奈良は、昨日とはうってかわって良いお天気です♪ 午前中は昨夜の強風が残っていましたが、お昼を過ぎてだいぶマシになってきました。風はまだ家の戸をガタガタ鳴らしていますが、暴力的ではない感じ。(^-^)
ニュースでは、北海道から東北各県にかけて、暴風によって壊れた家屋が多数、とのこと。地震の被害から回復する間もなくの悪天候、被害がひどくならないように祈るばかりです。
きれいな青空です♪ 雲は、ぐるっと見渡すと、2つ3つ見つける程度です。明日は雪の予報ですが、今のところ陽射しが温かく、春のようです♪
前栽の馬酔木も咲いてきました。
今朝も朝のルーティーン(体操と神仏へのお参り)の最後に仏壇で短いお経をあげたのですが、今日は明治26年に出産後すぐに亡くなった赤ちゃんの月命日にあたります。実はその4年後に私の祖父が生まれ、さらにその2年後に曽祖父は亡くなりました。祖父は実の父を知らずに育っていますが、曾祖父も無念だったろうな、などとあれこれと考えていたんですが、もし今日が月命日の赤ちゃんが無事に育っていたら祖父は生まれていなかったかもしれない、曾祖父がもう3年早く亡くなっていたらもちろん祖父は生まれていない、ということは私が生まれてくることもなかったんだなぁ、と思い至りました。
実は私には姉が一人いますが、その姉と私の間に3人の男の子が亡くなっています。一人が死産、二人が双子の早産。いずれも今の医学であれば助かっていたかもしれない命です。もしそのうちの一人でも生きていれば、私が生まれていたかどうかはわかりません。というのも、時代的に“跡取りの男の子”が望まれていて、長男が大事にされたものですから、その次の子がどれほど望まれたかわからないのです。
何か、“命の流れ”のようなものが変わると、次の命のありよう(つながりよう)は変わってしまう。人が生まれてくることは本当に偶々のことであり、また希少な確率で選ばれた命であるともいえるなぁ、と何やらしみじみとしました。一人の命など、取るに足りない小さな命ではあるけれど、かけがえのない大事な命でもあるなぁ、と考えた今朝のお参りでありました。とさ。
母は、朝からトイレを少々汚してしまいましたが、すぐに呼び出しボタンを押して、周辺をいたずらに汚すことは最小限にすることができました。もちろん後始末は手間がかかるし心地よいものではありませんが、次に何を為すべきかがわかってくれただけでも、今朝は良かったと思います。そのあと、母と話したときも、指の動きが悪いことがトイレを汚す大きな原因であるので「指がもうちょっと動いたらええのになぁ」と私が言うと、母は落ち着いて「そうやなぁ」とすまなそうに笑っていました。先ほど終わった訪問リハビリでも、がんばって指の運動をしていたようです。かかりつけ医にも連れて行きましたが、終始落ち着いていました。よきかなよきかな♪
妻が、確定申告の書類を税理士さんに見てもらいに行ってたので、かかりつけ医から戻って私と母の二人で、コンビニで買った弁当などでお昼ご飯を食べました。母はサラダ巻きとツナ巻きのセットとオニオンスープ。肩の動きが悪いので、腕が思うように上がらず、こういう飲み方になります。
私は、おにぎりのセットと、母の余りのツナ巻き、それからカップ麺の天そば。チープですが美味しくいただきました♪
2月も中ごろを過ぎて、そろそろ畑の方も忙しくなってきます。毎日少しずつでも頑張ろう!o(^-^)o