もう終わろうとしていますが、今日は広島原爆の日ですね。
アメリカやロシアでは「原爆は必要なかった」「原爆は実験だった」などという意見が出されています。これまで、こういうことはあったのかな? 日本ではこの異常な殺戮爆弾が使われたことについて「不必要な人体実験がなされた」と言われているのを耳にしてきましたし、私もそう思ってきましたが、二つの大国からこういう意見が公表されることは、あまり覚えがありません。外国の意見表明には、その国の思惑もあるでしょうが(つまり日本のために真実を明かそうとするものとは限りませんが)、核を撲滅する、何かのきっかけになってほしいと思います。
原爆投下は、日本に対する差別的な感覚(人を人と思わない感覚)がなければできるものではない。人を人と思わないからこそ無残な殺戮もできるし、それが戦争のベースにある感覚であることを、もっと重大に考えないといけないと思います。そして、そんな状況で、無差別に奪われた尊い多くの命を、もっと思う必要があると思います。
原爆だけでなく、戦争や差別や軍事力についてはもっともっと思うことがありますが、それを書いていると今日が終わってしまうので、またの機会に書かせてもらえたらと思います。
私は、広島と長崎には一度ずつしか行ったことがないんですが、やはり原爆について考えるには、その日にその場所に行って自分の目で見、肌で感じないといけないと思います。私は、長崎には記念日に行ったことがあるんですが、広島はその日に行ったことがありません。早く母の状態が、私の広島訪問を許す状態になってほしいものです。
この原爆によって奪われた、そしてその後も放射能で奪われた命、苦しめ続けられた命の、今は安らかなることを祈ります。そして今も苦しめられている多くの命があることを忘れないようにしたいと思います。