうバス停もあり、写真撮りたかったですが、道も狭いし、撮りませんでした。
叔母様と呼ばれる人がいたんですね、きっと😅
相模國三之宮比々多神社です。
振り返って。
勾玉の石のオブジェが増えていました。
創建は初代神武天皇6年、海路を渡り大磯より上陸してきた人々がこの地を最上の地と定め、霊峰大山を神体山として、国土創建を司ると豊斟渟尊を日本国霊としてお祀りし、国家安泰を祈願したのが始まりと言われます。
写真の旗には冠大明神と書いてありますが、淳和天皇の天長9年(832年)6月、神威高き神社として橘朝臣峰嗣を勅使に相模國総社冠大明神の神号を賜ったとあるそうです。すごいですね。
写真には字が見えてなくて失敗です😅すみません。たしか以前は「三之宮比々多神社」という旗だったと思いますが、新しくされたのですね。いいと思います。
お参りした後、三之宮郷土博物館を見学させてもらいました。入場料は200円。
まず社務所で声をかけ、開けてもらいます。
こちらが博物館。
中はエアコンもなく、うちわを貸してもらえました笑
入ってすぐにうずらみかがあり、かわいらしい狛犬もありました。この狛犬が見たかったので、満足。飛騨の狛犬と似ているんですよね。寒川神社の筋肉隆々の格好いい狛犬ではなくワンちゃんといった、今ならイッヌというんでしょうかね、かわいいんですよ。寒川神社の古いほうの狛犬ももちろんかわいいです。
そういえば、今は比々多といいますが、昔には日田と言われた時期もあるそうで、少し共通点を感じます。
そして、もう1つのお気に入りは、縄文時代の顔面把手という土器の手の部分なのかしら、かわいい顔でグッズにしたら売れそうと思いました……
写真はネットからお借りしました。
本物は写真撮影禁止なので、残念ですが仕方ありませんね。
それでもこんなエアコンもないところに置かれて、ちょっと心配です。
入場料200円ですが、多くのところで配られる境内案内やこの拝観史料も100円ずつします。もちろん、買いました。維持費ですよね。どうにかこのまま残してほしいですから。
寒川神社の豪勢さと雲泥の差です……
寒川さま、さすがの一之宮ですね。
見学後は、奥宮まで上りました。
さすが豊斟渟尊(豊雲野命)、すばらしい雲を見せてくれました。
畑をのぼり
到着
神様目線。
やはりここからの景色は絶景。相模湾まで見渡せますし、最高の立地ですね。
横浜のランドマークタワーも見えました。
ここは室町時代の頃から幾多の戦火により焼かれ、今の場所に新しいお宮ができました。
帰りは、御神木ではないですが、すばらしい木があったので、思わず記念撮影。
もう一度、拝殿前でお参りをして、家路につきました。
この穏やかで、仲裁をする神様、自分が目立とうとはせず、周りをサポートする神様、見習いたい……。