事務局長の女性は、私より少し年長だが、とてもバイタリティーのある人。小さな体で、特に在日の日系人の家族を一生懸命支えている。しかもいつでも笑顔を絶やさない人なのだ。
そんな彼女が「息子さん、合格おめでとう!」と言ってくれた。そして続けて「ずいぶんプレッシャーだったみたいよ。なんだかすごくホッとしてたわ。」と言った。
息子は、私から見るととても“甘い”。でも息子を幼いころから知っている彼女からすると、「ずいぶんオトナになったね~」らしい。
息子は、浪人中も週に一度、この自主夜中(やちゅう)に来ていた。自主夜中は週に2度開いていて、私は火曜日に行くのだが、彼は木曜日に行っていた。たぶん私と同じ場にいるのがいやだったのだろう。
事務局長によると、息子は、夜中のみんなが帰る午後9時になっても、なかなか帰ろうとせずに、仲のいい生徒さんと毎週あれこれと話していて、帰る時はとても名残惜しそうだったという。また、「一生懸命勉強しているつもりなのに、なかなか思うようにいかず、まいってたみたいよ」とも。
家で、息子からはそんな話を聞いたことがなかったので、私は正直、少し驚いた。そして、私が思っている以上に息子がしんどい思いをしていたことを初めて知った。
いわば、息子は、家庭にいる時が一番気を張っていたのかも知れないのだった。
私は、息子を自分の規準でしか見ていなかったことに、やっと気付いた。いや、そうは思っていたけれど、その視線の先にいる息子が感じる“重さ”を、もっと小さく感じていたのだった。
親として、息子に期待する気持ちはもちろんある。また、自分と同じような耐性を、息子もきっと持っているはずだという思い込みも確かにある。しかしそれを差し引いても、「やっぱりオレは子どものことを分かっていなかったな」と思う。
親として、それはよくあることかも知れないけど、やっぱりそんな自分であることが息子を自分から遠ざけていることは、さびしく、なさけない気持ちがする。
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みらパパ
tani
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